2016年4月27日水曜日

熊本旅行と熊本地震


熊本地震の第1報を伝えるテレビ映像は強烈でした。美しくライトアップされた熊本城全体からなにやらもやもやと湯気のような煙が立ちのぼっていました。いったい熊本城に何が起きているのか? まさかこれが阪神淡路大震災や東北大地震に匹敵する熊本地震のプロローグだったとは。
ちょうど1年前ふと思い立って車で熊本・大分旅行をしました。中学校卒業旅行以来半世紀ぶりに見た熊本城は本当に美しく堂々としたお城でした。当世の流行なのか、城の案内人は歌舞伎役者風のサムライコスチュームで決めた若武者たちでした。
私が「皆さん、イケメン侍ですね」と声をかけたら、「殿もなかなかのイケメンでござる」などと当意即妙の言葉でもって観光客にホスピタリティーを見せてくれたものです。この(たぶん)アルバイトの若武者たちもこのたびの大地震では大変な被害を受けているのではないかと心配されます。
熊本のあと訪れた石造アーチが美しい通潤橋は今回の大地震で水漏れするダメージを受けたものの橋そのものは無事だったようです。江戸時代の嘉永7年(1854)に架けられた石造りの橋がマグニチュード7.3の大地震に耐えたことは驚きです。
熊本旅行の帰りは国道57号を通って大分に出ました。山崩れがおき橋が跡形もなく消失し犠牲者が出た場所も通ったはずです。うっとりするほど美しい阿蘇の山岳地帯を一瞬のうちにこんな姿に変貌させるとは、地震のエネルギーの大きさの前に人はなすすべもありません。
今回の地震がこのまま収束するのかそれともさらなる大地震や阿蘇の噴火につながるのか、地震の専門家といえども明確な答えはもっていないようです。しかし、地形の変化に富み美しい日本の風景を作ってきたのは他ならぬ環太平洋火山帯の真上にある日本の国土そのものです。

地震や津波は避けて通れないし、地震や津波の被害はどんなに大きくてもやがては復興します。復興できないのは永久に放射能を出し続ける原発による環境汚染です。旅の最後は大分からフェリーで愛媛の佐田岬に渡りました。中央構造線に沿った細長い半島の付け根に不気味な沈黙を保っている伊方原発の偉容が見えました。フクシマの悲劇から得た教訓を生かす道はあきらかです。

大病院受診と紹介状


いままでも大学病院や500床以上ある大病院を紹介状なしで受診すると特別料金を取られていましたが、厚生労働省はこの4月から最低でも5000円、再診時には2500円徴収するよう求めています。
今日(4月中旬)、大学病院(倉敷市)に今年度になって初めて行ってみました。いつもは満杯の第1駐車場を避けて遠い第2駐車場に車をとめるのに今日はどちらも「空」のサインが。病院の中に入ったらいつもの混雑感がありません。受付も採尿、採血もスムーズ、ほとんど待ち時間がありませんでした。
11時の診察予約時間まで1時間半もあったので院内のカフェでスマホをいじりながら時間つぶしをしていたら携帯に電話が。病院からの呼び出しでした。「すぐに診察室へどうぞ」。いつもなら予約時間が過ぎてさらに1時間ぐらい待たされるのに今日は逆に30分も前倒しです。会計支払い、投薬も待たされることなくあっというまに帰宅できました。
 今日、たまたま空いていたのかどうか分かりませんが、私には4月からの紹介状なし受診の5000円徴収が効いているのではないかという気がしました。
 しかしながら大学や大病院が敷居を高くすることは患者にとって、また病院にとって果たしていいことなのか、はなはだ疑問です。町の診療所で診てもらっている患者が内心「この先生の見立てを信じていて大丈夫だろうか?大きな病院でちゃんと診てもらいたいので紹介状を書いてほしい」と思っても言いだしにくいものです。
 また、内科、整形外科、眼科、耳鼻科などの診療所はあちこちにありますが、泌尿器科、皮膚科、神経内科、心療内科、精神科などのクリニックはそう多くはないのでたいていは最初から大きな総合病院を受診せざるをえません。こんな場合でも初診時だけでなく再診時にまで付加料金を要求されるのでしょうか。

