2012年6月21日木曜日

向精神薬

   613日放送のNHKクローズアップ現代で向精神薬の子供への過剰投与問題が取り上げられていました。子供の行動に何か問題があると「はい、この薬を追加しましょう」とどんどん薬が増え子供はよくなるどころか廃人同様になっていくショッキングな様子が映しだされていました。

番組への反響は大きく、多くの視聴者は日本の児童精神科医療の現状に恐怖を感じたようです。素人ながら私も、果たして子供にこんなにもたくさんの危険な薬を投与していいものかと率直に思いました。

喜怒哀楽の感情を自由奔放に出すのが子供の本質なのにちょっと騒がしいからとか授業に集中できない、クラスの秩序を乱すという理由で子供は児童相談所に連れていかれます。

臨床心理士からカウンセリングを受け、精神科に回され、そこで“軽い”薬を処方され、いったん薬物が投与されたら次から次へと追加投与される……。おおよそこんな事態が教師や学校、児童相談所、精神科医たち専門家によって繰り広げられているのが日本の現状のようです。

クローズアップ現代が取り上げていたのは子供への過剰投与に限定しての話でしたが、薬の過剰投与に限らず精神科に関しては昔からいろいろと疑問や批判が渦巻いています。「精神科は今日も、やりたい放題(内海聡著、三五館、2012)」という本は、センセーショナルなタイトルがかえって内容のすばらしさを貶めていますが、一読して向精神薬の薬漬けにされているのは大人も子供も同じだということを知りました。

617日付け読売新聞朝刊に掲載された抗不安・睡眠薬依存に関する記事も身近な薬に潜んでいる危険性に触れているだけに衝撃的でした。

医師から「安全です」と言われ気楽に処方される睡眠薬のほとんどはベンゾジアゼピン系の睡眠薬であり、日本は世界最大の消費国です(年間18億錠!)。若者による乱用の問題もあります(ハルシオン等)。

この系統の薬は依存症になりやすく、薬からの離脱は困難でありまた危険を伴うということです。父のために医師に処方してもらっている睡眠薬がこの系統の薬だったので今はなるべく薬に頼らず父が夜中に起きているときはいっしょにテレビを見たり、少し食べ物を腹にいれてあげたりして何とか睡眠薬から離れられるよう努めています。

愛車とともに20年

 20年前に買った我が愛車、日産パルサーX1Rは長い年月のうちにいろいろな事件に遭遇し、時代の変遷を見てきました。前年(1991)に火山が大爆発を起こし火砕流が多数の人々の命をのみこんだ長崎県・雲仙普賢岳を見に行ったのが最初の長距離ドライブでした。

 学生時代に免許を取っていましたがそれまでもっぱらオートバイを愛好してきて、車に乗りだしたのは四十も半ば近くなってからのことでした。島原のビジネスホテルに泊まったものの翌朝狭い駐車場から出られず、ホテルの従業員に車を道路まで出してもらうという情けないペーパードライバー卒業旅行でした。

 阪神大震災(1995)の朝、神戸市東灘区の学生マンションに住んでいた姪の救出に水や食料を積み込んで大阪から神戸に出かけたのもこの車です。往路は1時間で行けたのに帰路は神戸脱出の車や救援の車で国道2号線も43号線も未曾有の大渋滞。時速100メートルという気の遠くなるような時間の中で倒壊し炎上する神戸の地獄図絵を見ていました。

 神戸連続児童殺傷事件(1997)、いわゆる酒鬼薔薇聖斗事件が起きたときは、何事も現場で考えたいと思い、男児の首が置かれた友が丘中学校まで行きました。おびただしい数の警官が警戒しているなか“なにわ”ナンバーでは怪しすぎ、校門前に車を停止させるわけにいかず、中学校の周りを2,3周走行しながら現場の雰囲気を把握しようとしたものです。

 楽しい思い出もいっぱいありました。大学で働いていたので週末ごとにひまな学生を誘っては紀伊半島の山中に出かけて山登りしたり温泉に浸かったり。この車によってドライブの楽しさを知った私は狭い日本に飽きたらず何度も長期の休みを取ってはアメリカ、カナダ、ハワイでのロングドライブを満喫しました。

ラスベガスからイエローストーン公園、モンタナの氷河を超えてカナダに入りカルガリーからカナディアンロッキーを超えて太平洋岸の町バンクーバーに出、再びアメリカのシアトルで車を返すまで5千キロのドライブをしたこともあります。

大阪を離れ岡山に帰った今も“なにわ”ナンバーで岡山の町を走っています。走行距離28万キロ。ボディは傷だらけ。最近タイヤを新品に取り替えたので次は38万キロ(地球から月まで)を目指そうと思います。

