2008年1月25日金曜日

松下・水道哲学の終焉

 1932年5月、松下電器創業者である松下幸之助氏は後に”水道哲学”と呼ばれる理念を従業員に説きました。

 いわく、「道行く人がよその家の水道の水を飲んでもとがめられることはない、あまりに安いからである。産業人の使命も優秀な製品を水道水のごとく安価に提供し楽土を建設すること」。

 それから80年近く経過し今や最先端のテクノロジーを凝縮した薄型テレビ、携帯電話、デジカメなど性能のことを考えたら本当に割安な価格で消費者に届くようになりました。

 たしかに、国民が優秀な商品を”水道をひねる”ように買えることはけっこうなことですが、松下電器はじめ日本を代表する産業はほんとうに利潤をあげているのかどうか。世の中には高いもの好きな人がいっぱいいることも経営の視野に入れて”最高の商品を最高の値段で売る”ことも考えないといけないと思います。

 例えば、アラブの富裕層向けに売る薄型テレビが家電量販店の目玉商品と同じ価格でいいはずがありません。アラブ向けには同じテレビでも画面以外の部分にはプラチナを使い、漆や金箔で華麗な装飾を施し、リモコンは金張りにし、ところどころダイヤモンドを散りばめた、100インチで2千万円ぐらいの限定商品を売り出せば即完売することまちがいありません。

  いったんそうしたプレミア商品が世に出ればロシアや中国のニューリッチも黙っていないでしょう。

 松下電器が今年10月社名を”パナソニック”に変更し、来年には”ナショナル”ブランドも捨てることにしたのはようやく水道哲学の呪縛から自らを開放する決断をしたものと理解し、儲かる企業に変貌することを期待しています。

2008年1月15日火曜日

ご長寿ギャグ

 2001年4月に始まった両親の介護は依然として続いています。最初のころ飲み会の席で、友人の医師に「ひとりで介護に専念するつもり」と話したら、「私の経験ではみんな張り切って介護を始めるけれどだいたい半年で音を上げる」と言われたものです。

 それから7年。友人の予測の十倍の歳月が過ぎていつの間にかエンドレスの様相を呈してきました。ただこの生活がいやかといえばそうでもありません。その秘訣は「介護の合間に休息」がふつうであるのに対し、私は「休憩の合間に介護」をしているからだと思っています。

 それでも、もともと相性の悪い父とは何もかもが煮詰まって90歳対60歳の心理戦はエスカレートする一方です。

 日曜日の夕方、夕飯の支度がいつもより遅くなってしまいました。父が「今日はもう夕飯はいただきましたかな?」とボケ老人を演じて私の怠慢を婉曲に非難。「いやまだ。今日はちょっと胃がムカムカして動けん。胃ガンかも知れん」と父を脅かしてみました。介護人と息子を同時に失う危険性を喚起し、少しは息子に同情せえ、というのが私のメッセージ。

 すると父は、背を前に曲げてみせ「こうか?」と言うのです。「ハァ?それどういう意味?」と聞いたら「背中がいがんどる」。オジン・ギャグは可笑しくも腹が立つ!しかも私が子供のころから猫背ぎみでコンプレックスに感じているところを突いてくるなんて・・・

 お涙頂戴などまっぴら、あくまで自己中で90年を生きてきた父の芸風にはまたしても完敗でした。

2008年1月8日火曜日

おねしょ布団

 幼児のころの記憶はどこまで遡れるのか、三島由紀夫は「仮面の告白」のなかで、自分が生まれた日の光景を鮮明に覚えていると少年時代にまわりの大人に主張して失笑を買ったエピソードを紹介しています。

 それは「産湯に写る電球の光」という怪しくも耽美的なシーンで、長じて華麗な文章を紡ぎ続けて突然この世を去った文豪の最初の記憶にふさわしい心象であったと思います。

 作家のような鮮明な記憶はないものの、私にはおねしょをしたあとの何ともいえない情けない感覚が幼児期最初のころの記憶として思い返されます。

 トイレに行きたくなる、暗くて寒く恐いトイレにやっとたどりつき気持ちよく放出し始めたとたん「何か変、しまった、これはいつも見るおねしょの夢だ!」と夢の中で気づいてももう手遅れ。

 母は真夜中でも慌てず騒がず濡れた敷き布団の上にタオルを敷いてくれて、朝がくると布団を干してくれました。真綿布団は洗うことができないのでいくら干しても汚れが取れるわけではないのに、1日太陽に当たった布団は気持ちよく、それがまたその夜の快眠と快おねしょを誘発したものでした。

 それから半世紀が過ぎ、今また同じ六畳間で親子の1日が過ぎていきます。ときどき子猫が入ってきては母のベッドに登ってうっとりした顔をしているときが最悪。びっくりするぐらいのおしっこの水たまりができています。

 でも今は重い真綿布団に代わって軽い羽布団の時代、洗濯機で丸洗いし乾燥はコインランドリーの大型乾燥機にかければばっちりです。慌てず騒がず、母と12匹の猫のお世話をする幸福な日々が続いています。