 また大病院にとって大切な患者は重症患者ばかりではありません。風邪の症状や腹痛で来る患者こそ研修医や新米の医療スタッフの訓練にぴったりだと思います。軽い症状のなかに隠れているかもしれない危ない病気を見つけるトレーニングは教育機関としての大学病院の使命では? また軽い症状の患者を大量にこなすことは病院経営上そう悪くない話のように思えますが……。

不機嫌なスマホ


3月初め、長年愛用してきたスマホのカメラが壊れたのをきっかけに新しいスマホに買い換えた話をここに書きました。基本的な操作方法は以前とほぼ同じです。しかし長年慣れ親しんだものを捨てて新しい機種の操作方法やクセに慣れるのはそう簡単ではありませんでした。1か月かかってようやくブラックボックス・スマホの全貌を把握したころ悲劇が突然やってきました。
何が起きたのか語るまえに以前の壊れたスマホについて簡単に。愛着を捨てきれない私はショップの人の反対にもかかわらず高額な修理費を払って直してもらったのです。カメラのレンズ以外にもあちこち経年劣化で不調な個所があったのですが、それらが一新されていました。修理といっても実際は基盤ごと取り替えたのでしょう。以前の部品で残ったのは修理のあいだ取り外して保管していた裏蓋だけ!(と思う)
とにかく修理から帰ってきたスマホは新品同様になっていました。キャリアとの契約が外れた機械といえどもコンビニなどいたるところにあるWi-Hiスポットのおかげでネットも電話も自由自在です。しみじみ壊れたからといって簡単に捨てなくてよかったと思いました。
しかし……、最新機種を手に入れたのに古い機種に愛情をそそぐ……こんな状況は新しいスマホにとっては耐えられなかったようです。「わたしというピチピチの最新機種に乗り換えながら、ススけた前の子に未練がましく執着するご主人様にはもう絶えられない」と発狂したのです。
ある日、電話をかけようとアドレス帳の電話番号をクリックしたら、発信と切断を繰り返します。変だなと思って電源を入れ直してみても関係ない番号を呼び出したり大狂い。とにかくはちゃめちゃな暴走に音を上げてショップに駆け込みました。
 「購入後2週間以内なら新品とお取り替えできたのですが……。修理に10日ほどかかります」。ショップの言葉にいちばん喜んだのは他でもありません。再びキャリアのsimカードを挿入されて名実ともに電話機として復活した以前のスマホです。

 あまりに高度な機能を詰め込まれたスマホの実体はコンピュータそのものです。しかも人間並の感情も獲得しているに違いありません。スマホのやきもちに翻弄される私の悲劇の日々はいつまで続くのでしょう?

スマホとWi-Fi


 3年半ほど愛用してきたスマホですが、ある日写真がすべてピンぼけになることに気づきました。日常生活でのありとあらゆる情報収集・発信の要としてのスマホ・カメラが使えなくなったのは大変な痛手です。
喫茶店で新聞を読んでいてちょっとメモを取りたいと思ったときパシャリ。それを仲間に知らせたいと思ったら即添付ファイルにして一斉送信。庭の椿の花が咲いたらとりあえずスナップ写真を。ネコの写真もスマホのなかに無数に溜まっています。
 そんな日常生活をスケッチするのに必須アイテムのスマホをうかつにも床に落として衝撃を与えたのが致命傷になりました。近所の携帯電話ショップに持ち込んだら案の定「修理代がかなりかかりますが……」と言われました。
私は「3年以上も使い倒してきたし、最新の機種に替えてもいいかな」と自分を説得し、新しいスマホを購入して帰宅しました。同じメーカーの同じシリーズだから基本的な操作方法は同じようなものと思っていたらこれが大違いで、いちいちの操作場面で面食らうことばかりでした。
考えてみるとスマホは不思議な商品です。これだけ複雑な機械なのに店員から詳しい商品説明がありません。いや、複雑すぎるからこそ店員も必要最低限の説明しかしません。マニュアルに関しても昔の携帯電話には分厚いものが3冊ぐらい同梱されていましたが、そんなもの誰も読まないせいか消えてしまいました。
子どもがおもちゃの使い方を遊んでいるうちに覚えるように、スマホも無限の機能と設定の中からその人が必要としているものを選び取り、自分で使いやすいものに育てていくしかないのでしょう。
通話とデータ通信機能を失った古いスマホは捨てるしかないなと思っていたのですが、これがまたびっくり。Wi-Fiが使えるところでは今までどおりネット接続できるのです。電話だってネット回線を通じて世界中タダでつながるのはまったくキツネにつままれたような話です。

