2016年12月11日日曜日

怠惰で放縦な日々

怠惰で放縦な日々
季節は晩秋から冬に変わろうとしています。四季折々どの瞬間も捨てがたい魅力にあふれた日本ですが、私はとりわけ黄金に染まる晩秋の田舎生活が大好きです。
サツマイモに続いて秋植えのジャガイモ、サトイモ、ショウガ、大根、水菜、ネギ、ワケギ、甘柿、渋柿など次々と収穫の時期を迎えています。こうしたベーシックな野菜や果物が庭先にあれば、あとは米、肉、魚、乳製品、調味料などを買ってくるだけで、ささやかな年金収入しかなくとも糊口を凌いでいけそうです。
両親が亡くなって以来、郵便や宅配便が来る以外来客もなく、来る日も来る日も、12匹の猫とともに24時間をきままに過ごして退屈することがありません。人生も終盤に近づいてきた今、もはや何かを努力して身につけようなどという強迫観念に襲われることもありません。
朝が来る。目が覚めるとまずスマホでニュースと昨夜のニューヨーク・ダウとシカゴ日経先物市場の成り行きをチェックし、9時に開く東京市場の動向を予想します。株は20代のころからずっとやってきていますが、トータルでは大損していると思います。たぶん死ぬまで失ったお金を取り戻すことはないでしょう。例え儲かっても使い道などないのになぜこんな危険なものを老後生活の中心に据えているかといえば、自分でもよく分かりません。おそらく中毒、依存症というのが一番近いのかも知れませんが、それでも“自分はリアルな世界と今この瞬間直接つながっている”という手応え感の魔力にはなかなか抵抗できません。
市場が午後3時に終わると喫茶店に行き休憩。喫茶店のマドモアゼルや幼なじみのメロン栽培家コウグチ君夫妻と歓談。また家に帰って猫に餌をやったり掃除して、夕食。それから深夜までDVD鑑賞タイムです。DVDで見た作品もデジタルリマスター、ブルーレイ版が発売されるとまた買い直しては繰り返し見ます。

最近見たのは「愛人 ラマン」。仏領インドシナ、サイゴンを舞台に15歳のフランス人少女と中国青年の秘められた愛の物語、それは原作者デュラスの自伝でもあるのですが、全体を覆う怠惰で放縦な雰囲気に激しく心を揺さぶられます。それに私世代のおじさんは[無修正版]という売り文句に少年時代のように心ときめくのです。一見の価値ありです。

2016年11月23日水曜日

毎夜夢枕に立つ父

先日上海に2晩滞在したときのことです。両親とも逝ってしまった今となっては何の気兼ねも気掛かりもなく旅先のホテルのベッドに潜り込みました。父が亡くなってはや2年、父のことを思い出すことも次第に減り、夢の中に今まで一度も出てきたことがなかった父が、その晩なぜか異国の上海で、長々としかも繰り返し、それこそ夢とは思えないようなリアルさで私に会いにきました。
(夢の中)病院から電話があり、「たまにはお父さんを見舞ってください」と言われびっくり仰天。あわてて着替えのパジャマやタオルを抱えて病室に行ってみると父が食事をしていました。「あれっ? お父さん、生きていたの!もう会えないと思っていたのに、よかった、よかった!」。そして目が覚めました。
父は生きている!? いやそんなはずはない、やはり2年前に亡くなっている、変な夢を見たものだ、と思ってまた寝ました。すると夢の続きが始まりました。舞台は病院ではなく我が家。若い女性が4,5人家に遊びにきていて私が彼女たちの応対をしていると父が台所から呼びます。行ってみると父はマンゴーのシロップ漬けが入っている大きな缶詰をどんどん開けては皿に移しています。彼女達を歓迎するためにいそいそと動き回っては楽しそうにしている父の姿。それは晩年の病弱な父ではなくまだ元気だったころの父でした。帰国後も毎夜夢枕に立ちます。
そういえば父は昔から私が友人を連れてくることをことのほか喜んでくれました。カナダの親戚がきたときも、私がイギリス人やフランス人のお客を連れてきたときも父が一番喜んで話に割り込んできました。「ちょっと、ワシの言うことを通訳してくれ」と言ってはつまらないこと(私にはそう思えた)を言い出すのに閉口したものです。
親子の関係とは不思議なものです。私は長年この父が苦手でした。父と子の対立は文学でも主要テーマになっているぐらい普遍的なものですが、私も父の存在、行動、強引なところ、臆病なところ……すべてがいやでした。ところが父が亡くなる数年前からそうしたわだかまりが消えました。

今さらながら我が人生最良の友を永遠に失ってしまったことに愕然とします。でもまたこうして夢の中とはいえ親子の楽しい交流が始まりました。お父さん、ありがとう。

2016年11月17日木曜日

相変わらずの中国式接客サービス

1年ぶりに上海に行ってみました。高松空港から春秋航空を利用したのですが、高松駅で空港行きのバスに乗った瞬間そこはすでに中国でした。中国人の観光スタイルも以前の送迎付き団体旅行から個人主体の旅行に切り替わっているようです。
見れば乗客の8割方は中国人旅行者でバスの車内は騒然。前の方の席に座った人と後ろの方に座った人がどなりあいのような会話を始めます。話の内容を他人に聞かれることに無頓着な点が日本人と大違いです。私の横に座っていた日本人のおじさんがしきりに「うるさい」を連発するのですが、そこはいかにも日本人。つぶやくような声でいくら抗議しても通じるはずがありません。
空港バスの中だけでもうんざり、なんだか希望のない旅立ちです。今からの3日間をギスギスした人々であふれかえる上海で私も旅行者なりに生存競争に勝っていかないといけないと思うと心が萎えます。年を取ってきたせいかよその国のいいところより不快なところばかりが気になるようになりました。
豫園(よえん)は上海随一の観光スポットですが庭園としては今一、むしろ周囲に広がる豫園商城の規模とにぎわいの方にだれもが圧倒されるでしょう。庭園見物もそこそこに名物の小籠包を立ち食いしようと、とある店に寄りました。「お代は前払い」と書いてあります。ところがレジのおばちゃんは接客の仕事そっちのけでスマホに夢中です。声をかけても無視するので、50元のお札でおばちゃんの視線をさえぎったら、私をにらみつけレシートとお釣りの30元を投げて返しました。
庶民的な場所だけでなく、空港やホテルの対応も似たり寄ったり。帰りの空港チェックインカウンターでは、長い順番待ちの果てにようやくたどり着いた私の目の前で服務員はスマホでメールを打っていました。
それでも若者が経営しているカフェや個人経営の店などに入ると日本とほぼ同様の接客をしています。要するに雇われて働いている労働者にとって“サービス”などという概念は理解を超えているのでしょう。そんなことに気を使っても1元も給金が増えるわけではないですから。

日本ではモンスター消費者対策もあってますます過剰な接客サービスに従業員が疲れていないでしょうか。たまには中国式もいかがでしょう?

NHKはテレビ放送にスクランブルを

かねてよりNHKと全世帯数の3割近くの世帯との間に“払え、払わない”のバトルがあります。特にここ数年NHKは態度をいっそう硬化させ、あらゆる手を使って契約させる作戦に出、また契約があっても払わない人は裁判に訴えるという強硬手段まで取っています。
 いくつかの裁判ではNHKの主張が退けられ、いわゆる常識というか市民感覚に沿った判決も出ています。たとえばテレビは持ってなくてもワンセグ携帯があればNHKと契約する義務があるかどうかが争われた裁判では「契約の義務はない」という判決が今年8月さいたま地裁から出されました。「携帯電話は放送法でいう受信設備の設置には当たらない、つまり設置ではなく携帯しただけ」というのが判決理由です。
  レオパレス入居者に対する視聴料課金裁判でもNHKは敗訴しました(2016.10)。簡単に言うと、部屋にテレビがもともと設置されているアパートに入居した人には契約(支払い)義務はないという判決です。「放送法は『受信設備を設置した者は契約をしなければならない』と定めているが、男性は該当せず、契約は無効だ」と指摘した東京地裁の裁判長の判断はごく当たり前のことです。もしNHKの主張が通るのなら逆にNHKは全国のホテル客室に設置されたテレビの受信契約をいっせいに解約するつもりなのでしょうか?
 地裁、高裁レベルではいろんな判決が出ていますが、ついに今月初め、受信設備の設置者に受信契約を義務付けた放送法は契約の自由を保証する憲法に反するのではないかという根本的な争点が最高裁大法廷で審理されることが決定されました。放送法が違憲か合憲かによってNHKのあり方が大きく変わることは確かです。
 私は受信料の問題に関しては多くの視聴者が主張するように、NHKは放送にスクランブルをかけるべきだと思います。そのことによって契約が激減することをNHKは恐れていますが、今の脅迫まがいの早朝夜間の戸別訪問や不毛な法廷争いによるイメージダウンの方がNHKにとってよほどダメージ大だと思います。

 NHK会長は月額わずか50円の値下げを考えています。しかしその前に平均年収1150万円というおよそ国民を舐めきった給与水準こそ真っ先に大幅カットすべきではないでしょうか?

2016年11月3日木曜日

安納芋(あんのういも)

NHKの朝ドラはときに失敗作がありますがおおむね高視聴率を取っているようです。たいていのお話は秀でた才能をもって生まれた女の子が順風満帆な人生のうちに、あるいはいじめや貧困、逆境にも負けず、戦争など幾多の困難を乗り越えて才能を開花させていくサクセスストーリーになっています。
 ドラマの主人公の女性たちは必ずといっていいほど第二次大戦後の食糧難の時代に遭遇し、米や芋を求めて農村に買い出しに行きます。しかし、そんなに苦労して手に入れたサツマイモは果たしておいしかったのでしょうか? おそらく超不味い代物だったはずです。慢性的な飢餓状態にあったからこそありがたく高級着物などと交換してでも手に入れざるを得なかったのでしょう。
 というのも食料増産のかけ声の元栽培されていたサツマイモは質より量で、本当にまずい品種しか作られていませんでした。子どものころ近所の農家がフットボール大のサツマイモを収穫するところを見てひとつもらって帰って食べようとしたことがあります。煮ても焼いても食えないとはまさにこのことでした。
 時代は変わり、野菜や果物がどんどん美味しくなりました。「美味しい」が意味するのは「甘い」とほぼ同義で要するに食べ物が何もかも甘くなってきたのですが、とりわけサツマイモの甘さには驚かされます。
 なかでも数年前に登場した鹿児島県種子島原産という安納芋の焼き芋は別格のおいしさを誇っています。今では5月ごろホームセンターで安納芋の苗まで売り出されています。凝り性の私は苗そのものも自分で作って6月に植え、つい最近1株堀り上げてみました。大成功です。大きなイモがごろごろ出てきました。
 苗をどうやって作ったかというと、昨年晩秋スーパーで買った安納芋を母の寝室にあるタンスの上に置いたまま一冬越させたのです。寝たきりの母の部屋は年中室温を24,5度に保っていたのでイモも腐らず春を迎えました。初夏にイモを畑に移してやったらどんどんイモヅルを伸ばし始め、それを切り取っては畑に定植し、大豊作の晩秋を迎えました。

