2010年2月25日木曜日

早春の歳時記




 実家周辺には至る所リュウノヒゲが自生しています。スズランの仲間で初夏に白い花を咲かせ、晩秋に深い青色の真珠のような実をつけます。岡山での俗称は「くす玉」。
 
 2年ほどまえ、畑のあぜにあった大きな株を抜いて花壇の縁どりに植えました。大して手もかからず、肥料をやらなくてもどんどん株が増えるのはいいのですが、手入れを怠ると黒髪に白髪が交じるように緑の葉に黄色く枯れた葉が混じり貧乏くさくなります。
 
  暖かな2月末の午後、枯れた葉を一本一本抜いてやることにしました。気の遠くなるようなエンドレスの作業ながら何か楽しい。 花壇の縁に腰をおろし、早春の優しい日の光を浴びながら枯葉を抜いていると、いつも何かに追われるようにセカセカしているのが嘘みたいに心が静まります。頭脳は休止状態なのに指だけが動いていきます。
 
 この数年、両親の介護がいよいよ精神的にも体力的にも限界に近づいて心に余裕がなく、自然をゆっくり眺めることも、自然とともに時を過ごすこともなくなっていました。心が次第に枯れてしまっていたようです。
 
 ところがリュウノヒゲの白髪抜きをきっかけに、少し庭の手入れをしてみようという気になり、きょうは枝が伸び放題に伸び、道路にまではみ出てしまった柿の大木の剪定をしました。
 
 青空に根を張ったようなかっこうの柿の木に梯子をかけ、屋根より高い場所でパチンパチンと枝を切っていきます。子供のころ父がいつも「柿の木はさけーけー、落ちたら死ぬでー」とよく言っていました。いちいち干渉してくるのに腹を立てて、私は「落ちたりすりゃーせん」と怒っていたものです。
 
 今や、超高齢の父は家の外に出てきて還暦を過ぎた息子の庭作業を干渉することもなく、テレビでオリンピックを退屈そうに見ています。
 
 今年も春、夏、秋を無事に過ごしやがて晩秋になって柿の実を収穫するころ、また親父の「柿の木はさけーけー・・・」という説教が聞けたらと思います。

   

2010年2月18日木曜日

高橋大輔


 高橋大輔のショートプログラムには堪能させられました。点数的には僅差で3番手でしたが、内容的にはダントツ他を寄せ付けないカリスマ性を発揮していました。

 いい表現が浮かばないのですが、何やらあの妖しい雰囲気は、「臈長けた」(ろうたけた)という形容詞がぴったりという感じです。「年功を積み、気品ある美しさを備えた」意味で使うのが本義でしょうが、そこに退廃的なくずれかけの美が加わり、リンクに大輔フェロモンを充満させていました。

 さすがは歌舞伎を生み出したお国柄の選手だけのことはあります。フリーで4回転を決め、金メダルを取ったらそれ以上のことはありませんが、ずっこけても私的には評価は変わりません。

 腰パン、「チッ、うっせーな」発言で物議をかもした國保和宏も予選で高得点を叩き出したとたん、テレビコメンテーターたちは手の平を返したように絶賛し始めました。見苦しいことです。

ゆうちょ“銀行”


 偶数月の15日は全国の年金生活者にとって2ヶ月ぶりに年金が振り込まれるうれしい日です。銀行や郵便局の窓口には朝からお年寄りの長蛇の列ができています。

 私も1昨年から共済年金を郵貯口座で受け取っていて、2月の支給日に郵便局に出かけました。ふと目に止まったポスターには“公的年金受給者向けに金利を0.1%優遇”と書かれていたので、わずかな優遇でもないよりはましと思って定期貯金の申し込みをしました。

 そしてトラブル発生。「年金をこの通帳で受け取っていることが確認できないので年金証書を見せてください」と言う。「えっ?2ヶ月毎に送金されていることは“コウリツ ネンキン”という印字を見ればあきらかじゃないですか」と応えても「証書を持ってこい」の一点張り。

 民間の金融機関なら、この種の金利・手数料優遇サービスをするのにいちいちお客に「この“ネンキン”が公的年金であることを証明しろ」などとは言いません。念のため某3メガバンクに尋ねたら、通帳印字で十分とのことでした。

 いったいゆうちょ銀行は何のためにこんな高飛車な態度で金利優遇キャンペーンをやっているのでしょう。本気で年金口座や定期貯金を獲得しようという気があるのでしょうか?

