2012年9月23日日曜日

尖閣問題


 この夏、竹島問題に火が付いたと思ったら、9月にはより手強い中国相手の尖閣問題炎上です。第一次大戦のきっかけもささいな事件が引き金を引いたのですが、領土問題はいつの時代でもナショナリズムを強く刺激します。地域紛争というとイギリス対アイルランド、イスラエル対パレスチナの例のように常にどこか遠い場所で起きるものと思っていたら極東で火を吹いているのですから驚きです。

最近の韓国・中国の日本に対する態度を報道で見ていると古今東西いつの時代でもどこでも起きる地域紛争の発生メカニズムと気分が何となく分かるような気がしてきました。売り言葉に買い言葉が飛び交い、ナショナリズムがあおり立てられます。こうなると洋上の小さな島嶼の帰属問題が双方にとって核心的利益を争う大問題に発展し、武力行使も辞さずという気分が醸成されていきます。

こうした国家間の対立の局面で冷静さを忘れ、まるで我が家の敷地がかすめとられたかのように怒り、ヒートアップするのは常に社会の発展段階が未熟な側です。幸か不幸か、日本人は冷静というか多くの国民は尖閣問題に対してある意味シラケているのが実状ではないでしょうか。

尖閣炎上の直接のきっかけは東京都による購入話でした。その話に多くの国民が感動し、10数億のお金を都に寄贈したのですが、島所有者は国がろくに査定もしないで即金で205千万出すといったらさっさと東京都との約束を反故にしました。もとはと言えば尖閣諸島は国が民間人に無償で譲渡した土地です。こんな取引話に一般国民が愛国心をかき立てられるはずがありません。

8月下旬、台湾が尖閣帰属をめぐって国際司法裁判所に提訴すると表明しました。日本政府はこの話を無視しましたが大失策です。台湾の提案こそ日本にとって(台湾にとっても)もっとも有利かつ賢明なものであったことは疑う余地がありません。

裁判を受ければ、尖閣の日本への帰属が国際社会から再確認されるだけでなく、海洋政策で拡張主義に陥っている中国に対して深刻な打撃を与えることができ、日本はベトナム、フィリピン、インドネシアから末永く感謝と尊敬の念を勝ち取ることができたでしょう。万一負けた場合、結果を受け入れるのは当然ですが。

2012年9月5日水曜日

続“ヒヨウ”の話

   先週号に続いてイ草刈りの季節労働者であるヒヨウ(日傭)の話を。
イ草農家に出稼ぎにやってくる若者は彼ら自身農家の次男三男が多く、長子相続制が一般的だった時代、分家して家族を持ち田畑を耕して生計を立てていくことはほとんど不可能でした。多くの次男三男は都会に仕事を求めて出ていったのですが、ヒヨウとして出稼ぎに来てそのまま岡山に留まった人もいました。
ヒヨウを雇いいれる農家も毎年違う人を役場であっせんしてもらうより、その人のひととなりが分かっている者に来てもらう方が安心できます。そして中には、イ草農家の主人の目にかなった若者がそのまま婿入りするケースがあったそうです。
 我が家の近所にもそうした婿養子殿がいます。私が小学生のころ彼はやってきました。昔から「米糠3合あれば養子に行くな」という格言がありますが、格言が警告するとおり、婿入りしたこの若者はたばこ銭にも事欠く肩身の狭い日々を送っていたのでしょう。
 ある日、草野球の帰り私の兄がグローブを広場に忘れたのを彼が届けてくれたことがあります。ところがタダではグローブを返してくれず謝礼として「5円」よこせと言うのです。5円というのは戦前の価値ある5円ではなく昭和30年ごろの話で今の価値でいっても50円か100円ぐらいのものです。
兄は仕方なく小遣いの中から5円払ってグローブを取り返しました。私の両親はどちらも教師でしたが、夕方帰宅して兄からその話を聞いてカンカンに怒り“ヒヨウ上がり”の青年に対する軽蔑の情を我々子どもの前で隠しませんでした。
 この若者、このように金銭に汚く、近所の農家からクワや鎌がなくなるという噂も広がりました。さらに隣接する田んぼのあぜを夜な夜な削っては領土拡張に余念がなく、家では妻とその親に滅私奉公。ついに近所の人からは「農奴」という芳しくないあだ名を頂戴しました。
そういう性分は一生直らず、高齢の今でも村人達とは少し距離を置きうち解ける様子はないのですが、相変わらずよく働きます。トラクターで田を耕し、孫を保育園まで送り迎えし、犬の散歩もし、買い物までこなすスーパーじいさん。まさに金のわらじを履いて探し出したような婿殿です。