 8月末、母は97年の長い生涯を終えましたが、母の寝室で命を繋いだ安納芋には冬をこの暖かい部屋で越させてやろうと思います。もちろん大半は私の胃の中に消えますが。

2016年10月31日月曜日

京都御所、京都迎賓館参観記


秋晴れの一日、京都まで日帰り旅行をしました。最近通年一般公開が始まった京都御所と京都迎賓館を訪ねてみるのが旅の目的でした。
京都御所といってもいったいどんな場所なのかぴんとこないまま内裏の中に入ってみるとそこは源氏物語の世界でした。物語に出てくる紫宸殿、清涼殿などが千年の時を経て現存していることに驚嘆の思いがしました。もっとも建物そのものは何度も焼失と再建を繰り返し、現在の建物のほとんどは安政2年(1855)に再建されたものです。(参観は無料)
歴史的また文学的背景はともかく、万世一系の天皇制の長い歴史の中心地であった京都御所ですが、参観してみて感じたのはヨーロッパ諸国の宮殿や日本の城郭と比較しても驚くほど“質素”な宮殿であることです。外敵の侵入を防ぐために何重にも堀を巡らした城塞の建築様式に比べると御所の守りは簡素な土塀で囲われているだけです。
不思議です。火消しが使うような梯子をかければ何の苦もなく侵入できそうな御所なのに長い歴史の中でそういう不敬な事件は起きなかったことが!(実際はいろいろあったと思いますが)。つまりは権力や武力ではなく天皇の権威による守りをそこに見てとれるということでしょう。
東京の赤坂迎賓館に対し和風の施設で賓客を迎えるために2005年4月にオープンしたのが京都迎賓館です。同じ京都御苑内、御所のすぐ隣に位置しています。この夏から当日参観も可能になりました。空港並のセキュリティーチェックを受け、参観料大人1500円を払い、ガイドさんの案内に従って建物内部を見学します。
贅をつくしたインテリアと家具調度、庭園を拝見しつつも何か居心地の悪さを感じました。和風ではあっても日本建築特有の開けっ放しの気楽さは微塵もありません。
鴨居や障子の高さが外国人賓客に合わせて2メートルもあることからくるアンバランスさ。舟遊びもできる池を配した中庭はあっても建物の外側に向かって開口部(窓)がありません。こうした設計はセキュリティ上の制約から仕方なかったのかもしれませんが、これではなんだか高級座敷牢です。京都御所の開放感とはえらい違いです。

もし私が賓客なら、会議や宴会が終わったら、あとはゆっくり市内のホテルで休ませてもらいます。

どうでも釜飯

親戚のゆみちゃん、といっても50代の女性ですが、カナダのトロントからリサという日系3世のおばちゃまが来日するので通訳してくれないかと頼まれました。
ゆみちゃんの祖母とリサの祖母が姉妹だったらしく、今でも一族の墓所がある倉敷近辺に親類縁者がおおぜい暮らしています。46年ぶりに先祖ゆかりの土地を訪れたリサの大歓迎行事に通訳として私も駆り出されたというわけです。
歓迎する側としては日本食でもてなすのが一番と考えるのはごく自然なことです。リサ到着早々和食レストランで昼食。エネルギーと好奇心の固まりのリサは早口英語でいかにカナダの日本食がひどいか、値段が高いばかりでちっともおいしくない、経営者もコックも中国人や韓国人ばかりで本物とは味が全然違う……とまくしたてます。
私は“通訳”と名乗れるほど英語が分かるわけではなく、まあまあ日常会話なら意志疎通に事欠かない程度の理解力。しかしリサのマシンガントークをよく聞いていると「この料理はなにもかもトロントの偽物日本食とは比べものにならない」レベルの話を繰り返し言っていることに気づき、通訳する人が困るような複雑で込み入った内容ではなかったので何とか大役を乗り切れました。
翌日の昼食はちらし寿司、そして歓迎行事の最後はまたも和食レストランにて釜飯御膳が用意されていました。店の女将が飲み物の注文にきました。「お茶は温かいのと冷たいの、どうなさいます?」と聞くので私は釜飯御膳を前にしてつい口が滑りました。「そんなことどうでも釜飯」。座敷に冷たい空気が流れたのは仕方ありません。女将もつっ立ったままにこりともしません。
「おかみさん、あなたも客商売だからお愛想でもいいから反応してくれたら?」。女将「お客さん、私ら“どうでもかまめし”とアナゴを出したとき“あっ、オナゴが来た!”と言うのをいつも聞かされているので笑う気にもなれません」と、それでも少しだけ愛想笑いしながら奥の方へ消えていきました。

リサは土瓶蒸しに興味津々で、いましがた起きたお寒い事件について私に説明を求めなかったのは幸いでした。英語で説明しろと言われてもそれこそ「そんなことどうでも釜飯」としか答えられませんから。

2016年10月13日木曜日

ひがみ根性

自分自身の性格を分析してみるとかなりひがみっぽいと思います。でもすねてひがむのはけっこう楽しいし、この先年を取るとますますひがみっぽくなりそうな予感がします。
10月初め母の四十九日の法要があり東京で暮らしている甥っ子が帰省してきました。今年5月父の3回忌のときにも岡山に帰ってきて「生まれて初めて彼女ができて結婚を考えている」と、私に語り始めました。
「彼女は自分の姓を変えたくないと言っているがぼくが氏を捨ててもいい?叔父ちゃんどう思う?」などと言う。「江戸時代じゃあるまいし、そんなことにこだわるな、それよりその彼女を失ったら2度とチャンスはないからがんばれ!」と励ましてやりました。
それから半年。母の法要の席で甥が私に話しかけてきました。来年早々東京で結婚式を挙げることになった、苗字の件についても彼女が折れたそうです。でかした!我が甥っ子よ。叔父さんもうれしいよ。
披露宴は明治記念館の「金鶏の間」の予約がとれたと何やら誇らしげ。聞けばそこは明治憲法草案の御前会議に当てられた部屋だとか。それなら私も久しぶりに上京し、祝儀もはずんでやろうと思ったらいきなりの冷や水です。「限られた人数しか入れないし、叔父さんをお呼びすることはできない」と。「くそッ、そう来たか。子どものころはかわいがってカナダに2回、ヨーロッパにも連れていってやったのに……」
さっそくネットでその由緒正しい「金鶏の間」とやらを調べたら88人も入るではないか!叔父さんは89番目以下の存在か!まったく腹が立つ。それなら当日宴会場の受付に押しかけてのし袋をたたきつけてきてやろうかと悶々とし、2,3日精神安定剤が手放せませんでした。
素直な甥っ子がそんな意地悪を思いつくはずがない。ははーん、犯人は甥の両親(私の兄夫婦)に決まっている。いやいや、甥もフィアンセも官僚の端くれだけあって祖父母(私の両親)の法事をもって冷徹にも叔父さんを切り捨てたのかもしれない。独り身の叔父の老後なんかだれが見るか! --- と、まあこのように想像してしまうのも私のひがみ根性のなせるわざでしょうか?

私は最近書き始めたエンディングノートの相続人の欄から甥の名前をそっと消しました。

2016年10月5日水曜日

大阪、京都への旅


 1泊2日で大阪に行ってきました。昔公務員時代に27年間住んでいたころは大阪という個性の強い街に特別な感情もなく、日々の生活に追われて暮らしていたのですが、長い介護生活が終わって10数年ぶりに訪れた大阪は泣き出したくなるほどしっとり、しっくりくる街でした。
 もちろん介護生活の最中でも時々は親を病院で預かってもらって大阪に行くことはあったのですが、介護をさぼっているという後ろめたさが頭の片隅に常にあって、用事だけ済ませてはせきたてられるように岡山に帰ってきたものです。
 でも今は気分が違います。最終列車に乗り遅れたら適当にビジネスホテルに泊まってゆっくりすればいい、ついでに京都に寄ってもいい……と思えば昔よく時間を過ごした喫茶店やバーを心ゆくまでハシゴできます。
 まずは梅田のお初天神境内横にある蕎麦屋、「瓢亭」で夕霧そばを。せいろで蒸したユズ切りのあつあつそばをやけどしそうなくらい熱い出汁につけて食べる快楽!そばを食べるまえに冷酒に板わさ、ニシンの甘露煮は外せない。もう先代のおばちゃんはとっくに亡くなったみたいだけど今のおかみさんの気遣いのやさしさにも涙腺が緩みます。
 中之島の国立国際美術館で開催中の「始皇帝と大兵馬俑」展を足早に見て、千日前の「丸福珈琲店」に直行。昭和9年創業らしく、私が大阪で働き始めたころすでに老舗の雰囲気がありました。ブレンドに角砂糖2個とミルクを入れたコーヒーの濃さと深い味わいは今も昔も私にとっては世界一。丸福珈琲は今では日本各地に支店を出しているけれどコテコテ・ナニワのど真ん中の本店の味は余所では出せません。
 コーヒーの後は法善寺横町の水掛不動さんの顔めがけて手押しポンプで汲みたての水をかけます。そして「238」(ふみや)というひっそり目立たないバーへ。ここも代替わりしているけれど、マスターのおっちゃんもおばちゃんも優しい。キャベツとベーコン炒めをリクエスト。また泣けてくる。大阪の人はどうしてこんなにやさしいの?
 翌日は京阪電車で京都四条へ。お目当ては高瀬川沿いの「フランソワ喫茶室」。喫茶店の建物が国の登録有形文化財だなんて忘れていい。ひたすら居心地のいい喫茶店です。ああもう紙面が尽きてしまいました。

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YouTubeで浪速ド演歌をどうぞ!
浪花恋しぐれ 都はるみ・岡千秋

「浪花恋しぐれ」では作曲家の岡千秋自身が男性パートを歌っています。発音、イントネーション、母音と子音の融合、大阪人ではない私にはそれがきっすいの浪速言葉かどうかは分かりません。
岡千秋は岡山県日生(ひなせ)生まれ、大阪弁を習得するのに苦労したようです。都はるみは京都生まれです。でも二人とも大阪生まれの人以上に大阪の雰囲気を出していると思います。

(男・セリフ)
そりゃわいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす
せやかて それもこれも みんな芸のためや
今にみてみい!わいは日本一になったるんや
日本一やで わかってるやろ お浜
なんやそのしんき臭い顔は 酒や!酒や!
酒買うてこい!

(女・セリフ)
好きおうて一緒になった仲やない
あんた遊びなはれ 酒も飲みなはれ
あんたが日本一の落語家(はなしか)になるためやったら
うちはどんな苦労にも耐えてみせます



不気味な殺人事件とその背景

神奈川県で立て続けに背筋が寒くなるような殺人事件が発生しています。川崎の老人ホームでお年寄り3人がベランダから地面に投げ落とされた殺人事件(201511)を皮切りに、本年7月末には相模原市で障害者施設の元職員だった男が深夜施設に忍び込み無抵抗の入所者を刃物で次々と虐殺していくという戦後最悪の凶悪事件が発生しました。
その動揺が収まらないうちに今度は多くの老人を預かる横浜の病院で多数の患者が異物を点滴されて殺害されるという信じがたい事件が起きました。この病院では夏だけで50人もの患者が亡くなっていて一連の事件がどこまで拡大するのか本当に不気味な展開をたどっています。
これら3つの事件に共通していることはいずれも無抵抗の老人や障害者が犯罪の標的にされていることです。犯人の動機は様々かもしれませんが、共通した根っことして“社会にとって役に立たない存在は抹殺すべし”という恐ろしく傲慢で思い上がった思想があるように思われます。実際に相模原事件の犯人は、ヒトラーにでもなったつもりなのか、英雄気取りで自分の行為をツィッターにリアルタイムで書き記していたといいます。
さらに恐ろしいことには、こうしたある種、確信犯の動機に賛同するかのような意見をネットに書き込む輩が多数いることです。元東京都知事の石原慎太郎も知事に就任してまもなく障害者施設を訪問した際に、「ああいう人ってのは人格があるのかね」、「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」などと発言したとか。
こうした“優生思想”は急に出てきたのではなく昔からありました。ライ病に対する人権無視政策はライ病の特効薬ができて感染の恐れがほぼゼロの状態になってからも何十年も続けられました。いわば社会の制度として優生学が君臨してきたところに前述の勘違い犯人達を超えた恐ろしさがあります。今回の猟奇的な事件の表面を見るだけではなく、我々は社会制度のなかに優生学のようなものが忍び込むことを常に警戒しなければ、と思います。

