2013年7月18日木曜日

釧路女流文学の系譜



昔は芥川賞や直木賞を受賞するとかなり大きなニュースになり世間が騒いだものです。今では書店に特設コーナーができるもののそんなに売れているようすはありません。先日2013年の直木賞に釧路が舞台になった作品が選ばれちょっと興味をもちました。桜木紫乃という女性が書いた「ホテルローヤル」という作品です。(まだ読んでいません)(*)


ところで、釧路文学と言えば原田康子(1928-2009)の「挽歌」が1956年に発表され大ベストセラーになり、北海道の地方都市にすぎなかった釧路は全国から押し寄せる文学ファンでにぎわったそうです。古い価値観から解放された世相を背景に早熟な少女(兵藤怜子)が魅力的な設計士一家(桂木夫妻)に近づき、桂木を挑発し、その結果夫妻を破滅へと向かわせます。

この原田康子の源流をたどればフランスの女流小説家・サガンの「悲しみよこんにちは」に行き着きます。サガンの影響かどうか「挽歌」の主人公(怜子)は会話の地の文に「アミ」(友達)だの「コキュ」(妻を寝取られた男)だの、フランス語の単語を唐突に口にします。今読むとそういう箇所では背中に悪寒が走りますが……。

独特の文体といい背伸びした怜子のエキセントリックな行動といい、アプレゲール(戦後世代=不良)時代のかっこよさだったのかもしれません。しかし、霧につつまれた陰鬱な釧路湿原、霧笛が寂しく響く町の情景をそれぞれに不幸な登場人物たちの心象風景にぴったり重ねて描ききっているところは原田康子にしかなしえなかったことだと思います。

今回直木賞を受賞した桜木さんはどうやらこの原田康子に触発されて作家になったようです。「挽歌」では今でいうラブホテルがセッティングとして効果的に使われていますが、桜木さんの実家はラブホテルを経営しているとか。釧路の才女達には何かと運命的な共通点があるようです。近いうちに「ホテルローヤル」を読んでみたいと思います。

数年前、あまり国内旅行をしない私ですが「挽歌」にあふれるフランス趣味と現実の釧路の間にどんな結びつきがあるのか興味がわいてはるばる釧路まで関空から飛んだことがあります。夏でも気温が15度ぐらいしかない釧路はフランスというより北極圏に近いノルウェイの港町に似ているなと思いました。

*10月に斜め読みしました。つまらない作品でした。

老齢基礎年金

 七夕の日は私の誕生日でした。終戦直後、食料も物資も極端に不足しているなか、しかもこんな暑い日に私を生んだ母の苦労は相当なものだっただろうと想像されます。

産婆さんを呼びに行った父が途中で道草をくって、ようやく産婆さんが駆けつけたときにはすでに私はぽんと生まれていたそうです。

兄を生んだとき難産で死ぬ思いをしたのに比べお前は生まれるときから親孝行だったといつも言っていた母(の介護)を裏切ることはできません。あと10日ほどで94歳になる母は私をひとりで産んだまさにこの部屋で人生最後の静かな日々を過ごしています。

さて、その息子もついに老齢基礎年金なるものをいただける年齢に到達しました。誕生日が来るのを待って岡山の年金事務所に請求手続きに出向きました。年金の仕組みの訳の分からなさは想像を絶します。すでに60歳になったときから公立学校共済組合から共済年金が振り込まれていてさらに64歳からはその額が増えました。

私は65歳になっていよいよ老齢年金の支給が開始されると、いままでの共済年金プラス年額70何万かの年金が新たに支給されるようになるものとばかり信じて誕生日がくるのを待っていたのです。

びっくりしました。「老齢基礎年金はすでに共済組合が立て替え払いしています。今後は老齢基礎年金部分を日本年金機構が振り込むことになります。受け取り総額は今までと変わりません」ガーン!です。何はともあれ残りの人生はこの年金をベースに生きていくほかなく人生はいつでも正念場です。

ところで年金事務所についてですが、書類の提出は“事務所”に持参するよう案内があったので事務所(岡山西)に出かけたら、「提出はここではなく、向かいの“街角の年金相談センター”に行け」と言われました。こちらも年金をもらうような老人です。がんこです。素直ではありません。がんとして動かなかったら、「じゃあ、こちらで受け付けます」ということになりました。

かつて運転免許更新業務に交通安全協会が深く関与していたように、年金業務も退職OBをおおぜいかかえた相談センターが年金事務所の本来業務を代行しているのかな?と想像します。真相は如何に?

参院選を前に

 昨年暮れの衆院選に続いて第23回参院選(投票日7月21日)が公示されました。今回の選挙から“ネット選挙”解禁ということですが、これは選挙運動についてネット利用が可能になったということであり、インターネットで投票できるようになった訳ではありません。

企業の株主総会での議決権行使がネットで問題なくできている時代になぜ有権者にご足労をかけ、莫大な事務経費、人件費を費やしてばかげたお祭り騒ぎをやらなければならないのか不思議なことです。

いっそのこと参議院議員は裁判員のように抽選制にしてはどうかと思います。参院の機能は衆院のチェックに限定して何か支障があるでしょうか。定数問題もなくなるし報酬は日当と交通費程度ですみます。

さて、思い返してみると6年前岡山では「姫の虎退治」で参院選は空前の盛り上がりを見せ、何と姫が虎に勝ちました。もう時効だと思いますので告白しますが、私も姫に期待した一人でした。

ところが当選直後から姫の行状は芳しくなく、また政党人としてもあっちにふらふらこっちにふらふらとさまよった挙げ句の果て6年の任期をまっとうすることなく辞任、暮れの総選挙では千葉県から出馬して結果は泡沫候補なみでした。

しかしこれはなにも姫の特異なキャラにすべてが帰する問題ではなかったと思います。この6年間のあいだに日本の社会・経済・政治情勢がひどく劣化したこととぴったり歩調があっていました。言わば彼女はこの6年間のダッチロール政権運用の象徴だったのではないでしょうか。

日経平均株価は7千円台に低迷し、超円高で輸出産業が瀕死状態に陥り、逆に中国・韓国は元安、ウォン安を武器に経済力を強め、もはや経済的に日本の援助が不要になったとみるや口汚く日本をののしるようになりました。(まともな神経ではつきあいきれない隣人たちをもっていることをガラパゴス民族である我らによく分からせてくれたという意味ではとてもよかった)

そして、政治・経済・外交のすべてがうまくいかないところにあの大地震と原発事故です。今思えばこの6年間、クーデタもなく、日本はよく耐えたものだと思います。参院選後の日本は吉とでるか凶とでるか、それはまだだれにも分かりません。