“情報”はそもそもきれいな水や空気のように国民が無償で享受する性質のものです。国が国中にWi-Fiを張り巡らせば通信・情報のほとんどの問題は解決するのではないでしょうか。毎月かなりの金額を払っている電話、携帯料金っていったい何のため?だれのため?と思います。

20%のマジック


毎年3月末、株主の権利が確定する季節が近づくと株主優待をねらった株主が急増します。世の中には食品会社の株を多種購入してそれだけで生活している猛者もいるとか。しかし株を買うにもそれなりの資金がいるし、配当や優待の権利を確保しても権利落ちした株価はそのまま低空飛行をするのが常で、優待は得たものの株本体で損することも。
それでも岡山県に住んでいる人間としてはカフェやパスタ店を全国展開しているサンマルクの存在が気になります。系列各店で使える優待カードを手に入れるためには100株以上のサンマルクHD株を権利確定日に持っていることが必要ですが、現在の株価は1株3100円前後なので約31万円の投資になります。
6月末株主総会が終わると同時に待ちに待った優待カードが送られてきます。サンマルク系列の飲食店での割引率は20%ですがこれは大きな割引です。店での支払いのたびにそのありがたさを実感します。普通いろんな店のポイントカード類は100円あるいは200円につき1点とけちくさいのに、さすがは株主優待カード! 太っ腹です。
たとえばコーヒーとサンドイッチなどの合計額が600円ちょうどの場合、割引後は480円になります。500円の商品は400円、どちらも8掛けなので何の不思議もないのですが、私には600円が480円になる方がお得感がぐっと大きく感じられます。なんでかなあ? その理由はこうです。600円→480円になる途中500円台がそっくり吹っ飛んでいるからなのです! そこが500円→400円と違います。
 株主優待カードのケースと真逆、つまり20%余計に取られる場合は痛みと悲しみは計り知れないくらい大きいものになります。それは税金です。現在、株の売却益や配当にかかる税金は20%(さらに東北復興税など加算)です。6万円の売却益が出たと思っても高い税金を取られ、手数料を取られて残りは4万5千円ほど。痛税感大ですね。

 税金と言えば、夏の参院選を前に安倍総理は来年の消費税アップをどう決断するのでしょうか?高齢化社会の日本もいつかは消費税を20%にせざるを得ないかもしれません。しかし所得の低い人々にとっては20%はあたかも40%課税並の破壊力になります。恐ろしい時代がすぐそこまで来ている気がします。

