2012年3月30日金曜日

老・幼・病・残・孕


半年ぶりに上海に行ってきました。3月末、格安航空の春秋航空が上海・高松便を増便し週3便(日、火、木)体制にしたので、2泊3日の手軽な上海旅行ができるようになったのです。

 今までも何度も上海に出かけているので目新しいことはこれといってなかったのですが、地下鉄の優先座席の表示が変わっていることに気づきました。半年前は優先座席のところに漢字でそっけなく“老・幼・病・残・孕”と書かれていました。

“老”は老人、“幼”は赤ちゃん、“病”は病人、“孕”は妊婦であることはすぐ分かります。しかし“残”とはいったい何でしょう? 驚くなかれ、身体障害者(*)のことです。この種の言葉に異常なまでに神経をとがらす日本ではとうてい考えられないような語感の言葉に唖然とします。(*最近は“身体障がい者”と書くようですが)

 “残”の語源が何なのかよく知りませんが、私は老残の残を連想します。ちなみに、20代のころ初めてパリの地下鉄に乗ったとき、優先座席に“invalide(アンバリッド)と書かれてあることに衝撃を受けたものです。パリの観光名所のひとつに“廃兵院”(アンバリッド)があります。ナポレオンの巨大な棺が置かれていますが、そこは戦争で傷ついて「価値がなくなった(invalide)」兵の残余の日々を看取る施設です。まさに“残”と同じ発想法です。

 さて中国の優先座席の話。これがこのたび日本風のずいぶんおだやかなものに変身していました。“老”とか“残”の文字は消えて、老人や妊婦さんのイメージを表すピクトグラムになっていました。上海でも“老幼病残孕”はいくら何でもひどいんじゃないの、と世論が当局を動かしたのかもしれません。

 ただ私は何事もあいまいにせず、おおげさなくらい単刀直入に表現する中国人の気質と言葉がきらいではありません。中国では日常会話でもものすごい単語を使っています。

 朝、奥さんは亭主に「このネクタイにしたらどう?」と“建議”し、亭主は奥さんに「今日は帰りが遅くなるよ」と“告訴”。奥さんは「じゃあ私は夕方、髪型設計に行ってきますね」などと夫婦で会話しているのでしょう。建議=提案する、告訴=伝える、髪型設計=ビューティサロンほどの意味です。

2012年3月21日水曜日

父との生活(2)

  先日、父(94)がちょっと元気をなくしていたので「お父さん、120歳まで生きるはずなのに、涅槃の境地のような顔をしていてはだめじゃないですか」と激励しました。すると父は「120まで生きて、息子の葬式を見るのはつらいからのう」と言い返してきました。

からかったつもりなのにまたしても父に逆襲されて本当に腹がたちます。自分の死は断固拒否しているくせに、息子はきっと90歳にもならないうちに死ぬと思っているのです。最晩年になった今も明晰な頭脳を誇っているそんな父ながら、このごろ理解に苦しむことをしつこく訴えるようになってきました。

夕食後、30分もしないうちに「もう寝る」と言ってベッドに横になるのですが、しばらくすると「寝かせてくれ、ベッドに横にしてくれ!」と私に懇願。「お父さん、すでにベッドに入って寝ている人間をいったいどうやってさらに寝かせろっていうの?」と言うと、「理屈じゃないんじゃ、ええから寝かせてくれー」とつらそうに言います。

また、午睡から覚めた父が40年近く前に亡くなった自分の長兄の名を呼ぶことがよくあります。「兄さん、起こしてくれー、兄さーん、兄さんが台所におるのは影で分かっとる」。

父の夕食を作りながら私は声色を使って、「わしの名前を呼び続けるのはスミオか? やっとこっちへ来る気になったか」と応戦。「お父さん、死んだ人の名前を呼び続けるのは危険ですよ。本当に呼びにきたらどうするの、そういえばさっき伯父さんが玄関口に立っていたなあ」とおどしたら急に現実に返って「そうじゃのう」と言うのですが、翌日にはまた伯父の名を呼んでいます。

