2007年10月31日水曜日

こーやん

 昭和30年代、小学校低学年のころ魚の行商のおじさんが毎日村の家々を巡ってきました。おじさんの名は「こーやん」。

 こーやんは魚が詰まった木箱を自転車に載せ、鐘をちりんちりん鳴らしながらやってきます。その箱には下津井ものの魚が氷詰めされていて、冷蔵庫がまだ無かった時代のこと、私は氷をもらっては口に入れるのが楽しみでした。

 こーやんが魚の頭を切り落として空めがけて投げると先ほどから上空を旋回しながらその瞬間を待っていたとんびが鮮やかにキャッチ。

 母は安月給の教師でいつも忙しく、町まで買い物に行くひまもお金もなかったのでしょう、鯖と鯨が日曜日ごと食卓にのぼっていました。癖のある鯨肉を母は上手に料理していました。「マリアナソース煮」という名前の一品でした。

 マリアナソースとはトマトケチャップとウスターソース、砂糖を混ぜて作るソースのことですが母がどこからそんなハイカラなレシピを仕入れてきたのか元気なうちに聞いておけばよかったと悔やまれます。

 昭和30年代の私の楽しい日々ははるかかなたに過ぎ去り、こーやんのことも夢のまた夢・・・。ところがです。40年ぶりに古里に帰ってみたらこーやんは相変わらず毎日村々を行商しているではありませんか。親とそっくり、背が低く、丸い小さな顔をしたジュニア・こーやんが行商を引き継いだのでしょう!

 自転車を軽トラックに変えているだけで何もかも昔のまま。新鮮な魚と家庭菜園でとれる野菜を使った料理はメタボの時代にあってはかなりのぜいたく。私も50年ぶりにこーやんに声をかけてみようと思います。

2007年10月24日水曜日

ラジオ中国語講座

 今年の4月からNHKのラジオ中国語講座を割合熱心に聞いています。ところが中国語はご存じのように子音がどれもこれもよく似ていて、例えばzi, ci とまったく別の発音記号(ピンイン)が ふられている音も私にはどらも「ツー」としか聞こえません。

 ふつうは「耳が悪いせい」にしてあきらめるところですが、「ちょっと待てよ、ラジオが悪いんじゃないか?」と思い、ついにMP3レコーダーを購入しました(商品名はTalkMasterⅡ)。

 iPod風の胸ポケットにすっぽり収まるトークマスターⅡはラジオ講座の放送スケジュールにあわせ、多彩な曜日パターンで録音設定できるようになっていて一週間分の講座が知らないうちにちゃんと記録されます。

 10月はラジオ講座の新学期、今度こそ無気音(zi)と有気音(ci)の違いを聞き分けるぞ、という意気込みも手伝ってか、録音済みの中国語講座をイヤホンで聞いてみたら、いままでスピーカーで聞いていたときには区別できなかった発音が何となく違う音に聞こえるようになりました。

 今年も昨年同様12月に上海に行く予定ですが少しは通じるようになっているんじゃないかと期待しているところです。

 ちなみにNHKの外国語講座はいつごろ始まったのかよく知りませんが、1960年代私が大学生だったころにはすでにありました。学生時代、下宿でNHKのフランス語講座を熱心に聞いていたものです。

 本当に外国語をマスターしようと思えば”駅前留学”などよりNHKのラジオ講座の方がよほど近道であろうと思うのは今も昔も変わりありません。

2007年10月13日土曜日

デスクランプ

 神戸の大地震を経験した知り合いは震災から、すべて形のあるものは壊れることが身にしみて分かった、としみじみ言っていました。だからモノが壊れることに執着しなくなったという意味のようです。 しかし私はモノは最初の姿のままいつまでもそこにあってほしいという願望が強く、ささいなことでも原形が損なわれるとしばらくの間落ち込みます。

 先日、岡山市湊にデザイン事務所を構える友人を訪ねたとき、友人が昔アメリカで購入したというデスクスタンドが目に入りました。子どものように「それが欲しい、ちょうだい!」と言うと、これはダメと言いつつも、倉庫から自在アームの先端に20ワットのほのかなランプが灯る素敵なスタンドを出してきてくれました。かなりの年代物のようです。

 ところがアルミ製のシェードが少し動くのでネジをしっかり締めようとしたら「パキン」という音がして碍子でできた小さなソケットが割れてしまいました。 「今まで完璧な状態で倉庫に何十年も眠っていたスタンドなのに久しぶりに日の目を見たとたん壊れてしまった」と嘆く私に友人は「灯は点くので問題なし」と気にもとめていない様子。

 最近、オルセー美術館に侵入した少年がモネの名画「アルジャントゥイユの橋」を10cmほど切り裂いた事件についても友人は「人類の歴史7千年から見れば大したことはない、修復技術の向上にはいいチャンス」と涼しい顔をしていました。

 「完璧なものは全然魅力がない」とはさすがモノをつくっては壊すデザイナーらしい卓見です。またひとつ歴史を刻んだくだんのランプは母の枕元に置きました。明るい天井灯に代わって深夜、母の痰を取ってあげるときそっと母の喉元を照らしています。
 

