2017年12月20日水曜日

12月の東京、富山、金沢

12月9日から2泊3日で静岡、東京、富山、金沢、大阪と周遊旅行をしてきました。
静岡では駅前の静岡市美術館で開催中の「ターナーからモネへ」展を見ました。ターナー、コンスタブルらイギリスの風景画がフランスの印象派に与えた影響をテーマにしていました。それにしても新幹線の「のぞみ」が停車しない都市へ行くのは大変です。名古屋で「ひかり」に乗り換えたのですが「ひかり」は1時間に1本。北陸新幹線も最速タイプの「かがやき」がこれも1時間に1本。岡山は便利な街であることを再認識しました。
東京では今年2月に結婚した甥に会いました。そのあとで学生時代の友人と歌舞伎座近くの料理屋で久しぶりに歓談。
翌11日(月)は歌舞伎鑑賞。11時からの公演。「実盛物語」愛之助、吉弥、笑三郎、片岡亀蔵。愛之助はスキャンダルだけの俳優かと思っていたのになかなかの役者であることを知りました。
「土蜘」叡山の僧智○実は土蜘の精:松緑、侍女胡蝶:梅枝、太刀持音若:左近など。
最前列中央かぶりつきで見ました。蜘の化け物が糸をシャーっと投げつけるシーンはぜひ至近距離から見たいと思っていたので最前列の席を予約して大正解。

夕刻、北陸新幹線で富山へ。富山はぼたん雪が降り、ホテルまでのわずかな距離も大変でした。
夜は飲み屋と料理屋をはしご。魚料理がとても美味。ホテル泊。

12日 富山県立美術館訪問。雪景色のなかにモダンな建築がよく似合っていました。
午後、北陸新幹線で金沢へ。富山と金沢がほんとうに近くなったと感じました。兼六園見物。シニア料金は無料。
夕方、サンダーバードで大阪へ。梅田でショッピングその他。午後10時半過ぎの新幹線で岡山へ。

日本の旅は楽しい!

韓国アイドルの遺書

韓国の男性アイドルグループになんて全然興味ありません。中身のない、歯の浮くような嘘臭い歌詞の羅列にすぎない。ところが最近練炭自殺した、SHINee(シネーではなくシャイニーと読むらしい)のメンバー、ジョンヒョンの遺書が公開されました。うつ病だったようですが、この遺書には心を打たれました。死に際して大変な才能を発揮したと思います。記憶にとどめるためにここに引用します。

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SHINeeジョンヒョンさんの遺書全文

2017年12月19日10時13分
[ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版]
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SHINeeの故ジョンヒョンさん
  19日、4人組グループ「Dear Cloud(ディアクラウド)」のメンバー、ナインのインスタグラムを通じてジョンヒョンさんの遺書全文が公開された。

  <ジョンヒョンさんの遺書全文>

  僕は体の中から壊れてしまった。じわじわと僕を蝕んでいった憂鬱は結局、僕を飲み込み、僕はそれに勝てなかった。僕は自分を憎んだ。切れ切れになる記憶をつかんでいくら気を引き締めろと大声で叫んでみても答えはなかった。詰まった息を再び息できるようにすることができないなら、いっそ止めてしまったほうがいい。

  僕の責任を負えるのは誰なのか尋ねた。君だけだ。僕はたった一人だった。終わらせるという言葉は簡単だ。終わらせることは難しい。その難しさのために今まで生きてきた。逃げたいだろうと言った。その通りだ。僕は逃げたかった。僕から。君から。

  そこにいるのは誰かと尋ねた。僕だと言った。また、僕だと言った。そしてまた、僕だと言った。なぜそんなに記憶を失うのかと聞いた。性格のせいだという。そうなのか。結局、全部僕のせいなんだ。気づいてほしいと願っていたが、誰も気づかなかった。僕に会ったことがないのだから僕がいることに気づかないのも当然だ。

  なぜ生きているのかと尋ねた。ただ生きてる。ただ生きてる。みんなただ生きている。なぜ死ぬのかと聞かれれば疲れたからだと言うだろう。苦しみ、悩んだ。うんざりするような痛みを歓喜に変える方法は教えてもらったこともなかった。痛みはただの痛みだ。そうするなと僕を責めた。なぜ? 僕はなぜ僕の心のままに最期も迎えられないようにするの? なぜ痛いのかを探せと言った。すごくよく知っているさ。

  僕は自分のせいで痛い。すべて全部、僕のせいで、僕が悪いからだ。先生、この言葉が聞きたかったんですか? いいえ。僕は何も間違っていない。小さな声で自分の性格を責めている時、医者は実に軽く考えた。なぜこんなにまで痛いのか不思議なことだ。

  僕より辛い人たちもうまく生きたのに。僕より弱い人たちもうまく生きたのに。違うようだ。生きている人の中に、僕より辛い人はいなくて僕より弱い人はいない。それでも生きなさいと言った。なぜそうしなければならないのか数百回聞いても、僕のためにではない。君のためにだ。僕のためにしたかった。どうか分かりにくいことを言うのはやめてください。なぜ辛いのかを見つけろとは。何回も言ったじゃないか。なぜ僕が辛いのか。じゃあこれくらいの辛さではダメってことなのか? もっと具体的なドラマがなければならないのか? もう少し事情がないとだめなのか? もう言ったじゃないか。ひょっとして聞き流していたんじゃないのか? 打ち勝てることは、傷跡として残らない。

  世の中とぶつかることは僕の役割ではなかったようだ。世の中に知らされているのは僕の人生ではなかったようだ。全部、だから辛かったんだ。ぶつかって、知らされたから辛かった。なぜそれを選んだのだろうか。お笑いだ。今まで耐えていたのがえらい。これ以上、何の言葉を加える? そのままお疲れ様、と言って。これぐらいならよくやったと。よく頑張ったね、と言って。笑うことはできなくても、責めたまま死なせないでほしい。お疲れ様。本当に頑張った。さよなら。

2017年12月6日水曜日

イタリアへの旅(4)


 ヨーロッパに出かける楽しみのひとつにオペラ鑑賞があります。今回宿泊したテルミニ駅(ローマ中央駅)近くにはローマ歌劇場があり、私の滞在中は毎晩バレーの人気演目「ドンキホーテ」が上演されていました。できればバレーではなくオペラが見たいと思っていたら、歌劇場近くの教会でヴェルディの「椿姫」の公演があることが分かり旅の相棒を置いて一人で出かけてみました。
 超一流のメンバーによる公演ではないにしてもそこはイタリア、さすがです。しかも教会の祭壇を舞台にしつらえ観客は会衆席に。高級娼婦ヴィオレッタとうぶな青年アルフレードの二重唱を圧倒的な声量で聞く喜びは小会場ならではです。
 最前列に陣取った私の隣には日本人女性が座っていて、幕のあいだ少しお話ししました。以前はニューヨーク勤務だったそうで、そのときオペラを見る楽しみに目覚め、いつか本場のイタリアオペラを見たいと思っていたのが今日実現したと語っていました。
 不幸な役をやらせれば日本一と評判の女優、木村多江を思わすやや翳りのある美貌、知性がおのずとにじみ出ている立ち居振る舞いが気になりオペラに集中できません。終演後は思い切って「コーヒーでも」と声をかけよう!(まるで中学生です)、「いや客観的に見て、こんな知ったかぶりジジイとお茶するなんて自分でもノーサンキューだわ」と自問しているうちに「椿姫」は感動のフィナーレを迎えました。
 ここは2000年の都ローマ、しかも教会の祭壇の前、感動のオペラの余韻がまだ残っている! 私は思わず「コーヒー、いかがです?」とニューヨーク帰りの木村多江さんに声をかけていました。
 「もう遅いですし、友人が待っていますので……」それはそうでしょう。オペラが始まったのが夜の8時半で時刻はすでに11時を過ぎています。深夜のローマは物騒。しかし終演が早い日本と違いローマの夜はこれからです。食事にワイン、お開きになるのは深夜23時、ときには夜が白むまで彼らの楽しみは続きます。

 柄にもないあつかましい誘いを断られて、何だかほっとして、ホテルまでの数百メートルの道を、ちょっと残念と思いつつ、心は軽く、後輩君が待っている安宿へ引き上げました。楽しかった46日のローマ旅行もこうして無事終了しました。(了)

2017年11月29日水曜日

イタリアへの旅(3)

 旅行の楽しみは名所旧跡を見て回ることだけではありません。そこで暮らす人々とのふれあいこそ旅の真の喜びです。日本に大挙して押し寄せてくる外国人観光客も都会や田舎で出会った日本人についてネットで熱く語っています(悪口は皆無)。
 ローマ観光初日のランチは同行のK君とホテル近くのレストランで。「本日のメインはラムのカツレツ」と店の表にメニューが掲げてありました。料理の注文に際して「外のメニュー」と言うべきところを間違って「花のメニュー」と店主に言ったらしく店主はfuori()とfiore()の違いを花瓶の花を指しながら指導してくれました。こんなところでイタリア語のレッスンを受けるとは!
隣のテーブルに座った若いカップルが小声で楽しそうにしゃべっています。彼らの言葉は今まで聞いたことのない言葉、どこの国の人だろう? 私は思い切って聞いてみました。変なおっさんのぶしつけな問いにもにこやかにいろいろ自己紹介してくれました。イラン人でした。
彼らは今はトルコのイスタンブールに住んでいて、若いご主人は会社員、黒髪が美しい若いマダムは建築学のドクターコースで勉強中とのことです。「次の旅行はぜひイランとトルコへいらして下さい」と薦められ、ご主人は名刺までくれました。私は若いころよくこんな感じでふと知り合いになった人を実際に翌年訪ねて何人もの人と生涯の友人になったものです。イスタンブール、いつかきっと旅したい街です。
4連泊した安ホテルの受付のおじさんは私が日本人だと分かると、「葉隠」(はがくれ)を読んだ、感動した、と話かけてきました。「葉隠」は私の愛読書でもあり、おじさんはどんどん饒舌になります。しかし私のイタリア語では深い内容にまで立ち入ることはできません。残念。もっと話したかったのですが。

旅の最後の日の昼食はK君とちょっと高級なレストランに入りました。でも店は家族経営みたいでとてもフレンドリー。息子とおぼしき青年がサービスしてくれます。とても若いので「高校生ですか?」と尋ねたら「明後日は私の23回目の誕生日です」と笑いながら「日本にぜひ行きたい」と言っていました。生ハムもピザも絶品! 年を取り、旅に出て、そこで出会った人々とするたわいもない話。これって全然悪くないです!(続く)

2017年11月26日日曜日

パパイヤ収穫

気温が零度近くなってきたので畑のパパイヤを収穫しました。写真では分かりにくいのですがかなりの大きさのパパイヤがゴロゴロと。家の中で黄色く熟成するのを待ってみます。青いパパイヤの実の千切りはタイのサラダ、ソンタムに入っていて有名。でも完熟し甘くトロっとなったものが食べたい!

