2016年9月20日火曜日

岡山空港国際線ターミナル

7月に岡山と台湾の間に待望のLCC(格安航空)直行便が開設されました。8月末に長年の親の介護が終わったのを機に、9月になって早々、このLCC、タイガーエアーに搭乗し台北に3泊してみました。
 出発予定の3日前にタイガーエアーのホームページから予約をしたのですが、片道1万円ちょっとの席が取れました。搭乗機内は往復とも満席でさい先よい出発です。地元岡山から気軽に海外へ飛ぶことができるのはほんとうにありがたいことで、路線開設に尽力された知事はじめ関係の皆様には謝意を表します。
 それにしても岡山空港の国際線ターミナルは何とかならないものでしょうか?小さな空港なので関空などに比べチェックインが手早くできるのかというと正反対。少ない数の国際線発着のために多くの人員を配置するわけにいかないのでしょう。セキュリティ・チェックを通り抜けるのに相当時間がかかります。
 帰国時の税関チェックも時間がかかります。税関職員は閑を持て余していて私のような軽装個人旅行者には特に執拗にあれこれ聞いてきます。税関への申告は申告書を提出する方式を義務づけているくせに申告書に記載した項目についていちいち口頭でも質問を繰り返してくる意味が分かりません。「荷物はこれだけですか? 別送品はありませんか?」、「職業は?」、「酒、たばこはもっていませんか?」。
 きげんよく帰国しても税関職員のしつこい質問にだんだんいらだってきます。「申告書に書いた通りです」、「さあ、観光旅行とも仕事ともはっきりしませんが……」、「強いていえば取材です」。「何を取材したのですか?」、「 そんなことあなたに説明する必要ありますか?」
 これだけでも10分ぐらい経過した感じがするのですが、いっぱい質問したあげくに「ちょっとリュックを開けてもらってもいいですか?」ときます。疑ってかかっているのなら最初からすべての手荷物を開けさせて調べれば済むことなのに……「神戸税関長に訴えてやる!」いつも最後はこの言葉で終わります。

 過去にも高松空港で毎度毎度バトルを繰り返していたら最近ではかなりスムーズに通してくれるようになりました。そのうち岡山空港税関でも「あのおっさんにはかかわるな」という日がくるのでしょうか。 

遺稿整理

2001年4月に始まった長い介護生活がついに終わりました。大阪での公務員生活を53歳で断念し介護に専念した期間がまる15年、それ以前も週末ごとに岡山に帰っては親の生活を助け、通院に付き添う日々が数年ありました。結局私は40代の終わりから70に手が届きそうな今日までずっと親に関わって生きてきたことになります。
そんなにも長期間を両親と過ごしたにも関わらず、私が物心つく前の両親がどこで何をし、何を思って若き日々を過ごしていたのかについては、本当におぼろげながらにしか分かりません。2年前に父が96歳でなくなり、先日母も97歳でこの世を去り、いよいよ両親が遺したものを整理しなくてはならなくなりました。今それをしてあげなかったら永久にできない気がします。
親が着ていたパジャマでさえ簡単に捨てる気にならないのですが、逆にこれだけはどうしてもきちんと残してあげたいものがあります。それは母がまだ独身だったころのエッセイや日記の類です。父も晩年にいたるまで村の歴史や思い出などを書き連ね、また独創的な詩を残しています。父はワープロで文集を作成し、簡易製本していたので、母の手書きの書き物を整理するのよりは楽です。
両親についておおよそ分かっていることは、2人とも岡山師範学校(男子、女子)を卒業し、笠岡沖の北木島小学校に赴任していたとき出会い、後に結婚、兄と私の2人の子どもを生んだということです。
しかし、昭和10年代から敗戦まで、日本の激動期に成人になった世代に属する両親の青春時代は波瀾万丈で一筋縄ではいきません。まずは両親の経歴、履歴を把握するところから手を着けなければなりません。
とりわけ知的好奇心のかたまりだった母は北木島にいたかと思えば東京の学校で教えながら、帝大(東大)の夜間クラスに顔を出して著名な学者の講義を聴いたり、戦時下の日本でも激しく文学や芸術に対する情熱を燃やしていたようです。

とりあえずは母の手書きの日記を活字にすることから遺稿整理を始めようと思います。若き日の母がどこで何を考え、何に苦しんでいたかを知ることはとりもなおさず、この先私が私に残された日々をいかに生き、何をなすべきか、よき道しるべになってくれるような気がします。

2016年9月2日金曜日

岡山県庁最後のミュージックサイレン(2016.8.31) 

