2015年3月29日日曜日

足立美術館

 ときおりたまらなく山陰の冬の曇り空を見たくなることがあります。3月初め、暖かい日が続きノーマルタイヤでもドライブできそうな日を見計らって足立美術館(島根県安来市)に行きました。

ちょうど京都画壇の両雄「竹内栖鳳と橋本関雪」展が始まったばかりでしたが早春の平日が幸いしてお客が少なく画廊も白砂青松の庭園も心ゆくまでゆっくり鑑賞できました。

いっぷう変わったこの美術館の運営方針というかお客に対する姿勢、サービス精神に創立者、足立全康(1899-1990)さんの気取らない人柄のよさを感じます。何としてもわざわざ見に来てくれた人に名画と庭園を心ゆくまで堪能してもらいたいという気持ちが伝わってきます。

まず第一に、展示替えの時期を除いて年中開館しています。多くの美術館が毎週1日休館日を設けているのと大違い。職員の接客態度にも“おもてなし”の気持ちがこもっていて好感がもてます。他の有名な国公私立の美術館の職員のように官僚臭く冷たい印象がありません。

さて自動改札機に入場券をかざして入館すると随所に全康さんの息吹を感じます。「この角度から庭園と借景の滝を見てください」と立ち位置まで示してくれます。おせっかいと分かっていてもどうしてもそこの場所から絶景を見て欲しいのですね(笑)。

びっくりするのは「生の額縁」とか「生の掛け軸」です。額縁や掛け軸の中にあるのは庭園そのもののガラス越し風景です。あえて“俗悪”な趣味丸出しを演出するところが全康さんのすごいところですが、私はこれはちょっとイタダケナイと思います。

というのも額縁の中の生の風景は当たり前ですが具象そのものだからです。人間の美意識によって再構成されていない生の風景は芸術とはいいがたい、そんな気がします。

館内には軽食が食べられるレストランと喫茶室があります。これがまた驚きで、飲み物は何でも1000円(喫茶室)、カレーは1200円と思い切った値段が付いています。愛嬌ですね。でも高いけど許せる気にさせるところがまたいいのです!

6月1日からは私が大好きな菱田春草の「梅猫」が展示されます。熊本県立美術館にある「黒き猫」とともに猫好きにはたまらない名画です。

見たくない光景


 このごろ暗いニュースが多く、思わずテレビチャンネルを変えてしまうことがよくあります。

川崎市で起きた中学1年生殺害事件は事件の様を垣間見るたびに心が折れていきます。「反省したフリ、俺はチョー得意」という18歳少年は今回の事件でも「心で話した。謝った」などと供述したそうです。社会はこうした悪の天才というべき犯罪者にどう立ち向かえばいいのでしょうか。

1999年に起きた光市母子殺害事件の犯人Aも被害者遺族をあざ笑い、死刑の判決が出そうになると今度は突飛な言い訳を始めて遺族をいっそう苦しめました。A少年の場合は最高裁で死刑が確定しましたが、今回の川崎の件で極刑判決がでることはないでしょう。

裁判員裁判で厳罰の判決が出ても高裁、最高裁のプロたちが“相場”を勘案して死刑を回避することが潮流になっています。また先進国の多くの国で死刑そのものが廃止されているなかで日本がいつまでも死刑制度を存続させていていいのかという考えもあります。

死刑制度があろうがなかろうが更正することが期待できない絶対悪のような犯罪者はいつの世のなかにもいます。こんな社会で殺された中学生の魂に報いる方法は、同様な少年事件が起きることを未然に防ぐことしかないと思いますがそれは絶望的なくらい困難なことです。

「イスラム国」(IS)による古代文明の遺跡破壊行為の映像も見たくない光景のひとつです。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているという単純な理由で文化財をこっぱみじんに破壊しています。文明の黎明期から何千年もの間人類が大切に守ってきた遺跡や文化財を壊してしまうことにISの連中は畏れといった感情、感覚を持ち合わせていないのでしょうか。

日本でも明治維新のとき廃仏毀釈運動によって多数の寺院や仏像が破壊され、多くの仏像などが美術品として国外に流出してしまいました。ボストン美術館の日本部門を訪れたらそのコレクションのすばらしさに感嘆しますが、いずれも日本が自国の文化財に対する価値観を見失ったときに流出したものばかりです。

イラクやシリアの遺跡破壊を防ぐことができないところに人類の知恵の限界があります。後で嘆いてももはや取り返しはつきません。

2015年3月4日水曜日

老成


 子ども時代。毎日学校へ通い、宿題をやり、夏休みは目一杯外で遊んでいました。そうした日常生活において時間や空間は確固としたものであり、目にするもの手に触れるものはすべてリアルそのものでした。例外は夜中に見る夢ぐらいのもので、ちゃんと目が覚めたら現実の世界にすぐ引き戻されました。