2017年11月24日金曜日

イタリアへの旅(2)

関西空港から北京経由でローマにやってきました。空港から市内中心にあるテルミニ駅まではノンストップの電車で移動しました。今回も旅の相棒は昔の職場の後輩K君です。
K 君はかつては大学の事務職員として教員や学生のお世話をてんてこ舞いになりながら熱心にこなしていたのですが、安倍首相と同じ腸の難病に苦しめられ40歳にもならないうちに退職し、今は大阪でのんびり過ごしています。もう永久に働く気はないようです。K 君と私は、年の差は20歳以上あってもお互いひまで、いつも電話で「何か楽しいことない?」「ない!」と言いつつ、年に2回くらいは誘いあって格安の海外旅行に出かけている間柄です。
テルミニ駅はイタリア映画「終着駅」(1953)の舞台として、かつて日本で知らぬ人はいないくらい有名な駅だったのですが、日本人にとって駅の概念としての「終着駅」はなじみがうすいですね。岡山駅や大阪駅は終着駅ではありません。線路がそこで終わらず続いていますから。ところがテルミニ駅は文字通りそこが終点の駅です。映画のタイトルはもちろん主人公たちのラブロマンスの終わりを暗示しているのですが、今では「終着駅」という語感の良さが独り歩きし奥村チヨの名曲のタイトルにもなっていますね。(話題がことごとく古くて申し訳ないです)
さてそんな由緒正しい本家本元のローマのテルミニ駅に降り立った我々「老年中年コンビ」は駅近くの格安ホテルにチェックインしたあと、駅の中にある「にぎわい広場」というか飲食店が集まったコーナーへ夕食を取りに行きました。1972年の正月に初めて来たときの暗くてわびしい終着駅の面影はどこにもありません。威勢のいい店のお兄さんたちの呼び込みに我を忘れて、チーズ、生ハム、ピザ、アーテチョークのオイル漬け、ワイン、ビールとまるで欠食児童のように手当たり次第に注文し、胃の中の納めました。ムフフフフっと旅に出た歓びがわき起こる瞬間です。
翌日は路線バスに乗ってボルゲーゼ美術館に行きました。カラヴァッジョの絵が数点あるので大変な人気美術館ですが、前回記したように日本でチケットをネットで購入していったのは正解でした。料金もむしろ安いぐらいでした。美術館の建物そのものが美術品である館内に1歩入って目にしたおびただしい数の油絵と彫刻にはもう言うべき言葉がありません。素晴らしすぎます。
西洋の古典絵画や彫刻の大きな特徴としてその具象性というか人物を写真に切り取ったようなリアリスティックな表現方法が挙げられます。例えば、少年がみずみずしい輝きを放つブドウの房に食らいついている色彩感、臨場感は個性の表現を極限まで避けた日本の絵巻物などの人物像とは著しい対比をなしています。

そして、そうした絵画や彫刻のモデルとなったであろう古代やルネサンスの人物が、表情や仕草を少しも変えることなく、この街でワインを注ぎ、「ボンジョルノ!」とあいさつしてくることに改めて驚きます。千年、二千年どころか数千年の昔も現代と何一つ違わない人々の思いと暮らしがあったであろうことが絵や彫刻を通して如実に感じられます。(続く)

2017年11月15日水曜日

イタリアへの旅(1)

カナダ旅行が思いの外楽しく有意義だったので、旅に出る感覚を忘れないうちに次の目的地を探しました。2001年以来出かけることがかなわなかったヨーロッパ、その最初の訪問地はイタリアの首都ローマです。
もうかれこれ50年も昔のことになりますが、本業の心理学の勉強はそっちのけで日々映画三昧の学生生活を送っているうちにイタリアにはまってしまいました。大学ではイタリア語のクラスにも顔を出すようにし、イタリア語会話もイタリア人の先生からみっちり教えてもらいました。
しかしその後の人生ではとくにイタリア語に関わることもなく、たまにオペラやカンツォーネを聞くと「ああなつかしい!」と思うぐらい。しかし人生も終盤に入り残り時間が少なくなってきたことを体の不具合を通じて思い知らされることしばしばのこのごろ、昔愛したしたものを今一度ゆっくり味わいたいと思うことが次第に多くなってきました。
今回の旅行ではあらためて青春時代に熱狂したイタリア的なるものの本質をわずかでも垣間見ることができたらいいなと願っています。昔取った杵柄ではないですが、今も頭の片隅に残っているイタリア語の知識が今回の旅を実り豊かなものにしてくれるものと信じています。
さて往復の航空運賃とローマ4泊のホテル代の合計額がわずか7万円にも満たない旅ですが、飛行機に命に預ける点に関してはエコノミーの席もファーストクラスのリッチな席も同じこと。10何時間かのフライトで10数年間「行きたい、行きたい」と夢見てきたローマに到着してしまうのはワクワクものです。
ローマではこれまで一度も訪れたことがないボルゲーゼ美術館だけは外せないと思い、ネットで入館の予約を取りました。カラヴァッジョのコレクションではイタリア随一の人気美術館で、現地では当日券は販売していないという情報です。
初めて開いた旅行サイトに個人情報だけでなくクレジットカードの番号やセキュリティコードまで、おっかなびっくり入力しつつ、ネット時代の旅では避けては通れないスリル満点の手続きを盲信して旅の準備がすすみます。ときにはネット社会にだまされます。でも昔の5分の1の費用で旅行できるようになったのもこれまたネットの産物。まさに痛しかゆしです。(続く)

2017年11月8日水曜日

16年ぶりのイタリア旅行

カナダ旅行がうまくいったのに味をしめて、旅行から帰ってきたすぐ後に今度はイタリアに行くことを決めました。11月18日から23日までの1週間です。猫がいるのでそれ以上の日数を留守にするのはためらわれます。それにローマのような見所が多い町でも滞在するとけっこう退屈するのでそのくらいの日数がちょうどいい感じがします。
HISの航空券とホテルがパッケージになっている旅行プランで値段は確か8万円ぐらい。中国国際航空の関空ー北京経由ーローマ便に乗るのですが、トランジットとはいえ北京(空港)に行くのは生まれて初めてです。イタリアではローマに4泊ですがナポリとアッシジに出かけてみようと思います。たぶんイタリア語はそんなに忘れていないでしょう。フランス語よりはましな感じです。
会話としては、日本語>英語>イタリア語>フランス語>中国語、
読むのは、  日本語>英語>中国語>イタリア語>=フランス語
ナポリは1972年の正月にアルジェ空港から出かけたことがあります。ソレント、カプリ島、ポンペイなど45年も前に見た風景を今でも鮮やかに覚えています。

マンションの鳩

私が住んでいるマンションの管理組合から鳩の害に関するアンケート用紙が配られました。鳩が建物の北面にある廊下にまで侵入してくるので階段室を含め廊下側に鳩よけのネットを張ることについて、住人の賛否を問う内容です。総工費90万円は修繕積立金から支出するとも書かれていました。
「大した被害があるわけでもないのに不細工なうえ意地悪いネットなんか!」というのが私の実感。それに簡単なネットを張るだけの工事費が90万円とは高過ぎやしないか?という疑問もあり、賛否欄には否に丸をつけ、その理由として「鳩は平和の象徴だから(そんなことをしてはかわいそうではないか)」と我ながら訳の分からないことを書き記して提出しました。
その後アンケートの結果が公表され、ネット設置が決定したことが報告されていました。「鳩は平和の象徴だから」という私の少々いかれた反対意見も白日にさらされてしまいました。そしてまもなくネットが張り巡らされ、鳩が入ってくるのはピタッとやみました。まあまあよかった、網目もそんなに目立たないし!
ところがある日の昼下がり、和室でくつろいでいたら「グルグル、クックー」といやな声がすぐ近くから聞こえます。ガラス越しに外を見たら何と鳩のカップルがベランダの手すりに止まって機嫌良く鳴いているのです。ベランダには鳩のフンが散乱し強烈な悪臭が……。何のことはない、廊下に入って来れなくなった鳩が住戸のベランダ側に回っただけなのです。そして私は初めて鳩がもたらす公害の実体を知りました。
エアコンの室外機と壁の間にはすでに小枝がいっぱい。どうやらそこを愛の巣にしようという魂胆がありあり。私はあわててベランダの手すりに両面テープを貼り、室外機を網で覆いました。作業中、鳩のカップルは隣の戸建て住宅の2階の屋根からこちらをじっと監視していました。
結果、いやがらせ作戦が功を奏して鳩のカップルは来なくなりました。ちょっとかわいそうだったかなと思ったのですが、鳩もなかなかしぶとい。今まで糞害のなかった駐車場に泊められた車の屋根全面にもこもこフンが落ちています。私の駐車スペースでなくてよかった!(と密かににっこり)。見よ、90万円をかけて糞害が拡大しただけ。あんな賢い鳥を追っ払うことなど不可能です。