夏の終わり: 風は涼しこの夕べ

県庁のミュージックサイレンに関し筆者がNHKからインタビューを受けた話を前回ご紹介しました。オンエアされた映像は約7分にまとめられており、私自身の露出時間が大半を占めていました。なんだかミュージックサイレンの話より私の介護人生の方により焦点が当たっているような印象さえあり少々面はゆい。
オンエアに引き続いていろんなことがありました。20年以上介護をしてきた最愛の母は放送のわずか2日後、自宅で私と孫娘に手をとられて静かに息を引き取りました。
家族と親族だけで小さな葬式を執り行いましたが、話題の中心はもちろんNHK岡山の「もぎたて!」に出演したことです。「どういういきさつでテレビに出たの?」というのがみなさん共通の疑問。私は「岡山を代表する文化人をNHKが見逃すはずがないじゃないか!」などとみんなをからかってやりました。
しかし本当は長年介護してきた母が、天寿に近かったとはいえここ1ヶ月次第に衰えていくのを一人で見守るのはとてもつらいことだったのです。老い、病、近づく死の影に支配された暗い家。そこに若さ、知性、快活さ、優しさ……要するに死の対極にあるものをひとりの若者がテレビカメラとともに持ち込んだのです。私のような老境に差し掛かった人のひとりよがりの話にもじっくり耳を傾けてくれ、何日もかけ、長時間かけ私の意識の中心部にまで迫るビデオ映像を切り出してくれたカメラマン氏。このS君の存在は大きな救いであり、また収録につきあうことはいい気晴らしになりました。
オンエアされた映像は母へのすばらしいはなむけになり息子としては最良の形で母を見送ることができました。もし取材の申し込みがこのS君でなかったら瀕死の母の寝室にまでテレビカメラを持ち込むことなど決して同意しなかったと思います。そのように思います。
8月31日、いよいよミュージックサイレンの最終奏鳴のときが近づきました。私は「家路」の歌詞を手書きで紙に写し、コンビニで20枚コピーを取り、県立図書館前に集まったサイレンを惜しむ方々にお配りしました。

作曲:アントニン・ドヴォルザーク
遠き山に日は落ちて(家路)
作詞:堀内敬三

遠き山に日は落ちて
星は空をちりばめぬ
きょうのわざをなし終えて
心軽く安らえば
風は涼しこの夕べ
いざや楽しきまどいせん
まどいせん

やみに燃えしかがり火は
炎今は鎮まりて
眠れ安くいこえよと
さそうごとく消えゆけば
安き御手に守られて
いざや楽しき夢を見ん
夢を見ん

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家路
   作詞:野上彰

響きわたる鐘の音に
小屋に帰る羊たち
夕日落ちたふるさとの
道に立てばなつかしく
ひとつひとつ思い出の
草よ花よ過ぎし日よ
過ぎし日よ

やがて夜の訪れに
星のかげも見えそめた
草の露にぬれながら
つえをついて辿るのは
年を老いて待ちわびる
森の中の母の家
母の家

県立図書館前で配った歌詞はこの二つの日本語訳を一枚のA4用紙に両面コピーしたものです。年齢によってどちらの歌詞を習ったか、両方に対応できるように工夫しました。
どちらの歌詞もそれぞれいいところがあります。今の私の心境では野上彰(1909-1967)の方かな。

みんなといっしょに「家路」を口ずさみながら岡山県庁のミュージックサイレンに最後の別れを告げました。

夏は終わり、なつかしい秋の風が吹き始めました。

***   ***   ***   ***   ***

岡山のKSB放送が最後の演奏の様子をYouTubeにアップしています。最後のシーンで何人かの人が持っている歌詞(A4用紙)は私が配布したものです。私自身の姿も、歌詞を配っているシーンが、終了直前、少年の背後にちらっと写っています。(初老の太ったおっさん)
https://www.youtube.com/watch?v=GPjprMPbRuI

8月31日最後の「家路」の音声が美しい投稿はこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=jXMvy8m8Ox8


(参考 英語のオリジナル歌詞)

Going home (Antonin Leopold Dvorak 1893/ William Arms Fisher 1922)

Going home, going home
I'm just going home Quiet-like, slip away I'll be going home. It's not far, just close by Jesus is the Door Work all done, laid aside Fear and grief no more. Friends are there, waiting now He is waiting too See His smile, See His hand He will lead me through. Morning Star lights the way Restless dream all done Shadows gone, break of day Life has just begun. Every tear wiped away Pain and sickness gone Wide awake there with Him Peace goes on and on. Going home, going home I'll be going home See the light See the sun I'm just going home.

