2012年7月23日月曜日

60代も半ばになって

7月7日に64歳になりました。すでにこんな高齢になってしまったと思うと同時に「まだ」64歳、四捨五入で言えば60代前半にいるともいえるので貴重な若さだと思います。

人間は年を取ると故郷回帰が強まるといいますが、ここ3ヶ月ぐらいしきりと心理学関係の本を読むようになりました。

xx大では教育学部の教育心理学科というところに籍をおいていました。一方、文学部にも心理学科がありました。教育学部では主として実験心理学に重点が置かれサイエンスとしてのアプローチが試みられていたのに対し、文学部ではフロイトやユングなど精神分析学の流れを重視していたように思います。

いずれにしても教員のレベルといい、学生のレベルといい、当時の欧米の水準からいえばきわめてプリミティブな、心理学のまねごとのようなレベルだったと思います。そのプリミティブなレベルのxx大の心理学の諸々の科目すらよく理解できなかったのだから私の頭脳に問題があったのは明白です。統計学に至っては単位を落とし、2年も同じ科目を勉強(恥)。

1968-69年の学生運動の騒乱もあって、私は実験にこだわる心理学に興味を失った反面、ゴダールやアラン・レネ、パゾリーニ、アントニオーニなどによって次から次へともたらされた映画のとりこになり、彼らの映画を直接理解する必要性もあってフランス語とイタリア語を同時並行で勉強しました。フランス語はxx大と飯田橋の日仏学館で、イタリア語は東京外国語大学のイタリア語科教授だったxx先生、早大の日本人やイタリア人教師からほとんど個人教授のような形で4年間教えてもらいました。

大学4年の秋、心理学科の卒論作成に行き詰まって(というより手をつけていなかった)ころプラントメーカーのxxがアルジェリアの建設現場で必要なフランス語の通訳を募集していることを知り、xxの横浜本社で簡単な面接を受け、即採用になり、大学には休学届けも出さないでアルジェリアに行きました。翌年の秋、帰国して、卒論をでっちあげ翌春卒業しました。

卒業した年はカナダやイギリス、ヨーロッパで3,4ヶ月過ごした以外、何をしていたか記憶がありません。xx大学図書館に就職したのはさらにその翌年だったと思います。(本当は国会図書館職員になろうと目論んで受験したのですが失敗)

当時の図書館は何をするにも手作業でおそろしく能率の悪い職場環境でした。しかし勉強する時間が無限にあったのと毎年4,5週間の夏休みを取ることができたのがラッキーでした。ラッキーというより私が長期休暇をとるパイオニアみたいなものでしたが(笑)。とにかく能率の悪い図書館システムの代表が紙に書かれた目録の存在でした。ところが大学には大型計算機があるのに目をつけ、研究者がほぼ占有していた大型コンピュータを図書館目録の作成に使う試みを始めました。1984年ごろにはすでに初期のパソコンが出現していたのでそれを計算センターの大型機にモデムで接続することでスムーズな漢字入出力が行えるようになりました。そのころは毎日深夜0時ごろまで残業してプログラミングに熱中。昼間いくら考えても解決できなかったアルゴリズム(計算手順)が夢の中で突然啓示を受けたように浮かんだこともあります。

数年かけて目録システム、オンライン検索システムを自力で完成させたころ、時代はメーカーによるパッケージソフトの導入へと変化してきました。私も個人で作った、しかも当時の処理系に全面的に依存するシステムから文部省が進めていた学術情報センターのデータベースと連動するシステムへの切り替えが必要であることを受け入れ、プログラミングから離れていきました。

長々と半生記を書いてきたのですが、要するに大学で専攻したことと無関係な職業につき、その職を辞めたあとは親の介護というまたまた脈絡のないことをやり、いつのまにか60代も半ばになっているのに気づいたのですが、それが冒頭のふるさと回帰にたどりついてきた感じなのです。

