2013年4月20日土曜日

父の皮肉


22,3歳のころヨーロッパを1等のユーレイルパスを使って旅行しているとコンパートメントの中でみるからにリッチな初老の夫婦に出会うことがよくありました。「リタイアして年金でのんびり暮らしています」という彼らの言葉が遠い存在としてしか聞こえませんでした。でもいつのまにか我々もそんな年齢になってしまいましたね。「リッチ」とは言えなくても質素な生活をしていく分には何とか足りる年金が偶数月の15日には確実に振り込まれてくることのありがたさ!

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父が4ヶ月の入院生活から家に帰ってきてようやく1ヶ月になります。退院時には廃人のようになっていたのですが、私のケアと食事療法によって見違えるように元気になりました。最初はおかゆなど流動食しか喉を通らなかったのが今では普通のごはんをおいしい、おいしいと言ってよく食べます。

ここにこういう構図が成り立ちます。

元気なスーパー爺さんと彼の日常いっさいをケアする疲れ切った若年寄り。

夜中の2時ごろ、早くも目が覚めた父が母の横で寝ている私を呼びます。「こうちゃん、こうちゃん」と猫なで声で呼び始め、私が無視しているとそのうち「コウジロウ!」と威嚇調になり、それでも無視していると、死んだ伯父の名前を呼んだり、父の母の名前を呼んだり、最後は自分の奥さんの名前を呼んだり、こんな状態が1時間ぐらい続きます。なぜさっと行ってあげないの?と皆様不審に思われるのではないかと思います。虐待ではないかと。そうかもしれないのですが、24時間介護していると真夜中の覚醒にまでつきあいきれないのです。

そうこうするうちに父は私を呼ぶのをあきらめて(忘れて)しだいに独演モードに移行していきます。
暗闇の中で子供時代の楽しかったことなどを一人芝居の役者さながら迫真の演技で語り始めます。語りが30分ぐらい続いたあと、歌も挿入。

  鳴いてくれるな ほろほろ鳥よ
  月の比叡を ひとりゆく    
            (旅の夜風、映画「愛染かつら」主題曲、西条八十作詞)
https://www.youtube.com/watch?v=x2UABQsz5CY
 

そしてまた「こうちゃん、こうちゃん!」が始まります。私は怒り心頭! ついに起きて父の部屋に行って、「真夜中の2時に何がほろほろ鳥じゃあ! これ飲んでさっさと寝て」(ときには「もう2度と起きなくていいから」と追加することあり)病院の先生にお願いして処方してもらっているメラトニン「ロゼレム」を口の中に突っ込んで寝かせます。ロゼレムは副作用がほとんどない体内時計調整剤ですが効果は2,3時間。夜なか中ハイテンションなくせに朝は早起きで6時頃からまた「おーい、朝飯はまだか?」の連呼が始まります。

食欲が元気の秘訣ですが、これが腎不全で人工透析を受けて命を繋いでいる95歳のじいさんとは思えません。

ある日、私が外出から帰るのが遅くなり、父の夕食を作る気力がなく栄養剤やヨーグルト、お菓子などでごまかして寝させたことがあります。翌朝は普通に朝ご飯を食べさせ透析に連れていき夕方帰ってきた父に「透析中、ウンチが出たりして困らなかった?」と尋ねました。定期的に飲んでいる下剤が効きすぎて粗相をしていなかったか心配だったからです。

親父の返事はこうでした。

「昨日はウンチの原料をいただいておりませんので」

2013年4月12日金曜日

春の食卓

 堀りたてのタケノコが出回るこの季節、春風に誘われて吉備路をドライブしました。満開の桃畑の向こうに佇立する国分寺の五重塔の涼しげな姿を見るたびに、こんなにも美しい風景を作り、守り、今日に伝えてくれた昔の人の美意識の高さに驚嘆します。日本中どこを探したって吉備路ほど秀逸な風景がさりげなく見られる場所はほかにないと思います。

吉備路まで出かけたら必ず寄るのが山手の農協直売所です。ここではスーパーの食品売場では味わうことができない、本物の食材、旬の食材を手にする喜びを感じることができます。さっそく新鮮なタケノコを買って帰り木の芽和えを作りました。