さようならミュージックサイレン

 戦後の岡山市民に憩いと郷愁のメロディーを正午と夕刻に届けてくれていた県庁のミュージックサイレンがこの8月末日をもっていよいよ終了することになりました。
 県庁のミュージックサイレンについて私はこのコラムに以前(2012)思いを綴ったことがあります。その当時はまさかサイレンが廃止になるなんて考えもしなかったのですが、いよいよ最後の月を迎えて、かつての記事が地元NHKの方の目に留まり、「ミュージックサイレンに対する思いを語ってください」との趣旨でインタビューを受けました。
 最初にメールで申し出を受けたときは気が重くなりました。こうみえてもアガリ症だし、カメラの前ではきっとしどろもどろでしかしゃべられません。それにコンタクトを取ってきた人はエリート臭漂うNHKのベテラン記者に決まってる!などと勝手におそれをなしていたのです。
 ところが打ち合わせにやってきたのはまだ大学を出たての新人カメラマン氏で実にさわやか、フレッシュ。長年大学図書館で働いてきた私はこの年代の若者相手におしゃべりするのは得意分野なのです。
 撮影は半日がかりでした。最初は自宅座敷でテレビカメラに向かってのインタビュー。子ども時代、ミュージックサイレンを聞いていたころの思い出やエピソードを求められました。カメラマン氏が期待していたのはきっと絵写りのいい話。例えば「初恋の人と放課後、東山公園でメロンパンをかじりながら“家路”をよく聴いていたものでした」とか。
しかし不幸にして私にはそんな経験はなく「とにかく心に沁み入るいい曲でした」みたいな情緒的な言葉しか出てきません。でも捏造は御法度。ありのままの私を写してくれました。続いて母を介護しているシーンを撮ったあと、県庁前の県立図書館に撮影場所を変えて読書シーンなど収録しながら5時の“家路”が始まるのを待ちました。
サイレンの地鳴りのような響きに合わせ、私は図書館入口の柱にもたれかかりながら陶然とした面もちで“遠き山に日は落ちて”と口ずさむ。こうしてクライマックスシーンを撮り終え、長い半日が終わりました。

戦後70年の歳月を岡山で父と過ごした母はまもなく長い一生を閉じようとしています。サイレンも終わりですが絶妙のタイミングで親子の映像が残ったことに幸せを感じます。

Rio2016

 リオ・オリンピックは日本人選手団が大活躍し、私もついライブ中継につきあってしまい連日昼夜逆転生活です。オリンピックが始まる前は、会場建設や都市インフラの整備が間に合わないのではないかとやきもきさせられましたが、今や大変な盛り上がりです。このままテロなどなく無事に東京に引き継いでもらいたいものです。
 リオ大会をテレビ観戦していて気づいたことがいくつかありますので思いつくままに列記してみます。
1.いままでの日本人選手はおおむね古来からの大和顔をしていたものですが、柔道のベイカー茉秋、陸上短距離のケンブリッジ飛鳥をはじめ、ラグビーなどガタイのよさがものをいう種目でもハーフや外国生まれの選手が大活躍。彼らは身体能力が高いだけでなくルックスも抜群で、今後ますます存在感を増すでしょう。
 オリンピックのような国際的な競技大会ではナショナリズムの気分がいやでも高揚し、どの選手も“国を背負う”覚悟で出場していますが、応援する側としてはあまり国籍や人種に拘泥しないで、選手それぞれ個々の技や能力こそ褒め称えるべきと思います。金メダル級の選手が掃いて捨てるほどいる中国の卓球界では中国代表になれないと判断した選手はシンガポールやドイツに移住して出場していますが、選手にしてみれば当然の話で、国籍を問わず技能を競ってもらいたいものです。
2.銅メダル。柔道で銅メダル“しか”とれなかった選手は判で押したようにカメラの前で悔し涙を流しながらお決まりの“東京ではもっといい色のメダルを取る”と発言していました。選手たちの素直な気持ちに違いないでしょうが、実力どおりの結果を素直に喜んでいいと思います。第一“銅などメダルのうちに入らない”という態度はほかの種目の銅メダリストたちに失礼。

3.卓球とバドミントン。以前この2種目は中国の独壇場の観があり日本人がメダルを取るのはほとんど不可能と思われていたのが、今回は男女ともメダルが取れました。福原愛ちゃんがいつのまにか大ベテランになってチームをひっぱりメダルを取りました。勝利の瞬間、ベテランの愛ちゃんが涙でくしゃくしゃなのに15歳の選手はさばさばしていました。若いってすばらしい。体操の白井もまだ19歳。東京2020がますます楽しみです。