父は理性ではあの世など全然認めていないのですが、入眠時や起き抜けの意識がぼうっとしたときには、あたかも霊魂の世界が現実とすぐ隣り合わせにあるかのような言動を繰り返します。最近、父の不条理な訴え、「寝かせてくれー」の本当の意味が分かってきました。

「眠られない」という不眠の訴えなら弱い睡眠薬で間にあうことです。しかし「寝かせてくれー」はそういう身体生理学的意味を超越して、人生においてなすべきことを余すところなくなし終えた人の魂が発する叫び声ではないか、永遠の休息を求めた……。そんな気がするのです。

2012年3月13日火曜日

NTT商法


午後7時、そろそろ父に夕食を食べさせようと思っていたら、足腰が立たずほぼ寝たきり状態になった父がベッドから「失禁しそうじゃ」と私を呼んでいます。腎不全でおしっこが出ない父の失禁とは「大」のほうでなかなか介助が大変です。あわててポータブルトイレを部屋に持ち込んで片手で重い父を抱きかかえ、パンツを降ろし便座に座らせホッとしたときインターホンがピンポン。

受話器をとると「NTT何とかですが、何とかの用件で来たのでドアを開けてください」と言う。“ドアを開けろ”とは普段のセールスではなくNTTが何か重大な用件で来たのかと思い、父をトイレに座らせたまま玄関のドアを開けました。

「本日は電話回線を高速光回線に取り替えることをお勧めに参りました。インターネットはご利用ですか?」と若い男がセールストークを始めたので私はぷっつん。「そんなもん、永久に取り換えん、さっさと帰えらんか」と思わずぞんざいな口調で若者を追い返しました。

男が退散したあとも私の怒り(というか八つ当たり)はますますヒートアップ。そうか、あの兄ちゃんを追い返したのは失敗だった、「あんたにこの家の惨状を見せたる。ちょっと上がってこい、親父をポータブルトイレから抱き起こすから手伝え! そうしたら光ファイバーを検討してもいい」と言ってやればよかった、と重い父を抱き上げ、パンツをはかせながら考えたものです。

そもそも親の家に電話が入ったのは昭和40年代だったと記憶しています。妹尾電報電話局の電話回線は慢性不足で住宅用は申し込んでから3年待ちが常識でした。3年待って債権だか加入料だか7万2千円という親父の月給の2ヶ月分ぐらいの金を払ってやっと電話が開通しました。

今度またNTTからセールス電話なりセールスマンが来たら「あのときの7万2千円を返してくれたら、光ファイバーを検討しましょう」と言ってやろうと思います。

ちなみに長らく無人の館だった元の妹尾電報電話局の事務棟が最近工事を始めておしゃれな外観に変身しました。NTT関連のショップかなと思ったら何と、焼き肉屋がオープン。またしてもかつての公有財産がこんな情けない姿になって、とあきれてしまいました。何ともいいようのない怒りが収まりません。

父との生活


生来抹香臭いことが大嫌いな父は94歳の現在でも自分がまもなく生を終えるだろうことなど考えもしないようです。3,4年前に「いったい何歳まで生きるつもり?」と尋ねたら「120」と答えていました。これを世間では「大還暦」というようですが、日本の歴史上それを達成した人はいないと思います。

つい先日のこと、父から言うと本家の本家、いわば総本家のバアさんが100歳の大往生をとげました。東京生まれの母がこんな田舎の父のもとに嫁いできたとき、当時30前後だった近所のこのバアさんは母が勤めていた小学校の校長と親戚だったのをいいことに、田舎の因習など全然知らない母のことを逐一校長に告げ口し、母はそのたびに校長室に呼び出されて説教されたと晩年認知症を起こすまで悔しがっていました。

あわただしくバアさんの葬儀があり、本家の従兄弟に香典の金額を相談したところ、「うちの親がなくなったとき3万円もらっているから、分家のそっちも3万円にしろ」と理不尽なことを言います。本家はそうかもしれないけど分家の我が家ではいまだかつて一度も葬式なんか出したことがなく人様から一銭だって香典をもらっていません。

そこで父に相談してみたところ、「あんな家、1万円で十分」とずいぶん値切ってきました。私:「お母さんをいじめていたバアさんだし、本家よりは一歩下がって2万円でどう?」ということで決着がつきました。(おばさん、香典を1万円値切ったのはあなたの人徳のなさのせいですから天国で怒らないでね!)