心理学といっても学生時代の心理学を学び直す意志など毛頭なくまして他人の悩み事を聞いて法外な金を取るカウンセリング・サイコロジーなどではなく、古くて新しい人類永遠のテーマである「意識」について2012年の世界の研究レベルを垣間見ておきたいということです。やがて自分が認知症になって「正常な意識」を失うことになるであろう前に少しでも理解できたらなあと願っています。
(たぶん認知症になることはそんなに空恐ろしいことではないのかもしれません。なぜならこうして生活している日々の暮らしのなかで広義の認知症は徐々に進行しているのにちっとも苦しくありません)

そもそも「意識」とは7月7日(しつこいようですが誕生日)にヒッグス粒子の存在がほぼ確認されましたが、その不可思議な性質は「重力」の問題とそっくりな気がします。18番目の素粒子(そんなものはないそうですが)として「意識」が考えられるのではないか。アレゴリーではなく本当に・・・でもビッグバンと同時に「意識」がばらまかれ宇宙の隅々まで拡散していったとすれば生命もまたそこから生まれることができたのではないか・・・・・・

神経細胞としての脳の存在が意識の存在にとって絶対条件なのかどうか、などというとオカルト研究、あるいは統合失調症の症例に登場する世界観、あるいはファンタジーのようでもあるのです、それでも何千年に渡る人間の知の歴史が解明してきた成果は少なくありません。

そんなことを考えるのにあたってこれまで脈絡なく関わってきた、心理学、英語、フランス語、イタリア語、中国語などの外国語、コンピュータのプログラミング言語の実際の知識が役にたつかもしれません。

また、認知症という病状を通じて人間の意識がどのように変化していくのかをまざまざと見せてくれる両親の存在、およびガランタミン(レミニール)のような薬の存在、つまり脳を直接支配する化学物質の存在等、「意識」について考えるきっかけがそろってきました。

2012年7月11日水曜日

勘違い税関職員


海外旅行は楽しいものですが、いつも憂鬱になるのが帰国時の税関検査です。関空などではありえない、ヒマな田舎空港の税関職員の対応には思わずキレそうになります。今日も上海からの帰路、高松空港でこんなことを聞かれました。

「荷物はたったこれだけですか?」(「大きなお世話!」と言ってやりたかった。以下同様)

「別送品はないですか?」(申告書に「ない」と記入しているよ!)

「旅行の目的は?」(あんたの知ったことか!)

「上海ではどちらへ?」(どちらへって上海は上海ですが……)

「よくバンコクや上海に出かけられていますね」(それがどうしたというの?)

税官吏は延々とこんなことを聞いてきます。関税定率法の主旨とまったく無関係なバカげた質問であるばかりかあきらかにプライバシーを侵害しています。

以前は免税範囲内なら口頭申告だけでよかったのに平成19年から入国者全員に申告書を書かせるようになりました。申告者は記載内容に間違いがないことを自署しているわけですから、もし不審な点や疑いがあるのなら無意味な質問をするのではなく即刻荷物を開けさせて調べればすむことです。文書で申告済みのことを重複して口頭でも尋ねるのなら申告書を提出する意味がありません。

彼らは勘違いしています。“怪しいヤツは税関職員の何気ない質問に動揺してボロを出す。そのわずかな動揺を見逃さず拳銃など禁制品の密輸を摘発するのがプロ”だと。

しかし密輸犯に固有のプロファイル(特徴あるタイプ)など存在しません。きちんとした身なりのビジネスマンとサンダル履きのタトゥありのニイちゃんのどちらが怪しいかなどは荷物を隅から隅まで調べない限り神様でも分かりません。

何を尋ねてもぱっとした答が返ってこない私に対し税官吏はリュックを開けるよう要求しました(無駄なおしゃべりをせず最初からリュックを見ろよ)。しかし洗濯物しか入ってないことが分かるとヤツは信じがたいことを言い放ちました。

「お腹が出ていますが、腹巻きをしているのですか?」

何という屈辱! 私はシャツをはだけて体重93キロのみごとな太鼓腹を拝ませてやりました。

2012年7月5日木曜日

神の粒子

   7月7日の七夕を祝うように宇宙に関するビッグニュースが飛び込んできました。「神の粒子」と呼ばれるヒッグス粒子が予言通りスイスにある巨大加速器による実験で実在がほぼ確認できたというものです。このことはそもそもの宇宙の起源はビッグバンであることを証明したのと同じことだと思います。