2007年10月7日日曜日

ムサシの家出

雄猫ムサシが我が家にやってきたのは昨年の正月、松の内があけたころでした。庭でニャーと鳴いてすり寄ってきては家に入れてくれとせがむのです。

 何だかなれなれしいし、ちょうどそのときは捨て猫のミーシャを飼い始めたばかりだったので一応追い払ったのですが、夜になっても翌日になってもテコでも動きません。背中には大きな生傷がありました。

 よく見るとなかなかハンサムな猫。さぞ飼い主は心配していることだろうと思い村中のゴミステーションに写真付きポスターを貼っってみたのですが、なしのつぶてでした。 

以来、ミーシャとともに私にとって2匹の猫は、楽しいときも悲しいときもいつもそばにいてくれるいわば人生のパートナー、永遠に家にいてくれるものとばかり信じていました。

 ところが安倍首相が政権を投げ出した日、いつものように「ムサシ、ドライブに行こう!」と闇夜に向かって呼びかけても出てきません。最初は明日朝にはご飯を食べに帰ってくるだろう、と大して気にもとめていませんでしたが、2日、3日、1週間と日が経つにつれムサシの家出は、家に来たときと同様堅い意志のもとでの決行だったとしか考えられないようになってきました。

 あまりにあっけないムサシとの楽しい日々の終焉。私のいつわりのない気持ちは「ムサシに捨てられてしまった、別れの言葉ひとつなく」です。猫を捨てる話はあっても猫に捨てられるなんて情けない。村中朝昼晩「ムサシ、ムサシ」と空しく探すのにも疲れてきました。

 お願いだから帰ってきておくれ、いつものように窓越しの塀の上から「おっちゃん、ドライブに行こう!」と誘っておくれ。

妖婆競演

 どうやら福田さんが首相になりそうな気配です。福田さんと言えば小泉政権時代、「官邸の妖婆」と呼ばれたお方。出典は「文藝春秋」2003年9月号に掲載された山村明義氏の”「官邸の妖婆」福田康夫研究”です。

 岸信介元首相が「昭和の妖怪」と呼ばれたのに対し、なぜ福田さんは「妖婆」なのか、改めて山村論文を確認してみたのですが、「妖婆」と断定した理由はよくわかりません。

 しかしながら、「妖婆」という表現はぴったりなんですよね。福田氏はたしかに頑固ジイサンというより小姑っぽい。でもまあこれは官房長官という役職だったからであり首相になれば男性性を遺憾なく発揮することでしょう。

 さて、今回の自民党総裁選の顛末を見ていると、保身に汲々としている男性陣を尻目に女性の暗躍(?)が目を引きます。

 "I shall return"のお寒い二番煎じ捨てぜりふを残して早々と泥船安倍丸から脱出した小池元防衛相。しばらくは孤閨をかこつのかと思ったら、はやくも渋谷駅前での立会演説会で福田さんに寄り添って愛想をふりまいていました。さすが”権力と添い寝する女”の名に恥じない感度の良さです。

 そしてもう一人は”チルドレン”の片山さつき氏。小泉さんを担ぎだすのが不調とみるや、翌日には立候補を表明した福田さんのそばでバンザイの音頭をとっているではありませんか!

 元祖”官邸の妖婆”福田さんもほんものの妖婆たちに背後霊のように取り憑かれて、そうでなくても長い鼻の下が一段と長くなっていました。

中華航空機炎上

 今回の中華航空機の爆発炎上事故ではあらためて問題のある航空会社の飛行機に乗ることの怖さを見せつけられた思いがしました。

 人的被害がなかったので、ちょっと醒めた気分で各紙の一面に掲載された炎上する中華航空機の写真を仔細に見てみました。というのもあのような非常事態に遭遇して乗客は機内持ち込みの手荷物をどうしたのか疑問が沸いたからです。

 おそらく航空会社の避難マニュアルでは脱出の際にはいっさいの手荷物は持たずに逃げるように、ということになっているはず。しかし新聞報道の写真をじっくり見ると、皆さん、炎上する飛行機からシューターで脱出するのに、手荷物はしっかり抱えていました。

 中にはキャリーバッグにショルダーバッグ、おまけに免税品が詰まっているだろう紙袋まで、持ち込んだ手荷物は一つ残らず抱えて逃げているおじさんもいました。こういうところに国民性が出ている、などと発言したら差し障りがあるかもしれませんが、さすがは台湾の皆様!と思いました。

 むかし、パリから大韓航空でソウル経由で帰国したことがあります。金浦空港着陸の最終アナウンスがあって着陸までの緊張の一瞬、大韓航空機内では信じられない光景が展開しました。 みんな我先に頭上の荷物入れから荷物を取り出し、ざわざわと通路に立って着陸の瞬間を待っているのです。客室乗務員も知らん顔。