 ***

 昨年の確定申告の時期にあの東北大震災と原発事故が起き、めんどうくさがりやの私は「日本が沈没するかもしれないというのに確定申告どころではない」と変な理由をつけてとうとう昨年は申告せずじまい。先週、去年のと今年の申告書を作りました。還付金は中古の軽自動車が買えるぐらいの額になりました。

 「お父さん、これから税務署に行ってくるけど、還付金を僕にくれない?」。「おう、全部やるから一銭でも多く取り戻してこい!」と激励されました。父の後押しを受けて少額の医療消耗品まで申告。いろいろ忙しかったし、両親の還付金をありがたくいただいて月末、上海まで気晴らしに出かけることにしました。

2012年3月1日木曜日

世にも不思議な物語


子どものころ「世にも不思議な物語」というアメリカ製の実話っぽい怪奇テレビドラマがありました。タイタニック号には進水時から不吉な前兆があった話や天国に行った男の話など今でもよく覚えています。天国ではギャンブルは負け知らず、女性にはもてもて、すべて意のままです。しかしギャンブルや恋の結末が最初から分かっていては全然楽しくありません。そう、そこは天国という名の地獄だったのです。

こんな話もありました。少年がある場所を通るとき、きまって体にかすかな電気のような衝撃を感じていました。ある日興味本位にいつものピリッと電気が走る場所で立ち止まります。すると少年は異次元の世界にワープしてしまいます。そこがあの世の入り口だったのですね。

小学生のころ、いつも通る切り通しが私にとってそういう場所でした。学校帰りにそこでは決して立ち止まらないように注意したものです。学校と家の中間点にあるその切り通しにかかると今まで見えていた学校が見えなくなる一方、まだ我が家は視野に入ってきません。そこが危ない。学校と自宅という現実世界がともに見えなくなる場所で魔物は巧妙に現実の風景そっくりのセットを切り通しの向こう側に用意し、私を欺き誘拐しようとしている……。

大人になってからはあまりこうしたシュールな恐怖感に苦しめられることはなくなりました。しかし先日の午後、久しぶりにマンションの部屋を片づけていたときのことです。戸棚から昔買った高級ウィスキーが出てきたのでストレートでコップ3分の1ほど飲みました。久しぶりの酒はよく効きます。

夕方には2キロほど離れた実家に帰って両親の食事の世話や痰の吸引をしなければならないというのに酒が入っていては車の運転ができません。結局タクシーで移動したような気がするのですが……。

確かに実家で両親に夕食も食べさせたのに何か変です。醒めることのない夢の中にいるような気分。本当は車を運転して事故ったのでは? 自分はあの日死んでしまったのではないか、今本当に生きているのかどうかどうやったら確かめられるのだろう。今こうして生きているつもりの私は現実の自分なのか。よく分からない……。よく分からないのに税金の確定申告書なんか作っています。

たて続く判決ニュース


 法律に関してはずぶの素人ですが裁判員裁判が始まっていらい大きな事件の結末がどうなったか、少しは新制度の特質が発揮されてきているのかいつも注目しています。

 最近あった最高裁判決ですが、成田空港に覚醒剤を持ち込もうとして逮捕された男の無罪が確定したという事例です。事件の経過は省略しますが一審の千葉地裁の裁判員裁判では無罪。しかし高等裁判所は一審とは逆に有罪。ところが最高裁は裁判員裁判の結果を尊重し、男の無罪が確定したというものです。