2017年11月1日水曜日

運転マナーあれこれ

このごろ毎日のように悲惨な交通事故のニュースを聞きます。居眠り運転、信号無視、逆走、スピード出し過ぎ、酒気帯び運転など、いわば従来型の事故に加え、このごろ運転する人の心のブレーキが壊れているとしか思えない恐ろしい事故が多発しています。追い越されたのが気にくわない、急ブレーキに腹が立つ、こっちを見た等々子どものけんかみたいなことを高速道路の走行車線で繰り広げる輩の何と多いことか!
最近も悲惨な事件が報じられました。当初は単なる追突事故として処理されていた東名高速夫婦死亡事故です。サービスエリアで車の止め方を注意された男が逆上して、時速150キロで注意した人の車を追いかけ、高速道路の追い越し車線上で車を止めさせ、トラック追突という大事故を招いた何とも恐ろしい事件。
犯人として逮捕された25歳の男は過去に何度も同様の危険な行為を行っていたと報道されていますが、女連れだととくに人格が豹変してイキがっていたそうです。今回の事件のような極端な例は別にしても車にはハンドルを握る人を狂わす何かがあるような気がします。
私自身も運転中は人格が変わります。私がいつも通る道はとても狭くすれ違いも困難。対向車が見えると、この道に慣れている人は阿吽の呼吸で対向できる場所まで車を進めます。ところが高齢者や女性は対向車を見たらその場で固まってしまうことがしばしば。イラついた私は思わず「違うだろう、そんなとこで立ち止まって!このボケッ」と前衆院議員のおばちゃんみたいな暴言を心の中で口走っています。ほんとうに思慮に欠ける運転マナーだと自戒、反省。
先日、JR西大寺駅から東備バスに乗って牛窓まで出かけました。久しぶりに乗った路線バスの運転手さんの運転ぶりを一番前の席に座って何気なく見ていたのですが、感嘆のひとことでした。乗客一人一人に丁寧にあいさつし、停留所の案内をし、しかも運転技術はまさにプロ!そもそもあんな巨大な車体をどこにも当てずに安全にしかもきびきびと走らせること自体が信じられません。その上の心のこもった乗客対応です。
終点近くの停留所で、降り際に「さすがプロですね!」と思わず声を掛けてしまいました。自分もこれからはこんな品格ある運転をしようと心を打たれたバス乗車体験でした。

2017年10月25日水曜日

20年ぶりのカナダ訪問(6)


 カナダの親戚縁者の中にレスリーとマイケルという40代後半の双子がいます。姉のレスリーは若いころ英語教師として鳥取県の米子に1年間滞在したこともあります。帰国後は企業コンサルタントとして活躍し、ごく最近牧畜業をしているクレイグという日系人と結婚しました。お互い再婚同士で亭主には前妻との間に3人の子どもがいて、そのうち末子のブロディ君は親の新婚家庭に同居しています。アルバイトをしながらいい就職口を探している青年です。
 レスリーたちの新居はプールとかテニスコートこそないもののまさに豪邸。その大きな家の中にブロディの部屋があるのですが、レスリーは私にこんなことを言いました。「ブロディはいま職探しをしているが、私は彼から家賃をもらおうと思う。もちろんそのお金は彼の将来のために積み立ててやるつもりだけど」。
 「いくら義理とはいえ、職探し中の息子から家賃を取るつもりか?」というのが私の率直な感想でしたが、そのあたりに万事ゆるゆるの日本と違ってお互いの自立を大切にするカナダ流の考えがあると感じました。これはカナダに限らずほとんどの外国で共通の発想法でしょう。レスリーによるとその新築豪邸は夫のクレイグと折半して購入したそうで、それぞれの共有財産という観念が強いようです。したがってすでに成人に達した子どもが居候するのはかまわないが家賃は当然発生する、ということになるのでしょうね。
 さてレスリーの双子の弟マイケルには軽い発達障害があるのですが、ちゃんと大手のレストランで働いて自立しています。彼の家も見せてもらいました。約100平米はあろうかという一人で生活するのにはもったいないような部屋です。えんじ色にこだわりがあるとかでインテリアのすべてがえんじを基調としています。
 そんなマイケルの家ですが、実はこれは姉のレスリーが所有している物件で、彼女は弟に光熱費込み月1000ドルで貸していると言っていました。これは当然のことでしょう。

 今回の旅ではカナダのいろんな側面を垣間見ることができましたが、“すべての人がその能力に応じてきちんと生活できる社会”これこそカナダの強みだとの思いがいっそう強くなりました。とまれ、20年ぶりのカナダ旅行のご報告はこの辺りでひとまず終わりにしたいと思います。

2017年10月18日水曜日

20年ぶりのカナダ訪問(5)

 アルバータ州カルガリーはロッキー山脈を西に望む大平原のど真ん中にできた都市です。町の真ん中をボウ川が流れています。バンフ国立公園に源を発するこの川はマリリン・モンローの名画、「帰らざる河」のロケが行われたことでも有名。またこのあたり一帯は恐竜の化石が大量に出る場所として世界的に有名です。
カルガリーの主要産業は石油、天然ガスの採掘、精製関連事業でカナダ全体の9割を生産し、豊富な富をアルバータ州にもたらしています。
 面積的にいうと、カルガリーの市域は726平方キロもありこれは東京23区より100平方キロメートルも広く、そこに約100万人が住んでいるだけなので、住宅地の価格は日本とは比べることができないくらい安く、家を建てる人は資金のほとんどすべてを家屋そのものと立派な設備、家具等につぎ込むことができます。
道路と住宅に関しては、日本は私権が強く歴史と伝統でがんじがらめ、行政もなかなか機能しない現状をカナダと比較しても仕方ありません。逆に日本の方がいいなと思ったのは医療です。アメリカ合衆国と異なり、カナダではメディケアと呼ばれる国民皆保険制度があり、原則として患者の自己負担なく医療が受けられることになっています。これだけ聞くと日本よりすばらしいように思えますが、歯科治療は対象外であったり実際はなかなか大変なようです。
従姉のヨリコは80に近いのですが、長いあいだ白内障に苦しんでいます。日本では白内障など眼科を受診して1週間もしないうちに手術を受けることができるでしょう。ところがカナダではこれが1年超待ちなのです。老後の貴重な1年を目がよく見えない状態で暮らすのは大きな損失です。なぜこんなことになるのかと言えば、どうやら政府による医療費削減政策が主因らしいです。
これは救急医療でも同じことで、救急車で病院に運ばれても8時間もストレッチャーに乗せられたまま廊下で待たされているうちに直ってしまい、診察は受けずに帰宅したなどという笑えない話もあります。

日本でも首都圏では病院不足でせっかく早期ガンが見つかっても専門病院での治療開始まで3ヶ月待ちなどという話を聞きますが、こと医療に関しては日本のしかも大病院が林立するこのふるさと岡山で老後を迎えていることに安らぎを覚えます。(続く)

20年ぶりのカナダ訪問(4)

 バンクーバーで乗り換えに手間取り、滞在先の親戚に連絡していた便には乗れず、結局2時間以上遅れてカルガリーに到着しました。空港には従姉夫妻が迎えにきてくれていて再会を喜びあい、15分ほどのドライブでシニア世帯限定のヴィラの一角にある従姉の家に到着しました。
行く前に想像していた住居とはまったく異なり、総戸数60軒ほどの家がゆったり配置されたフツウの高級住宅街でした。ヴィラの住人は全員55歳以上であるのが一般の住宅街と異なっていて、昼間ほとんど人通りもなく、シーンとしているのが私には少し寂しく感じられました。
 家は典型的な北米スタイルで平面フロアーと半地下フロアーの2層になっていて、私には半地下のフロアーにあるベッドルームが用意されていました。半地下と言っても日当たりのいい窓からすでに赤や黄色に染まった庭木が澄み切った空を背景に風にそよいでいるのが見えて落ち着きます。初日は長旅の疲れと時差ボケがひどく早々と快適なベッドに潜り込みました。
 翌日の昼、従姉の娘夫婦や姪や甥っこ(といってもすでに50代後半ですが)訪ねてきたので、台所を借りてハヤシライスを作って食べてもらいました。日系の人たちに限らず、彼らが知っている日本食といえば、寿司、天ぷら、ラーメン、焼き鳥などがポピュラーで、意外にもカレーやハンバーグ、トンカツなど日本の洋食メニューについてはそんなものが存在することすら想像できないようです。私のハヤシライスは大好評で大鍋一杯作ったのが完食でした。
 カルガリーに滞在中、従姉の甥や姪の家にもお茶に呼ばれましたが、どの家も本当によく片づいていて、マスターベッドルームからユーティリティ、地下のボイラー室に至るまで家の中を余すところなく見せてくれます。来客にすべてを見せるのには何らかの歴史的あるいは社会的、心理的動機がきっとあるのでしょう。
 「この家に滞在するあなたの安全は保障されています。間違っても隣の部屋でナイフなんか研いだりしてません」というメッセージが隠れているのかもしれません。(学生時代からの畏友ISさんのご意見を採用させてもらいました)
滞在中どの家に泊めてもらっても朝、目が覚めたときいつも「ここは高級ホテルのスイートか?」と勘違いするくらい彼らの住まいに対する執念には圧倒される日々でした。(続く)

2017年10月11日水曜日

20年ぶりのカナダ訪問(3)


ただいまカナダ、アルバータ州カルガリーに滞在中です。たった1週間の留守中にも日本の政局はちゃぶ台返しの大混乱。ここアルバータ州でも州都でテロが起き大騒ぎです。到着したときは半袖だったのに、カルガリーには大雪予報が出て帰国便の遅延、欠航が心配されます。
さて、久しぶりのカナダ旅行は、いつもの上海など近距離直行便による旅行と違って、バンクーバーでの国際線から国内線への乗り換えをともない、ハプニングと緊張の連続でした。
航空券は旅行代理店のホームページで購入、発券されたものでしたが、なぜか乗り継ぎ時間はたった80分しかありません。関空のエアカナダ・カウンターで、乗り継ぎは大丈夫か確認したら「大丈夫だからこそ発券されたはず」と何だか頼りない。飛行機は20分遅れで離陸し、9時間後バンクーバーに定刻より20分遅れで到着。昔とは様変わりした到着ターミナルを右も左も分からないまま入管エリアに急ぎました。
パスポートチェックと税関申告はセルフサービスで何とかうまくいきました。出発前あれこれ心配した食品持ち込みの件は、悩むほどのことではありませんでした。プリントアウトされた申告書の印字が薄すぎて質問にYES と答えようがNOと答えようが判読不能なのです。出口で待機している税関職員もそれを機械的に受けとるだけ。カレールーも手作り味噌もほかのお土産ともども無事通関できました。
しかし国内線乗り換えに関しては、エアカナダのホームページに書いてあった説明と異なり、乗り継ぎ時間が90分以下のお客への優先サービスなど一切なく、結局予約便には乗り遅れ。スタンバイすること2時間超、3番目のカルガリー行きにやっと乗ることができました。 20何年かぶりのカナダ旅行なのに高揚した気分は一気に失われました。

