2012年2月13日月曜日

妹尾の火事


 外出中、テレビニュースを何気なく聞いていたら、JR瀬戸大橋線が妹尾駅付近で発生した火災のため運転を休止していると伝えていました。私が住んでいるマンションがまさに妹尾駅前にあり、ひょっとして電気ストーブでもつけっぱなしにして外出して我が家が火元になっているのではないかと真っ青になりました。

 あわてて帰ってみると火事が起きたのは近所のアパートでした。昼間の火災でしたが狭い路地しかない妹尾では消火活動も自由にできずアパートは全焼し、住人のお年寄りが1人行方不明になっています。

 火事の現場となった岡山市南区妹尾は江戸時代の町割りがそのまま現代に続いていて、とにかく道が狭くメイン・ストリートですら車のすれ違いが困難です。まして道幅1メートル半ほどの裏通りに救急車や消防車が入っていくことは不可能。消失したアパートがもし広い道に面していて消防車が自由に近づけていたらあそこまでひどい燃え方はしなかったのではないかと残念です。

 1971年に旧都窪郡妹尾町は吉備町、福田村などとともに岡山市と合併しました。隣の早島町は今現在でも独立した町制を保っています。早島町がその後開通した国道2号線バイパスに直結する道路を何本も整備したのと対照的に合併後の妹尾、吉備、福田地区は大規模な都市基盤整備がなされないまま40年が過ぎました。これら地域にはいまだに図書館すらありません。何のための市町村合併だったのかと思います。

 町や村が市と合併するということは町村議会を失うことを意味し、その地域において主体的に行政課題を掘り起こし解決する機能を放棄したのと同じことです。地区から1人か2人市会議員が出ていても彼らは都市基盤を根本的に見直すビジョンを始めからもっていないし、また市を動かすだけの力もありません。早島町民の賢い選択がいまさらながらうらやましい限りです。

 中世の町並みがそのまま残っている妹尾の町は住民の誇りでもありますが、そこで生活している人々は1年365日狭い道で車の頭をぶつけてにらみあいしなければなりません。

今回のアパートの火事はさいわいなことに類焼をまぬかれました。しかし妹尾町内全域が炎上する火災がもし起きてもなすすべがないのは火を見るよりあきらかなことです。

貿易赤字転落


 戦後奇跡の大発展をとげた日本経済ですがバブル崩壊以降すっかり潮流が変わってしまいました。小手先の経済刺激策が取られるたびに市場はいっとき小康状態になるもののそのあと必ず冷や水をぶっかけられ青息吐息になるのが昨今の情勢です。

ライブドアショック、リーマンショック、ギリシャの破綻、ユーロ危機、東北大震災、タイの洪水、マニフェスト違反の消費税増税議論、イラン制裁にともなう原油不足……。

これだけジャブを浴びせかけられてもなお高い技術力神話に支えられてきた日本経済は今しばらくもちこたえるのではないかと楽観的だった私も、貿易収支が31年ぶりに赤字に転落したというニュースを聞いては楽観論をひっこめざるを得ない気分になりました。

思い返せば、大学生活を終えそろそろ就職しないといけないなと考えはじめていた1972年ごろ、欧米ではすでに週休2日制が定着し、ヨーロッパではだれでも夏のバカンスの4週間5週間を海や山で楽しむのは当たり前でした。実際真夏のパリでは商店やレストランが軒並み閉まっているのに閉口したものです。「バカンス中につき休業、9月15日から再開します」などという“ちばけた”張り紙が誇らしげにドアに貼られていたものです。

そのころ日本はどうだったかというと、4週5休とか隔週土曜日を交代で休むなどというけちくさい“週休2日制”が試行されはじめたころで、まさかその後完全週休2日制が企業だけでなく学校にまで及ぶとは夢にも思っていませんでした。

しかし、週休2日制が定着したころから日本が根本的に変質し始めたような気がします。かつて効率よく外貨をかせいでいた製造業が斜陽化し、代わって旅行、飲食、通信、ゲーム、大規模小売業、医療・介護、冠婚葬祭など消費・サービス型産業がメインになってきました。

学校教育も大学進学率は増えても大学生の学力水準は低下する一方です。学校教育から競争性を排除した“ゆとり教育”の最大の被害者がほかならぬ東京大学で、いまごろあわてて9月入学を実現して国際水準に追いつこうとしていますがどうでしょうか。モノづくりをやめ教育にまで“ゆとり”などという低い目標を設定してやってきたあげくの果ての貿易赤字転落は歴史の必然です。

上海メモラビリア

  NHKのラジオ講座を頼りに中国語の勉強を始めてもう数年になります。還暦を過ぎての外国語学習は若かったころのようにすんなりといかないのは仕方ないですが、それにしても努力の割にちっとも成果があがらないのは不思議なことです。

地下鉄車内であれ路上であれ機関銃を「ダダダダダッ」と撃ちまくるような中国人の会話は私にはほんの短いやりとりすら聞き取れません。彼らはいったい何を話題にしているのだろう?しゃべっていることの内容が分からない会話はいっそう興味をそそります。

一方で、話したり聞いたりは絶望的であっても中国語の読解の方は何とかなりそうな気がします。辞典を片手にパズルを解く感覚で読んでいけばいいのですから。さて何を読むかですが、長編小説などは荷が重すぎます。やはり現代の文筆家の手になる短編集やエッセイが量的にも無難です。

最近中国人としては異例のみずみずしい感性にあふれた女性のエッセイ集に出会いました。陳丹燕(ちん・たんえん)の「上海メモラビリア」(草思社、2003)というエッセイ集です。1958年生まれの彼女は多感な少女時代に文化大革命にも遭遇しているし、現代の最先端都市上海がまだドブ臭かったころの記憶が残っている世代です。さっそく中国語の原著を探しだし、手元にある日本語訳の助けを借りながら読んでいくことにしました。

まず読むべき箇所と量を決めて、新出語句を辞典で調べます。多義語の中から適切な語義を選択するのが大変困難。やっかいなことに単語の意味は何とか分かっても文章として意味がすっきり理解できることはめったにありません。が、しかしここが大学受験英語で磨いた腕の見せ所で、ちょっと文字面を見る目を離して全体の意味を想像します。「こんなとこだろう」と自分なりに解釈できた時点で訳本を見ます。

「上海メモラビリア」を読んで、素敵なカフェやレストラン、因縁めいた横町やオールド上海の面影を残しているところが随所にあることが分かりました。今度上海にいったら私も少しディープな上海を探索しようと思います。原題は「上海的風花雪月」。「風花雪月」とは「花鳥風月」のことです。日本語では「雪」が「鳥」に代わっていますね。