 高裁のプロの判事たちの目にはおそらく経験的にこの被告はクロという心証があったのでしょう。しかし最高裁は高裁の役割を明確化し、高裁は地裁の裁判手続きや審理過程に過ちがなかったかどうか、証拠類を正当に評価したかどうかなどをチェックするのが高裁の役割であるとしました。つまりは一審重視の流れが見えてきたのです。

 最高裁にしてみればせっかく導入した裁判員裁判の判決をプロ(職業裁判官)がいとも簡単に否定する事例が続いたら、市民はあほらしくて時間的、精神的負担が大きい裁判員制度にそっぽをむくようになることをおそれたのではないかと思います。

 山口・光母子殺害事件。事件発生当時からニュースを見るのもおぞましかった事件の犯人、元少年の死刑が確定しました。事件の特異性、弁護のあり方、少年法の問題などさまざまな問題が議論されましたが、なんといっても世間の注目を浴びたのは被害者母子の夫であった本村洋さんのすさまじいばかりの執念でした。ドストエフスキーの世界に迷い込んだような錯覚を覚えたものです。

 20代半ばにも達していなかった本村さんはひるむことなく、被告の人権はあっても被害者の人権などなきに等しかった刑事事件のありようを根本的に変えさせました。いままで被害者は検事にすべてをまかす以外法廷での発言権がなかったのです。もし本村さんの司法への戦いがなかったら、地裁、高裁が判断した相場どおり(永山基準)の無期懲役で終わったと思います。

今後はこんな残虐で途方もない問題をはらんだ事件の裁判にも市民が参加しないといけません。被告の悲しい生い立ちなどを聞いたらすぐにぐらついてしまう私など裁判員はつとまらないと思いました。 

我流と美学の相克(おおげさ?)


 このごろイキのいいママカリをスーパーの鮮魚コーナーでよく見かけます。ママカリは自分で作った酢漬けが一番、すでに酢漬けになった加工品は調味液に食酢と塩以外にも何か入っているようであまり好きではありません。

 下準備としてまず包丁でうろこを落とし、次に頭と小骨が多い腹をそぎ落とします。問題はこの頭と腹を切る方法です。小魚と言っても20匹もいると手順を上手にやらないと時間がかかるし美的にも減点です。

右利きの私はママカリの頭が右、腹が向こう側になるようにして、包丁で頭を落とし、ママカリを90度時計回りに回転させ(つまり縦向きに)、右手の包丁で腹を肛門からえら方向にはねて落とします。

ここでいつも悩むのは割烹の精神、あるいは美学から言って、小魚といえども、そして調理段階といえども、魚を一瞬でも腹を向こう側に向けたり頭を右にするような作法があるのかどうか、果たしてそういう処理の仕方は許されるのかと悩みます。

もちろん頭は右、しかし腹は手前に置いてもできないことはないのですが、作業にリズム感が出ません。「そんなことどうでもかまわない、好きにしたら」と言われそうですが、プロの技はどうなのか気になります。なぜこんなことを気にする性分になったかというと、遠い昔、小学校の4年か5年のころ教師から受けた叱責がいまだに忘れられないからです。

習字の墨を摺るのに手間がかかるのがめんどうで一工夫しました。文鎮で硯に5ミリ幅の傷を何本もつけて硯の表面をザラザラにしたのです。それを見つけた女性教師が何でそんないたずらをするのかと追求するので理由を説明したら、「それがいい工夫ならはじめから硯に傷がついてます!」と怒られました。

「そうかなあ?」。自説を信じること数十年、最近テレビで、硯も墨をすっているうちに表面がツルツルになり摺れなくなるので表面をザラザラに研ぐといい、というのを聞いて溜飲を下げました。でも先生はきっと私の行為に不純な動機、何か美的でない、伝統に背くにおいを嗅ぎ取られたのでしょう。(心を静めて無心に墨をするのが書道です)

ママカリの頭を落とすのにこれがベストと思う方法でやりつつもなお50年前の先生のあきれ顔がちらつきます。道の奥は深いです。