2015年6月15日月曜日

機内の出来事

 2ヶ月ぶりに友人を誘って上海までぶらり旅に出かけてきています。昨日は、友人は大阪から早朝の高速バスで高松まで駆けつけたというのに、出発時刻になっても国際線のセキュリティチェックの入り口は閉められたまま。やっとアナウンスがあり、上海が悪天候のため折り返し便の飛行機はまだ上海を離陸していないと言います。結局2時間遅れで機内に入れたときにはもう午後4時近くになっていました。

前から2列目に着座した我々の2つ後ろの席から突然幼児の「飛行機怖いよう、飛行機イヤだ、降りる」という絶叫が機内に響き渡り始めました。何となく病的な怖がりように春秋航空のCA が若いお母さんと大暴れする幼児を空いていた最前列シートに誘導しました。

すると幼児は落ち着いてきました。しかし、飛行機はいぜんとしてスポットに留まったまま。中国人客でほぼ満席の 機内ではトイレに行く人、上海での乗り継ぎ便に間に合わないと集団でCA にけたたましく詰め寄る人々で騒然。そんなとき、我々の前の席のお母さんが女性CA を呼び付けました。

うちらは元々29列目にいたのに子供が怖がるので4列目の人と席を代わってもらった。しかし今は4列目が空いたので29列目の人にその事を伝えてほしい」と言っているのです。中国人スタッフはお母さんの話がよくのみ込めない様子。するとキャリアウーマン風の中国人女性が通訳をかってでてCA に説明。CA は「?」の表情です。

CA たちは総出で出発が遅れていることを責めたてる中国人乗客の対応に四苦八苦しているというのに、お母さんはまた男性CA を呼んで席がどうのこうのとやりはじめました。
男性CA:「29列目に移動されたいのですね?」
彼女:「全然私の言うことを理解しない。29列の人に4列目が空いたと……」

私はため息混じりに隣席の友人に「日本人的な気の使い方って日本人以外には通じないよね。そもそも29列目の人も席を代わったことなんか気にもしてないはずだし……」とささやいていたら、何とお母さんの耳は地獄耳。背もたれの隙間からこちらを振り向いてすごい形相で、しかし、同じことを言いはじめました。はっきり言ってビビりました。絡まれたらどうしよう!まだ飛行機は飛び立ちません。時間は長い。

友人がトイレに行こうと立ち上がったとき、前列のお母さんが友人に「29番の人に4列目が……と言ってほしい」と話しかけてきました。友人の対応はあっぱれでした。

友人:「知らない人に話しかけることなどできません!」
女性:「29番の人は私の知り合いですから」
友人:「あなたの知り合いかもしらないけど私には知らない人です」

自分の知り合いなら、そんなやっちもねえメッセージをなぜ自分で言いに行かないでCA や他の乗客を使おうとするのか意味不明です。幼児もすっかり落ち着いてご機嫌だったのに善意で母子を見守ろうとした周りのお客にとってはいささか後味の悪い出来事でした。(上海にて)

(機内の出来事という意味以上の内容は何もないエッセイです)
(2015年6月2日から5日まで滞在)

うま味


 中学生のとき理科の先生が我々生徒に質問しました。「味にはどんな種類がありますか?」「甘味、塩味、酸味、苦味」とクラスメートが次々答えました。そこで私の出番です。「先生、“うま味”があります」と。

先生は「うま味というのは甘味や酸味など基本的な味が組合わさったものであり、うま味などという独立した味があるわけではない」と説明されました。中学生の私は生意気にも「先生でも何でも知っているわけではない」と思ったものです。

もしうま味が甘味や酸味などの組み合わせで出せるのなら昆布や鰹節で出汁なんか取る必要などないではないか……。私は小学校時代にすでにグルタミンナトリウムを発見した池田菊苗博士(1864-1936)の伝記を何度も読んでいました。

博士は昆布のうま味成分に着目しそれが何なのか世界で初めて解明し(1907)、特許を取得、そして生まれたのが「味の素」でした。

今ではうま味はUMAMIとして世界で受け入れられています。代表的なうま味としては昆布やトマトに多く含まれるグルタミン酸、鰹節や煮干しに多いイノシン酸、シイタケのグアニル酸があります。最近まで知らなかったのですが、白菜にもグルタミン酸が多く含まれているそうです。

私は今まで白菜に対して偏見をもっていました。淡泊な食感の白菜って、キムチや白菜漬けなどにして食べる以外、見た目あまり栄養もなさそうだし、なぜ重要視されるのだろう?と。ところが湯豆腐やしゃぶしゃぶ、すき焼きに白菜を入れるのは料理にうま味を補う意味があったのですね!

