2016年5月28日土曜日

四国の酷道、今昔

 連休が終わって山々の緑がいよいよ濃くなってくるとたまらなく自然の中に入っていきたくなります。2030代のころはよく和歌山や四国の山中へオートバイで出かけたものです。ところが当時の国道は“酷道”としか言いようのない狭くて未整備、危険極まりない道路が大半でした。
 垂直に切り立った崖の中程をくり抜くように作られた道路を通行するのは文字通り命がけ、頭上からは落石が襲ってくるし、ちょっとでも油断すれば千尋の谷にバイクごと転落です。しかも信じられないことに見通しのきかないカーブから突然大型ダンプやバスがいきなり道幅いっぱいに迫ってきます。
しかしそうした酷道は随所でトンネルや橋梁、バイパスの建設が進行していました。当時、そんな工事を横目に見ながら「全線が整備されるのにはいったい何十年かかるのだろう?そんな日は永久に来ないのでは?」とさえ思われたものです。
 ところがです。先週、ちょっと時間ができたので何十年ぶりかでそんな酷道のひとつ高知と徳島を最短距離で結ぶ国道195号線をドライブしてみました。高知市を出発してしばらくたったころ道路沿いに「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」(香美市)がありました。日本だけでなく世界の子どもたちにも大人気のアンパンマンの故郷がこんなところにあったとは驚きでした。
 そこを過ぎたあたりから国道195号は山に入っていきますが、酷道となるはずがいつまでも立派な道路でした。数年前ついに全線が整備されたのです。人間の営みはすごいものです。気の遠くなるような建設工事も30年、40年継続すれば完成にこぎつけることに感動しました。
 国道195号線のハイライトは高知・徳島県境にある四つ足トンネルです。心霊スポットとして有名ですが道路が整備された今日では心霊現象も現れにくいのではないでしょうか。それでも興味本位の夜間ドライブはためらわれますね。峠のトンネルを無事通過したら後は徳島の市街地まで快適な下り坂ドライブです。

 四国ではいたるところお遍路さんに会いますが、お遍路さんには昔の酷道がよく似合います。車が高速で行き交う道路のそばを歩く姿を見ると、立派な国道は自然の中を無心に歩くお遍路さんにとっては皮肉にも新たな酷道のように思えました。

日本の唱歌

自宅で寝たきりで生活している母は意識はあるものの感情を表現することも私の呼びかけに反応することもありません。手足を自発的に動かすことはもう何年も前からできず、かろうじて動きがあるのは眼球ぐらいのものです。
私が想像するに母は無限の時間を退屈しきって過ごしているに違いありません。そんな母にとって一番の慰めはなつかしい音楽ではないかと思います。これまでもいろいろ工夫してきました。春先、暖かい日があると思えばまた寒さがぶり返す季節になると“春は名のみの風の寒さや”の歌詞がぴったりの“早春賦”のオルゴールを聞かせます。しかしオルゴールはわずか数分間同じメロディーを繰り返して沈黙します。CDも40分ほどで終わります。
ところが最近家のインターネット環境を光回線に変え、家庭内でWi-Fiがどこでも複数の機器で使用できるようになって一挙に音楽がある生活が豊かになりました。古いスマホを母の枕元におき文部省唱歌や琴の名曲を思う存分流すことができるようになったのです。
“さくら貝の歌”、“下町の太陽”の倍賞千恵子が残した100曲もの美しい日本の歌曲がこんなにも簡単に、しかもそれなりに高音質で聞けるなんて、本当に母がまだ生きているうちに毎日聞かせてあげられるようになったことに私自身大変な喜びをかみしめています。唱歌ほど日本人に故郷を思わす歌のジャンルはありません。たとえば「故郷の廃家」。
もともとアメリカの曲ですが犬童球渓(いんどう・きゅうけい/1884-1943)の訳詞がすばらしいです。
 幾年ふるさと来てみれば
咲く花鳴く鳥そよぐ風
門辺の小川のささやきも
なれにし昔に変らねど
あれたる我家に
住む人絶えてなく