不況が長引き世の中がすさんでくると勘違い不満分子の怒りはより貧しい人、弱者、病人、老人に向かいます。非常にまずい時代に突入していることは疑いようがありません。

2016年9月20日火曜日

岡山空港国際線ターミナル

7月に岡山と台湾の間に待望のLCC(格安航空)直行便が開設されました。8月末に長年の親の介護が終わったのを機に、9月になって早々、このLCC、タイガーエアーに搭乗し台北に3泊してみました。
 出発予定の3日前にタイガーエアーのホームページから予約をしたのですが、片道1万円ちょっとの席が取れました。搭乗機内は往復とも満席でさい先よい出発です。地元岡山から気軽に海外へ飛ぶことができるのはほんとうにありがたいことで、路線開設に尽力された知事はじめ関係の皆様には謝意を表します。
 それにしても岡山空港の国際線ターミナルは何とかならないものでしょうか?小さな空港なので関空などに比べチェックインが手早くできるのかというと正反対。少ない数の国際線発着のために多くの人員を配置するわけにいかないのでしょう。セキュリティ・チェックを通り抜けるのに相当時間がかかります。
 帰国時の税関チェックも時間がかかります。税関職員は閑を持て余していて私のような軽装個人旅行者には特に執拗にあれこれ聞いてきます。税関への申告は申告書を提出する方式を義務づけているくせに申告書に記載した項目についていちいち口頭でも質問を繰り返してくる意味が分かりません。「荷物はこれだけですか? 別送品はありませんか?」、「職業は?」、「酒、たばこはもっていませんか?」。
 きげんよく帰国しても税関職員のしつこい質問にだんだんいらだってきます。「申告書に書いた通りです」、「さあ、観光旅行とも仕事ともはっきりしませんが……」、「強いていえば取材です」。「何を取材したのですか?」、「 そんなことあなたに説明する必要ありますか?」
 これだけでも10分ぐらい経過した感じがするのですが、いっぱい質問したあげくに「ちょっとリュックを開けてもらってもいいですか?」ときます。疑ってかかっているのなら最初からすべての手荷物を開けさせて調べれば済むことなのに……「神戸税関長に訴えてやる!」いつも最後はこの言葉で終わります。

 過去にも高松空港で毎度毎度バトルを繰り返していたら最近ではかなりスムーズに通してくれるようになりました。そのうち岡山空港税関でも「あのおっさんにはかかわるな」という日がくるのでしょうか。 

遺稿整理

2001年4月に始まった長い介護生活がついに終わりました。大阪での公務員生活を53歳で断念し介護に専念した期間がまる15年、それ以前も週末ごとに岡山に帰っては親の生活を助け、通院に付き添う日々が数年ありました。結局私は40代の終わりから70に手が届きそうな今日までずっと親に関わって生きてきたことになります。
そんなにも長期間を両親と過ごしたにも関わらず、私が物心つく前の両親がどこで何をし、何を思って若き日々を過ごしていたのかについては、本当におぼろげながらにしか分かりません。2年前に父が96歳でなくなり、先日母も97歳でこの世を去り、いよいよ両親が遺したものを整理しなくてはならなくなりました。今それをしてあげなかったら永久にできない気がします。
親が着ていたパジャマでさえ簡単に捨てる気にならないのですが、逆にこれだけはどうしてもきちんと残してあげたいものがあります。それは母がまだ独身だったころのエッセイや日記の類です。父も晩年にいたるまで村の歴史や思い出などを書き連ね、また独創的な詩を残しています。父はワープロで文集を作成し、簡易製本していたので、母の手書きの書き物を整理するのよりは楽です。
両親についておおよそ分かっていることは、2人とも岡山師範学校(男子、女子)を卒業し、笠岡沖の北木島小学校に赴任していたとき出会い、後に結婚、兄と私の2人の子どもを生んだということです。
しかし、昭和10年代から敗戦まで、日本の激動期に成人になった世代に属する両親の青春時代は波瀾万丈で一筋縄ではいきません。まずは両親の経歴、履歴を把握するところから手を着けなければなりません。
とりわけ知的好奇心のかたまりだった母は北木島にいたかと思えば東京の学校で教えながら、帝大(東大)の夜間クラスに顔を出して著名な学者の講義を聴いたり、戦時下の日本でも激しく文学や芸術に対する情熱を燃やしていたようです。

とりあえずは母の手書きの日記を活字にすることから遺稿整理を始めようと思います。若き日の母がどこで何を考え、何に苦しんでいたかを知ることはとりもなおさず、この先私が私に残された日々をいかに生き、何をなすべきか、よき道しるべになってくれるような気がします。

2016年9月2日金曜日

岡山県庁最後のミュージックサイレン(2016.8.31) 

夏の終わり: 風は涼しこの夕べ

県庁のミュージックサイレンに関し筆者がNHKからインタビューを受けた話を前回ご紹介しました。オンエアされた映像は約7分にまとめられており、私自身の露出時間が大半を占めていました。なんだかミュージックサイレンの話より私の介護人生の方により焦点が当たっているような印象さえあり少々面はゆい。
オンエアに引き続いていろんなことがありました。20年以上介護をしてきた最愛の母は放送のわずか2日後、自宅で私と孫娘に手をとられて静かに息を引き取りました。
家族と親族だけで小さな葬式を執り行いましたが、話題の中心はもちろんNHK岡山の「もぎたて!」に出演したことです。「どういういきさつでテレビに出たの?」というのがみなさん共通の疑問。私は「岡山を代表する文化人をNHKが見逃すはずがないじゃないか!」などとみんなをからかってやりました。
しかし本当は長年介護してきた母が、天寿に近かったとはいえここ1ヶ月次第に衰えていくのを一人で見守るのはとてもつらいことだったのです。老い、病、近づく死の影に支配された暗い家。そこに若さ、知性、快活さ、優しさ……要するに死の対極にあるものをひとりの若者がテレビカメラとともに持ち込んだのです。私のような老境に差し掛かった人のひとりよがりの話にもじっくり耳を傾けてくれ、何日もかけ、長時間かけ私の意識の中心部にまで迫るビデオ映像を切り出してくれたカメラマン氏。このS君の存在は大きな救いであり、また収録につきあうことはいい気晴らしになりました。
オンエアされた映像は母へのすばらしいはなむけになり息子としては最良の形で母を見送ることができました。もし取材の申し込みがこのS君でなかったら瀕死の母の寝室にまでテレビカメラを持ち込むことなど決して同意しなかったと思います。そのように思います。
8月31日、いよいよミュージックサイレンの最終奏鳴のときが近づきました。私は「家路」の歌詞を手書きで紙に写し、コンビニで20枚コピーを取り、県立図書館前に集まったサイレンを惜しむ方々にお配りしました。

作曲:アントニン・ドヴォルザーク
遠き山に日は落ちて(家路)
作詞:堀内敬三

遠き山に日は落ちて
星は空をちりばめぬ
きょうのわざをなし終えて
心軽く安らえば
風は涼しこの夕べ
いざや楽しきまどいせん
まどいせん

やみに燃えしかがり火は
炎今は鎮まりて
眠れ安くいこえよと
さそうごとく消えゆけば
安き御手に守られて
いざや楽しき夢を見ん
夢を見ん

******************


家路
   作詞:野上彰

響きわたる鐘の音に
小屋に帰る羊たち
夕日落ちたふるさとの
道に立てばなつかしく
ひとつひとつ思い出の
草よ花よ過ぎし日よ
過ぎし日よ

やがて夜の訪れに
星のかげも見えそめた
草の露にぬれながら
つえをついて辿るのは
年を老いて待ちわびる
森の中の母の家
母の家

県立図書館前で配った歌詞はこの二つの日本語訳を一枚のA4用紙に両面コピーしたものです。年齢によってどちらの歌詞を習ったか、両方に対応できるように工夫しました。
どちらの歌詞もそれぞれいいところがあります。今の私の心境では野上彰(1909-1967)の方かな。

みんなといっしょに「家路」を口ずさみながら岡山県庁のミュージックサイレンに最後の別れを告げました。

夏は終わり、なつかしい秋の風が吹き始めました。

***   ***   ***   ***   ***

岡山のKSB放送が最後の演奏の様子をYouTubeにアップしています。最後のシーンで何人かの人が持っている歌詞(A4用紙)は私が配布したものです。私自身の姿も、歌詞を配っているシーンが、終了直前、少年の背後にちらっと写っています。(初老の太ったおっさん)
https://www.youtube.com/watch?v=GPjprMPbRuI

8月31日最後の「家路」の音声が美しい投稿はこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=jXMvy8m8Ox8


(参考 英語のオリジナル歌詞)

Going home (Antonin Leopold Dvorak 1893/ William Arms Fisher 1922)

Going home, going home
I'm just going home Quiet-like, slip away I'll be going home. It's not far, just close by Jesus is the Door Work all done, laid aside Fear and grief no more. Friends are there, waiting now He is waiting too See His smile, See His hand He will lead me through. Morning Star lights the way Restless dream all done Shadows gone, break of day Life has just begun. Every tear wiped away Pain and sickness gone Wide awake there with Him Peace goes on and on. Going home, going home I'll be going home See the light See the sun I'm just going home.

さようならミュージックサイレン

 戦後の岡山市民に憩いと郷愁のメロディーを正午と夕刻に届けてくれていた県庁のミュージックサイレンがこの8月末日をもっていよいよ終了することになりました。
 県庁のミュージックサイレンについて私はこのコラムに以前(2012)思いを綴ったことがあります。その当時はまさかサイレンが廃止になるなんて考えもしなかったのですが、いよいよ最後の月を迎えて、かつての記事が地元NHKの方の目に留まり、「ミュージックサイレンに対する思いを語ってください」との趣旨でインタビューを受けました。
 最初にメールで申し出を受けたときは気が重くなりました。こうみえてもアガリ症だし、カメラの前ではきっとしどろもどろでしかしゃべられません。それにコンタクトを取ってきた人はエリート臭漂うNHKのベテラン記者に決まってる!などと勝手におそれをなしていたのです。
 ところが打ち合わせにやってきたのはまだ大学を出たての新人カメラマン氏で実にさわやか、フレッシュ。長年大学図書館で働いてきた私はこの年代の若者相手におしゃべりするのは得意分野なのです。
 撮影は半日がかりでした。最初は自宅座敷でテレビカメラに向かってのインタビュー。子ども時代、ミュージックサイレンを聞いていたころの思い出やエピソードを求められました。カメラマン氏が期待していたのはきっと絵写りのいい話。例えば「初恋の人と放課後、東山公園でメロンパンをかじりながら“家路”をよく聴いていたものでした」とか。
しかし不幸にして私にはそんな経験はなく「とにかく心に沁み入るいい曲でした」みたいな情緒的な言葉しか出てきません。でも捏造は御法度。ありのままの私を写してくれました。続いて母を介護しているシーンを撮ったあと、県庁前の県立図書館に撮影場所を変えて読書シーンなど収録しながら5時の“家路”が始まるのを待ちました。
サイレンの地鳴りのような響きに合わせ、私は図書館入口の柱にもたれかかりながら陶然とした面もちで“遠き山に日は落ちて”と口ずさむ。こうしてクライマックスシーンを撮り終え、長い半日が終わりました。

戦後70年の歳月を岡山で父と過ごした母はまもなく長い一生を閉じようとしています。サイレンも終わりですが絶妙のタイミングで親子の映像が残ったことに幸せを感じます。

Rio2016

 リオ・オリンピックは日本人選手団が大活躍し、私もついライブ中継につきあってしまい連日昼夜逆転生活です。オリンピックが始まる前は、会場建設や都市インフラの整備が間に合わないのではないかとやきもきさせられましたが、今や大変な盛り上がりです。このままテロなどなく無事に東京に引き継いでもらいたいものです。
 リオ大会をテレビ観戦していて気づいたことがいくつかありますので思いつくままに列記してみます。
1.いままでの日本人選手はおおむね古来からの大和顔をしていたものですが、柔道のベイカー茉秋、陸上短距離のケンブリッジ飛鳥をはじめ、ラグビーなどガタイのよさがものをいう種目でもハーフや外国生まれの選手が大活躍。彼らは身体能力が高いだけでなくルックスも抜群で、今後ますます存在感を増すでしょう。
 オリンピックのような国際的な競技大会ではナショナリズムの気分がいやでも高揚し、どの選手も“国を背負う”覚悟で出場していますが、応援する側としてはあまり国籍や人種に拘泥しないで、選手それぞれ個々の技や能力こそ褒め称えるべきと思います。金メダル級の選手が掃いて捨てるほどいる中国の卓球界では中国代表になれないと判断した選手はシンガポールやドイツに移住して出場していますが、選手にしてみれば当然の話で、国籍を問わず技能を競ってもらいたいものです。
2.銅メダル。柔道で銅メダル“しか”とれなかった選手は判で押したようにカメラの前で悔し涙を流しながらお決まりの“東京ではもっといい色のメダルを取る”と発言していました。選手たちの素直な気持ちに違いないでしょうが、実力どおりの結果を素直に喜んでいいと思います。第一“銅などメダルのうちに入らない”という態度はほかの種目の銅メダリストたちに失礼。