予約便やスタンバイ便の搭乗ゲートが無慈悲にも立て続けに閉じられていくのを見るにつけ、日本の懇切丁寧かつ確かな情報に基づく旅行サービスを外国でも期待することなど最初から間違っていたことを再認識させられた私のカナダ旅行はこうして始まりました。(続く)(2017/10/3記)

20年ぶりのカナダ訪問(2)

 カナダ旅行の出発日をあさってに控えなんとか準備も整ってきました。宿泊場所に関しては、向こうに着いてから考えるという子どもっぽいやり方はやめにして、先日訪問先の従姉妹に電話し単刀直入に尋ねたところ、「No problem! ぜひうちに泊まってちょうだい」のお言葉でした。実際、ツイン主体のカナダのホテル料金は割高で少し悩んでいたのです。つくづく手頃な料金で清潔、機能的なシングルルームを全国すみずみまで大量に供給している日本のビジネスホテル業界には感嘆します。
 ここ20年ほど北米に行っていないうちに空港での諸手続が様変わりしました。アメリカ旅行でおなじみのESTA(電子渡航認証)と同様のシステム、eTAがカナダでも導入され、カナダ政府の関連ホームページを開いて認証を取りました。この種のビザ申請やビザ代替手続きは一度拒否されたり失敗すると生涯祟るのでパソコンを操作する手が緊張で震えます。名前、パスポート番号、有効年月日等の質問に綴りや数字をまちがえないように記入します。やってみると簡単でした。手数料の支払い手段はクレジットカードのみ、7カナダドルで有効期間は5年です。
 さらにバンクーバー国際空港では今年の8月から入国審査および税関申告が自動化されました。飛行機から降りて入国審査場に行くと、キオスクと呼ばれる専用端末機が並んでいて、旅客は①パスポートの写真があるページをスキャンさせる、②顔写真を撮影、③画面上の税関申告書に入力、そして出てきたレシートを係官に渡すだけ、という手順です。
③の税関申告については事前にスマホにアプリを入れて搭乗し、到着前に機内で記入すると即座にQRコードが生成されるので、それをキオスク手順③のところで機械に読み込ませればOKとのことです。

 要は何も問題がなければ長時間待たされることなく入国手続きが終わるというのがカナダ入管当局のご自慢です。そこには英米社会で重視される“人はウソの申告をしないはず”という大前提があり、もし虚偽申告が発覚したら、いかなる言い訳も許されず重罰を受けるという原則が働いています。実際スムーズに事が運ぶかどうか後日ご報告しようと思います。そして日本でもこのシステムが導入できそうかどうかについても見てくるつもりです。(続く)

20年ぶりのカナダ訪問(1)

 3年前に亡くなった私の父は4人兄弟の末っ子でした。長兄は農家をつぎ、父は教師になって結婚後は生家のすぐ近くに家を構えたのですが、父の姉と次兄は戦前にカナダに渡り生涯をカナダのアルバータ州で過ごしました。そんなわけで私も半世紀も前からカナダにはちょくちょく遊びに出かけていました。
広い小麦畑で巨大なコンバインを使って収穫作業を手伝ったり、伯父さん自慢の6リッター・アメ車を運転させてもらったり、いとこたち家族とロッキー山脈のバンフまでキャンプに出かけたり、半世紀にわたって楽しい交流が続いていました。最後は伯父の葬儀にもかけつけたりしました。
 ところが2001年に私が仕事を辞めて両親を介護するようになってからというもの、介護の手を休めてカナダまで行くことはとうてい無理で、最近の20年間はもっぱらカナダのいとこたちが日本に来たとき会うのみでした。しかしそんな片側交流も終わりです。母の一周忌も終わったので、ふとカナダへ行ってみようと思い立ち、向こうの都合も聞かずチケットを購入しました。9月末の関空発バンクーバー経由カルガリー便の最安値は往復7万円でおつりがくる安さ!10月に入れば紅葉のシーズンでチケットの値段も倍近く跳ね上がります。
 「月末に1週間おじゃまします!」とメールを送ったら従姉妹たちもびっくりしながらも大歓迎のメッセージを返してくれました。幼なじみの彼女たちも今ではすっかりおばあさんと言っていい年齢になり、7人のうち2人はすでに物故者となりました。伯父、伯母そして亡くなった従姉妹たちには花を捧げようと思います。

 楽しみな旅行プランですが、問題もあります。従姉妹達はみんな大豪邸(日本から見ると)住まいだったのに、後期高齢者の今、住み慣れた家を売り払い、老人夫婦が快適に暮らせる集合住宅に入居してしまいました。どんなところなのか行ってみないと分かりませんがお客が泊まれる余分な部屋はないのかもしれません。果たして歓迎のメールには、昔と違って「うちに泊まりなさい」の一言がありません。ホテルを取るべきかどうか、尋ねるのも気がひけます。さて、どうなることか、ぶっつけ本番で出かけることにしました。

2017年10月8日日曜日

Youは何しに日本へ?

カナダ旅行から帰ってきてやっと時差ボケが直りつつあります。久々の親戚訪問でしたが、バッグに詰め込んだカレールー、味噌醤油など問題なく持ち込め、すき焼き、カレー、ハヤシライスなど台所を借りて作ってあげたら大好評でした。いろいろ楽しい毎日でしたがそんな話はおりおりに。
きょうは帰りの飛行機で隣に座った人々についてご紹介します。

カナダからの帰り、カルガリー・バンクーバー、バンクーバー・関空間を飛行中、たまたま隣に座った人にいろいろ尋ねてみました。バンクーバーまでいっしょだった白人青年は大学を卒業したあと神戸で数年英会話学校で働いたことがあるとかで、そこで出会った日本人彼女にプロポーズするために神戸に向かっていると言って、小さなダイヤのエンゲージリングをうれしそうに見せてくれました。関空の税関出口でまた遭ったので大阪までは電車かバスか聞いたら、神戸のポートアイランドまでフェリーで直行すると言って消えていきました。ポートアイランド埠頭で感激の再会、プロポーズするのか・・・20代のころってそういえばだれしもはっきりした将来は見えなくても前へ前へ進むことができた日々だったなと遠い昔を思い出しました。その青年は彼女を連れてカナダに帰り、また大学に入り今度は土木工学を勉強すると言っていました。日本では結婚と学生生活を両立させることはなかなかむずかしいのが現状ですが、カナダでは望めば、多くの場合、そういう選択が可能なようです。
バンクーバーから関空までは中国系か韓国系かよく分かりませんが30代ぽくみえる女性と隣席どうしになりました。食事のときにいろいろ「Youは何しに日本へ?」と尋ねてみました。「東京より大阪が好き」という彼女はもうすでに10回も日本に来たことがあるというので、いったい日本の何が貴女をそんなに惹きつけるの?と聞いてみました。答えは簡単でした。「Beef !」。カナダの牛肉も美味しいじゃないかと言ったのですが「全然話にならない」というほどの日本信者でした。トロントの会計事務所で働いていて日本へは3週間の休暇を取ってきたそうで、奈良、函館、札幌と、回ると言っていました。彼女の日本旅行プランを聞きながら、デンツー新入女子社員過労死事件に見られるように日本人の働き方は40年前とまったく変わっていないのが不思議な気がしました。(テレビや新聞で見る過労死事件のお母さんは今や鬼の形相でマスコミに語りかけている姿をよく見ますが、娘を緊急避難させることができなかったご自身のことも語ってほしいとちょっと思いました)

2017年9月19日火曜日

カナダ旅行

9月下旬から10月初めまでの1週間、カナダのカルガリーおよびレスブリッジ(どちらもアルバータ州)に行くことにしました。20数年ぶりのカナダです。
そのころちょうどモントリオールで世界体操選手権が開かれるので関空からバンクーバーまでの飛行機内で選手と乗り合わせないかなとひそかに期待しています。レスブリッジはアメリカのモンタナ州に近いのですが、すでに夜間零度になる日もあり日本の感覚で言えば冬ですね。
滞在先は従姉妹たちの自宅なので、料理を作って食べてもらおうと思います。トンカツ、肉じゃが、お好み焼き、カレーライスなどが簡単で
いいかなと思います。

2017年9月9日土曜日

晩生の高級桃「恵白」

岡山を代表する果物としてマスカットと清水白桃がつとに有名です。じっさい食べるたびにしみじみ、なつかしい気分におそわれ、有無言わさぬ味には何か絶対というか究極の完成度の高さを感じます。ところが人間の舌ほどぜいたくでわがまま、足るを知らないものはないと思います。
店先に並ぶマスカットを見ても知り尽くした味には驚きと感動を覚えなくなりました。清水白桃はジューシー過ぎて不作法な食べ方しかできません。それに出回る期間が短かすぎあっという間に長野県あたりから来る赤色系統のたくましい桃に置き換わります。
私は桃をゆっくり食べたい!桃のシーズンが終わった秋の初めころに。そんな私の願いを今までかなえてくれていたのは黄色の果皮が美しい黄金桃でした。そこに最近「恵白」(めぐみはく)という白色の果皮で1個400グラムもある大玉の桃が加わりました。倉敷市玉島の特産で「高糖度、大玉の幻の超高級桃」のふれこみで東京でもデビューしているようです。
岡山駅前のデパートで見かけたときはけっこうな値段だったのであきらめ、その後JAの直売所に出品されていたのを買って食べてみました。すばらしい。何よりもソフトボールぐらいある大きさ、芳醇な果肉、馥郁たる香り、ややサクッとした歯触り……言うことなしの新品種です。強いて難点をあげるとしたら「恵白」(めぐみはく)というネーミング。あえて“湯桶読み”するのには何か品種を登録した人の思いがあるのでしょうか。私は本稿を書くまで「ケイハク」と読んでいました。
ちなみに恵白の親は千曲白鳳と川中島白桃です。どちらも信州を代表する桃ですが白桃王国の岡山ではあまり人気がありません。ところが倉敷市玉島の中塚さんという方が中心になって品種登録をしたそうで、岡山県民の嗜好に合う白桃に仕立て上げたのですから大したものです。