「木の芽」というのはサンショウの若葉のことです。家にサンショウの木が一本あれば重宝しますが、これがなかなか気むずかしい植物で園芸店で売られている挿し木苗はたいてい1,2年で枯れてしまいます。

ところが里山を歩いていると道路わきなどで、鳥が種を運んだものが自然に生えたいわゆる実生苗が見つかることがあります。こうした苗は自然の中で芽吹いただけあって強健で移植しても立派に育ちます。

さて話を木の芽和えに戻します。下ゆでしたタケノコを適当な大きさに切り酢味噌で和えるだけで、料理というほどのものでもありません。酢味噌はすり鉢があれば簡単にできしかもおいしいものです。洗いゴマをパチパチはぜるまで煎り、すり鉢に投入してよくすります。そこに白味噌、砂糖、酢、木の芽を適量加えてさらによくすればできあがり。

味噌は白味噌を使うのが通例ですが今年は1月に仕込んだ自家製味噌を使ってみました。白味噌でなくてもいい味がでています。タケノコを作りたての酢味噌で和えて小鉢に盛りそこに木の芽をあしらいます。

春の食卓のメインコースは魚がいいですね。メバルの煮付け、サワラの塩焼き、あるいは刺身など。そして汁ものは澄まし汁より手前味噌を使った味噌汁がおいしい。ワカメかアサリの汁に庭先に生えているミツバかニラを摘んできて浮かべます。

このミツバですが、これは数年前スーパーで買ったミツバの根の部分(スポンジにからみついている)を地植えしたものに花が咲き種が落ちて庭中に広がったものです。春の食卓にはサンショウ、ミツバ、ニラの香りが欠かせませんね。

新学期


 4月1日に合わせたように桜が満開になりました。久しぶりに岡山市の中心部まで出かけましたが、西川べりには色とりどりの春の花木が今を盛りと咲き誇っていました。岡山市も戦後60年が過ぎ、焼け野原から緑と水のきれいな素敵な都市に変貌しました。おだやかな都市の情景は長年平和と繁栄が続いた証(あかし)であるような気がします。

4月といえば新学期、毎年この時期になると書店にはNHKの語学講座テキストが山積みになって勉強熱心な視聴者を誘惑します。私はここ数年ラジオ中国語講座を飽くこともなく、やや漫然と聴いてきました。還暦を過ぎてからの語学の勉強ははかどらないのですが、それでも一人で中国へ出かけても困らない程度には中国語が身についたと思います。

もうこれ以上いくら初歩のラジオ講座を聴いても進歩はなさそうなので、今年は気分を変えてロシア語講座を聴くことにしました。学生時代に1年間勉強した経験からしてロシア語は中国語よりはるかに難しい言葉だと思います。そこで目標は低く設定、ロシア文字の看板が読め、オペラのチケットを買ったりホテルやレストランで用が足りればそれでいいと思っています。

 ロシアへは、ソビエト時代の1980年ごろ一度個人で旅行したことがあります。モスクワ空港の税関ではいきなり「別室ご案内」の恐怖を味わいました。当時の東ドイツのマルク紙幣をしおり代わりに日記帳にはさんでいたら「すべての持ち込み外貨の申請をすべきなのに虚偽申告した」とのおとがめを受けたのです。ソ連官憲の顔がマジ怖かったです。

しかし夜行列車でレニングラード(サンクトペテルブルク)に着き、ネヴァ川の両岸にたたずむ帝政ロシアの壮麗な宮殿やエルミタージュ美術館を見たときすべての旅の憂鬱が吹き飛んでしまいました。ドストエフスキーの主人公たちが放つ阿鼻叫喚、殺意、腐臭が今もただよう街!すべてが夢の中のようでした。

その後ソビエト連邦はあっけなく崩壊し、レニングラードはまたピョートル大帝の都に戻りました。新生ロシアは私が見たかつてのソビエト・ロシアから脱皮したのかどうか、片言のロシア語でもいいからしゃべれるようになっていつの日かサンクトペテルブルクを再訪したいと夢をふくらませています。