2014年7月17日木曜日

ゴミ箱はどこへ行ったのか


 中国人はじめ諸外国から日本を観光で訪れる外国人が一様に驚くことがあります。「日本人の民度は恐ろしいくらい高い。日本ではゴミ箱がほとんどないのにもかかわらず町にはゴミひとつ落ちていない」と半ば神話のように自国のブログに書き連ねています。

こんな率直な賞賛を聞くと素直に喜んでもいいのですが、私は日本の現状をこころよく思っていません。そもそもゴミ箱が日本の街角や事務所、病院の待合い、図書館、ガソリンスタンドから消えてしまったのは、ゴミ箱が爆発物の隠し場所になって危険だからという理由からだったと思います。

実際ゴミ箱に爆弾が仕掛けられるような事件はあったのかもしれませんが、ごくごく例外的なケースだったと思います。それなのにゴミ箱が消えた理由はひとことで言って、テロを口実に施設管理者がゴミ箱の維持コストに労力と金をかけるのをやめたからに他なりません。

そして「ゴミは持ち帰りましょう」という言葉が美徳のように語られ、あっというまにゴミ持ち帰りが定着してしまいました。日本人はどうしてこれに怒らないのでしょうか?

数年前に日本の西の端にある西表島に遊びに行ったことがあります。港には「島にはいっさいゴミを置いて帰りません」みたいな押しつけがましい宣言が掲げられていて、自販機のそばには空き缶やペットボトルを投入するゴミ箱がありませんでした。

皆様、何かおかしいと思われませんか?空き缶は荷物に入れて本土まで持って帰れというのなら、そもそもゴミを発生させる原因である自販機の設置を許すほうがおかしいと思います。空き缶やペットボトルの処理費用も含めて商品販売代金を設定しているはずで詐欺だと思いました。

ところが、数年後の現在、何とこの西表方式がここ岡山でも浸透してきているではありませんか。近くの焼きたてパン屋の軒先には自販機が4台も置かれているのにゴミ箱はまったく設置していないばかりか「ここにゴミを捨てるな!」という警告文まで自販機の横に貼っています。

この理屈が通るのなら、そのうちレストランや喫茶店が「トイレはありません。飲食の結果のおしっこやうんちは自宅にお持ち帰りください」と言い出すに決まっています。

喘息

 週末金曜の夜寝ていたときのことです。突然激しくせき込んで目が醒めました。もともと鼻が悪い私は口を開けて寝ていることが多いようです。ぽかんと開けた口に蚊かゴキブリの赤ちゃんが入ってきてそれをそのまま吸い込んでしまったに違いありません。(ありえない?)

気管に違和感があり必死でそれを吐き出そうと思いっきりくしゃみをしたり、うがいをしたのですがすっきりしません。気分が悪いまま朝になりました。ゴキブリが気管に詰まっているのを放置していても自然に出ていくはずがないと思い土曜日も診療をしている倉敷の川崎医科大病院に駆け込みました。

血液検査、X線検査の結果を見て医師は「特に異常はないのですが……」と首をひねるので、「いや、たしかに気管に何か詰まっているような気がします」と粘ったらCT検査をすることになりました。だんだん話が大きくなって肺ガンにでも罹っていたらどうしようなどと恐怖にかられたのですが、結論は軽い喘息が疑われるということでした。

「ネコを飼っていますか?」と聞かれたので「はい」と答えたもののさすがに12匹飼っているとは申し上げることができませんでした。

考えてみるとこの時期毎年のように耳鼻科か呼吸器科のお世話になっています。ネコの毛が空中を漂うような家で暮らしていて喘息にならないほうがおかしいのはよく分かっているのですが、ネコを手放すなんてとてもできません。家を清潔にし、きょうにも高性能の空気清浄器を買いに行くことにしました。

それにしても川崎医大とのつきあいは内山下の川崎病院時代から数えるとすでに半世紀にもなります。中学生のころ初めて川崎病院に行ったのも気管支炎を見てもらうためでした。そのとき処方された薬が全然役にたたず結局は近所の老内科医師が処方してくれたブロン液がよく効いて一発で治りました。

半世紀後の現在、気管支炎や喘息の発作に対しいろいろな薬ができていてこのたびも何種類も薬を処方されました。しかし咳も痰もひどくなる一方。あまりの苦しさにドラッグストアでブロン液を買って飲んだらやはりこれが一番よく効きました。病院に行く前にブロン液を試すべきでした。中学生のときの体験から何も学習していないばかな私です。

キリギリス


 
6月初め、96歳の生涯を終えた父の遺品を整理していたら父が喜寿のとき書いた詩が出てきました。ときおり父はなんとはなしに「チョンギース」とキリギリスの鳴きまねをすることがありました。父はキリギリスの美しさにポエジーを鋭く感じとっていたようです。息子の私からみてもなかなかの出来映えなのでここに全文を引用してご紹介します。


* * *

「キリギリス鳴く」(1994.8.20)

キリギリス鳴く 炎天の叢の中 みつ よつ

相手をもとめて全身を震わせ震わせ鳴く

なぜ こうも必死に鳴く?

おまえに命をくれた神へのお礼か

おまえの相手を呼ぶためか

おまえの健康で完全無欠な躰の機能と美声はすばらしいぞ

 

おまえの親はこの美しい姿を見ることはない

おまえもまたわが子の美しい姿を見ることはない

でもいいじゃないか 二寸先だ母さん生き写しの彼女がきたぞ

彼女の燃える瞳に父さんが見えてるだろが

自由に旋回する触覚 宝石のような複眼 頑丈な顎 バランスのとれた

三対の脚 後脚がいい どんなスポーツ選手もおまえのにはかないはしない。

それに緑とセピアの上着がすばらしい

 

なんとなく秋の気配がするぞ 愛する人は母さんに似とるぞ

横で鳴く彼は父さんに似とるからな

そうだ バトンタッチの朝までは

おまえたちのすばらしい遺伝子を残らずインプットしておけよ

妙なる声も忘れずにな

 

声高く鳴けよキリギリス
 
キリギリス声高く鳴けよ

 

(岡澄雄1994

* * *

父はわずか3歳のとき自分の父親を病気でなくしました。そして結婚相手に選んだ人は自分の母親によく似ていたそうです。この詩からそんな父の思いが伝わってきます。

 あわただしい葬儀が終わりふと実家の庭を見たら夏虫の季節にはまだ少し早いのに、百合の花にみごとなキリギリスが一匹とまっていました。緑とセピアの美しいキリギリスです。言い伝えどおり愛した動物がいちばんに迎えにきてくれました。