2012年6月11日月曜日

薬剤師さん、上手の手から水を漏らさないで


高齢者の健康維持に欠かせないのが医師が処方するお薬です。昔(おおざっぱに昭和時代)は町の診療所でも病院でも、薬を渡される際にそれがどんな名前の薬であるかさえ告げられませんでした。

「朝、“白”を1錠、夕食後“ピンク”を2錠飲んでくださいね」

錠剤を保護しているアルミシートにも薬剤名が明記されておらず、患者はそれが何であるのか分からないまま医師、薬剤師、そして何よりも“赤”や“ピンク”の物体の効能を信じて(あるいは命をまかせて)服用したものです。

時代が変わって、現在調剤薬局での投薬は過剰なぐらい情報を提供しています。しかし情報をタダで提供しているのではありません。ちゃんと「薬学管理料」あるいは「薬剤服用歴管理指導料」として課金。報酬を得ている点においてそこにプロの自負と責任があるはずです。

ところが最近立て続けに、院内処方および町の調剤薬局で薬剤師のプロ意識の存在を疑わせる事例に遭遇しました。

事例1.高齢の父に処方されている血圧降下剤のサイズが大きく飲むのに苦労していたので、医師に相談の上、サイズの小さな別の薬に変更してもらいました。ところが手渡された薬の袋には以前の大きな薬もそのまま入っていました。血圧降下剤を超高齢者が倍量飲むとどうなるのでしょう?

事例2.長年、調剤薬局はここと決めている薬局で「ジェネリック薬品を試したけれどやはり先発メーカーのものがいい」と前回薬剤師に申し出ました。ところが今回何の説明もなくジェネリックに戻っていました。

事例3.同じ調剤薬局で。渡された袋の中に長期服用している高脂血症の薬がなかったので薬剤師に尋ねたら「処方箋になかったから」と答えていました。医師が書き忘れていたからですが、こんなときこそ服用歴の管理指導がなされてしかるべきでしょう。

院内投薬や調剤薬局のミスに対してはその都度「プロの仕事をしてくれ」とやんわりお願いするのですが、薬学管理に不備があっても、服用歴管理指導を患者である私が“指導”しても薬局はぜったい管理料や指導料を請求しますね。

2012年6月4日月曜日

アルツハイマー病に劇的効果


 まもなく95歳になる父ですが今年の春先ごろから急速に日付や場所、家族関係などいわゆる見当識が混乱・混濁してきました。私のことを亡実兄と思い込み、「兄さん、兄さん」と呼びかけられることのつらさ、絶望感は想像以上です。

 高齢のおばあさんが娘時代に戻ってしまい、結婚したことも子供を産み育てたことも忘れてしまうことは珍しくありません。父も少年時代に引き戻されている時間が次第に増えてきていました。

 今までは高齢者にこのような言動が見られるようになっても「もう歳だから」とか「幸せだった時代に戻っているのだから」という言葉であきらめたり無理に納得するしかありませんでした。ところが昨年(2011)、アルツハイマー病の新薬が3つ認可され、従来からあったドネペジルと合わせ4種類の治療薬から最適なものを選択できるようになりました。

 先日、父に何とか“現実感”を取り戻させたいと大学病院の神経内科を訪れました。脳のCT画像や認知能力検査の結果と照らし合わせて診断が下され、新薬のガランタミンが処方されました。

 驚いたことに最初の1錠を飲んだ直後から卓効が出て、混乱していた見当識がほぼ正常になりました。積極的に専門医に父を見せたことは我ながら実に適切な判断であり、また勇気を伴う行為であったと思います。

試しに父にこんな質問をしてみました。「私(父のこと)にとって、私(息子である私)って誰ですか?」と手で父を指さし、次いで自分を指さしながら訊ねたのです。父は明快に答えました。「本人じゃが!」。ごもっとも。ごもっとも。

 こんなこともありました。月水金と人工透析に病院に通っている父ですが、火曜日の朝、私が勘違いして(呆けて?)父の通院の支度を済ませ、介護業者が迎えにくるのを待っていたのですがいっこうに来ません。ようやく透析日でないことに気付き、父に「お父さん、僕が惚けてたわ、今日は透析に行く日じゃなかった」と言ったら、父は「自分が呆けていることに自分で気付いたお前はなかなか大したものだ」と誉めてくれました。

ご家族などにお心当たりのある方、認知症は今や十分治る可能性がある病気です。ためらわず専門医を訪ねることをお勧めします。