2009年12月4日金曜日

タームサバーイ

 行きつけの喫茶店で岡山の情報誌「Osera」盛夏号を読んでいたら「タームサバーイ」というタイ式マッサージ店の紹介記事が目にとまりました。
 店長の難波さんはもともと病院の医療スタッフだったそうですが、一念発起しタイに渡り古式マッサージの学校に通って認定資格を得たという意欲満々の若者です。
 太い指でソフトタッチのマッサージをされるのが人気の秘密という記事を見て「これはいいかも」と心が動きました。しかし「2時間2万円~」というかなり思い切った料金設定は私のような年金生活者には正直言ってちょっとつらい。
 ところが世の中捨てたものではありません。Oseraの巻末に読者カードが綴じられていて、景品のひとつにタームサバーイ2時間コースを2名様にプレゼントしますとありました。締め切り間際だったので、喫茶店のオーナーにお願いしてカードをもらい、アンケートにもまじめに答えて投函しました。すると1週間もしないうちに分厚い封筒が届きました。大当たりでした。
 倉敷市中庄団地の住宅街にある店のインテリアはモダーン・シンプル。初めての店にきた緊張感がゆるみます。ハーブティをいただいたあと期待のタイ式マッサージが始まりました。
 少し物足りないかなと思えるようなタッチ。しかし難波さんによると痛いほど強いマッサージはかえって体によくないとのことでした。確かに太い指による柔らかタッチのマッサージは気持ちよく、ちょっとうたた寝したかなと思ったらもう2時間が過ぎていました。


 私はそのころ10日間ほどズキンズキンと原因不明の歯痛に悩まされていたのですが、タームサバーイに行った甲斐がありました。歯の激痛が消えたのです。Oseraの記事を読んでも店に行くのをためらわれている方、私が背中を押して差し上げましょう。http://www.taam-sabaay.com

中国婚活事情


 中国では一人っ子たちの晩婚化、非婚が深刻な様相を呈しています。親の庇護のもと、子どものころから習い事にせいを出し、有名大学に進学、さらに欧米や日本の大学院で経営学修士号などを取って大企業や政府機関に就職した鼻高々のエリート達。

 しかし彼らの親は泣いているのです。なぜなら自慢の一人息子あるいは娘はすでに薹(とう)が立って久しいというのに結婚話のケの字もない。

 そういう息子や娘の存在に目をつむる日本の親と違って、中国のお父さんやお母さんの行動力と力の入れようには感嘆させられます。げにすさまじきは親の婚活運動。

 最近訪れた上海。人民広場にはちょっと見渡しただけでも数百枚のA4サイズの”釣書”が張られていて、あまりの壮観に興味がわいて何が書いてあるのか、1枚の釣書を読んでみました。

 自分の子どものプロフィールにはおいしい言葉が列挙。高学歴、高収入、高身長は必須条件です。臆面もなく月収6千元(9万円、かなりな高収入)などと大書している、そんな彼(の親)がどんな女性を求めているかというと、

 要求:未婚、1980年以降生まれ、4大卒、容姿端麗、性格温和ではつらつ、親孝行かつ従順、官庁・大企業の正社員、薬剤師など専門的な資格があればなお良し、、、などと言いたい放題。

 何だかおかしくて手書きのプロフィールに見入っていたら、どこからか半ば老境にさしかかったおじさんがすっと現れ、満面の笑みをたたえながら私に秋波を送ってきました。「お宅のおじょうさんをぜひ私の息子に会わせてください」。

 肝心の高学歴かつ薹が立つた子ども達はこんなにも派手に自分達が売りにだされていることを承知しているのかどうかそこが知りたいものです。

タイにとけ込む

 今年は2ヶ月ごとにタイに行きました。バンコクの名だたる観光地「暁の寺」や「水上マーケット」などは1回行けば十分、では何をして3、4日の短い休暇を過ごすかというと何もしないでぼーっとしています。いかにぼーっとしているかというと、、、
 いつも滞在するのは新宿歌舞伎町のようなシーロム地区にあるホテル。夕方になるとコピー商品を売る屋台で身動きが取れなくなるパッポン通りは目の前という好立地です。
 カフェテラスでコーヒーを飲みながら行き交う人々を眺めていると日本で介護に明け暮れているのは自分じゃない、ここでぼーっとしているのが本当の自分だという気持ちになれます。
 ぐずぐずとコーヒーを飲んだあとちょっと歩き始めると、たちまち熱帯の太陽に照りつけられて汗ばんできます。すると文字通り軒並み店を構えているマッサージ店から声がかかります。フットマッサージが1時間800円。申し訳ないような料金です。
 フットマッサージをしてもらって足取りも軽い、路上に張り出した屋台のカレーが私を誘惑し始めます。タイ語なんて難しすぎてひとこともしゃべれない、でも何も困りません。「ご飯にこのカレーと鶏肉とこの野菜を載せて!、あっ、それからミネラルウォーターも」と料理を指さしながら注文し簡易テーブルに腰掛けて待っているとたちまちホット・レッド・カレーが到着。35バーツ(100円)。
 太陽が熱い、口の中も熱い、胃まで熱い、でも心は空っぽ。ホテルから持ち出した厚手のフェイスタオルで汗をぬぐい、また歩きます。歩くと疲れる、そしてまたマッサージ屋へ。
 熱帯地方は夕方暗くなるのが案外早い。まだ7時、何もすることがない、何もすることがないから夕飯でも食おう。
 チャオプラヤー川の渡し船に乗って夕涼み。突然雷鳴とともにスコールが始まる。夜10時、ディープなバンコクの夜がやっと始まります。
 読者の皆様、バンコクより素敵な町が他にあったら教えてください。