 ところが最近よく奇妙な感覚に捕らわれるようになりました。旅先で初めて訪れた場所に立ったとき、「ここは昔来たことがある」、「この絵は初めて見ているのに、以前にも見たことがあり、更に以前にも見たことがあると感じた、と感じた……」と際限なく思うことがときどきあります。

 心理学でいうところの既視感(デジャヴュ)でこの用語自体は日常的にもよくお目にかかります。逆に実際は見聞きして知っているはずのことを生まれて初めて経験することのように感じてしまうことを未視感(ジャメヴュ)といいますが、こちらはデジャヴュほど使われません。見慣れたことを忘れるのはふつうにある現象ですし、年を取れば自然に物忘れするようになりますから。

 私がこのごろ感じるようになった奇妙な感覚はデジャヴュ系統のほかに、現実のなかにありながら現実感が希薄に感じられる種類のものもあります。心理学でいう離人症に近いような気がします。

たとえば、牛窓のてれやカフェで店主のヒロシ君がいれてくれるコーヒーを確かに飲んでいるのに現実感が完璧ではないのです。20パーセントぐらいは“他人事”のような変な感じ。もっともちゃんとコーヒーの代金を払って帰るので現実の行動であることは確かなのですが。

さまざまな現実感を喪失していく精神現象が人生の早い時期から強く出現したら病気という範疇に入れられてしまうところですが、退職年金をもらうような年齢になるともはやこれは病気ではなく加齢にともなう衰え、はっきり言えばボケの初期現象として誰も気にとめません。

むしろ肉体と魂の強固な結びつきが緩んでくることはある意味“老成”と評価されます。でも魂が本格的に肉体から離れてフラフラどこかへ遊びに行ってしまうようになるとこれは困ります。精神が肉体から適度に自由になってきた今が人生で一番楽しい時期かもしれません。

小さな旅


 
 在宅で介護している母が1週間の予定で入院することになり、母には申し訳ないけれどパッと旅に飛び出し、大満足で帰ってきたところです。主な行き先は新潟の加茂という町で母方の墓所があります。

 土曜日午後。新幹線で大阪に行き、大阪の友人を呼び出して夕飯を食べ、夜の9時半発の夜行バスで新潟へ向かいました。早朝、バスは新潟のバスセンターに到着。雪景色かと思ってバスを降りたのですが雪はまったく見あたらず暖かでした。

 日曜日。新潟に住んでいる母の甥(と言ってももう80歳ですが)といっしょに加茂まで電車で行き念願の墓参りができました。母の両親は母が結婚する前にすでに亡くなっていたので私は会ったことがないのですが墓石に花を手向けながら「母を迎えにくるのはいましばらく待って欲しい」とお願いしてきました。

 墓参りを終えて新潟市に戻った私は一人で日本海に面した海辺に行ってみました。横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたのはこんな場所だったのかと思うとおだやかな日本海がとても悲しく思えました。

 月曜日。新潟からJR磐越西線の快速列車に乗り会津若松に向かいました。平野に雪はなかったのに山が見えてくるとすぐに雪景色に変わり何だかテンションが高まります。喜多方でラーメンを食べる訳でなく会津若松の観光をするのでもなく、すぐに会津鉄道に乗り換えました。行き先は東京の浅草です。雪山の絶景の中をローカル鉄道のディーゼルカーがゆっくり進んでいきます。

 途中の駅からディーゼルカーから電車に替わりややスピードアップしながら東武日光線を経て埼玉県へ。草加市で途中下車しました。東京で学生生活をともにした古い友人と久しぶりに会って駅前の喫茶店で近況報告をしました。二十歳の輝ける若者だったのに今やお互い60代も半ば。感無量、言うことなし。東京泊。

 火曜日。旅の疲れかホテルで朝寝坊。学生時代によく行った喫茶店ルノアールでモーニングを食べ、羽田空港に向かいました。旅も終わりかと思ったらまだドラマがありました。同じ飛行機に中学校時代のクラスメートの女性が乗っていたのです。がら空きだったので席を移り、思わぬ場所でミニ同窓会ができました。

小さな旅は終わりましたが、人生の旅はまだまだ途中です。

2月大旅行

2017年2月は大旅行の1ヶ月になりました。
2月5日から2月10日まで、中国・上海、杭州
2月21日 岡山(新幹線)→大阪(高速バス)→新潟へ
2月22日 新潟→加茂、母方祖父母墓参り、新潟護国神社、新潟泊
2月23日 新潟(磐越西線)→会津若松→会津鉄道→東京泊
2月24日 東京(JAL)→岡山
2月26日 岡山(山陽道)→熊本
2月27日 熊本、通潤橋、高千穂峡、竹田、岡城城址、大分
2月28日 大分→佐賀関(九四フェリー)→三崎港→松山→岡山
3月 2日 岡山(山陽道)→尾道(尾道松江道路)→松江、安来、足立美術館
       米子道、中国道、岡山道

3月 3日 沖縄から組原君来岡
3月 4日 組原君と岡山県立美術館、曹源寺