今年は夏中、軽めの糖質制限ダイエットをし体重も順調に減りましたが、果物を食べるのはなるべく控えました。その反動からか今頃になって桃だけでなくスイカが無性に食べたくなり、一人暮らしなのに8キロもある北海道産のスイカを買いました。北国の水と太陽に育てられたスイカは絶品です。遅くくるものには先魁にない味わいがありました。

2017年9月5日火曜日

じゃがいも出島、ワケギ植え付け

初夏に収穫した出島を17個植えました。出島は休眠期間が極めて短いじゃがいもですが、大きく味のいい芋がとれます。12月初めに初霜が降ったらその時が収穫時です。春作に比べて秋作は気温が下がる時期なので生育がゆっくりで品質のいいものができます。12月に収穫した芋は2月の終わりごろ、今度は春作の種芋にも使えます。

ワケギは旬の時期が短くたくさん植えても食べきれないのに毎年植えすぎです。秋のうちにネギの代わりにどんどん食べればいいのですが、ネギはネギでたくさんあるし、、、



2017年9月4日月曜日

パック肉の量目不足

 メタボ体型を改善しようと、病院の指導に従って毎日胃に入れるすべての食材、すべての飲み物を細かく記録してはや1ヶ月が経過しました。きょう病院に行って驚くべき成果を知らされました。体重は減少し、脚のむくみも取れ、内臓の機能を示す各種数値も軒並み改善していました。何より身も心も軽くなりました。
 食材を正確に記録するくせがついたせいで、いままで気にもしていなかった食料品のラベルをスーパーで注意深く見るのが習慣になり、重さやカロリーについてはだいたい見当がつくようになりました。しかし目分量で料理を作るとついつい食べ過ぎのもとになるので、とりあえずスーパーで買ってきた肉や魚を調理する直前に0.5g単位で計測できる秤に乗せて重量を確認しています。
 するととんでもないことに気づきました。この日本において終戦直後でもないのに量目不足がありました。なぜそんなことに気がついたかといえば次のようなことがあったからです。話を単純にしますが、発泡スチロールトレイに豚のロース肉が6枚入っており、内容量100グラムと印字されたラベルが貼られていました。
料理に使うのはその半量の50グラムでいいのでロース肉を3枚トレイから出して天秤に乗せました。すると45グラムしかありません。肉片の大きさにばらつきがあるにしても、ちょっと気になって残りの肉も全部天秤に乗せたところ92グラムしかありません。あれっ? 何か変。
しかし包装を解いているし、たかが200円ほどの商品の目方が8グラム足りないといって店に文句を言うのも気が重い、しばらく経過観察してみたのですが、数回買い物した範囲では重さの表示はいずれも正確でした。どうやら量目不足はたまたま起きたに違いない……と思いたかったのですが残念、別のスーパーでまた同じ体験をしてしまいました。

ステーキ肉に200グラムのラベルが貼ってあるのに実際は168グラム。これはひどい。岡山市のホームページを見ると量目不足の許容範囲は2%以内です。ちなみにこのステーキ肉、賞味期限の関係で半額セールの商品だったのです。だからといってクレームを付けない理由はないのですが、やはり毎日買い物をしているスーパーには言えません。たぶん不注意でそうなるのでしょう。言うべきか、言わざるべきか? 迷います。

後日談
最初のスーパーでは「ご意見箱」があったので、上記について匿名で意見を書いてみました。2,3日後に「2度とこのようなことがないように努めます」と回答がありました。店で商品をパックして売るのは量も多いし、刻々と鮮度が変わる商品でもあり大変だとは思います。百貨店で肉や佃煮などを対面で買うときはたいてい多めに入れてくれますね。

秋到来

野分きだちてにわかに肌寒きこのごろです。ダイエットの効果が出て病院での検査結果では軒並み数値が改善していました。なにより体が軽く感じられ、睡眠時無呼吸も楽になりました。
まもなく大根の種まきです。

2017年8月28日月曜日

寿司はダイエットの大敵

日曜日、久しぶりに大阪に出かけ、昔の職場の後輩君と握り寿司をたくさん食べた。生ビールも中ジョッキ2杯。寿司飯には砂糖がたくさん入っていて、飯の量もトータルでは相当のもの。順調に体重が落ちていたのに今朝計ったら1キロ増えていた。10日間の努力が水の泡。ステーキとかトンカツとビールの方がはるかにカロリーが少ないの分かっていても、いつも最悪の選択をしてしまう。

2017年8月24日木曜日

百日紅

鉢植えの百日紅(さるすべり)が咲きました。真夏の花のなかでこの花が一番好きです。鳥が種を運ぶので畑などに実生で出現することも珍しくありません。
この鉢植えのものは矮性の園芸品種だと思います。
母の1周忌です。介護生活は1年前に終わったのに介護生活の慣習から解放されるのに1年がかかりました。今、誰にもじゃまされず自分自身の日常生活を送っています。人間から邪魔はされてないけど12匹のネコたちはお邪魔です。毎夜ニャーニャー騒いで私の布団の上に乗ってきます。重さで窒息しそうです。

2017年8月23日水曜日

広島広陵vs天理

すごい試合で野球嫌いの私も大興奮!天理の応援団長はげしく面白かった。独特の着物スタイルで声も出さず、身じろぎもせずただグランドを凝視するのみ。表情も能面みたいに感情を出さない、でも汗か涙か、ときどき目から一粒二粒の涙が頬を伝う。

広島広陵の中村捕手は清原を超えて甲子園の歴史に金字塔をたてた。思えば清原だって高校生のころは中村と同じ素晴らしい若者だった。ところが今年50歳の清原は?カネとオンナとクスリが英雄を殺してしまった。だれも清原を責めることはできない。
中村は清原ともハンカチ王子とも違う。素晴らしい人生を送るはず。今まで生きてきた人生と同じように。

2017年8月22日火曜日

珍果ポポー

総社市、備中国分寺近くの畑でポポーが実っているのを目撃しました。まもなく収穫の時期のように思えました。
昭和30年ごろ、ポポーは日本で大人気の果物でした。バナナとパパイヤをミックスしたような味というのが売りでした。温帯で育つ落葉果樹なのに実は熱帯フルーツそっくり。姿かたちも味も。
畑に植えるとどんどん生育するのですが、受粉樹が必要だし、実の数も少ないので次第に人気をなくし今では珍果ポポーのことを知っている人はほとんどいません。
この写真を撮影した付近に農協の直売所があり、ポポーも少量ながら並びます。

中学生のとき、学校帰りによく寄っていた日米文化センター(現、県立図書館)図書館に置いてあったアメリカの家庭園芸雑誌にポポーの苗の広告が載っていて、このシカゴの種苗商から取り寄せようと英文の手紙を送りました。(中学生になって英語に初めて出会ったのですが、私はすぐ英語を使い始めました)
ところが返事なし。がっかりでした。今思えば苗木を輸入するのは支払いの問題と検疫の問題があり実質的には不可能だったのです。しかし一言「外国には発送できません」くらいの返事をくれてもよかったと思います。

50年ぶりにまたポポーの木を植えてみようかと思います。




2017年8月19日土曜日

挿し木の桑から新芽が

大実クワの挿し木苗から新芽が出てきました。秋しっかり育苗したら来春にも実がなるかもしれません。期待大です。


2017年8月18日金曜日

糖質制限

ここ十数年体重が96キロ前後あり、一番ひどかった今年の正月は100キロを超えていました。極度の肥満はさまざまな身体症状をもたらしました。まず体が重い、膝関節が痛み、整形外科で水を抜いてもらう始末。足がむくみ、朝ふとんから立ち上がるのに難儀する。血液検査をすると中性脂肪が数百と驚異的な数値になるのは毎度のこと、それに肥満が原因のひとつと言われている睡眠時無呼吸症候群もおこしているらしい。
そこで次回病院受診までの40日間に全食事内容を記録し、とくにカロリー、食塩量、糖質量に気をつけながら、平均で1日1700キロカロリーの食事をしています。基礎代謝が1900以上あるのでどんどん体重が落ちるかというとそうでもなく、まさに徐々に落ちていてついに本日92.9キロとここ数年見たことがない92キロ台に突入しました。

前回、前々回の病院受診時はズルをしようと母親が遺した利尿剤を飲んで、少しでも体重を低くみせようと数日前から対策を考えて出かけたら裏目にでました。尿酸が異常に上昇しました。いままで尿酸値が正常範囲を飛び出したことはなく、腎臓内科の教授は「何かあったのですか?」と何度も問いかけてきました。「特に身に覚えはありません」とシラを切ったのですが、後で友人の医師に聞いたら、「おしっこは尿酸など不用老廃物を体外に捨てる役割をしているが、利尿剤を飲むと水分だけ選択的に排出し、尿酸は血液中に取り残されるので尿酸値が上がります」と説明してくれてなぞが解けました。
そういえば利尿剤を飲んだあとどんどん出てくるおしっこは無色透明でいかにも水っぽく見えます。それまでの検尿ではいつも「小麦色」と書かれていたのに「無色」となっていました。おしっこが黄色っぽいのにも意味があったのですね。