刻み奈良漬の味はウニクラゲの味

 昭和35年、小学校の修学旅行の行き先は大阪と奈良でした。学校が許可した小遣いは5百円、これは当時の物価水準から言っても大した金額ではありませんでした。
 そんなとぼしい小遣いの中から買った奈良のおみやげが大仏さんのすぐ前にある森奈良漬店の「刻み奈良漬」でした。文字通り刻んだ奈良漬で「そのままお召し上がりください」と書いてありました。
 旅行から帰って母に刻み奈良漬を渡したら母はあきれるやら感心するやら、あるいはいじらしく思ったのかずいぶん長い間、刻み奈良漬の話を蒸し返していました。
 それから30年後、家庭菜園で採れるシロウリを自分で粕漬にしてみようと思い立ち、森奈良漬店のことを思い出しました。
 大仏前の店を訪れ、ご主人に「粕だけ分けていただけないでしょうか?」と相談を持ちかけたら快く応じてくれました。奈良漬は大変手間のかかるぜいたくな漬け物ですが、そこはシロウト、適当に省略しながらも森奈良漬店の粕につけ込んだら店の商品には及ばずともスーパーの奈良漬など問題外のおいしい奈良漬ができました。
 今年も電話でご主人にお願いして粕を送ってもらいました。シロウリを漬け込んだあと粕が残ったのでサワラと鮭を粕に漬けこみ、2,3日たって味がなじんだのを見計らって、いつも行く喫茶店のマドモワゼルにおすそ分けしました。
 「粕そのものがおいしいでしょう」と言ったら、「本当!、まるでウニクラゲそっくり」との感想が返ってきました。森奈良漬店の手にかかると酒粕も熟成した後はウニクラゲのような濃厚な動物性タンパク味に変身。
 刻み奈良漬の注意書きに酒粕を落とさないでそのまま食べるように書いてあった意味が50年ぶりに判明しました。

リーマン予測

 先日NHKスペシャルで「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」というドキュメンタリーをやっていました。
 50年前、中学生になった最初の数学の時間、タニモト先生が「これから君たちが勉強するのは今までの算数ではなく”数学”という学問です。数学以外の教科で”ガク”が付く科目が他にありますか?」と数学のみが唯一中学生に課せられた学問であることを強調されました。
 すると一休さんのような頓知少年キタムラ君が手を挙げて、「先生、音楽があります!」と言い放って、謹厳実直、超堅物人間のタニモト先生を苦笑させたものです。
 タニモト先生という立派な教師に恵まれながら私は根っからの数学音痴でとりわけ高校時代、数学の授業は拷問でした。しかし近年小川洋子の「博士の愛した数式」がベストセラーになりまた映画もヒットして、個人的にもときおり数学ネタの本など買って読むようになりました。”学問”でない数学は案外おもしろい!
 ドキュメンタリー、「魔性の難問」では整数論の中でももっとも魅惑的な素数の不思議な性質について、「リーマン予想」が証明されれば宇宙の謎が解け、神の設計図も分かるはずだと数学と神の接点にまで触れていました。なにやら素数には「ムー大陸」の謎に通じるおもしろさがあるようなのです。2009年はリーマンが素数に関する問題を提起してちょうど150年目に当たっているのでNHKもこのようなスリリングな番組を作ったのでしょうが、皮肉にも今年世界は別のリーマン問題に悩まされました。
 アメリカ発のリーマンショックの大波をかぶった日本では経済の破綻、放火殺人事件、覚醒剤汚染、東西の女詐欺師による大量殺人疑惑と暗い話のオンパレード、海では大型フェリーまでひっくり返りました。自民党政権もしかり。
 素数の謎が解ければなぜ2009年がこんなにも騒々しい年であったか解明されるのでしょうか。17年ごと、あるいは13年ごとに大発生する素数ゼミの謎が解明されたように。

父の見栄


 92歳の父にとっていちばんつらいのは、腰痛でも透析治療でもなく、おそらくは長生きしすぎたことによる友人・知人の喪失ではないかと思います。電話もかける相手がそろって天国に行ってしまっては常時圏外です。
 そんな父あてに珍しく宅急便が届きました。開けてみると有名ホテルのスープの缶詰がぎっしり。差出人は女性で「妙子」さん。「お父さん、妙子さんて誰?」「教員時代の後輩じゃ」と言うことなのですぐお礼の電話をかけました。
 年輩の上品な女性が出られたのでひとことお礼を述べ、父に電話機を渡しました。父はこのごろとみに記憶力が衰えさっき言ったことはすぐ忘れるくせに昔のことは鮮明に覚えていて延々話に花を咲かせていました。

 妙子さんから尋ねられたのでしょう、父が近況を語っていました。「体のあちこちが痛むし、生ける屍です・・・でも幸いなことにまだ自分の足で歩けますから病院にも一人で出かけています」 私はひっくりかえりそうになりました。5メートルも歩けない父を週3日病院に送迎するのに私がどれだけ大変な思いをしているのかまったく意識にないようです。ベッドから車まで車椅子で移動させ、病院についたらまた車椅子に乗せて透析室へ連れていくのですが、何事も時間がかかり私はいつもイライラ。それを「一人で病院に行っています」とは!
 長い父の人生。父はまだ50歳、長身でいつも仕立てのいいスーツを着こなし、教育の理想を語り、さっそうと校内を歩いている。後輩の妙子先生は30代後半・・・ そんな妙子先生に父は老いさらばえた哀れな姿など見せたくなかったのかもしれない。
 「お父さん、何もそんな見栄張らなくてもいいのに。妙子先生だって十分おばあちゃんになってるし」 とはいえ、とっさに自分の矜持を相手に披露してみせる父の芸風は、若輩者の私には真似できないなと認めざるをえません。