家庭菜園復活


ここ2,3年中断していた家庭菜園をこの春から復活させることにしました。今まではナス、トマト、キュウリ、カボチャ、ゴーヤ、オクラ、ニラ、ネギ、タマネギ、ハクサイ、エンドウ、エダマメ等およそ野菜という野菜は何でも栽培していたのですが、最近は介護に疲れて畑どころではない日々が続いていました。
それが今年、春の陽気とともに久しぶりに土に触れたい衝動がわいてきました。こころの中の忘れかけていた「自然」も復活してきたのでしょう。今度はあまり手を広げず春はジャガイモ、秋はタクアン用の大根を育てるつもりです。
ジャガイモは今植え付けたら桜が咲くころ芽が出、やがて花が咲き、初夏、茎が黄色になるころには大きなイモがごろごろできます。冷涼な気候を好むので県南では2月中旬から3月上旬ぐらいが植え付けの適期で昨日は久しぶりにクワを使いました。風の寒さが汗ばむ体に心地よく感じられました。
 大人でも楽しいジャガイモ栽培は保育園や幼稚園でも大人気ですが、幼児の情操を育てるのにこれほど感動的な野菜は他にないと思います。園児が先生といっしょになって土の中からジャガイモを掘り出すのは感動の体験です。そしてそのイモを使ってカレーを作るのは園の年中行事になっているのではないでしょうか。ただ、収穫後直射日光に当ててしまい緑色がかったジャガイモを食べて園児が食中毒を起こしたというニュースも毎年聞かれます。保育士や幼稚園の先生方には気をつけていただきたいと思います。
 さて私の家庭菜園の秋の主役はタクアン用の大根です。細長くすらっとした品種の大根です。昔は12月ごろこの大根を干して束ねたものが八百屋で売られていたのですが、最近はめったに見かけません。とりわけ昨年は暖冬と長雨による不作がひどく店頭にはついに並ばず、通販で九州の業者から取り寄せたのですが、クレームをつけたくなるような粗悪な品質のものが届きました。

 こうなったら自分で栽培する方がよほど計画的、経済的にタクアン作りが楽しめます。そんなこんなで2品目限定の家庭菜園プロジェクトが開始しました。でも心変わりが早い私のこと、油断したらまた畑いっぱい何でも植えそうな気がします。野菜づくりの魅力にはなかなか抵抗できませんから。

清原と焼き肉弁当


覚醒剤所持容疑で逮捕された清原元野球選手の事件にマスコミは連日大フィーバーしていました。テレビ各局は識者を取りそろえ、薬物中毒の恐ろしさ、事件の経緯や背景、天才野球選手の栄光と挫折、今後の裁判の見通しなど微に入り細をうがつ報道ぶりでした。
こうした報道を見ていて何となく違和感を覚えたのは私だけでしょうか。清原(以下敬称略)はそんなに人間的にダメな男なのか、そんなに意志の弱い男なのか、そんなにバカなのか?(才能に恵まれ、子ども時代からずっと努力を重ね、並はずれて意志も強い男だったからこそ偉大なバッターになれたのでしょう!)
テレビのコメンテーターたちが語る“覚醒剤の恐ろしさ”はまるで坊主の説教のようで説得力がありません。それよりもダルクのような更正施設で薬物からの離脱に取り組んでいる経験者が語る話のほうがよほど真実味があります。
彼らが一致して語るのは、覚醒剤やそのほかの薬物はいったん中毒にかかるとほとんどの場合2度と治らないということのようです。アルコールやタバコもやめることは難しいけれど、そういう中毒とは比較にならないくらい困難な道です。したがってダルクでは根治などは求めず、「今日一日とりあえずクスリなしで過ごすことができた」という実績を日々重ねるだけだと言います。別の言い方をすれば薬物依存症とはその人の意志が弱いとかではなく、「薬物体験によって脳が不可逆的にリプログラミングされてしまった症状」というべきではないかと思います。
薬物中毒患者を犯罪者として刑務所に放り込むことで決着をつける点で日本は欧米に比べ著しい後進性を見せています。必要なのは刑罰ではなく医学管理下におけるサポートと治療です。日本で多くの受刑者が服役中に考えることは出所後のシャブの入手の算段だそうです。これでは服役の意味がありません。

清原の保釈後、入院先の病院を報道陣が夜中になっても取り囲んでいたら、清原サイドから豪華焼き肉弁当がふるまわれ、それがまた大きな話題になりました。スポニチの記者だけがその弁当を食べたのに対し他社の記者は受け取りを拒んだとか。「下衆の勘ぐり」とはスキャンダルでもうけているくせに清原の心情を受け取れない記者たちのためにある言葉ではないかと思いました。