3.卓球とバドミントン。以前この2種目は中国の独壇場の観があり日本人がメダルを取るのはほとんど不可能と思われていたのが、今回は男女ともメダルが取れました。福原愛ちゃんがいつのまにか大ベテランになってチームをひっぱりメダルを取りました。勝利の瞬間、ベテランの愛ちゃんが涙でくしゃくしゃなのに15歳の選手はさばさばしていました。若いってすばらしい。体操の白井もまだ19歳。東京2020がますます楽しみです。

2016年8月14日日曜日

女性リーダーの時代

7月は参議院選挙と東京都知事選が立て続けにありました。参院岡山選挙区でも無名の新人女性が同じく無名の男性2人を大きく離して当選しましたが、何と言っても世間の注目を引いたのは都知事選に所属政党が定める手順を無視して名乗りをあげ、都民から圧倒的な支持をかちえた小池百合子氏の存在でした。
都知事選は舛添前知事のあまりにせこい公私混同による辞任にともなう選挙で、最初は主要3候補とも争点がはっきりしなかったのですが、中盤から“都議会のドン”なるものの存在が大きくクローズアップされ、都議会との対決を標榜した小池さんの主張は都民の目をひきました。
これまで何十年もこのドンが知事をも尻に敷いて都政を思うままに牛耳ってきたというのですから驚きです。東京都以外の道府県議会、市町村議会でも似たり寄ったりの状況があるのではないでしょうか。このような戦果をもたらしたものはもちろん小池さんが、闇の深さも分からないまま勇気を出して“崖から飛び降りた”からにほかなりません。
このあたりになんだかんだといって権威と組織の序列に弱い男の政治家にはない度胸のよさを感じます。話を広げることになりますが、そもそも男の候補者たちが言っていることは抽象的でおおざっぱ、要は何をしたいのかしどろもどろではっきりしない(老ジャーナリスト候補)のに対して女性の主張は明解。何事においても女性が常に身近なことを具体的、実戦的に捉えるのはある意味、生物としての性の差に由来するのではないかという気がします。
テレビでサバンナのライオンの群の様子をよく見ますが、狩りをし、子育てをしているのは雌ライオンです。雄ライオンが何をしているかというと、もっぱら縄張りの管理(おしっこをまき散らす)と群の用心棒であり、ひまさえあればだれがドンであるか力比べをすることだけ。

協調性、生産性、緻密な計画性などすべての面で女性の方がほんとうは優れていることに日本も遅ればせながら気づいてきたのが昨今の政治状況ではないかと思います。それにしても東京オリンピックに向けて安倍総理は“女ヤジ将軍”こと丸川珠代氏を五輪相に任命し、小池都知事にぶつけてきましたが、品のかけらもないキャッツ・ファイトだけはよしてもらいたいと願います。

別格の果物、清水白桃

果物は太古の時代からいつでもどこでも、熱帯から極地にいたるまで人類からこよなく愛されてきた食べ物です。牛肉や豚肉のように民族によって宗教的な禁忌扱いを受けることもなく、その土地や気候に適した果物が食卓にのぼります。中でも日本は数多くの果物に恵まれ、とりわけ岡山は自他ともに果物王国の名をほしいままにしていますが、これは量より質において“岡山”がブランドになっているからでしょう。
その岡山を代表するのがマスカット・オブ・アレキサンドリアと清水白桃です。ほぼ春から晩秋まで出荷されるマスカットに比べ清水白桃は今でも7月下旬から8月上旬のわずかな期間しか出回りません。しかも本当においしいのは大きくふっくら色白に育ったものだけ。そんな最高級の桃はそれなりのお値段です。
吉備路にある山手農協の直売所では高いものは1箱1万4千円でした。生産者にしてみれば気難しく手のかかる清水白桃を育てるにはそれだけの価格になるのは当然のことだと推察されます。
皮肉なことに岡山に住んでいて毎年東京の知り合いに最高級の清水白桃をお中元に送っているのに肝心の送り主はどうも手が出ないのです。
ところが先日近所のスーパーで“訳あり”の清水白桃が5個入った箱が積み上げられていました。たったの1200円! 箱の中をみると東京の知り合いに送ったものと色といい形といい何ら遜色ありません。しかも5分の1のお値段。ただ生育途中に付いてしまった傷跡の斑点がところどころあるのが“訳あり”の訳なのでしょう、捨て値です。迷わず1箱買って帰りました。お味は?
どんな言葉で形容しても陳腐な表現になるのはいたしかたありません。しかしあえて言うと放縦というべき逸脱感。エロチックを超えてみだらな果物であります。最近数多く出回っている何々白桃の類が「どこか違う、何かもの足りない」と常に思わすのに対し、清水白桃はまさに別格。果物の王様にまちがいありません。

10年前、認知症が進行していた母に白桃を食べさせたら気管につまり救急搬送して命は取り留めましたが、それ以来私は桃がトラウマになって自分に対し桃を食べることを禁じていました。でももう時効です。母にも桃をジュースにして胃ろうから食べさせようと思います。

2016年7月24日日曜日

“介護殺人”NHKスペシャル


 「私は家族を殺した“介護殺人”当事者たちの告白」という副題がついたNHKの特番をたまたま深夜の再放送で見ました。私自身53歳で両親の介護のために長年勤めてきた大学図書館を辞め、以来すでに16年の歳月が流れました。2年前に父を送り、現在も引き続き寝たきりで認知症の母の介護に明け暮れる毎日です。
 当然要介護度5ですが、5は一番重いランクであっても本当につらく大変なのは要支援から介護度1,2あたりです。この時期はまだ体力があり、家族に暴言を吐き、暴行をふるう、徘徊する、長年暮らした自宅にいながら「家に帰りたい」と訴える、目を離したすきに転倒し救急車のお世話になる……想像を絶する緊張とストレス、不安に介護者は24時間さらされます。
 介護者は自分自身の行動と決断についてもこの時期悩みます。自分の人生、自分の老後のために働き続けなければいけない時に離職したことに対する後悔と葛藤は大きいものです。それに何と言ってもだれでも介護を始めた当初はズブの素人で、介護保険の仕組みやサービスの利用方法も全然分かりません。兄弟親族はというと?……近所に兄一家が住んでいるのに知らん顔。見かねて遠方に住んでいる自分が犠牲になっているという腹立たしさ、怒りの感情を自分の中に抱えたままの介護です。
 介護保険料も払ってきたし、それなりの制度もできている、兄弟姉妹に助けを求めようとすれば不承不承でも力を貸してくれるかもしれない。でも何もかもうまくいかない、どうにもならない、何も考えられない、もう死ぬしかない。こうして介護殺人が起きてしまいます。
 NHKの調べでは未遂も含め介護殺人は過去6年間で138件発生しているそうです。この数値を見ると、番組の悲惨さには暗澹たる気分になりますが、大多数の介護者は介護地獄を何とか乗り切っていることを示唆していないでしょうか。乗り切れた人と殺人犯として刑務所に入れられた人との差は本当に紙一重です。ほかの犯罪と違って介護殺人に再犯などありえません。

 刑を軽くすれば介護殺人を助長するという理由で一般的な殺人者と同じような扱いを彼らは甘んじて受けていますが、これはいかにも不公平不正義であり、法や社会が放置してはいけないことだと思います。

父が残した詩(部分)

キリギリス鳴く(岡澄雄 1917-2014)

キリギリス鳴く 炎天の叢の中 みつ よつ
相手をもとめて全身を震わせ震わせ鳴く
なぜ こうも必死に鳴く?
おまえに命をくれた神へのお礼か
おまえの相手を呼ぶためか
おまえの健康で完全無欠な躰の機能と美声はすばらしいぞ

おまえの親はこの美しい姿を見ることはない
おまえもまたわが子の美しい姿を見ることはない
でもいいじゃないか
二寸先だ母さん生き写しの彼女がきたぞ
彼女の燃える瞳に父さんが見えてるだろが
自由に旋回する触覚 宝石のような複眼 頑丈な顎 バランスのとれた
三対の脚 後脚がいい どんなスポーツ選手もおまえのにはかないは
しない。それに緑とセピアの上着がすばらしい

なんとなく秋の気配がするぞ 
愛する人は母さんに似とるぞ
横で鳴く彼は父さんに似とるからな
そうだ バトンタッチの朝までは
おまえたちのすばらしい遺伝子を残らずインプットしておけよ
妙なる声も忘れずにな

声高く鳴けよキリギリス 
キリギリス声高く鳴け

Grasshoppers
By Sumio Oka
 20, Aug 1994

Grasshoppers cry under the scorching sun in the meadow.
In search of mates, quivering, quivering.
Why do they cry so hard?
To thank god for life?
To call a better half?
How wonderful their healthy, perfect bodies and voices are!

Your parents will never see your beautiful body.
You will never see the beautiful figure of your children.
Good for them!
Here comes a girl who is the very image of your mother.
Does she see her father in you? Her eyes are flaming.
Feelers which turn freely, jewel-like, compound eyes, solid chin,
Three pairs of legs, well-balanced, no athlete is a match for your rear legs.
Your green-sepia garments look very well on you.

There’s a faint touch of autumn in the air.
Your beloved resembles your mother.
Your boyfriend, crying by you, resembles your father.
Until the morning when you pass the baton to your offspring.
Give all of your wonderful genes to them.
And don’t forget the exquisite tone of your voice.

Sing loudly, grasshoppers!
Grasshoppers, sing loudly!

(translated by Kojiro Oka, 7th July 2014)




My life :a wordplay by Sumio Oka

お さないときから気まぐれ人生
か ねにはとんと縁薄く
す み家は 雨漏り セメント瓦
み なりはいつもちぐはぐで
お そまつ人生たそがれだ、申し訳ないことばかり
[reality]
O sanai toki kara kimagure jinsei 
Ka neniwa tonto enusuku
Su mikayawa amamori semento gawara
Mi nariwa itsumo chiguhagude
O somatsu jinsei tasogareda, moshiwakenai kotobakari

(Reality:)
On a whim, Ive led my life from the childhood
Kept me totally out of money
All the time rain leaks through the tile roof
Such a humble house is mine
Unkempt are my clothes
Most time has expired already
Inexcusable mistakes I have done that I should apologize for
Oh, twilight has already fallen on me.

[dream]
O sanai tokikara gakushaga nozomi
Ka nemo shikkari tamekonde
Su mikawa gotei nagayamon
Mi narini itsumo kiwo tsukai ue kara shitamade ichiryuhin
O erai hito to iwaretai, Uwah! Kijuda.

お さないときから学者が望み
か ねもしっかり貯め込んで
す みかは豪邸長屋門
み なりはいつも気を遣い、上から下まで一流品
お えらい人と言われたい。うわっ 喜寿だ。
(Dream:)
Often I dreamt a dream to be a great scholar
Keep money for the wealthy life
Ambition is to live in a mansion
Servants and maids will be there
Unmatched clothing from top to bottom is
Made in England
I wish I could be called an exquisite man
Oh my God, I realized I am already a 77-years-old man.

