2013年5月23日木曜日

夜中来たりて血を吸う怪物と疑心暗鬼



パーキンソン病と認知症をわずらい、数年前からすっかり寝たきりになってしまった93歳の母ですが、それなりに健康で自宅のベッドで過ごしています。日々これといった異変がない安定した状態が続いていることは介護をする私にとって大きな励みであり安堵でもあります。

ところが先日、母の平穏を破る事件が発生しました。訪問看護師さんが母のケアをしていたとき「あっ」と驚きの声をあげました。何事かと思ったら、母の左手の人差し指から血が大量に出ていてシーツやタオルが血まみれになっていました。人差し指には傷口が2か所ありましたがそんなに大きくも深くもありません。しかし指はパンパンに腫れ出血もひどいものでした。

看護師さんはすぐに傷口を消毒し、ホームドクターに電話をかけて状況を説明し抗生剤と傷口の殺菌剤を処方してもらいました。手当をしたあと、薬の効果もあって重篤な事態になることは免れましたが、問題は寝たきりの母に傷を負わせた“犯人”がまったく不明な点です。

どんな怪物に襲われるとこんなにもひどい出血をするのか皆目見当がたちません。奇怪な流血事件は昨年兄が母のケアのため泊まっていたときにも一度起きて大騒動したことがあります。兄が言うには、目を覚まして母を見たら額から血を流していて、大量の血が枕の芯まで到達していたとか。

さてはもともと親の介護などする気がない兄が弟の私に責められていやいやながらやっていることの腹いせにDVを働いているのではないかと私はとっさに思いました。そのことを友人にしゃべったら、友人は「天井に隠しカメラを設置しろ!」とアドバイスしてくれました。

いくら何でも兄がそんなことするはずがない……とはいえ疑心暗鬼がつのります。でも正月以来兄は介護分担を一方的に放棄し、現在は私が一人で母を看ているので結果的に兄の容疑はめでたく晴れました。

真犯人はおそらく、この季節、我が物顔で部屋に侵入してくるムカデ、ヤモリ、クモ、ゴキブリのうちのどれかではないかと想像しています。近々両親を病院に預けて家中を薫蒸しようと思います。戦慄すべきは姿が見えない吸血鬼(虫)。しかしそれにもましてコワイのは兄を怪しむ私の疑心暗鬼のココロです(笑)。

2013年5月16日木曜日

台湾旅行2013


連休明けに大阪の友人を誘って台湾に行って来ました。パスポートの記録をたどってみると2009年、2011年、そして今年2013年と2年ごとに台湾へ出かけていました。いわば台湾を定点、定時観測していることになります。

この1,2年の近隣諸国による対日情勢のきびしさを連日ニュースで見聞きしてきたせいか、台湾はまるで天国でした。おいしい食べ物にあふれ、人々は愛想がいいし、上海人のようにところかまわずけたたましく電話でどなったり唾を吐いたりする光景はまったくありません。

以前から台湾人のマナーはとてもよかったと思うのですが、なかでも地下鉄の整列乗車にはびっくりでした。その整然とした乗降態度は東京と同等であり、大阪より上でした。

もう一つ大きな驚きだったのは年輩の人はもちろんですが、ファーストフード店でも地元の客しか入らないような小さな食堂でも若い従業員がほぼ例外なく日本語で受け答えしてくれることでした。これも上海のタクシー運転手が“ステーション”とか“ホテル”という仕事柄必須の単語さえ解さないのと大違いです。

台湾は日本国内を旅行している感覚で観光したりショッピングを楽しめる世界で唯一の国だと思います。

英米の旅行ガイドブックは、初めて大陸ヨーロッパを旅行するのならまずオランダに行くことを奨めています。オランダはヨーロッパでは英語がダントツで通用し、大陸欧州独特の風習に慣れるのに好都合だからですが、台湾こそ日本にとっての“オランダ”ではないでしょうか。

思えば日中国交回復以来“日中友好”の旗印のもと安い労働力と無限の市場に期待しておびただしい数の日本企業が中国に進出していきました。しかし漢詩や孔子孟子に出てくるような清廉潔白な君子、風雅風流を解する文化人などどこにいるのやら。官民問わず上から下まで拝金主義に凝り固まり文明以前のふるまいを平気でする中国人を相手に倒れた企業人は死屍累々の惨状です。

尖閣国有化以降やっとハイリスクの中国との取引に台湾企業をかます知恵が日本企業にも浸透してきたようです。植民地時代の台湾総督府の美しい建物を今も総統府として大切に使ってくれている台湾こそ日本のベストパートナーとの意を強くした2年ぶりの台湾旅行でした。

美味! 西洋野菜あれこれ

学生時代、アルジェリアに滞在して初めてマルシェ(市場)に買い出しに出かけたときの感動はいまだに新鮮です。

日本の精肉屋さんと違い牛肉や羊肉が生々しくも無造作に売られているのには食欲は消滅、何か見てはいけないものを見てしまったような罪悪感にとらわれました。 切り落としたばかりの牛の頭がそのまま売られていたり羊の頭が皮を剥かれて並んでいたり、果ては羊や牛の脳味噌が高級食材としてフツウに陳列されているマルシェ。

それにひきかえ野菜売場は野菜好きの私にはワンダーランドでした。いまでこそ日本でもズッキーニはおいしい野菜として定着していますが、1970年ごろ日本ではまずお目にかかれない食材でした。アルジェリア駐在員達の多くの人がキュウリと思って買ったらとんでもないものだったなどと話していたものです。

ありそうでなかったのが日本の青ネギです。宿舎で日本から送ってもらった乾麺でうどんを作るところまでは順調にいくのですが、最後に散らす青ネギがないのはまさに“画竜点睛を欠く”不満でした。 しかしネギらしきものは欧米にもちゃんとあります。

英語でリーク、フランス語でポワローと言われる西洋ネギです。今ではリークは岡山の特産らしく直径が5センチぐらいの立派なものがスーパーで売られていることがあります。 このポワローは青ネギの代用品としては全然つまらないものですが、かつてフランスで食べたネギ料理のおいしかったこと!世の中にこんな美味な食材があったのかと驚きました。

40年前、フランスの寝台列車の食堂車で出された絶品マリネを凌駕するネギ料理が食べられるレストランを私は不幸にして知りません。フランスではポワローのことを“貧乏人のアスパラガス”というそうですが、それではポワローがかわいそう。 じゃあ本物のアスパラガスはというと、これはスペインのアランフェスで採れるものがつとに有名。アランフェス協奏曲の“タララー、タララタラタラタララー、タタタ、タタタ……”という哀愁を帯びたギターの楽の音が頭をよぎるあの曲です。

今は昔、両親を連れてそのアランフェスでホワイトアスパラガスをいただいたことがあります。味はフランスのネギのマリネに負けていましたが、親子3人で訪れたスペインのなつかしい思い出です。