もう一つはクレアチニン対策。父親が人工透析をして大変苦労の多い晩年を過ごしたことを思うと腎臓の健康はとても大切です。腎臓内科などと偉そうな科名を標榜していても医師には腎臓を治す知恵もワザもないのです。せいぜい患者を叱り、栄養指導と称して「あれ食うな、これ食うな」とアホのような呪文を唱えるだけ。
ところが新聞に大きな広告を載せている健康雑誌にはいつも「透析を覚悟していたのに今ではクレアチニンが正常値になった」というような体験談が掲載されています。これは健康食品会社のコマーシャルで、要するに純炭粉末を主成分とする錠剤を飲んで炭に血中のクレアチニンを吸着させるということです。
「溺れるもの藁をも掴む」のことわざ通り、私も通販でカプセルタイプと錠剤タイプの純炭製剤を購入していて、検査の数日前から、この「き○ら」を飲んで検査に臨みます。因果関係はよく分かりませんが、クレアチン値が1.2から1.05ぐらいまで下がります。この2つの数値に大して違いはないと思われるでしょうが、実は大違いなのです。1.05はかろうじて正常範囲なのです。
しかし、これも尿酸値と同じで血中のクレアチニンが本当に炭に吸着されていたとしても、それは腎機能がよくなったことにはなりません。むしろ腎臓という臓器は横着な臓器で用がないと思うとどんどん機能を失っていきます。
父の場合も透析を始めたころはまだおしっこも出ていましたが、人工透析によって老廃物を除去するようになると腎臓の出る幕がなくなり、急速におしっこが出なくなりました。ただ皮肉なことに在宅介護をするのに際し、おしっこが出ないというのは本当に助かりました。それでも透析に行く日の朝、「今日はもう透析には行かない」とぐずることがよくあり、そのたびに「お父さん、透析に行かなかったら3日後には尿毒症で死ぬから葬式の用意しないといけないよ」などと脅して病院に連れていくのはせつないことでした。

あれこれ雑然としたことを書き連ねてきましたが、今月末の病院検査に当たっては食事制限以外、怪しげな薬を飲んで対策をするのはやめます。ありのままの腎臓の状態を知ることは非常に大切なことだと思われます。

2017年8月17日木曜日

パパイヤ8月17日

パパイヤの実がだいぶ大きくなってきました。あと2か月で10月中旬になり、それまでに熟してくればいいのだが、、、
熟れなかったらサラダや炒め物にします。

タニタ食堂

岡山市役所本庁舎向かいにあるタニタ食堂までときどき自転車で昼飯を食べにいきます。500キロカロリー前後、塩分は3グラム以下、野菜は火を通し過ぎない、などの特徴があります。
特に美味しくも不味くもないのですが、場所柄お昼休みにはほぼ満席です。ここのメニューは自炊の参考になります。つまり、人間は大して食べなくても生きていけるので、張り切って食事の支度なんかしなくていいという気になります。
ご飯は100グラム(糖質37g)。最近1日の糖質を150グラムに押さえていて、それももう慣れてしまい、わずかなご飯で満足。

食後は銀行に寄り、サ店をハシゴしながらまた10キロメートルの電動アシストサイクリングです。



2017年8月15日火曜日

備中国分寺

雨。昨日は曇り空であまり暑くなかったので電動アシスト自転車で備中国分寺までツーリング。片道20キロメートルぐらいか。
オランダ人カップルが倉敷からレンタサイクルで来ていた。2週間半かけて博多、宮島、尾道、倉敷、岡山、京都、高山、東京とおもにJR を使って移動するという。旅なれた感じがするが、これは私が20代のころ毎年夏にヨーロッパや北米に出かけていたのと同じこと。まさかヨーロッパ人が日本にここまでひかれるようになるとは想像もしなかったけれど。

2017年8月12日土曜日

惑星ソラリス

1972年ソ連モスフィルム制作、アンドレイ・タルコフスキー監督の「ソラリス」。ブルーレイ版が出たのでまた購入した。ブルーレイ化しても大して画像が鮮明にならない作品も多いなか、これはすごい!
キューブリックの「2001年宇宙の旅」とよく比較されるが、今の私の年齢、救いがたい孤独な生活のなかにあってはソラリスの方がはるかに魅力的だ。映画史における究極の作品だと断定できる。知性と感性と情感がここまで完全に融合した作品を他に知らない。
すべてのシーンがなんとポエティックなことか!無機質な六本木の首都高速道路さえ見る人に激しい情感を抱かせないではいられない。まして故郷の村のせせらぎの中に漂う藻、晩秋の光、宇宙船のインテリアの細部にいたるまで。
そして、こんな残酷な映画もめったにない。人間は誰もが生きる過程において苦渋を味わう。私も自分の分は引き受けてきた。それでもクリスの苦悩を見せつけられると、こんなにも深い絶望感と苦悩をがありうるのか、そんな世界と無縁な自分はまた元気に生きていけるはず、と思うのでありました。


2017年8月11日金曜日

体重93キロ台に

すでに2週間、基礎代謝量以下の食事(1900kcal を超えない)をしていたら、けさ93.6キロになっていた。1週間ほど94キロ台が続いていたので少し嬉しい。今までの度を越した食欲はどこに消えたのか不思議。目指せ、来年の元旦は79.9キロ!7月7日生まれなので最終的には常時77キログラムで残りの人生を過ごしていきたい。

2017年8月10日木曜日

高校野球

いつもの喫茶店に行ったら3時間もいたのにお客は他に1人だけ。客が少ないのはいつものことながら今日はいよいよ夏枯れだ、と思って家に帰ったら、地元チームがぼろ負け甲子園の試合をやってるところだった。

もとより野球にはあまり興味がないが、なぜ高校野球では選手のことを「球児」と呼ぶのか違和感大。児童とは小学生までの子どものことを指し示しているはず。「球児」から受けるイメージは図体は大きいけれど、素直で一所懸命、真面目、頭は少々弱い、要するに野球に特化して異常な生育をした子どもたち。
でも彼らはプロで通用する技量と戦略、戦術を備えた立派なスポーツ選手です。
また場内アナウンスで選手を「君」付けで呼ぶのを止めろ!大人として扱うべき。


2017年8月8日火曜日

さわやかな朝

今年の夏は猫が1階の廊下まで降りて来られるようにし、エアコンもつけっぱなしで夏をやりすごしています。最初は私と距離を保っていたのですが今は写真を撮らせてくれるようになりました。もう11歳くらいで顔の表情に渋味がでてきました。動物や天人(エンジェル)は人間のように容貌が衰えることは顕著ではないのに、それでも老いは忍び寄ってきています。上、クロちゃん(雄)。下奥、シロちゃん(雌)。左、マロンちゃん(雄)、右、チビちゃん(雌)


2017年8月7日月曜日

台風5号接近

今朝がた風雨強まる。クロちゃんが珍しく私の寝室に入れてくれとせがんだ。台風が怖いのかもしれない。

今まで畑にいくら水道水を撒いても土が湿らなかったのに、自然の力は大きい。表面だけでなく深部もしっとり水を含んでいる。この雨が境になって秋の兆しが訪れよう。秋野菜の種まきトップバッターはニンジン。金時ニンジンは15日までにまかないと正月の雑煮に間に合わない。しかし最近金時ニンジンはそんなに高くもなく正月しか食べないので1人世帯のわが家で作る意味なし。いろんな料理に使える西洋ニンジンの種を購入。9月になればタクアン用の大根の種まき、わけぎの植え付けなど忙しくなる。


2017年8月6日日曜日

桑の木の挿し木


桑の挿し木。昔、タキイから取り寄せた巨大な実がなる桑。ケンタッキーワンダーのような名前がついていた記憶があります。
中学校時代の恩師から挿し木苗がほしいと言われてもう数年になるのにまだ約束が果たせてなくて気になっていました。ついに去る6月、畑の大木から緑枝を10本ほど切ってきて挿し木にしました。3つの鉢に分けて挿したところこの2本だけ活着しました。秋には新芽が伸び、来年3月ごろにはりっぱな苗木になるでしょう。1本は先生に、もう1本は自宅の庭に植えます。田んぼの大木は隣地のジジイが勝手に幹をノコで切り無残。それでも毎年巨大な実をつけています。

猫のクロちゃん。生まれたときから1番大きな体の猫。とてもやさしく遠慮がちな男子。エサを食べるときいつも他の猫に皿を譲ってしまい食べ損ねています。こんなに美しい猫は他にいません。とても主観的な感想ですが、、、




2017年8月5日土曜日

パパイヤ8月5日

だいぶ大きくなってきました。

この瞬間よ止まれ、汝はかくも美しい(ファウスト)

中学生のころ熱中して読んだゲーテのファウスト。「時よ止まれ、お前は美しい」とファウストが言うときがくれば、そのときは魂をメフィストフェレスに与えよう、という有名な約束があります。中学生の私はファウスト博士に「そんな危険な約束をしてはダメだ、止まれというほど美しい瞬間が到来したらそれを楽しまなければならないのに、死んだら意味ないではないか」と言ってあげたかった。
ところが最近、自分自身たぶんファウスト博士より長生きしているせいか、「この瞬間よ、止まれ!」と思うことがときどきある。何と世界は美しく、よくできていることか!世界は神の恩寵に満ちあふれているではないか!とさえ思うことも。これは自分も死に近づいる証拠かもしれない、けれどももはや中学生のころのような死に対する絶対的な恐怖はなくなりつつあるので、いいことかもしれない。

一方、高校生時代に熱中したリルケの詩に「かりそめに通り過ぎて」というのがある。

かりそめに通り過ぎて
十分に愛さなかった、かずかずの場所への郷愁よ
それらの場所へ、遠方から、何と私は与えたいことか
し忘れていた身ぶりを、つぐないの行いを!(果樹園)

原文がドイツ語だったかフランス語だったかは原本がマンションにあって、すぐ参照できないのでまた調べるとして、こんなにも素敵な詩を生み出したリルケに高校時代ずっと心酔していた。大学ではドイツ文学を専攻しようと決めて早稲田の独文科を2回受験、不合格。そこで大学ではもうドイツ文学を勉強するのをやめて第2外国語としてはフランス語を選択。フランス語とイタリア語を同時進行で勉強して、1968年前後のフランス映画やイタリア映画、文学に熱中して、これはこれでよかった。
でも今また年取ってきて再びトーマス・マンやリルケ、ゲーテ、シューベルトの歌曲などドイツ的なものがなつかしい郷愁のように私の心を揺さぶる。
「郷愁」という言葉自体、Heimwehの日本語訳だが、世界に何千という言語があっても「郷愁」をハイムヴェーと同じ感覚で使う民族はたぶんドイツ人と日本人だけだと思う。もちろんホームシックとかフランス語ではmal du pays と辞書に載っているけれど、日独人と感覚を共有しているとは思えない。

