2011年3月15日火曜日

“計画停電”

阪神大震災の記憶もまだ薄れてないのにそれをはるかに上回る東北関東大震災の惨状を見てことばもありません。神戸の場合は地震直後から救援と復興が始まりました。しかし今回の震災では福島県の原発が次々とコントロール不能に陥るという信じがたい事態を引き起こし、政府の対策本部は地震と津波による被災者対策に専念できない状態です。

そこへもってきて東電は電力不足を回避するために“計画停電”なる暴挙にでました。夜になって突然明日から計画停電すると通告された東電サービスエリア内の住民の驚きと混乱はいかばかりかと想像されます。

数時間後には始発電車を走らせるはずの鉄道事業者、器械で生命を維持している患者をかかえている病院はもちろんのこと、すべての人にとって停電の宣告にはお手上げだったに違いありません。

私の母は気管切開をしているので2,3時間ごとに痰を吸引しないと窒息死します。今までは停電と言えば雷が落ちたときほんの2,3分電気が止まるぐらいのものと軽く考えていましたが、これからは本気で非常時の電源確保を考えないといけないと痛感しました。

東電の場合、電力の不足は1千万キロワットで需要の25%に相当するそうです。深刻な事態ではあるけれど、地震や原発事故対策に忙殺される政府・自治体に余計な負担をかけず、また市民生活や企業活動を混乱させないだけの知恵がなぜ東電にないのでしょう。

例えば電気使用量を前月比で25%減らすよう目標を設定し、それをオーバーした利用者にはペナルティとして割増料金(税)を課す、とでもしたら賢く良識ある国民はその人に合ったやり方で節電するはずです。いきなりの停電ではどうしようもありません。

大地震、大津波、原発事故と今回の災害は神戸震災に比べトリプルの規模になりました。そこにもってきて首都機能のマヒです。原発事故と停電に関し枝野官房長官がたびたび記者会見に応じていますがまるで東電のスポークスマンの観があります。

枝野氏が原発問題に対し不眠不休で奮闘していることはよく分かります。しかし目下の官房長官の急務は何万もの行方不明の人の捜索と50万の被災者救援に陣頭指揮を執ることではないでしょうか。

2011年3月11日金曜日

あえかな名前


いつのころからか日本の安全神話は崩れ去り、殺人事件がない日がないような状況になりました。今では月並みな殺人事件を報じる新聞記事など目にも留まりません。しかし3月3日、ひな祭りの夜、熊本のスーパーから行方不明になった3歳の女児が翌日遺体で発見されたというニュースには心が痛みました。

私はこうした事件が報じられるといつも最初に被害者の名前に注目します。今度の事件では心(ここ)ちゃんという愛らしい名前の幼女が犠牲になりました。

この子が産まれたとき両親はどこの親もするとおり、かわいらしくユニークでおしゃれな名前を考えたに違いありません。平凡な名前や時代遅れの名前、またタレントの名前を借用したことがすぐわかるようなものは避けようという配慮もあったでしょう。しかしたいていの場合イメージ先行で漢字は半ば当て字です。心愛(ここあ)なども同工異曲。

日本には昔から言葉に宿る霊の存在(言霊)にとりわけ気を使ってきた歴史があります。保元の乱の後、讃岐に流され怨霊となった崇徳天皇は最初からそうなるように運命づけられていたのではないか、「崇徳」の「崇」の字に不吉なにおいがある、ウかんむりの部分を上下ひっくり返すと「祟」になるではないかと作家、井沢元彦は力説しています。

長年子宝に恵まれなかった豊臣秀吉はようやく生まれた長男に「鶴松」というめでたい名前をつけたものの夭折されてしまい、次男の秀頼には「拾丸」という幼名を付けました。

拾い子は育つという俗信を頼りにいったん我が子を捨ててすぐ拾い戻したのです。けれども運命の神はそういう人間の小細工なんぞ難なく見抜きます。立派に成人した秀頼も結局は徳川勢に破れ母淀君と自刀して果てました。

名前が運命を決めるのか、運命は名前と関係なく最初から決まっているのか分かりませんが、犯罪の被害者になった少女たちはどこかはかない名前の子が多いような気がします。

実例を挙げるのは不謹慎かもしれませんが、彩、花、菜、音などの字がついた少女たちが犠牲になるたびに「またか」と思います。単にそういうあえかなイメージの名前がこのごろの子供に多いせいでしょうか? 悪霊に目をつけられないためにはありきたりで平凡な名前が一番です。

2011年3月5日土曜日

関東平野と“魔の山”

 2月末、夜行バスで東京に行きました。朝9時に新宿に到着したものの用事がある夕方5時まで時間はたっぷり。その日は月曜日だったので美術館や博物館はどこも休館で行くあてもないまま西武新宿駅から本川越行きの急行電車に乗りました。

 埼玉県川越市は小江戸と呼ばれ近年観光名所として脚光を浴びている町です。蔵造りという独特の家並みがよく保存され、東京では見られない江戸の雰囲気を今に伝えています。(観光所要時間は2、3時間程度)

 川越に限らず関東平野に散在する小都市へはどこも電車で1、2時間で行けますが沿線のだだっぴろい散文的な風景を見ていると何故か二度と帰ってこられないような遠い場所に出かけている錯覚におちいります。

 学生時代、東京には5年間住みましたが岡山育ちの私には広漠として捕らえどころのない関東平野の空気が苦手でまちがっても休日に奥多摩、秩父や北関東の山々を散策しようなどという気にはなれませんでした。

 岡山市のように町全体が京山、東山、芥子山、笠井山、金甲山といった低山で囲まれているところでは晴れの日でも雨の日でも東西南北が常にはっきり分かり、決して方向感や距離感を失うことはありません。

 このことは単に車を運転していて道を間違えないですむといった実用的な面だけでなくそこに住む人々の精神的支えにもなっているはずです。岡山平野で生まれ成長した人は人生において滅多に道を踏み外すことがないかわり冒険心に欠けているのはおだやかで心優しい風景に包まれて育ったからに違いありません。

 さて再び東京周辺の風景に戻りますが、関東平野の行き着く果てには筑波、赤城、妙義、榛名、浅間、秩父などの山がそびえています。いずれも関東を代表する日本の名山です。

 しかし、なぜかこうした山の名前はいつも凶悪事件とセットで耳に入ってきます。連合赤軍リンチ殺人事件、あさま山荘事件、連続幼女殺害事件、カルト集団事件などここ40年ほどの間に関東で起きた凶悪事件の犠牲者たちは決まってこれらの山の麓に埋められていました。

 先頃、連合赤軍リンチ殺人事件の主役だった永田洋子死刑囚が獄死したとの記事が新聞の片隅に小さく載りました。事件が風化するどころか時間が止まってしまった遺族たちにとって群馬の山々は依然として“魔の山”であるに違いありません。
                             榛名山と榛名湖