(translated by Kojiro Oka, June 2014)
(from the translator)

Note: In Japan, people cerebrates
60-years-old birthday, end of one cycle, according to Chinese calendar
70 years old, rare
77 years old, pleasure
80 years old, umbrella
88 years old, rice
90 years old, graduation
99 years old, white
100 years old, century


朝日新聞WEBRONZAの記事

ネット時代になってテレビも新聞も放送番組や紙面記事を補足強化するためにWEBを駆使して総合的な報道・情報提供をしています。たまたま喫茶店で朝日新聞を読んでいたらWEBRONZAという“多様な言論の広場”があることに気づきました。
今日(6/24)の題目は「妊婦への気配り 仏男性を見習って」となっており、パリ在住の映画ジャーナリストという日本人女性の意見が紹介されていました。彼女いわく、フランスでは“マタニティマーク”など必要ない。妊娠中、地下鉄で「席を譲ってほしい」とお願いしたら席を譲ってもらえた。
他方、ベビーカーを押しながら大荷物を背負って一時帰国した際は駅の階段で手伝ってもらえず、思わず「人間砂漠」という言葉が脳裏をよぎった……などという体験談が語られ、フランスでは男性が女性に親切にするのは自然な振る舞いであり、日本の男は要するにシャイで気がきかない、と主張しています。
何という言い草!でしょう。本当にこの手の“おフランス”(英国、ドイツ)かぶれのインテリ女性の視野の狭さ、“日本男児”(ママ)を上から目線で見下す思考回路にはあきれかえります。
彼女の体験を注意深く読むと、妊娠中の彼女はパリで「席を譲ってほしい」と声に出してお願いしています。ところが日本の駅では手伝ってほしいとも言わないで、だれも手伝わないのは「人間砂漠」だとこきおろしていることに矛盾を感じていません。日本でもひと声かければ我々日本男児が大荷物を抱えてベビーカーを押している三十路の女性を無視するはずがありません。
彼女は都合よくフランスでは男性が女性を大切にするサロン文化が生き延びているなどと時代錯誤も甚だしい理由付けを述べていますが、今や近づいてくる男はかっぱらいでなければテロリストだと疑って警戒すべきパリで、見知らぬ男に荷物やベビーカーを託すのでしょうか?
彼女の意見が朝日新聞の意見でないことはいうまでもありませんが、いまだに国民を啓蒙したがるいかにも朝日らしい記事だと思いました。

疑問。なぜ彼女はベビーカーを押し大荷物を背負って空港駅にきたのでしょう。他人はタダで使えるけれど宅配やタクシー利用はモッタイナイ?RONZAで聞いてみたいものです。

2016年6月30日木曜日

「ロバの夢」舞踏 x 演劇 イン・ルネス 7/29(金)19時~

“舞踏”は日本発祥の身体芸術ジャンルのひとつです。欧米ではButoという名のもとに評価が確立しているのに対し、本家の日本では「なにやら、よく分からない、怖い」などというのが一般的な受け止め方ではないでしょうか。
実際、舞台を見るとおどろおどろしいメイクアップと身体の不思議な動き、難解なストーリー展開、いやそもそもはっきりしたストーリーや舞台展開がないことに不条理な印象をもってしまうのも事実です。けれどもそこが舞踏の奥深い魅力であるし、異空間、異次元の世界に入り込んだような錯覚を覚えるみなもとであるとも言えるのではないかと思います。
前置きが長くなりましたが、長年フランスを始めヨーロッパ各地の芸術祭で活躍してきた舞踏家・古関すまこさんが、この夏故郷の岡山で舞踏の公演を行うことになりました。実はこのコラムを書いている私は古関さんとは中学校時代の同窓生で、2001年春ヨーロッパ旅行した際にフランスのパリで彼女の舞踏公演を見たことがあります。確かユネスコが主催した公演だったと思いますが、劇場は超満員で彼女のパフォーマンスに観客は総立ちで熱狂的な拍手を送っていました。
私の周りの観客の何人かは日本人の私をつかまえて「あれはどういう意味か、何かの象徴なのか?」などと熱心に尋ねてくる始末。私自身、舞踏のことなど何も知らないのに「あれは人類が共通してもっている魂の感覚、いわば宇宙的感覚なるものを視覚化したものだ」などと口から出まかせの解説をして彼らを納得させたものです(冷や汗)。
今回の岡山での公演タイトルは「ロバの夢」。醒めても醒めてもそこはいつも夢の中といった不条理な「眠り・夢・覚醒(うつつ)の関係、この不思議な意識下の世界は舞踏の世界でもある」のだそうで、それがどんなものなのかは、これを読んで下さっている読者の皆さまにはぜひともルネスホール(岡山市)で確かめていただけたらと思います。

チケットは前売りが2000円で取り置きできるそうです。学生は前売り当日ともわずか500円。当日ふらっと立ち寄ってButoの不思議な世界を覗いてください。(お問い合わせ)kikaku.on@gmail.com

2014年2月スロバキア、ブラチスラヴァでの公演「変身」より
https://www.youtube.com/watch?v=STJ5usC1GaA
2014年2月スロバキア公演「変身」より

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食中毒、ひやり体験

今年はとにかくよく雨が降ります。食品衛生管理が徹底した今日、高温多湿の季節でも昔ほど食中毒の心配はありません。しかしそこに慢心というか油断がありました。
家庭菜園のゴーヤの垣根に今年初の実が成っているのを見つけさっそく収穫しました。ゴーヤはチャンプルーが1番。冷蔵庫の中を探したらミートケースに豚肉の切り落としがありました。“ちょっと前”にスーパーで買ったものです。
「賞味期限が3日ほど過ぎているけどまあいいか」と思って料理開始。肉の色も少々黒ずんできているけれどにおいを嗅いだら問題なさそう。豚肉にはしっかり火を通し、まあまあのゴーヤチャンプルーが完成し、特に違和感もなく食べました。
しかし賞味期限が切れた豚肉を食べたことが気になりあらためてゴミ箱から豚肉が入っていたパッケージを取り出して日付を確認したら一気に気分が悪くなりました。賞味期限が切れて3日ではなく10日もたった代物でした。不覚にもカレンダーを1週間間違えていました。
食中毒には大きく分けて二つあるそうです。一つは加熱が不十分な食材を食べて体内で細菌やウィルスが爆発的に増殖するもの。もう一つは細菌などが作り出した毒素がわるさをするものです。これは煮ても焼いても毒素は分解されず食中たりを引き起こすそうです。私は腐りかけの豚肉を十分加熱して食べたので中毒を起こすとしたら後者の展開をたどるはず。…食後数時間が勝負、今のところ吐き気、下痢なし…不安を抱えたまま眠れぬ夜を過ごし何とか無事朝を迎えることができました。
 今回の“ひやり体験”を通していろんなことを学びました。老年に近づいて体力が低下している今の自分にとって食中毒は命取りになりうること。冷蔵庫の食材管理ができていないこと(多種多様の“危険物”がミイラになっている)。スーパーでは他のお客の目が気になっても棚の奥から賞味期限が一番遅いものを引っぱり出すこと。肉や魚は当日食べないものは迷わず冷凍庫に放り込むこと、こんな注意点を自分に言い聞かせました。

 それにしても賞味期限がとっくに過ぎ、変色までしている豚肉を“まだいける”と判断してしまった自分って食中毒そのものより恐ろしい!老化は実にさまざまな切り口で人を襲ってくるものです。

終活セミナー

平日の昼下がり、親の古家でぽけーっとテレビを見ていたら電話が鳴りました。固定電話にかかってくる電話の98パーセントはあやしげな商品の売り込み電話です。
しぶしぶ出たら案の定、知らない女性のさわやかな声でした。すぐに切ろうとしたのですが一瞬ためらっていると、「こちらはXX銀行お客様相談センターです」などと口座がある銀行名を名乗っていたので話を聞くことにしました。どうやら銀行も昔ながらの殿様商売では儲からなくなってきているので積極的にご用聞きの電話をかけている様子です。
「とくにお願いすることも、不便に感じていることもありませんが……」と、ことごとくノーサンキューを突きつけていたら、思いもかけないことを言い出しました。「今度、岡山で終活セミナーがあります。お席をご用意しますのでどうぞご出席ください」とのお誘いでした。
終活など縁起でもないと断ろうと思ったものの本当のボケ老人になってからではもう手遅れで、今が終活適齢期なのかもしれません。銀行も個人情報データベースを見ながらターゲットを絞って電話をかけてきているのでしょう。
セミナーが行われる日はたまたま私の誕生日で今度68歳になります。誕生日プレゼントが終活セミナーとは、悪い冗談ではあるけれど思わず「じゃあ参加します」と言ってしまいました。後日またそれがどんなものだったかご報告しようと思います。
そんな話をカナダの従姉妹に電話したら、子ども達が独立してしまった夫婦2人にとって戸建ての家は大きすぎるのでシニア世帯向けの集合住宅に引っ越す準備をしている最中だと言います。たしかにそれぞれの部屋にバストイレがついた寝室が5つもある家では光熱費もばかにならないし、庭の芝刈り、真冬マイナス20度にもなる屋外での雪かきは苦痛だろうと思います。

子ども達を育て人生の一番いい時期を何十年も過ごした家をあっさり売りに出し、コンパクトで便利な家に引っ越す決断をした従姉妹夫妻の行動はカナダでは当然の選択で感傷にひたる話ではないようです。これこそ戦略的な終活です。それにひきかえ古い家とともになすすべもなく朽ち果てていくつもりの私にセミナーの講師はいったいどのようなアドバイスをしてくれるのでしょう?

2016年6月12日日曜日

祝LCC岡山・台北線就航

岡山空港発着の国際線の歴史をざっと振り返るとソウル便と上海便は比較的安定的に定期運行を維持していますが、グァムや大連・北京、エバー航空による台北便は搭乗率を維持できずわずかな年数で撤退しました。そして今また7月16日から香港便が毎日1往復を週2便に大きく減便する予定です。
いくら観光日本ブームとはいえ、岡山と香港をダイレクトに行き来するお客が毎日1便運行するほどいるとは思えず早晩減便は避けられないと思っていましたが早くも現実になりました。岡山県が主体になって需要喚起を呼びかけても無理なものは無理という気がします。
ところが香港便減便と入れ替わりに新規にタイガーエア台湾が台北と岡山の間に7月14日から定期便を就航させるといううれしいニュースが飛び込んできました。私の予感ではこの便は、北京や香港便と異なり長期的に安定した運行が見込めるのではないかという気がします。
その理由はまず第1にLCC(格安運賃航空)であること。片道の料金は5300円(税別)からと報じられています。ここがかつて就航していたエバー航空との大きな違いです。往復で1万円ちょっと、税や空港使用料など加算しても岡山台北往復運賃が2万円で納まることになります。
第2の利点として、LCCは片道運賃をベースにしているので日程やルートが利用者のニーズにあった選択ができることです。岡山から出発し帰りは大阪や東京経由という周遊ルートが格安で成り立ちます。これは観光旅行でもビジネスでも大変な利点です。ひとつだけ注文を付けるとしたら、予定では月、木、日の運行で最低でも台湾に3泊せざるを得ず、早期に2泊3日の旅行ができる運行体制にしてもらいたいと思います。
これまで数度台北を訪問しましたが、台北ほど安全で気軽、日本での日常感覚のまま旅ができる外国の都市はほかにないと感じました。お年寄りだけでなく飲食店の若い従業員も日本語で対応してくれることが多く、言葉に不自由しません。また大陸中国と違い人々の表情が明るく穏やかなのも旅行者にとって何よりのサービスです。

 台北線によって人が動くだけでなく双方のおいしい農産物、海産物が岡山と台北の店に並ぶことも大いに期待しています。

スーパー銭湯で健康に

昨年の今ごろ体重が我が人生空前絶後の3桁突入という恐ろしい事態になりました。両足は恒常的にむくみ、わずかな坂道を登るのにも心臓がバクバクしました。心臓病の専門病院でいろいろ検査を受けたのですが、これという決定的な原因がつかめないまま過ごしていたら、秋になって蚊かダニによる感染症にかかり1週間入院するという最悪の健康状態になってしまいました。
むくみの原因も感染症の原因も特定されなかったのですが、はっきりしているのは体重過多、運動不足、介護生活のストレスが死のプレリュード(前奏曲)を奏でていたのに違いありません。
自分の健康を回復するにはいったいどこから手をつけたらいいのか途方にくれましたが、とりあえず水中歩行から始めました。最初のうちは岡山と倉敷の市民プールに通ったのですが、水着に着替えたり、水泳キャップをかぶるのがどうもめんどうくさい。しかしついに理想的な水中歩行ができる場所と出会いました。それはスーパー銭湯です。
岡山市北区久米にある“大家族の湯”の前の旧2号はしょっちゅう車で通過していたのにそこがどんな場所なのかよく分からないまま長年敬遠していました。しかし、ある日意を決して入ってみるとあまりの広さと充実した施設にびっくりでした。
温水プールも併設されていますが私が水中歩行のために愛用しているのは“歩き湯”です。ここなら素っ裸のままでいいし、1周18メートルほどの水路はお湯が強力なジェット水流になって循環しています。流れに逆らってお湯の中を歩くと足にかなりの負荷がかかりいい運動になります。ときおり上流から小さな子どもたちが河童の川流れよろしく次々と流れてくるのは微笑ましく愉快な光景です(遊泳は禁止ですが)。
この“歩き湯”は公衆浴場料金の420円で利用できる区域にあり安価に毎日利用できます。“歩き湯”を歩くこと5ヶ月、体重が約10キロ落ち、そういえば足のむくみも改善しています。何となく健康になったような実感があります。

現在、このスーパー銭湯はリニューアル工事中で再オープンは6月下旬とのことですが、それまではほかの銭湯を探索してみようと思います。映画「テルマエ・ロマエ」にも登場する日本の銭湯文化ばんざい!