 どんな状況でもしっかり自分の財産を守り、他人より一歩でも先んじて行動する我がアジアの同胞に乾杯、飛行機の安全マニュアルなどくそ食らえです。 
 

千の風になって

 少し前まで「おさかな天国」の軽快なリズムが流れていた近所のスーパーのBGMに異変が生じました。今や社会現象といってもいい「千の風になって」がついにスーパーにまで進出してきたのです。朗々としたテノールが店内に流れてくると、こころなしかにぎやかな売場におごそかな静寂がひろがってくるような気さえします。

 「千の風になって」は日本中に感動の風を吹き渡らせ、昨年末は紅白歌合戦にも登場。新聞の論評では繰り返し日本人の死生観とからめて論じられ、実際、投書欄にはいかに多くの人がこの歌によって心の平静さを取り戻すことができたか、感動の手記を寄せています。

  しかし、私はこの歌が苦手。「かなわんな!」という気持ちかな。老若男女を問わず人々の心にスッと入り込んでしまうところがまず気にいりません。端正でクラシックな顔立ちの秋川雅史のやや低音に傾くテノールも抵抗しがたいものがあってキライ。(実際の秋川氏は祭りが大好きなラテン気質の若者のようですが)

 二番目の「かなわん」は人間の死という絶対的な喪失を「風になって吹き渡る」などと軽く受け入れやすいイメージでカモフラージュしてしまい、死の意味を深刻に問う機会を奪っていること。早いはなし、自殺願望をもった若者たちに「さあ、風になって野原を自由に吹き渡れ」という誤ったメッセージを送ってはいないかと心配です。

 逆説的な言い方になりますが、「千の風になって」に慰められる人がこんなにも多いということは心安らかに故人を見送ることができなかった人がいかに多いかを示唆しているように感じます。願わくばこのような歌はスーパーの店頭で流したりせず、深夜人知れずそっとヘッドフォンで聞いてもらいたいと思います。

プリンスパークタワー

 昔からホテルのバスルームに対してずっと違和感を持ち続けてきました。なかでもなぜ便器がバスタブのすぐ横にあるのかという謎。おそらく日本人ならだれもが抱く違和感だと思います。

 日本では古来、便所のことを”ご不浄”と称したぐらい不潔なイメージでとらえてきました。それがよりによって”湯浴み”すべき清々しい場所に置かれているとは!

 イメージの問題に加え、風呂とトイレがいっしょでは1人が長風呂しているときに他の人がもよおしてきてもどうしようもありません。 外国のホテルならともかく、日本のホテルはなぜ日本人に使いやすい工夫をしないのかといつも不満に感じていたところ、今年になってやっと理想のホテルに出会いました。

 昨年、東京タワーの横にできたザ・プリンスパークタワー東京。このホテルの水回りはほんとうに快適です。まずトイレが独立しています。そしてバスルームには泡が吹き出す大きなバスタブがあり、独立したシャワーブースからは部屋によっては東京タワーが見えるとか(見られる危険もあり?)。

 余談ながら外国に多いシャワーヘッドが壁に固定してあるお風呂ではいったいどうやってバスタブの掃除をするのでしょう? ツインルームに友人などと泊まる際、垢がバスタブに付着しても洗い流せないので困惑します。しかしこの問題もこのホテルでは簡単に解消。掃除専用のシャワーがバスタブに付いていました。

 昨今のはやり言葉「おもてなしの心」とは精神論ではなく、まず値段に見合った快適な設備を整えることではないか。証券取引法違反で晩節を汚した堤義明氏ですが、理想のホテルをつくろうとした氏の思いは十分伝わってきます。 

「ぶって姫」騒動

 岡山市西部の我が町は今「ぶって姫」こと姫井ゆみ子参議院議員のスキャンダルでにぎわっています。というのも彼女と「愛欲の6年」(それにしても下品な表現!)を過ごした元教師が勤めていた中高一貫校があるからです。

 色白で顔面蒼白、しかも分厚い眼鏡をかけ高校生にしてすでにメタボ症候群を発症しているような体型の生徒たち。地元の中学生がたくましく日焼けしているのと対照的に、力無く自転車をこぐスタイルを見ただけでここの生徒だと分かります。

 そんな勉強一筋、受験のことしか頭にないような学校の生徒にとって、硬派で剣道7段の先生がいきなりテレビであることないこと議員との写真を数百枚を提示しつつ赤裸々に語ったのだから、生徒や保護者、学校当局の驚きと狼狽はいかばかりだったか想像にかたくありません。

 でもこういう教師って卒業して何年も何十年も経つと一番記憶に残っているんですよね。人間とは理性ではなくもっとどろどろしたもので生きていることを身をもって示してくれた先生として。

 何だか岩井志麻子の小説に出てくる男女の愛憎破局物語みたいな今回の騒動。当の「ぶって姫」はスキャンダルをものともせず、「姫は姫でもやんちゃ姫にございます」などと芸者スタイルで即興劇にまで登場していますが、いったい頭の中はどうなっているのか、今はやりの「脳内メーカー」で見てみました。

 脳みその8割は「H」、残り2割は「欲」と「金」で埋め尽くされていました。