2008年8月27日水曜日

カイコ(2008年9月1日)


 夏休み、NHKの”ラジオ子供電話相談室”によせられる子供達の質問を聞いていると子供にとって依然として世界は驚異に満ちあふれた場所であることが再認識されます。

 「カイコは人間が何千年もかかって育ててきた家畜で飼育箱から絶対逃げていかないんだよ・・・」などという先生の説明を聞きながら私も子供時代カイコを飼ったことを思い出しました。

 卵からかえったばかりのカイコは真っ黒で大きさは2ミリほど。そのころ家には桑の木がなくて近所から葉っぱをもらってきてはカイコに与えたものです。

 手のひらに載せたカイコはおとなしく、柔らかいくせに弾力がありしかもひんやりとした感触が伝わってきて気持ちいい。そしていつのまにか大きな芋虫に成長します。

 やがてカイコの体に異変が起き皮膚が半透明になってくるともう桑を食べるのもやめてしまい、糸を口から吐き出しながら繭をつくり始めます。やがて繭からはもとのカイコとは似ても似つかない蛾が出てくることの驚きと神秘。そして蛾がまた卵を産んで元のサイクルに戻る不思議。カイコは子供が夢中になるカブトムシなんかよりはるかに教育的示唆に富んだ生物です。

 人間も今70歳以上の戦争体験者は、人生の節目節目でカイコのように鮮やかにきっぱりと過去のイメージを捨て去りながら世の中の動きに適応して生きてきたんだ、ということが一回り上の世代の人の文学作品やエッセイを通してよく分かります。人間としてちゃんと成熟しています。

 それに引き替え戦後世代の私はカマキリやバッタのように幼生のころの姿そのままに図体だけがいたずらに大きくなってむやみに斧を振り回してはバタバタしているだけ、そんな気がします。

還暦同窓会(2008年9月8日号)

 自分が生まれ育った岡山市福田学区にある実家で親の介護に明け暮れる日々を送っていることは幸せなことかもしれません。でも生涯ずっとここにいたのかというとそうではなく、小学校3年の3学期が終わった直後、隣の妹尾学区に家中で引っ越ししました。

 引っ越した理由は、どちらも教師だった両親が兄と私を岡大附属中学校(附中)に行かせようと思ったのですが、当時附中の学区は旧市内、妹尾、吉備、中庄、倉敷に限定されていて福田学区にいては受験できなかったのです。

 そんな理由で生まれ在所を捨てた私はいつも地元の友達を裏切ってしまったという引け目があって還暦を過ぎた今でも幼なじみたちに会うのがやや苦痛なのです。

 しかしそんなことを苦にしているのは私のひとり思い、先日河口メロン園の河口君から「こうちゃん、今度還暦同窓会するからこられー」とお誘いがありました。卒業していない学校の同窓会に出かけるのはいくらなんでも厚かましすぎるし、7歳から9歳までのたった3年間机を並べただけの旧友に50年ぶりに会うというのも何やら気恥ずかしいし大変勇気がいること。

 さんざん迷った挙げ句、欠席としたハガキを村の郵便局のポストに投函したところを偶然河口君に見つかってしまいました。「今欠席のハガキを出した」と言ったら、「おえん!ハガキが届いたらこっちで勝手に出席に変えとく」と押し切られました。

 1学年100人前後でしたが40人も出席するとはすばらしい、地元で足を地につけて生きてきたみんなの顔が浮かびます。ただ日航機墜落事件で犠牲になったY君はじめガンや事故でなくなったものも何人かいるようで50年の歳月の長さを感じます。

 河口君によれば「還暦同窓会はまたの名を東山へ行く準備会」というそうです。(注。東山=岡山市の斎場があるところ)

2008年8月11日月曜日

北京五輪開会式

 北京オリンピックの前評判はあまりパッとしないものでした。チベットや新疆ウイグル自治区の少数民族弾圧、四川大地震、深刻な大気汚染、セキュリティチェックの異常なまでの厳しさなどどれひとつとっても中国史上最大のイベント開催に水を差すものばかり。

 思うように準備が進んでいないと思われていた中国当局のなりふりかまわないやり方に対し、マスコミは一貫して批判と揶揄嘲笑をもって接してきました。

 ところが2008年8月8日午後8時、開会式が始まるや否や、批判的な論調は一瞬にして絶賛の嵐に。私も感動しました。

 圧倒的なスケールと芸術性の高さ。同じ人海戦術でも北朝鮮のアリラン祭のマスゲームのような不気味さはなく、”鳥の巣”の1万4千人のパフォーマー一人ひとりに個性が感じられました。そこには中国がちゃんとした方向に向かって発展している気配がありました。

 中国もなかなかやるではないか!というよりもこんな度はずれたスケールのイベントは中国といえどももう二度とできないんじゃないかと思います。

 民主化が進むとともに国家権力が弱まり、住民の権利意識が向上し、熱病がさめたら、不要な人間を何百万人も北京から強制退去させたり、古き良き伝統的な町並みの胡同(フートン)をいとも簡単に取り壊すことなんてできませんから。

 それにしても私がこの壮大なスペクタクルを見たのはワンセグ携帯の豆粒のような画面を通してでした。どうせ大したことはなかろうとタカをくくって買い物に出かけていたのが悔やまれます。

 家電業界の宣伝を素直に信じてこの際、大型画面の地デジテレビを買っておくべきでした。