2016年5月28日土曜日

四国の酷道、今昔

 連休が終わって山々の緑がいよいよ濃くなってくるとたまらなく自然の中に入っていきたくなります。2030代のころはよく和歌山や四国の山中へオートバイで出かけたものです。ところが当時の国道は“酷道”としか言いようのない狭くて未整備、危険極まりない道路が大半でした。
 垂直に切り立った崖の中程をくり抜くように作られた道路を通行するのは文字通り命がけ、頭上からは落石が襲ってくるし、ちょっとでも油断すれば千尋の谷にバイクごと転落です。しかも信じられないことに見通しのきかないカーブから突然大型ダンプやバスがいきなり道幅いっぱいに迫ってきます。
しかしそうした酷道は随所でトンネルや橋梁、バイパスの建設が進行していました。当時、そんな工事を横目に見ながら「全線が整備されるのにはいったい何十年かかるのだろう?そんな日は永久に来ないのでは?」とさえ思われたものです。
 ところがです。先週、ちょっと時間ができたので何十年ぶりかでそんな酷道のひとつ高知と徳島を最短距離で結ぶ国道195号線をドライブしてみました。高知市を出発してしばらくたったころ道路沿いに「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」(香美市)がありました。日本だけでなく世界の子どもたちにも大人気のアンパンマンの故郷がこんなところにあったとは驚きでした。
 そこを過ぎたあたりから国道195号は山に入っていきますが、酷道となるはずがいつまでも立派な道路でした。数年前ついに全線が整備されたのです。人間の営みはすごいものです。気の遠くなるような建設工事も30年、40年継続すれば完成にこぎつけることに感動しました。
 国道195号線のハイライトは高知・徳島県境にある四つ足トンネルです。心霊スポットとして有名ですが道路が整備された今日では心霊現象も現れにくいのではないでしょうか。それでも興味本位の夜間ドライブはためらわれますね。峠のトンネルを無事通過したら後は徳島の市街地まで快適な下り坂ドライブです。

 四国ではいたるところお遍路さんに会いますが、お遍路さんには昔の酷道がよく似合います。車が高速で行き交う道路のそばを歩く姿を見ると、立派な国道は自然の中を無心に歩くお遍路さんにとっては皮肉にも新たな酷道のように思えました。

日本の唱歌

自宅で寝たきりで生活している母は意識はあるものの感情を表現することも私の呼びかけに反応することもありません。手足を自発的に動かすことはもう何年も前からできず、かろうじて動きがあるのは眼球ぐらいのものです。
私が想像するに母は無限の時間を退屈しきって過ごしているに違いありません。そんな母にとって一番の慰めはなつかしい音楽ではないかと思います。これまでもいろいろ工夫してきました。春先、暖かい日があると思えばまた寒さがぶり返す季節になると“春は名のみの風の寒さや”の歌詞がぴったりの“早春賦”のオルゴールを聞かせます。しかしオルゴールはわずか数分間同じメロディーを繰り返して沈黙します。CDも40分ほどで終わります。
ところが最近家のインターネット環境を光回線に変え、家庭内でWi-Fiがどこでも複数の機器で使用できるようになって一挙に音楽がある生活が豊かになりました。古いスマホを母の枕元におき文部省唱歌や琴の名曲を思う存分流すことができるようになったのです。
“さくら貝の歌”、“下町の太陽”の倍賞千恵子が残した100曲もの美しい日本の歌曲がこんなにも簡単に、しかもそれなりに高音質で聞けるなんて、本当に母がまだ生きているうちに毎日聞かせてあげられるようになったことに私自身大変な喜びをかみしめています。唱歌ほど日本人に故郷を思わす歌のジャンルはありません。たとえば「故郷の廃家」。
もともとアメリカの曲ですが犬童球渓(いんどう・きゅうけい/1884-1943)の訳詞がすばらしいです。
 幾年ふるさと来てみれば
咲く花鳴く鳥そよぐ風
門辺の小川のささやきも
なれにし昔に変らねど
あれたる我家に
住む人絶えてなく

終戦直後両親が力を合わせて建てたこの家で父は長い生涯を終えました。やがて母も父のもとにいったらこの家は文字通り私にとって故郷の廃家になるでしょう。でも歌があれば両親と兄、愛犬のクロがいた楽しかった時代の我が家はいつでもよみがえるでしょう。

箏曲の宮城道雄も母のお気に入りでした。“春の海”の箏(そう)と尺八のなんとも天国的な美しい調べに母が「私はいつの間に天国に来てしまったの?」と勘違いしないか、心配ではありますが。

シド・ヴィシャスのマイウェイ

1980年代、カラオケが全盛期だったころ、おじさん世代に絶大な人気があった曲といえばフランク・シナトラの“マイウェイ”をおいてほかにありませんでした。
おじさん族が歌う“マイウェイ”は自分なりにがんばって成功体験も重ねてきた人生を、著しい自己肯定感をともない、原曲の歌詞の世界と一体となってひとりよがりに歌い上げるという、そら恐ろしいものであるのが常。しかもへたに上手に歌うと周囲の人はますますどっちらけするという魔のナンバーです。
プロの歌手によるカバーでもフランク・シナトラを超えることはありえない……と、長年私は信じていたのですがあるときイギリスのパンクのカリスマ、シド・ヴィシャス(1957-1979)が歌うマイウェイを聞いて衝撃を受けました。
YouTubeで繰り返し視聴されている映像。パリのオランピア劇場でシドが満席の観客の前に降臨しマイウェイを歌います。客席は若者から上流階級の老貴婦人にいたるまで大興奮の渦につつまれます。エリザベス女王そっくりの老婦人もいます。歌の終わりが近づき聴衆の熱狂が頂点に達したとき突如シドはポケットからピストルを取り出し客席に向かって銃の乱射を始めるというアンリアリステックで残酷、美しい映像です。
フランク・シナトラのマイウェイは一人の男が人生を誠実に生きてきた生き様を高らかに歌い上げるものでしたが、シド・ヴィシャスの人生とは? シドは極端な麻薬愛好者で前述のコンサート風映像においても目が宙を泳いでいています。モデルなみの高身長とルックスで体を激しく動かすその体の線は極端にやせ細っていて痛々しいぐらいに美しい。

歌の内容はポール・アンカが作詞したオリジナルに似ているけれどよく聞くと“オレはオレ流のやり方でネコを殺した”などと解釈が難しい歌詞になっていますが、不思議と美しものです。まさにフランク・シナトラと正反対の世界を体現していながらシナトラを超える感動を覚えるのはファンの多さからもうかがえます。わずか21歳で死に伝説を残したシドですが、伝統と格式の国イギリスはときおりとんでもない前衛アーティストを生み出す国でもあります。ぜひいちどシド・ヴィシャスのマイウェイを聴いてみてください。

YouTube検索
https://www.youtube.com/watch?v=HD0eb0tDjIk

Sid Vicious My Way

And now, the end is near
And so I face the final curtain
You cunt, I'm not a queer
I'll state my case, of which I'm certain
I've lived a life that's full
I've traveled each and every highway
And more, much more than this
I did it my way

Regrets, I've had a few
But then again, too few to mention
I did, what I had to do
And saw it through without exemption
I planned each chartered course
Each careful step along the highway
And more, much more than this
I did it my way

There were times, I'm sure you knew
When there was fuck fuck-all else to do
But through it all,  when there was doubt
I shot it up or kicked it out
I faced the wall and the world
And did it my way

I've laughed and been a snide
I've had my fill, my share of losing
And now, the tears subside
I find it all so amusing
To think, I killed a cat
And may I say, not in a gay way
Oh no, oh no not me
I did it my way

For what is a prat, what has he got
When he wears hats and he cannot
Say the things he truly feels
But only the words, of one who kneels
The record shows, I fucked a bloke
And did it my way

(Thanks to chalkey79 for submitting My Way Lyrics)


2016年4月27日水曜日

熊本旅行と熊本地震


熊本地震の第1報を伝えるテレビ映像は強烈でした。美しくライトアップされた熊本城全体からなにやらもやもやと湯気のような煙が立ちのぼっていました。いったい熊本城に何が起きているのか? まさかこれが阪神淡路大震災や東北大地震に匹敵する熊本地震のプロローグだったとは。
ちょうど1年前ふと思い立って車で熊本・大分旅行をしました。中学校卒業旅行以来半世紀ぶりに見た熊本城は本当に美しく堂々としたお城でした。当世の流行なのか、城の案内人は歌舞伎役者風のサムライコスチュームで決めた若武者たちでした。
私が「皆さん、イケメン侍ですね」と声をかけたら、「殿もなかなかのイケメンでござる」などと当意即妙の言葉でもって観光客にホスピタリティーを見せてくれたものです。この(たぶん)アルバイトの若武者たちもこのたびの大地震では大変な被害を受けているのではないかと心配されます。
熊本のあと訪れた石造アーチが美しい通潤橋は今回の大地震で水漏れするダメージを受けたものの橋そのものは無事だったようです。江戸時代の嘉永7年(1854)に架けられた石造りの橋がマグニチュード7.3の大地震に耐えたことは驚きです。
熊本旅行の帰りは国道57号を通って大分に出ました。山崩れがおき橋が跡形もなく消失し犠牲者が出た場所も通ったはずです。うっとりするほど美しい阿蘇の山岳地帯を一瞬のうちにこんな姿に変貌させるとは、地震のエネルギーの大きさの前に人はなすすべもありません。
今回の地震がこのまま収束するのかそれともさらなる大地震や阿蘇の噴火につながるのか、地震の専門家といえども明確な答えはもっていないようです。しかし、地形の変化に富み美しい日本の風景を作ってきたのは他ならぬ環太平洋火山帯の真上にある日本の国土そのものです。

地震や津波は避けて通れないし、地震や津波の被害はどんなに大きくてもやがては復興します。復興できないのは永久に放射能を出し続ける原発による環境汚染です。旅の最後は大分からフェリーで愛媛の佐田岬に渡りました。中央構造線に沿った細長い半島の付け根に不気味な沈黙を保っている伊方原発の偉容が見えました。フクシマの悲劇から得た教訓を生かす道はあきらかです。

大病院受診と紹介状


いままでも大学病院や500床以上ある大病院を紹介状なしで受診すると特別料金を取られていましたが、厚生労働省はこの4月から最低でも5000円、再診時には2500円徴収するよう求めています。
今日(4月中旬)、大学病院(倉敷市)に今年度になって初めて行ってみました。いつもは満杯の第1駐車場を避けて遠い第2駐車場に車をとめるのに今日はどちらも「空」のサインが。病院の中に入ったらいつもの混雑感がありません。受付も採尿、採血もスムーズ、ほとんど待ち時間がありませんでした。
11時の診察予約時間まで1時間半もあったので院内のカフェでスマホをいじりながら時間つぶしをしていたら携帯に電話が。病院からの呼び出しでした。「すぐに診察室へどうぞ」。いつもなら予約時間が過ぎてさらに1時間ぐらい待たされるのに今日は逆に30分も前倒しです。会計支払い、投薬も待たされることなくあっというまに帰宅できました。
 今日、たまたま空いていたのかどうか分かりませんが、私には4月からの紹介状なし受診の5000円徴収が効いているのではないかという気がしました。
 しかしながら大学や大病院が敷居を高くすることは患者にとって、また病院にとって果たしていいことなのか、はなはだ疑問です。町の診療所で診てもらっている患者が内心「この先生の見立てを信じていて大丈夫だろうか?大きな病院でちゃんと診てもらいたいので紹介状を書いてほしい」と思っても言いだしにくいものです。
 また、内科、整形外科、眼科、耳鼻科などの診療所はあちこちにありますが、泌尿器科、皮膚科、神経内科、心療内科、精神科などのクリニックはそう多くはないのでたいていは最初から大きな総合病院を受診せざるをえません。こんな場合でも初診時だけでなく再診時にまで付加料金を要求されるのでしょうか。

