2014年1月30日木曜日

オペラの魅力(1)


 20代の中ごろから40代ぐらいまで私はオペラに心酔していた時期がありました。特にイタリアオペラとフランスオペラが好きで歌詞を丸暗記してしまうぐらい繰り返しレコードを聴いていたものです。

ある年の3月。イタリア、ミラノ。スカラ座から有名なアーケードに向かって伸びる長い行列に私も加わりました。その夜の演目はイタリア人が大好きなプッチーニの「ラ・ボエーム」。ルドルフォを歌うのは今や伝説となってしまったあのパバロッティでした。しかも全盛期の。

行列に並んだ訳は格安の当日券を買うためです。チケットの販売が始まるまで何時間も寒空の中で震えながら待っていると当然のことながら腹も減るしトイレにも行きたくなります。1人きりでは列を離れることもままならないので私はイタリア人の若者達に声をかけました。

彼らはプッチーニの家があるトッレ・デル・ラーゴ近くの町からやってきた学生達でした。サンドロという青年はピサ大学で美学を勉強していると自己紹介してくれました。

当時、日本は高度成長経済のまっただなかで美学などという古典的な学問はもう死語同然。大学で美学など勉強してもメシの種にならないのは洋の東西を問わず同じで、美学は生活のために働かなくてもいい貴族の学問といったところです。

交代でカフェに行ったり、とめどもなくおしゃべりしているうちについに当日券売場が開き3人ともチケットを買うことができました。

「いいかい、コウジロウ、扉が開いたら何も考えず階段をひたすら駆け登るんだよ。よそ見したり立ち止まっちゃダメ」

そして我々は大理石造りの壮麗な階段を息せき切って駆け登り、スカラ座の天井桟敷に誰よりも早くたどり着きました。そこから見下ろすスカラ座のきらびやかなこと!建物の外観からは想像もできない華やかなオペラハウスでした。

この日の公演は特別なものでRAI(イタリア国営放送)がテレビ中継していました。舞台の幕が降り今度は学生達と楽屋口へ回り指揮者、カルロス・クライバーからサインをもらいました。若いころは怖いもの知らずですね。私はサンドロ達をたずねて翌年、今度は夏休みに彼らの住んでいる町、ヴィア・レッジョに出かけました。(次号に続く)

2014年1月23日木曜日

岡山人による2泊3日の岡山市内観光

 岡山市で生まれ、岡山で高校まで過ごし、53歳のとき両親の介護のためにまたふるさとの土地に帰ってきてもうまる13年になります。日常生活に介護が占める時間が長く、岡山市に住んでいながらこのまちをゆっくり味わうことができません。

 むしろ年に何回か出かけるバンコクや上海の方が短い滞在でも目一杯動き回るので私にとって身近な都市という感じがします。ところが先週両親とも入院したので心配な状況ながらも自由な時間を手に入れることができ、週末大阪の友人を呼び、片づいていない自宅マンションを避け、市内のホテルに2連泊して都市としての岡山を楽しみました。

 金曜日の夜、幸町の市立図書館近くにあるイタリアンの「タパス」で遅い夕食を食べました。この店は以前城下にあったのですが、西川沿いの現在の場所に越してきていらい初めて入ってみました。前菜盛り合わせ、日生の牡蛎の香草焼き、ヒレ肉のステーキ、パスタとどれもおいしく、ひごろは何かと店の料理に文句を垂れる大阪の友人も大満足でした。

 翌、土曜日は午前中オリエント美術館で常設展をみました。日本のしかも岡山にこれだけ貴重な古代遺跡の発掘物があることが奇蹟のように思えます。美術品でも学術標本、資料でも個人が蒐集したものは蒐集家がなくなったあと無惨に散逸することが多いものですが、オリエント美術館は安原真二郎氏から資料の寄贈を受け、岡山市が建物を建て管理運営をしています。これは岡山の文化力の象徴的美術館だと思います。

 美術館を後にして後楽園に行きました。真冬の庭園は観光客もまばらでかえってシンとした情緒があって、こういう時期の後楽園も捨てがたいものがありました。丹頂鶴のケージでは中国からの女性観光客が熱心に丹頂鶴の来歴を案内の人から聞いていました。まだ日中国交が回復していなかったころ岡山ゆかりの中国の政治家であり文学者の郭沫若氏から寄贈を受けた歴史があります。

 この日の夜は若者でにぎわっている居酒屋で刺身やまたまた日生の牡蛎料理などたらふく食べました。大阪の友人の話では岡山の料理店は味付けがいい上に一品の量が多いと感想を述べていました。

 岡山に住んでいながら2泊3日の岡山探訪を堪能した週末になりました。母の退院もまもなくです。

2014年1月13日月曜日

在宅医療の落とし穴

   在宅で寝たきりとはいえ健康をたもっていた母(94)に突然異変が起きたのは正月明けの7日の夜9時ごろでした。気管切開をしている喉元からイカ墨のような黒褐色のどろどろした液体を噴き出しているのです。
訪問診療医に連絡しようかどうか迷ったのですが、とりあえず独断で手持ちの抗生物質をイロウの穴から注入しました。しかしそれさえ戻して熱は38.4度、呼吸は弱く、血中飽和酸素濃度も下がっていきます。
日付が変わったころ医師に連絡し状況を説明したところ、「様子をみましょう」とのことでした。次第に弱っていく母の横にふとんを敷いて絶望的な気分のなかで黒いどろどろした液を気管切開部から取り除き、またイロウからも胃の内容物を吸い出しながら夜明けを待ちました。
朝、電話口で「急にどうこうない」という訪問医の指示を遮って、これまで何度も母の命を救ってくれた病院へ昼過ぎにかつぎ込みました。救急車に頼らず意識のない母を車の助手席に乗せて。CTを撮ったらすぐ異変の原因が判明しました。以前からあった7ミリほどの腎臓結石が動いて尿管に詰まり腎臓がパンパンになっていたのです。すぐに泌尿器科で実績のある専門病院へ救急搬送してもらい尿道から腎臓までカテーテルを入れて腎臓に貯留していた膿を排出し一命を取り留めました。
最初の病院の医師も専門病院の医師も処置前に「すでに敗血症を起こしている。お母さんの体力がもてば助かるが危ないかもしれない」と念を押していましたが、常日頃密着介護をしている私は内心「そんなバカな」と思いました。
異変をいち早く察知し、医師の抵抗(怠慢)にも負けず、迅速に動いたので手遅れだとは思えなかったからです。案の定、腎臓の中に溜まっていた液はかなりきれいで血圧等容態は処置後すぐに安定しました。
訪問医の指示を守って様子なんかみていたら今頃葬式を出していたでしょう。実際多くの在宅患者が肺炎や腸閉塞、胆嚢炎など原因さえ分かれば簡単に直る病気なのに「家族に看取られ畳の上で大往生した」などと言われて死んでいっているのではないでしょうか。“老衰死”であっても解剖を義務づけてバカな見立て違いで殺される患者をなくすよう法整備することが在宅医療行政にとって喫緊の課題だと思います。