2011年6月21日火曜日

害獣動物園

体中あちこちかゆくてたまりません。庭の椿に毛虫が大発生したのを放置していたら1週間もしないうちにやつらは葉を食い尽くし、椿の大木は枯れ木のような哀れな姿を梅雨空にさらしています。

毛虫といえども無闇な殺生はしたくない私の優しさ(決断力のなさ)が災いしたと思い知らされ、遅ればせながら殺虫剤を散布し家の中に入って昼寝しました。

なんだか変。首筋がチクチクすると思って起きてみたらシャツの上を毛虫が3,4匹ぞろぞろはっているではありませんか。表だけでなくシャツと肌の間に入り込んでいるのもいます。殺虫剤をお見舞いしたことに対する彼らのリベンジは手強く、風呂に入って全身の毒毛を洗い流してやっと一息つきました。

夜、猫のちびちゃんが天井を見上げて大興奮。私には何も聞こえないし見えないのにちびちゃんは何かを感知しています。と、ちびちゃんがテレビの上に飛び乗りそこを足場に本棚の上板にジャンプ。そして長押伝いに天井近くを移動しながら5センチほどのヤモリを捕まえて降りてきました。

ヤモリは特に悪さをするわけではないのですがちびちゃんの野生の本能を大いにくすぐるらしく散々いたぶり回しています。あわててちびちゃんからぐったり仮死状態になったヤモリを取り上げ窓の隙間から庭に逃がしてやりました。

夜中またもガサゴソと怪しい音に目が覚めました。視野の片隅にウルトラマンに出てくる昆虫のような触手をもった巨大怪獣が登場。人間より大きい怪獣の出現に私は「これは夢に違いない。何かの悪夢だろう」と思っていったん目を閉じたもののすぐに我に返って飛び起きました。

巨大怪獣の正体は目の横3センチに迫った大ムカデでした。こんな化け物に目玉をやられたら間違いなく失明します。事実昨年も梅雨の時期寝ていてムカデにやられ、手がグローブのように腫れ上がり大変な思いをしました。

天井裏には正体不明の大型動物か魔物が生息している気配がします。そして屋外の電気温水器は野良猫の寝床に。しとしと雨の降る夜、我が家はさながら害獣動物園です。何とか手を打たなくてはと思いつつも梅雨があけて彼らが出ていってくれるのをただ待つだけの日々です。

2011年6月16日木曜日

旅芸人パオロ

先日東京に行った帰り、岡山行きの飛行機に乗りました。隣には白人の中年男がTシャツ姿で座っていました。日本人同士なら見知らぬ隣人とお互い取り立てて話なんかしないものですが、外国では飛行機や列車で隣り合わせた人とはあいさつ程度の会話をするのはマナーで、日本でも外人さんの横で黙っているのは妙に落ち着かないものです。

離陸してまもなく、お茶が配られるころ隣人は私に日本語で「寒い」と話しかけながらバッグからしゃれたシャツを取り出して着始めました。私も「ナイス・シャーツ!」と言葉を返しそこから会話が始まりました。聞けば翌日倉敷でシャンソンを歌うというのでコンサートかと思って聞き返したらそうではなく、天満屋倉敷店で開催中のイタリアン・フェアーで歌うとのことでした。

シャンソンを歌うというのでフランス人かと思ったのですが、モナコ生まれで当年60歳、パオロと名のり、在日40年の波乱に満ちた半生記を岡山空港に着くまでの小1時間興味深く聞かせてもらいました。

「バブル絶頂期のころ初めて日本に来て毎晩赤坂のコパカバーナでシャンソンやカンツォーネを歌っていたよ。ギャラのほかにお客さんが気前よくチップをくれるんだ、一晩で20万、30万になったよ。それが今じゃリヤン(nothing)! ゼロさ」。

「今は2度目の妻とのあいだに女の子がいて27歳になる。最初の妻とは出会ってすぐ結婚して、毎日ケンカしてすぐ別れた。お互い若すぎたせいだろう。今のとは平和だよ」。バブルのころ日本人ギャルがガイジンさんにまぶれついていた(岡山弁?)光景が目に浮かびます。

「ところで社長さんは何の仕事をしているんだい?」。「社長さん」という言葉にバブルの余韻があります。「両方とも90を過ぎた親の介護をしている。それで時々こうして東京へ息抜きに行ってるんだよ」。

「そうか、介護は金がかかるから大変だな。うちも女房の親の介護で金は出ていくばかりさ」。ラテン気質まるだしで右手をふところに突っ込んでは出し突っ込んでは出しして金が逃げていく仕草をします。

かつてコパカバーナでブイブイ言わせていた伊達男も昨日は長崎、今日は倉敷とギターを抱えて旅暮らし。「お互い今が正念場。がんばろうね」と言って別れました。

2011年6月9日木曜日

コーヒー

学生時代以来還暦をとうに過ぎた現在までわが人生で一貫しているのはコーヒーに対する度を過ぎた執着です。銘柄やいれ方にこだわる“通”なんかではなくインスタントでもおばちゃん喫茶のモーニングでも何でもOK。でもフレンチローストのような濃いコーヒーかエスプレッソがあればいっそうしあわせです。

1日に7、8杯飲むとしてこれまでの40年間で10万杯のコーヒーが貴重な時間とともに胃袋の中に流れていった勘定になります。

適度な量の酒は体によいというのが通説ですが、コーヒーはいったい体にいいのか悪いのか、もし悪いのならすでに相当健康を害しているはずですが胃腸はいたって快調。こころの健康にとっても必須です。

そんな楽観論を裏付ける研究が最近アメリカの権威ある医学誌に掲載されました。(Wilson, Kathryn : Journal of the National Cancer Institute, May 17, 2011)

論文の要旨は1日に1~3杯のコーヒーを飲む男性は前立腺ガンになるリスクが全然飲まない人に比べて30%減るというもの。しかも6杯飲んだらリスクが60%も減るというおよそ学術論文としてはにわかには信じがたい内容です。しかしコーヒー中毒の私には願ってもない朗報であることに違いありません。

今まで、過度のカフェイン摂取は本当は体によくないのではないかと密かに心配していたのですが、コーヒーには体に害をなす要素はとくにないばかりか中高年男性にとって一番の気がかりである前立腺ガンを予防するというのですからますます喫茶店通いに拍車がかかります。

むかしパリによく行っていたころかの地でもカフェは私にとって唯一快適な居場所でした。歩道にはみだしたテーブルでデミタスを飲みながら絵はがきを書くけだるい愉楽。とどのつまり、才能や名声、富に恵まれていようがいまいが人生の究極のしあわせとはこういう瞬間にあるのではないかといつも実感します。

今ふるさとの岡山に住んでいてほとんど毎日、ときには午前と午後の2回出かけるのが岡山市南区妹尾崎にある喫茶店ロッキーマックスです。マドモアゼルがいれてくれる1杯のエスプレッソ。すっかり忘れていた若き日のなつかしい記憶が次から次ぎへと脳裏によみがえってきます。閑雅な午後のコーヒータイムです。