 また大病院にとって大切な患者は重症患者ばかりではありません。風邪の症状や腹痛で来る患者こそ研修医や新米の医療スタッフの訓練にぴったりだと思います。軽い症状のなかに隠れているかもしれない危ない病気を見つけるトレーニングは教育機関としての大学病院の使命では? また軽い症状の患者を大量にこなすことは病院経営上そう悪くない話のように思えますが……。

不機嫌なスマホ


3月初め、長年愛用してきたスマホのカメラが壊れたのをきっかけに新しいスマホに買い換えた話をここに書きました。基本的な操作方法は以前とほぼ同じです。しかし長年慣れ親しんだものを捨てて新しい機種の操作方法やクセに慣れるのはそう簡単ではありませんでした。1か月かかってようやくブラックボックス・スマホの全貌を把握したころ悲劇が突然やってきました。
何が起きたのか語るまえに以前の壊れたスマホについて簡単に。愛着を捨てきれない私はショップの人の反対にもかかわらず高額な修理費を払って直してもらったのです。カメラのレンズ以外にもあちこち経年劣化で不調な個所があったのですが、それらが一新されていました。修理といっても実際は基盤ごと取り替えたのでしょう。以前の部品で残ったのは修理のあいだ取り外して保管していた裏蓋だけ!(と思う)
とにかく修理から帰ってきたスマホは新品同様になっていました。キャリアとの契約が外れた機械といえどもコンビニなどいたるところにあるWi-Hiスポットのおかげでネットも電話も自由自在です。しみじみ壊れたからといって簡単に捨てなくてよかったと思いました。
しかし……、最新機種を手に入れたのに古い機種に愛情をそそぐ……こんな状況は新しいスマホにとっては耐えられなかったようです。「わたしというピチピチの最新機種に乗り換えながら、ススけた前の子に未練がましく執着するご主人様にはもう絶えられない」と発狂したのです。
ある日、電話をかけようとアドレス帳の電話番号をクリックしたら、発信と切断を繰り返します。変だなと思って電源を入れ直してみても関係ない番号を呼び出したり大狂い。とにかくはちゃめちゃな暴走に音を上げてショップに駆け込みました。
 「購入後2週間以内なら新品とお取り替えできたのですが……。修理に10日ほどかかります」。ショップの言葉にいちばん喜んだのは他でもありません。再びキャリアのsimカードを挿入されて名実ともに電話機として復活した以前のスマホです。

 あまりに高度な機能を詰め込まれたスマホの実体はコンピュータそのものです。しかも人間並の感情も獲得しているに違いありません。スマホのやきもちに翻弄される私の悲劇の日々はいつまで続くのでしょう?

スマホとWi-Fi


 3年半ほど愛用してきたスマホですが、ある日写真がすべてピンぼけになることに気づきました。日常生活でのありとあらゆる情報収集・発信の要としてのスマホ・カメラが使えなくなったのは大変な痛手です。
喫茶店で新聞を読んでいてちょっとメモを取りたいと思ったときパシャリ。それを仲間に知らせたいと思ったら即添付ファイルにして一斉送信。庭の椿の花が咲いたらとりあえずスナップ写真を。ネコの写真もスマホのなかに無数に溜まっています。
 そんな日常生活をスケッチするのに必須アイテムのスマホをうかつにも床に落として衝撃を与えたのが致命傷になりました。近所の携帯電話ショップに持ち込んだら案の定「修理代がかなりかかりますが……」と言われました。
私は「3年以上も使い倒してきたし、最新の機種に替えてもいいかな」と自分を説得し、新しいスマホを購入して帰宅しました。同じメーカーの同じシリーズだから基本的な操作方法は同じようなものと思っていたらこれが大違いで、いちいちの操作場面で面食らうことばかりでした。
考えてみるとスマホは不思議な商品です。これだけ複雑な機械なのに店員から詳しい商品説明がありません。いや、複雑すぎるからこそ店員も必要最低限の説明しかしません。マニュアルに関しても昔の携帯電話には分厚いものが3冊ぐらい同梱されていましたが、そんなもの誰も読まないせいか消えてしまいました。
子どもがおもちゃの使い方を遊んでいるうちに覚えるように、スマホも無限の機能と設定の中からその人が必要としているものを選び取り、自分で使いやすいものに育てていくしかないのでしょう。
通話とデータ通信機能を失った古いスマホは捨てるしかないなと思っていたのですが、これがまたびっくり。Wi-Fiが使えるところでは今までどおりネット接続できるのです。電話だってネット回線を通じて世界中タダでつながるのはまったくキツネにつままれたような話です。

“情報”はそもそもきれいな水や空気のように国民が無償で享受する性質のものです。国が国中にWi-Fiを張り巡らせば通信・情報のほとんどの問題は解決するのではないでしょうか。毎月かなりの金額を払っている電話、携帯料金っていったい何のため?だれのため?と思います。

20%のマジック


毎年3月末、株主の権利が確定する季節が近づくと株主優待をねらった株主が急増します。世の中には食品会社の株を多種購入してそれだけで生活している猛者もいるとか。しかし株を買うにもそれなりの資金がいるし、配当や優待の権利を確保しても権利落ちした株価はそのまま低空飛行をするのが常で、優待は得たものの株本体で損することも。
それでも岡山県に住んでいる人間としてはカフェやパスタ店を全国展開しているサンマルクの存在が気になります。系列各店で使える優待カードを手に入れるためには100株以上のサンマルクHD株を権利確定日に持っていることが必要ですが、現在の株価は1株3100円前後なので約31万円の投資になります。
6月末株主総会が終わると同時に待ちに待った優待カードが送られてきます。サンマルク系列の飲食店での割引率は20%ですがこれは大きな割引です。店での支払いのたびにそのありがたさを実感します。普通いろんな店のポイントカード類は100円あるいは200円につき1点とけちくさいのに、さすがは株主優待カード! 太っ腹です。
たとえばコーヒーとサンドイッチなどの合計額が600円ちょうどの場合、割引後は480円になります。500円の商品は400円、どちらも8掛けなので何の不思議もないのですが、私には600円が480円になる方がお得感がぐっと大きく感じられます。なんでかなあ? その理由はこうです。600円→480円になる途中500円台がそっくり吹っ飛んでいるからなのです! そこが500円→400円と違います。
 株主優待カードのケースと真逆、つまり20%余計に取られる場合は痛みと悲しみは計り知れないくらい大きいものになります。それは税金です。現在、株の売却益や配当にかかる税金は20%(さらに東北復興税など加算)です。6万円の売却益が出たと思っても高い税金を取られ、手数料を取られて残りは4万5千円ほど。痛税感大ですね。

 税金と言えば、夏の参院選を前に安倍総理は来年の消費税アップをどう決断するのでしょうか?高齢化社会の日本もいつかは消費税を20%にせざるを得ないかもしれません。しかし所得の低い人々にとっては20%はあたかも40%課税並の破壊力になります。恐ろしい時代がすぐそこまで来ている気がします。

家庭菜園復活


ここ2,3年中断していた家庭菜園をこの春から復活させることにしました。今まではナス、トマト、キュウリ、カボチャ、ゴーヤ、オクラ、ニラ、ネギ、タマネギ、ハクサイ、エンドウ、エダマメ等およそ野菜という野菜は何でも栽培していたのですが、最近は介護に疲れて畑どころではない日々が続いていました。
それが今年、春の陽気とともに久しぶりに土に触れたい衝動がわいてきました。こころの中の忘れかけていた「自然」も復活してきたのでしょう。今度はあまり手を広げず春はジャガイモ、秋はタクアン用の大根を育てるつもりです。
ジャガイモは今植え付けたら桜が咲くころ芽が出、やがて花が咲き、初夏、茎が黄色になるころには大きなイモがごろごろできます。冷涼な気候を好むので県南では2月中旬から3月上旬ぐらいが植え付けの適期で昨日は久しぶりにクワを使いました。風の寒さが汗ばむ体に心地よく感じられました。
 大人でも楽しいジャガイモ栽培は保育園や幼稚園でも大人気ですが、幼児の情操を育てるのにこれほど感動的な野菜は他にないと思います。園児が先生といっしょになって土の中からジャガイモを掘り出すのは感動の体験です。そしてそのイモを使ってカレーを作るのは園の年中行事になっているのではないでしょうか。ただ、収穫後直射日光に当ててしまい緑色がかったジャガイモを食べて園児が食中毒を起こしたというニュースも毎年聞かれます。保育士や幼稚園の先生方には気をつけていただきたいと思います。
 さて私の家庭菜園の秋の主役はタクアン用の大根です。細長くすらっとした品種の大根です。昔は12月ごろこの大根を干して束ねたものが八百屋で売られていたのですが、最近はめったに見かけません。とりわけ昨年は暖冬と長雨による不作がひどく店頭にはついに並ばず、通販で九州の業者から取り寄せたのですが、クレームをつけたくなるような粗悪な品質のものが届きました。

 こうなったら自分で栽培する方がよほど計画的、経済的にタクアン作りが楽しめます。そんなこんなで2品目限定の家庭菜園プロジェクトが開始しました。でも心変わりが早い私のこと、油断したらまた畑いっぱい何でも植えそうな気がします。野菜づくりの魅力にはなかなか抵抗できませんから。

清原と焼き肉弁当


覚醒剤所持容疑で逮捕された清原元野球選手の事件にマスコミは連日大フィーバーしていました。テレビ各局は識者を取りそろえ、薬物中毒の恐ろしさ、事件の経緯や背景、天才野球選手の栄光と挫折、今後の裁判の見通しなど微に入り細をうがつ報道ぶりでした。
こうした報道を見ていて何となく違和感を覚えたのは私だけでしょうか。清原(以下敬称略)はそんなに人間的にダメな男なのか、そんなに意志の弱い男なのか、そんなにバカなのか?(才能に恵まれ、子ども時代からずっと努力を重ね、並はずれて意志も強い男だったからこそ偉大なバッターになれたのでしょう!)
テレビのコメンテーターたちが語る“覚醒剤の恐ろしさ”はまるで坊主の説教のようで説得力がありません。それよりもダルクのような更正施設で薬物からの離脱に取り組んでいる経験者が語る話のほうがよほど真実味があります。
彼らが一致して語るのは、覚醒剤やそのほかの薬物はいったん中毒にかかるとほとんどの場合2度と治らないということのようです。アルコールやタバコもやめることは難しいけれど、そういう中毒とは比較にならないくらい困難な道です。したがってダルクでは根治などは求めず、「今日一日とりあえずクスリなしで過ごすことができた」という実績を日々重ねるだけだと言います。別の言い方をすれば薬物依存症とはその人の意志が弱いとかではなく、「薬物体験によって脳が不可逆的にリプログラミングされてしまった症状」というべきではないかと思います。
薬物中毒患者を犯罪者として刑務所に放り込むことで決着をつける点で日本は欧米に比べ著しい後進性を見せています。必要なのは刑罰ではなく医学管理下におけるサポートと治療です。日本で多くの受刑者が服役中に考えることは出所後のシャブの入手の算段だそうです。これでは服役の意味がありません。

清原の保釈後、入院先の病院を報道陣が夜中になっても取り囲んでいたら、清原サイドから豪華焼き肉弁当がふるまわれ、それがまた大きな話題になりました。スポニチの記者だけがその弁当を食べたのに対し他社の記者は受け取りを拒んだとか。「下衆の勘ぐり」とはスキャンダルでもうけているくせに清原の心情を受け取れない記者たちのためにある言葉ではないかと思いました。