話は脱線したが、“かりそめに通り過ぎて十分に愛さなかった”かずかずのものの何と多いことか!がんばってもあと20年しか生きられないのに、それらを探して「つぐないの行い」をなすことなどもはや無理。でも「時よ止まれ、汝は美しい」と感じる瞬間瞬間にリルケの詩の一節を思い出せばいいのだ。私はファウストと違ってメフェストフェレスと約束なんかしてないので、すぐ魂をもっていかれることはないと思う。

2017年8月3日木曜日

宴会はダイエットの大敵

昨日は6月に急逝した友人を偲ぶ会があり出席。すでに1ヶ月以上過ぎたせいか、はたまた70歳近くで死ぬことは人ごとではなくなってきているせいか、偲ぶ会も沈鬱な雰囲気ではなく、単なる飲み会という感じ。12歳から60年近く仲良くしたり喧嘩したりしながら中学校時代の友人たちとの腐れ縁が続いている。「お互い、こんな将来がくるなんて想像できなかったね」と宴会場までのバスに乗り合わせた女の子(現在は老婆)と述懐。

私は食べ過ぎによる体重コントロールのリズムが壊れることを懸念しつつけっこう飲み食いした。その結果は今朝の体重測定にはっきり現れ、0.8キロの増加。8日分の努力が失われたことになる。

料理全般、塩味がきついなと感じたが、カロリーよりも過剰な塩分をとったことによる水分貯留が原因ではないかと思う。今日は猫部屋の掃除、畑の草取りで汗をかいて塩分を体外へ排出しようと思う。脱水に注意しながら。

最近の体重増減記録を張り付けます。
グラフの青線は毎日体重を100g落としていく理想直線。大晦日には80kgちょうどになる予定。
赤は朝一番で測定する体重。みごとに跳ね上がっています。
5番目の項目、赤文字で254と表示されている列はその日の摂取カロリー。この画面を撮影したのが朝ご飯を食べた直後なのでまだ少なく表示されています。最近の毎日の合計はだいたい1600から1900キロカロリー。基礎代謝は1900前後。昨日は2910キロカロリーと記載していますが、これは推定値です。生ビール2ジョッキ、グラスワイン6杯もカロリー増に寄与。






2017年8月2日水曜日

栄養学礼賛

私はこれまでの人生でずっと栄養学という学問に関してずいぶん懐疑的でした。とりわけ管理栄養士と呼ばれる病院のおばちゃん達(失礼!)、例外なく自信たっぷりな口調で肥満に悩む病客様を諭します。
「あなた、何気なく食べているショートケーキにどのくらいのカロリーがあると思います? 366キロカロリーもあるんですよ! このカロリーを消費するためにはウォーキングなら137分、水中ウォーキングなら103分も続けなければならないのよ。あなた運動なにもしてないみたいだからこれはそのまま体脂肪に積み増されます!」……と情け容赦ありません。
私は反論したくなります。そもそもなぜ私が食べたショートケーキが366キロカロリーぴったりだと断定できるのか、素材もいろいろ、カットの大きさもいろいろ、消化吸収能力も人それぞれ、消費するための運動にしても分の単位まで断定してしまう管理栄養士の皆様の思い切りのよさには感嘆・失笑です。
これは学問ではなくお告げみたいなもの。その証拠に大食漢タレントのギャル曽根のスリムな体型はどう説明するのだろう?…… と、いままでダイエットに一度も成功したことのない私は管理栄養士様に対しまったく敬意を感じないまま「ハイ、ハイ」と聞いていました。ところが定期的に通っている大学病院の内科医から「今のままならあなたはいずれ脳出血か心臓で命を落とします」と叱られ、栄養指導を受けることになりさっそく宿題がでました。
宿題とは毎日の食事の内容を記録用紙に書いて次回受診日に提出すること。用紙に手書きで書くのも大変なので自分でエクセルで計算表を作成。1日の飲食すべてを記録し、ついでにカロリー明細と合計も記入。食材のカロリーはそれこそネットで簡単に調べられます。やりだしたらエクセルの操作そのものも面白くてすでに1週間続いています。そして今まで軽蔑していた栄養学が案外“ハマる”性格の奥深い魅力を備えているものだと目を覚ましました。

1日の食事量を基礎代謝量以下に押さえた結果、いままでびくともしなかった体重が何と徐々に減少しているではありませんか! やはり栄養学は根拠ある数値を出していると実感しました。次回の管理栄養士先生との面会が楽しみです。

網戸の張り替え

 実家の物置に網戸張り替え用のネット・ロールが2本、もう30年も眠っています。父が古くなった家の網戸を張り替えようとホームセンターで買ってきたものの「この夏こそ張り替えしよう」と思いつつもついに実現することなく3年前に他界し、網戸交換の仕事は息子の私に託されました。
 父の気持ちもよく分かります。張り替えを業者に頼むと大事になるし料金も高そう。新しいネットさえ買ってくればシロウトでも何とかなるだろう、と。でも最初の一歩がなかなか踏み出せないまま私も今日まできてしまいました。
 ところがこの夏、網戸の破れがあちこち広範囲に及んで猫が勝手に外へ出ていくようになり、ついに私も決心しました。練習の意味も込めてとりあえず、新しいゴムとゴムを押し込むローラーを用意しました。
 いざ始めると、簡単そうに思えた張り替え作業が案外難しく四苦八苦でした。仕上がりにたるみが出て、何度やり直してもうまくいきません。たるみはあっても何とかネットをゴムで固定でき、はみ出したネットの端をカッターで切り落とそうとしたら、カッターの刃がたるんで膨らんだネットに接触して穴を開けてしまいまたやり直し! 1枚の網戸を不細工ながらやり終えたときはもう汗だくで服もどろどろに汚れてしまいました。こんなことなら素直にプロにまかすべきだった、と反省。
 ところが夜になってユーチューブで網戸の張り替え動画を20本ぐらい見たらまさに目からうろこでした。プロからアマまで多くの動画がアップされていますが、皆さん、実に分かりやすく勘どころを解説し、実演して見せてくれています。
ひとつの動画ではよく分からない部分も他の人の動画では「ここがポイントですよ!」と強調されていたりします。多くの動画を参考にして網戸張り替えの全体像が把握できたらしめたもの。とりわけたるみなく仕上げるテクニックには感動すら覚えました。父が残した2本のロールで残りの網戸全部を張り替えする自信が沸いてきました。

 それにしても中学校とか高校では自転車のパンク修理や網戸の張り替えはなぜ教えないのでしょう? 英語や数学を学ぶのに勝るとも劣らない、人生にとって有益な学習に違いないと思うのですが……。

2017年8月1日火曜日

パパイヤ8月1日現在

パパイヤの木に比べたら手前の里芋が小さく見えます。パパイヤの高さは2メートルくらい。それぞれの葉柄の付け根に実がついています。ただ実が急激に大きくなる様子がありません。かといって生育をやめているふうにもみえません。
今年の猛暑にはサツマイモでさえ葉がしおれることがあり、毎日の水やりが必須です。
きょうも夕立は当地を避けて通過。雨雲レーダーでは小豆島、加古川あたりに大雨を降らせているようです。

2017年7月31日月曜日

栄養管理

肥満、高血圧、ひざ関節炎などを解消するために大学病院で栄養指導を受けています。毎食ごとに食べたものを記録して来るように言われ、記入用紙を渡されたのですが、エクセルで記録用のファイルを作りました。
シートをまたぐデータの引用、先頭行の固定、条件式など基本的な演算方法をすっかり忘れていたのですが、作り始めると面白くなって久しぶりにプログラミングに熱中。痴呆症をすでに発症している自覚がありますが、記録を取るようになって日付と曜日の認識が復活しました。二桁の割り算、掛け算も計算機に頼らず概算で出すよう努力しています。

1日の摂取カロリーを1700キロカロリーを目安に献立を考えています。毎日100グラムの体重減をしていくと大晦日には80キロになるはず。15キロの減量です。毎日の体重も記録して減量理想直線から解離しないよう頑張っています。69歳にもなって全然食が細くなることもなく、目は遠近オールディスタンスばっちり。辞書の極小文字も遠くの看板もメガネ要らず。耳はいわゆるモスキート音の15000ヘルツも聞こえます。
これで肥満が解消されれば両親のように長生きできるのではと楽観的な希望をもってがんばろうと思います。




2017年7月30日日曜日

月下美人顛末

開花直前の月下美人を喫茶店ロッキーマックスに持っていき、今晩咲くからと言ったら、店の2階に住んでいる妹さん一家が夜中に3回も見に行ったのに咲いてなかったのでがっかりしたとか。
翌日は私が「今日は必ず咲くから」と妹さん一家に伝えて、と言って帰りました。ロッキーマックスのマドモワゼルは夜は自宅に帰るのでハナを見ることはできません。
私の家の月下美人は深夜見事に開花。翌朝、
「どうでした?妹さんたち何か言ってました?」とすでにしおれて垂れ下がった花を見ながら尋ねたら、「夜9時ごろまだ咲いてなかったので見てない」とのこと。がっかり!
9月にまた咲きそうになったら、咲いた瞬間電話で教えてあげることに。
なかなか善意の押し売りは上手くいかないなと反省しました。

2017年7月28日金曜日

月下美人開花

大きい植木鉢は喫茶店に貸し出し、一輪咲いた方の植木鉢は実家の道路脇に出して通行人に見てもらっています。暗いので門先に満開の月下美人があることに気付く人がいるかどうか。でも暗闇の中からいい匂いが漂っているので匂いだけでも楽しんでもらえたらと思います。
上手くいけば9月にもう一度咲くこともあります。

月下美人1日遅れ

昨夜咲くと思っていた月下美人ですが本日開花確定!