 実際、いくら多額の貯金を受け入れても運用先も運用のノウハウもないゆうちょ銀行は国債を買って利ざやをかせぐぐらいしか能がありません。民営化したと言っても国の保護のもと、官業時代の感覚そのままの緊張感のない経営をしているゆうちょ“銀行”は今まさにその存在理由が問われていると思います。

 すったもんだのあげく、0.1%優遇の年金定期は成立したのですが税引き利息はたった400円。この間窓口一つが1時間ストップし、私も含め10人以上のお年寄りが被った時間的損失ははかり知れません。

2010年2月16日火曜日

シベリア鉄道中継


 グーグルがシベリア鉄道の沿線風景をモスクワからウラジオストックまで延々9300キロ撮影し公開したと2月15日付けの東京新聞夕刊が報じていました。

 私はシベリア鉄道に乗ったことはなく、これから先もないと思いますが、この映像を10分ほど見てもう十分という気がしました。(上海ーウルムチの夢は捨てきれずですが)
 新聞記事はこれ。

 録画再生はここ。 

 飽きてきたらマウスで列車の位置を動かすと撮影場所も変わります。単調な風景の中でもっとも心ひかれるのはバイカル湖でした。詳細な地図で列車が湖の岸辺に位置していることを確認しないと森しか見えません。

2010年2月13日土曜日

個性


きょうからバンクーバーオリンピックですね。岡山出身の高橋大輔には4回転ジャンプに挑戦し成功させてほしいと祈っています。

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(個性考)

 公立私立を問わず、小学校や中学校の教育目標によく「個性を育てる」という標語が掲げられていますが、社会の本音は「個性豊かになってもらっては困る」であるように思えます。

 「個性」の問題については「バカの壁」の中で養老孟司は「若い人への教育現場において、おまえの個性を伸ばせなんて馬鹿なことはいわない方がいい。それよりも親の気持ちがわかるか、友達の気持ちがわかるか、ホームレスの気持ちがわかるかというふうに話を持っていくほうが、余程まともな教育じゃないか」と書いています。

 しかし、文明の進化は常に養老孟司のような個性豊かな人々が、オーソドックスなものに対して挑戦してきたおかげで今日があるのにもかかわらず、個性を伸ばせと言われて個性的になった人に世間の風はきびしいですね。
 
 実際、個性豊かな朝青龍は引退せざるをえず、今またバンクーバーオリンピックのハーフパイプ・國保和宏は腰パン、ネクタイ緩め、「反省しまーす」発言等々で激しく非難され橋本聖子団長も國保擁護に必死。在籍校の東海大学までがこんな公式コメントを出しています。


 現実の國保和宏のパーソナリティーはきっとくそ生意気でどうしようもないやつで隣人や知人に持ちたくないタイプの典型のような気がしますが、それでも個性豊かな若者がオリンピックの舞台に立つのだから応援しようと思います。

 むしろ参議院議員の橋本聖子は国会開会中にいったい何日間国会を休むのか、こっちの方が問題じゃないでしょうか。トリノ大会へは「政治経済情勢視察」という理由で出かけたとか。個性とオーソドックスのaufhebenが橋本聖子なのでしょう。