2016年3月10日木曜日

「哀悼の意」英語では


2月初め、珍しく従兄弟のトモアキ君から電話があり、アメリカに住んでいるレイコさん(トモアキ君の姉)が亡くなったようだ、と知らせてきました。昭和30年ごろ、レイコさんはアキという男性と結婚しアメリカに移民していきました。当時私は小学生でしたが、岡山駅まで親類縁者みんなでレイコさんを見送りに行った日のことが60年経った今でも思い出されます。合掌。
日本では人が亡くなるとあわただしく葬儀が執り行われますが、アメリカではそうでもないらしく、3月に入ってようやく葬式の日取りが決まり、トモアキ君夫婦はアメリカまで葬儀に参列するために出かけることになりました。
私も列席できるものならそうしたいのですが、急に旅立つことはできません。そこで香典を託すことにしました。キャッシュを包んだ香典の習慣がないアメリカ育ちのレイコさんの子どもたちに香典がすんなり受け入れられるかどうか気になるところですが、私なりに和洋折衷案を考え、まず既製品のお悔やみカードを求めて東急ハンズに出かけました。
ありとあらゆる工夫を凝らした誕生日カードは山のようにあるのにお悔やみ用はたった1種類しかありませんでした。ユリの花の絵柄に”With sympathy”と印刷されていました。それを買って帰り、私は同封の白紙のメッセージカードに”Please accept my sincere condolences on the passing of your mother” (お母様のご逝去に対し心からお悔やみを申し上げます)と英文で書き添え、さらに供花代を中袋に入れ”Floral offering”と注記しておきました。完璧な仕上がりかどうか一抹の不安もあるのですが気持ちは通じるのではないかと思います。
ところで「哀悼」を和英辞典で引くと”condolence”という難しい単語が出てきます。ラテン語の語源は「苦しみをともに」のようです。英語でも見慣れない単語ですが「哀悼」もいざ書こうとすると字が難しいです。中学校1年のとき国語の授業で初めて「哀悼」という言葉を習ったのですが、さいわいなことにその後の人生でこの言葉に出会うことはそう多くはありませんでした。

しかし日本でもアメリカでも葬式で「この度はムニャムニャ…」と言葉をにごすよりちゃんと定番の挨拶ができた方がかっこいいですね。


***

中学校時代の国語の女教師は奈良高等女子師範卒の厳格でプロ意識の高い人でした。「お悔やみをいうとき、「xxの意を表す」と言うが、分かる人?と質問されました。だれも分かりませんでした。すると「中学生にもなってそんな言葉も知らないんですか」とさもがっかり、軽蔑のようすで「哀悼の意を表すというのだと教えてくれました。私はそのときも今も思ったものですが、そんな言葉、中学生が知る分けないという気がします。私の姪など40を過ぎているのにおじいさんの葬儀にやってきても「どうも」ぐらいしか言えません。

家庭菜園復活

ここ2,3年中断していた家庭菜園をこの春から復活させることにしました。今まではナス、トマト、キュウリ、カボチャ、ゴーヤ、オクラ、ニラ、ネギ、タマネギ、ハクサイ、エンドウ、エダマメ等およそ野菜という野菜は何でも栽培していたのですが、最近は介護に疲れて畑どころではない日々が続いていました。
それが今年、春の陽気とともに久しぶりに土に触れたい衝動がわいてきました。こころの中の忘れかけていた「自然」も復活してきたのでしょう。今度はあまり手を広げず春はジャガイモ、秋はタクアン用の大根を育てるつもりです。
ジャガイモは今植え付けたら桜が咲くころ芽が出、やがて花が咲き、初夏、茎が黄色になるころには大きなイモがごろごろできます。冷涼な気候を好むので県南では2月中旬から3月上旬ぐらいが植え付けの適期で昨日は久しぶりにクワを使いました。風の寒さが汗ばむ体に心地よく感じられました。
 大人でも楽しいジャガイモ栽培は保育園や幼稚園でも大人気ですが、幼児の情操を育てるのにこれほど感動的な野菜は他にないと思います。園児が先生といっしょになって土の中からジャガイモを掘り出すのは感動の体験です。そしてそのイモを使ってカレーを作るのは園の年中行事になっているのではないでしょうか。ただ、収穫後直射日光に当ててしまい緑色がかったジャガイモを食べて園児が食中毒を起こしたというニュースも毎年聞かれます。保育士や幼稚園の先生方には気をつけていただきたいと思います。
 さて私の家庭菜園の秋の主役はタクアン用の大根です。細長くすらっとした品種の大根です。昔は12月ごろこの大根を干して束ねたものが八百屋で売られていたのですが、最近はめったに見かけません。とりわけ昨年は暖冬と長雨による不作がひどく店頭にはついに並ばず、通販で九州の業者から取り寄せたのですが、クレームをつけたくなるような粗悪な品質のものが届きました。

 こうなったら自分で栽培する方がよほど計画的、経済的にタクアン作りが楽しめます。そんなこんなで2品目限定の家庭菜園プロジェクトが開始しました。でも心変わりが早い私のこと、油断したらまた畑いっぱい何でも植えそうな気がします。野菜づくりの魅力にはなかなか抵抗できませんから。

(その後)
畑を耕し始めたらはずみがつき、ジャガイモ3kg(男爵、メークイン、きたあかり、それぞれ1kg)植えました。さらに苗をいろいろホームセンターから買ってきて植えました。ニラ、セロリ、レタス、ブロッコリ、エンドウ(ポット苗)。ところがまだまだ寒い3月のこと、菜っぱ類に飢えた鳥がいっせいに襲撃してブロッコリやエンドウはあっというまに食べられてしまいました。やはり鳥よけのネットが必要なようです。

若い訪問看護師さん

(96)を在宅で介護する生活がもう15年にもなります。53歳だった私もいつのまにか67歳になりました。要介護度5、寝たきりでほぼ植物状態の母の介護に当たっては、家族(と言っても私ひとり)の力だけではできません、さまざまな介護保険制度、在宅医療サービスを受けています。
とりわけ母の日々の健康状態をチェックし、身体介護の中心的役割を果たしてくれているのが訪問看護師の存在です。この15年間ずっと同じ訪問看護ステーションを利用しているので皆さま母の病歴や健康状態、個性等よく把握されていて適切なケアをしていただいています。
ところが1年ほど前から来るようになった看護師さんが担当したときに限って小さな“事故”がときおり起きます。爪を切るとき指を切って出血した、ベッドや床のカーペットが水浸し、顔に小さなあざができていた、などなどです。
どれもこれも大したことではないし、息子の私だって母の変形した爪を切っていて間違って指先を切ってしまったこともあります。つまりケアしていればいかにもありがちなささいな失敗、事故に過ぎないのですが、他の看護師や訪問ヘルパーさんがそんなヘマをすることは皆無なだけにやはり気になります。
気にはなるけれど家族としては何も言えない……、一生懸命母のケアをしている看護師さんの小さなミスを責めるのは大人げない、彼女だって人の子、そんなことを指摘されたら気分を害するでしょう。
私は毎度こう思ってきました。「たまたま爪ではなく指を切ってしまった、たまたまベッドの上でバケツがひっくり返ったのだ、それにこんなことはそう滅多にあることではない……」と。
ところがつい最近、この看護師さんが来てくれた日、外出先から帰って母の顔を見てびっくり。鼻筋が3センチぐらい赤く腫れていました。体を横にしたとき顔面をベッドの防護柵に当てたのではないかと推測します。ついに私は決心をして所長さんに彼女を母の担当から外すようお願いしました。

私自身がその人の技量が信頼できないと思っている人に母のケアをゆだね続けることは母の介護を総合プロジュースしている私の責任放棄であると思われての決断でした。

地番VS道路名住所

20代のころから欧米を中心によく海外旅行に出かけたものですが、あまり人に道を聞いた記憶がありません。忙しそうに往きかう人を呼び止めるのは何だか気恥ずかしいし、言葉が通じなかったらどうしようという恥じらいもあります。しかし町の地図を持ち、住所さえ分かっていれば欧米でも中国でも目的地は簡単に分かるのでそもそも人に尋ねる必要がないのです。
道という道すべての通りには固有の道路名が付いていて、建物には番地を記したプレートが張り付けてあります。番地は通りを挟んで奇数偶数に2分され、連続していますので、目的の通りに出たらとりあえず近くの建物の番地を見ればあとは自然に目的地にたどり着きます。
ところが日本の地名、地番はまったく目的地を特定するのに役立ちません。このごろはナビやスマートフォンの地図アプリを使えばピンポイントで目的地が分かるので何とかなるようになりました。ところが日本を訪れる外国人にとって話は別。駅に着いたもののそこから先、なすすべもなく途方に暮れてしまいます。
先日も大阪のミナミ、南海電鉄の難波駅で友達と待ち合わせをしていたら、関西空港からやってきたらしい若者2人連れが壁の地図を見ながら困ったようすをしていました。私は声をかけてみました。
韓国からの旅行者で日本語も英語もまったく通じません。スマホの「はなして翻訳」というアプリを介してどこに行きたいのか聞いたら、心斎橋のカプセルホテルであることが分かりました。我々も心斎橋に行くことになっていたので、「連れていってあげるから」と言って地図アプリを頼りに歩き始め何とか目的地まで送り届けることができました。
「いやー、あんな場所日本人でも絶対見つからんわ!」。カプセルホテルはひっそり雑居ビルの地下にありました。韓国人青年たちは腰を90度曲げて感謝の気持ちを表していましたが、その韓国は201411日から日本式地番を廃止し欧米式の「道路名住所」に変更しました。

日本人にとっても外国人にとっても日本の町ほど目的地にたどり着くのが困難な国はほかにありません。地番システム変更はすぐには無理としてもせめて道路には横丁にいたるまで漢字ローマ字併記で名前を付けてもらいたいものです。

2016年2月15日月曜日

天皇皇后両陛下比島慰霊の旅

ご高齢の両陛下が太平洋戦争最大の激戦地であったフィリピンまで、50万柱を超える戦没者の霊を慰める旅に出られました。実際フィリピンでの戦いの悲惨さは想像を絶するものがあり、敵味方問わず、今なお多くの遺族が決して癒されることのない苦悩を抱えたまま生きています。
私も叔父(母の弟)をレイテ島のカンギポットという山で亡くしています。母のためにも一度は慰霊のためにレイテ島に行ってみたいのですが、現在のフィリピンでもいったんマニラを離れると治安が悪くとうてい一人でふらりと出かけられるような状況ではありません。
実は今から20年ほど前、叔父の慰霊のためにマニラまで出かけたことがあります。首都マニラでもホテルや商店の入口は実弾を込めた銃を持った警備員が固めているような物騒きわまりない大都市。やっとのことでマニラ近郊の激戦地コレヒドール島を訪問し、そこで拾った石を遺骨代わりに日本に持ち帰りました。
二十歳そこそこの叔父が所属部隊もろとも飢えと病に苦しみ全滅していった様子は大岡昇平の「レイテ戦記」(中公文庫)に実に詳細に記録されています。資料を含め上中下3巻、総ページ数1400枚もの死の記録を読むことは苦痛以外の何ものでもありません。
 結局、曲がりなりにもフィリピンまで出かけても個人では島から島への移動もままならず、戦記も心がふさがって読めません。戦没者の慰霊はそれほど困難なことです。
ところがこの度の両陛下の慰霊の旅の様子をテレビで見て本当に救われた気持ちになることができました。 両陛下は慰霊碑に菊の花を手向けられたあと遺族の方々と実に長い時間お話になられていました。列席した人々は大感激の様子で「父(夫、兄……)もさぞ喜んでいることでしょう」と口々に話していました。

 いかなる人のどんな言葉をもってしても、あるいは国の金銭的な弔意にも慰められることがなかった遺族の深い喪失感、無念をただ天皇のみが慰謝できるという奇蹟を垣間見た気がしました。現在の憲法のもと天皇は神ではなく人間であることを疑う人はいません。しかし両陛下が戦跡や各地の被災地で人々を慰められているお姿を拝見するたびに、これは人間ワザではない、これこそ正真正銘神ワザだと思わずにはいられません。