終戦直後両親が力を合わせて建てたこの家で父は長い生涯を終えました。やがて母も父のもとにいったらこの家は文字通り私にとって故郷の廃家になるでしょう。でも歌があれば両親と兄、愛犬のクロがいた楽しかった時代の我が家はいつでもよみがえるでしょう。

箏曲の宮城道雄も母のお気に入りでした。“春の海”の箏(そう)と尺八のなんとも天国的な美しい調べに母が「私はいつの間に天国に来てしまったの?」と勘違いしないか、心配ではありますが。

シド・ヴィシャスのマイウェイ

1980年代、カラオケが全盛期だったころ、おじさん世代に絶大な人気があった曲といえばフランク・シナトラの“マイウェイ”をおいてほかにありませんでした。
おじさん族が歌う“マイウェイ”は自分なりにがんばって成功体験も重ねてきた人生を、著しい自己肯定感をともない、原曲の歌詞の世界と一体となってひとりよがりに歌い上げるという、そら恐ろしいものであるのが常。しかもへたに上手に歌うと周囲の人はますますどっちらけするという魔のナンバーです。
プロの歌手によるカバーでもフランク・シナトラを超えることはありえない……と、長年私は信じていたのですがあるときイギリスのパンクのカリスマ、シド・ヴィシャス(1957-1979)が歌うマイウェイを聞いて衝撃を受けました。
YouTubeで繰り返し視聴されている映像。パリのオランピア劇場でシドが満席の観客の前に降臨しマイウェイを歌います。客席は若者から上流階級の老貴婦人にいたるまで大興奮の渦につつまれます。エリザベス女王そっくりの老婦人もいます。歌の終わりが近づき聴衆の熱狂が頂点に達したとき突如シドはポケットからピストルを取り出し客席に向かって銃の乱射を始めるというアンリアリステックで残酷、美しい映像です。
フランク・シナトラのマイウェイは一人の男が人生を誠実に生きてきた生き様を高らかに歌い上げるものでしたが、シド・ヴィシャスの人生とは? シドは極端な麻薬愛好者で前述のコンサート風映像においても目が宙を泳いでいています。モデルなみの高身長とルックスで体を激しく動かすその体の線は極端にやせ細っていて痛々しいぐらいに美しい。

歌の内容はポール・アンカが作詞したオリジナルに似ているけれどよく聞くと“オレはオレ流のやり方でネコを殺した”などと解釈が難しい歌詞になっていますが、不思議と美しものです。まさにフランク・シナトラと正反対の世界を体現していながらシナトラを超える感動を覚えるのはファンの多さからもうかがえます。わずか21歳で死に伝説を残したシドですが、伝統と格式の国イギリスはときおりとんでもない前衛アーティストを生み出す国でもあります。ぜひいちどシド・ヴィシャスのマイウェイを聴いてみてください。

YouTube検索
https://www.youtube.com/watch?v=HD0eb0tDjIk

Sid Vicious My Way

And now, the end is near
And so I face the final curtain
You cunt, I'm not a queer
I'll state my case, of which I'm certain
I've lived a life that's full
I've traveled each and every highway
And more, much more than this
I did it my way

Regrets, I've had a few
But then again, too few to mention
I did, what I had to do
And saw it through without exemption
I planned each chartered course
Each careful step along the highway
And more, much more than this
I did it my way

There were times, I'm sure you knew
When there was fuck fuck-all else to do
But through it all,  when there was doubt
I shot it up or kicked it out
I faced the wall and the world
And did it my way

I've laughed and been a snide
I've had my fill, my share of losing
And now, the tears subside
I find it all so amusing
To think, I killed a cat
And may I say, not in a gay way
Oh no, oh no not me
I did it my way

For what is a prat, what has he got
When he wears hats and he cannot
Say the things he truly feels
But only the words, of one who kneels
The record shows, I fucked a bloke
And did it my way

(Thanks to chalkey79 for submitting My Way Lyrics)