ところで世界の多くの宗教が呈示する宇宙観もビッグバン説とほとんど違いません。旧約聖書の冒頭に「神は光あれと言った。すると光があった」と記されています。そこでは天地創造のすぐあとに人間が創られていますが人類生誕までの137億年をはしょっただけのことだと思います。

しかし、考えてみればニュートン以降、アインシュタインの相対論から最新の量子力学や超弦理論まで、古い理論の矛盾を解決しながら明らかにしてきた科学的世界観と宗教的直観によるイメージはそんなに大きく異なるものではないようです。いずれも何もないvoid、虚無……のところから何かが揺らいで、あるいは何者かの息吹によって宇宙が始まったという共通のイメージです。

宇宙の始まりがどうして起きたのか、どんな状態だったのかについては宇宙観測や素粒子物理学の成果、あるいは宗教的直観のほかにもう一つの驚くべきアプローチがありました。それはアメリカの脳科学者ジョン・C・リリィ(1915-2001)による人間の意識の探求です。

リリィは人間の脳には人類誕生以来の記憶が残っているという仮説を立て、それをビジョン(視覚)として把握しようとしました。具体的には外部の刺激をいっさい遮断したタンクの中に特殊な水を入れて浮かび、しかも致死量に近い幻覚剤のLSDを摂取して意識の底にあるものを探る危険な実験でした。

幻覚の中でリリィはどんどん過去に戻っていき、地球の誕生はおろか宇宙の始まりであるビッグバンまで目撃します。そこで神に遭遇したのかあるいは自分が神そのものだと思ったのか彼の著作を精読してみなければなりません。(ケン・ラッセルの映画「アルタード・ステーツ」に実験の様子が描かれています)

人間は広大無辺の宇宙から素粒子の粒ひとつまで目に見えないものをまるで見てきたかのように解明していく動物ですね。想像力のスピードは光速をはるかに超えています。

2012年7月2日月曜日

父との生活(3)学歴コンプレックスの威力


NHKの朝の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」。主人公ががんばって医師に育っていく物語は戦後の覇気と元気にあふれています。1日に何度も再放送があるし、録画して父と食事しながら同じ話を繰り返し見ています。

父は毎日のストーリー展開はおろかこれが連続ドラマであることすら理解できていないようなのですが、びっくりするようなことがありました。梅ちゃんが働いている「帝都大学附属病院」の威風堂々とした時計台がしばしば画面に登場します。

時計台の映像を見ながら父が私に「これは早稲田か?」と尋ねるので「一橋大学みたいよ」と答えたら「ふーん」と言っていました。ところがそれから1週間ほど経過したころ、また時計台のシーンがありました。すると父が「この子は一橋の学生か?」と尋ねてくるではありませんか。ちゃんと覚えていたのです。

父は子ども時代勉強がよくできたそうですが、家計の制約から旧制高校、旧制大学へと進学することができず、お金のかからない師範学校へいって教師になり、長い教師生活をまっとうしました。それでも心の底では普通の大学に行けなかったことが94歳の今でもコンプレックスとして父を苛(さいな)んでいるらしく、逆にそこを刺激されるとちゃんと記憶回路が作動するのです。

父が毛嫌いしているデブタレの石塚クンがいます。「あいつはバカか」と石塚クンがテレビに出てくるたびに軽蔑の言葉を吐くので、私がそっと「お父さん、この人、バカみたいに見えるけどどうも東大法学部卒らしいよ」と吹き込んだのです。

それ以来、オーバーオールをだらしなく着、満面の笑みをたたえた石塚クンがテレビに出ると、父は「この男は東大出じゃそうだな」と尊敬のまなざしで私に言うのです。「そんなのウソに決まってんじゃん。お父さんの学歴コンプレックスをからかっただけじゃー」。父は悲しげな顔をしていました。

見当識が混乱したある日、私を父の兄(故人)と思い込んで話しかけてきました。「兄さん、就職したらきっと金は返すからワシを普通の高等学校へ進学させてくれ」。泣けてきました。お父さん、東大なんか行かなくても、あなたは教養も人格も申し分ない尊敬に値する人ですよ!