さて、うま味のほかにも独立した味覚が存在しているはずですが食品科学の専門家もあまり取り上げない味覚に渋味(収斂味)があります。

日本では身近に渋柿という強烈に渋い果物があるので渋味を説明するのは簡単です。しかし「この柿はとても渋い」と言っても欧米人にはなかなか通じません。あるアメリカ人教師に“渋い”はastringentで通じるかと尋ねたら、それよりもmouth-puckeringの方がいいと言われました。なるほど! 口がへし曲がるという方が分かりやすいですね。

ところで、料理につきものの「アク」って成分は何なのでしょう?これも味同様、追求すれば奥が深そうです。

エゴマ油フィーバー


 テレビ番組で特定の商品が取り上げられるとスーパーの棚から消えてなくなるのは毎度のことです。最近ではココナツオイルやエゴマ油がブームになり売り切れ続出です。

一昔前には紅花、コーン油などリノール酸を主成分とした油がもてはやされたことがあります。しかし今ではリノール酸の大量摂取は慢性炎症性疾患を悪化させ、アレルギーの危険因子であり各種のガンを誘発すると散々な評価です。

ところがその弊害を抑制するのがα-リノレン酸であり、それを大量に含んでいるのがエゴマ油とアマニ油であり、その効果は老化防止、アルツハイマー病予防、はては皮膚のしわたるみまで予防するというふれこみで一気に人気が高まったというわけです。

私がエゴマという植物に初めて出会ったのは大阪の鶴橋にあるコリアンマーケットの店先でした。シソの葉っぱのようなものが輪ゴムで10枚ほど束ねられゴマとしょうゆの調味液に漬けられたものがどの店にもありました。このエゴマのしょうゆ漬けでご飯を食べるとほかにおかずがなくてもいくらでも食が進みます。

しょうゆと香ばしいゴマの香りにエゴマのさわやかな食感がとてもよくマッチします。大阪から岡山に帰ってきてからは手に入りにくいエゴマのしょうゆ漬けを自分で作ることにし、庭にエゴマの種をまきました。生育が早く姿は大葉によく似ていますがはるかに大ぶりで葉が手のひらサイズになったら摘み取り、調味液につけ込みます。簡単です。

さて縄文時代から日本で栽培されていたエゴマですが現在国内の産地は島根県など一部地域に限定されています。ネット通販サイトでは国産のエゴマ油は180ccの小瓶で2000円前後と非常に高価。それでも売り切れ続出です。

このことは意外なところに影響をもたらしたようです。韓国の新聞、中央日報によるとエゴマ油に日本特需が起きて輸出が100倍にも増えたとか。この記事を読んで初めてスーパーに並んでいるエゴマ油の原料が中国や韓国から輸入されたものだと知りました。

いまごろ中国や韓国ではエゴマの作付けを増やしていると想像されますが、秋に種が取れオイルになるころにはエゴマ油フィーバーも鎮火しているのではないでしょうか。

小さな日仏交流


 フランス南部の町ペルピニャンから少し山に入ったところに、アメリ・レ・バンという温泉保養地があります。その村には日本風のお墓があり建立から140年もの長い歳月を経てなお地元の人々の手によってていねいに守られています。

墓の主は野村小三郎(1855-1876)という岡山出身の陸軍の留学生です。小三郎は明治維新期の1870年、大阪の陸軍兵学寮からフランスに留学した10人の学生の一人でしたがパリで結核にかかり日本に帰ることなくわずか21歳で客死しました。

日本でも小三郎の存在を知る人は最近までほとんどいなかったのですが、2009年に出生地である岡山の郷土研究者たちと現地の人々とのあいだで「友の会」が結成されました。それ以後ブテさんというフランス側代表の方が2,3度岡山を訪ねてこられました。

今年もブテさん御一行様が2週間の予定で訪日され、連休最後の日に後楽園内で歓迎会を催しました。園内の茶畑のそばに“新殿”という東屋がありそこを借り切っての園遊会です。日本側の日笠会長先生は会をアカデミックで権威あるスタイルにしたいと望んでおられるようなのですが、園遊会に集まった人々は色々。フランス人4名を囲んで抹茶をふるまって下さったご婦人グループ、私の中学校時代の幼なじみの“女の子”たち、岡山大学の先生、取材に来た新聞社の記者などなどでした。

特に自己紹介や式辞とかの堅苦しいことはいっさいなく、肝心の会長先生が大幅に遅れて到着するハプニングもありとてもなごやかで居心地のいい日仏交流会になりました。

私の隣に座っていたアランというおじさんはペルピニャンで不動産屋をやっている陽気な方でした。そこへ向こうの方の席に座っていた幼なじみのみっちゃんがお茶を注ぎにやってきました。

私はみっちゃんをアランに紹介してこう言いました。「中学生時代、14歳の彼女がいかに美しかったことか!」と。アランは間髪入れず言いました。「それは去年のことに違いない!」還暦をとうに過ぎた我々には過分なお言葉ですが、心の中だけは14,5歳のままです。

美しい初夏の午後、野村小三郎を通して遙かな異国の人間が遙かな歳月を超えて悠久の庭園で集うことができました。メルシー・ボークー。