2010年2月10日水曜日

お節介おじさん


 親戚筋の日系カナダ人女性から、100年前に鹿児島県からカナダに渡った曾祖父の日本での足跡をたどろうとしたが万策尽きた、というメールをもらいました。
 
 いままで5年の歳月を費してひいおじいさんのパスポートや数少ないドキュメントを収集してきたが、聞くところによると日本には“コセキ”なるものがあるという、ぜひそれを見てみたい、でもそれはカナダ人の自分にとっては不可能・・・などと嘆いている様子を見て、俄然私のお節介ごころが刺激されました。

 何も諦めることはない、姓名、生年月日、本籍地が分かれば戸籍は簡単に取れるはず。私は親の介護の合間を縫って、岡山県立図書館に出かけたり、鹿児島の図書館や市役所に電話したりして、ちょっとでも関連資料が見つかったら一日千秋の思いで待ってるはずの彼女に逐一メールで知らせました。最後の手段として現地調査も辞さないとも。

 ところが何か変。私の報告や決意に対する返事には、感謝やねぎらいの言葉が書かれてあるものの何かしら、“ありがた迷惑”のニュアンスが。そういえば彼女は断片的な情報は伝えてきているけれど第1級資料であるパスポートの写しを送ってきていないことに私はいらだち、催促したらやっと届きました。

 唖然としました。「日本帝国海外旅券」には申請者の名前、年齢、本籍地が明記されているではありませんか。今までの私の苦労はいったい・・・ともかくあとは代理申請の手順を踏めば戸籍の写しは問題なく手に入るでしょう。

 調べようにも調べる糸口もない祖先のルーツ、ミステリアスでとうてい入手不可能なはずの“コセキ”、遠い日本のそのまた最果ての地で火を噴く桜島、それらは絶対的な拒絶として彼女の前に立ちはだかっているが故に彼女にとって探求する意味があったのではないだろうか?それを出しゃばりおじさんが簡単に解決してしまって・・・

 オーバーなまでに感謝の言葉を並べる彼女のメールの行間からはかすかに“どん引き”の不協和音が聞こえてきます。 

2010年2月4日木曜日

無縁・有縁社会


 このところNHKは「無縁社会ニッポン」と題して連日のように特集を流しています。東京湾に浮かぶ身元不明死体、遺体はおろか遺骨の引き取りさえ拒否する子どもや親戚縁者、田舎で老いてゆく親を都会に呼び寄せてもうまくいかない例など、ありとあらゆる角度から無縁社会の実態を描き出しています。

 NHKのお節介はとどまるところを知らず、「現在独身のまま年を重ねているそこのあなた、これは人ごとじゃなくてあなた自身の明日の姿ですよ」といわんばかりの語り口は私には脅迫のように感じられます。当たっているだけになおいっそう。

  ところが日本国内において無縁社会化が進行しているのとは反対に、カナダやブラジルに移民した日系人の子孫たちの間ではルーツ探しが大流行しています。

 私のところにも80年以上前にカナダに移住した伯父の孫たちから、「おじいさんの戸籍が見たい」などというメールが舞い込みます。広漠なカナダやブラジルで多様なバックグラウンドをもった人種のなかで生きているといったい自分のアイデンティティとは?、自分のルーツは日本のどこ?という不安やもどかしさ、興味にとらわれても不思議ではありません。

 カナダの親戚からの依頼で不承不承、市役所に行き先祖様の戸籍を取りました。そこには最古の人物名として文化10年(1814)生まれの曾曾曾曾(ひいひいひいひい)ばあさんの名前が記されていて、なるほど戸籍というのは血筋が綿々と続いていることを証明しているものだと感心しました。それが私の代でピリオドが打たれるのは寂しくもあります。

 しかし今は21世紀。NHKや日系人が賞賛しあこがれる有縁社会にどっぷりつかり、戸籍や家系図の助けを借りて自己のアイデンティティを確認しながら生きていくなんて現代人にできるわけがありません。

 人はみな地球の子、どこで野垂れ死にしようがNHKになど哀れんでもらう必要はない、ともう少し時間がある私は強がりをいいつつ特番に見入っています。
(写真は正倉院に残っている日本最古の戸籍らしい)