真夏の吉備津彦神社。すぐ近くに吉備津の釜で有名な吉備津神社があります。至近距離になぜ同じ神様を祀った神社が2つあるのか不思議ですが、実は2つは別の国に属します。
吉備津彦神社は備前、吉備津神社は備中国にあり、国境には両国橋がかかる境川があります。ひとまたぎで渡れる川です。


2017年7月27日木曜日

2017/7/28地植えパパイヤ

夏の炎天下、パパイヤだけは元気いっぱいです。早くもパパイヤの形をした実が見えはじめました。

月下美人、今夜咲きます。
人気のない我が家で寂しく咲くより喫茶店ロッキーマックスの店先に今夜だけ置かせてもらいました。父の形見で元々は倉敷中央病院の温室にある株の子孫です。



2017年7月26日水曜日

アゲハ行方不明

昨日激しい夕立が降り、その後レモンの葉にとまっていたアゲハの幼虫の様子を見に行ったら忽然と消えていました。鳥にやられたのか、強い雨に驚いてどこかに逃げたのか杳として行方知らず。気になります。

2017年7月24日月曜日

アゲハの幼虫

鉢植えのレモンの木にアゲハの大きな幼虫がいました。レモンの葉を食べ尽くすので、卵の段階か黒くて小さな幼虫なら駆除したり、もう少し大きくなっていたら山椒の木に強制引っ越しさせるのですが、ここまで大きく育ったものはあと少しでサナギになるので、そのままそっとしておきます。やがて大きなアゲハ蝶になってまた卵を産み付けにくるのは分かっていますが、、、

今年はレモンの木に勢いがあり、なおかつ実が少ないので樹勢がいいです。

2017年7月21日金曜日

県立図書館2017/7/21

昨日は母の98歳の誕生日だった。昨年の今頃はまだ母が生きていて、図書館向かいの県庁のミュージックサイレンもまだ奏鳴していた。なつかしくなって今日図書館に。昼飯は「味ごよみなんば」にて。どんな料亭もここのお刺身定食に勝てないと思う。Ninelives絶賛!

2017年7月20日木曜日

岡山市立せのお病院

今年になって岡山市立市民病院と岡山市立せのお病院がマージして診察券も共通カード1枚になりました。せのお病院は小さな病院ながら居心地がいいのに対し、市民病院はクソ。何かあって救急車を呼んだら市民病院のERに連れ込まれる確率が高い。困ったなあ!

2017年7月19日水曜日

数値改善、診察終わって

クレアチニン、尿酸が下がって正常値に何とか収まりました(^o^)v 医師は、これから先腎機能が損なわれることなく過ごせるでしょうと楽観的なご意見でした。前回は、何もかも悪い、何があったのですかといぶかっていましたが。

本当に体調がよくなったのか、それとも傾向と対策が効を奏したか、ともかくよかった!傾向と対策とは、純炭カプセルを飲んで血中のクレアチニンを吸着させてから採血したから。ただし前回は上手くいかなかったので、今回炭の粉が効いたかどうかは不明。健康雑誌では透析が必要と言われたひとが純炭"◯よら"で透析を免れたなどと年中同じ記事を掲載しています。
肝臓、腎臓が悪くならないうちに体重を減らすのは今年最大のチャレンジです。とりあえず年末までに90Kgを下回るよう頑張れ!

病院のカフェテリアにて

診察まで時間があり、採血も終わったのでカフェテリアでモーニングを食べていました。突然少し向こうの席に座っていた母子(50代30代)があわてて立ち上がり店員を呼んでいます。どうやら飲み物を派手にこぼしたらしい。すると女性店員ふたりが駆けつけ床に這いつくばって、掃除開始。ペーパータオル、バケツ、除菌スプレーなど駆使してあっという間に完璧に掃除完了。かなり広範囲まで拭き掃除とスプレーし、椅子の脚、背もたれにいたるまで徹底拭き取り。これを見ると日本てすごい❗と思います。上海なら、まず何もしない、するとしても水がポタポタ滴るモップで床を撫でるだけ。やはり接客は日本人がダントツ素晴らしい!

2017/7/19川崎医大受診

腎臓機能低下をウォッチするために半年に1回、腎臓病の専門医に診てもらっています。太り過ぎの解消に努力してないと叱られてばかり。

けさ採血室で順番待ちしていたら前列のおじいさんがニコッと振り返ります。何と従姉のご亭主のYさん!農家ですがこの医大が設置されたとき田んぼの一部を提供したそうで、当時の約束では最優先で診察することになっていたらしい。でも半世紀が過ぎそんなことだれも知らなくて今は単なる1患者。しっかりもののYさんなのに採血の様子を見ていたらわずかに認知機能が衰えているように感じられました。従弟の私のことが分かるので大丈夫ですが、後期高齢者になるとやはり老いが目立ってきます。従姉のキミちゃんが付き添いで来ていました。この夫婦には息子と娘がいてともに50代。ソ◯ー、べ◯ッセとそれぞれ日本を代表する企業の東京本社で働いています。優秀な人間を無限に吸い取る東京。田舎には老人と廃屋と草ボウボウの田畑が残るのみ。
(写真は病院内の中庭、緋鯉と赤松林)

2017年7月17日月曜日

パパイヤが開花 2017/7/17

今年4月に植えたパパイヤが夏の日射しを受けてぐんぐん成長しています。最初の花が咲きました。年内に黄色く熟したらいいなと期待しています。ダメなら野菜として食べます。岡山の冬では枯れます。

2017年7月16日日曜日

10数年前に作った小梅の梅干し

2001年ごろ仕込んだ小梅の梅干しです。赤かった梅干しも歳月が経過するにつれ色素を失い真っ黒に。塩の美しい結晶が梅干しの表面に析出しています。
味はまろやか、ほどよい酸味も残っています。種も真っ黒でした。

小梅も土用干し

朝からジリジリ湿り気のある猛暑です。今日は大きい梅24個の土用干し最終日です。小梅もいっしょに干しました。屋根のトタン部分の上にザルを置くので屋根の腐食が心配。後で水洗いしようと思います。体重97キロの巨体でアルミ製のハシゴを登るのは恐怖。ハシゴがたわんでいます。片手に梅満載のザル、片手でハシゴをつかんでバランスを取りながら登ります。土用干しも命懸けです。

2017年7月15日土曜日

土用干し、夜間

土用干しは3日3晩行うと昔から言われています。3日も連続で外に出しておくのは空中の酵母菌かなんかが付着し、それが梅干しに独特の風味をもたらすなんて説もありますが、私は疑問に思います。それに夜間も外に出したままにしておくと鳥の糞が直撃するかもしれないし、にわか雨にあうおそれも。
私は夜間はもとの梅酢に戻します。それをすると紫蘇の赤色がしだいに定着してきれいな梅干しになるからです。
土用干しが終わった梅干しは乾いた状態で瓶やカメに保存するのがふつうです。しかし私は元通り梅酢に戻しそのまま長期保存しています。しっとり感がそのまま残るからです。今年は大きい梅を1キログラム、小梅を2キログラム漬けましたが、昨年、一昨年前のものさらには10数年前のものまであって、しかもほとんど食べないので、溜まる一方です。どちらかというと、梅酢を取るために梅干しを作っている感じ。梅酢に生姜を漬けて紅生姜を作り、大量に採れるミョウガを梅酢に漬け、また梅酢でドレッシングを作ります。

7月15日少し早い梅干しの土用干し

今年も梅干しを作りました。南高梅3Lサイズ1キログラム、個数にして25個前後です。まだ天気が安定しないので、車(セダン)の後部ガラス窓の下、何という名前なのか、よくティッシュボックスを置いているところ、に梅干しを乗せて1日を過ごします。車の消臭になるし、予期せぬ雨に会っても大丈夫。
2日目の今日はいったん梅を水洗いし、塩分を少し抜きました。そして竹ザルに拡げ屋根の上に干しました。でも天気が怪しいです。

2017年7月14日金曜日

気が向いたら適宜投稿します

いままでは週刊誌の原稿を書いたときに、ついでにこのブログに転載していたのですが、今後は本来のブログを書き込むつもりです。私のブログをいつも読んでくれている人はわずか数名です。ひとつの新しい記事が10ビューを超えることはまれです。
たまにはコメントもほしいのですが、長らくゼロ。まあ、コメントしようがない内容と書き方になっているのでしかたありません。

サツマイモのツル返し

 梅雨の間に畝一面に茎葉を伸ばしたサツマイモ。この時期、伸びたツルが地面に接触していると、葉の付け根から細根がどんどん出てきて栄養分がイモに集まりにくくなります。そこで行うのがツル返しです。よく伸びた茎をベリベリと地面からはがしてやります。そのときツルを元の位置とは違う場所に置き直すと少しのあいだですが茎が地面から離れていい効果があります。
 昨日(7月14日)猛烈な暑さの中、藪蚊にさされながら手早くツル返しをしました。今後も8月と9月に実施する予定です。昨年も安納芋を栽培したくさん収穫できましたが、かなりのイモが野ネズミにかじられていました。歯形の跡が齧歯類特有のカンナをかけたような削りぐあいでした。新鮮なかじり跡だったので掘る直前にも多くのイモがやられたもよう。他に食べ物がなくなる時期まで畑においておいたのがよくなかったと反省。少々早いと思える10月中旬ぐらいには掘った方がいいのかもしれません。安納芋は甘いのでとくにネズミが好むようです。

2017年7月12日水曜日

2017真夏の上海

7月初め、上海に行ってきました。十数年前から毎年2,3回は出かけているのですが、真夏の上海は今回が初めてでした。滞在中連日35度を超え、通りを少し歩くともう汗が噴き出してきます。温帯モンスーンという日本と同じ気候帯に属していることが実感されます。
 上海は、というか中国全体でしょうが、都市の様子や住民のライフスタイルが行くたびに変化していて、変貌のテンポの早さには驚かされます。いくつか気づいたことを思い出すままに列挙してみようと思います。
・コンビニのレジ
 日本のコンビニでは現金払いが今でも主流ですが、上海ではほぼすべての若い買い物客はスマホの画面上のQRコードを提示してキャッシュレス決済をしていました。コンビニの主力商品である食品を触った手で汚い紙幣を受け取り、釣り銭を返すのは不潔なうえに時間のロスもばかになりません。
また中国の最高額紙幣は百元ですが、この2千円足らずの紙幣に偽札が多く百元札を出すと露骨にいやがられます。そのようないろんな不都合を一挙に解消するQRコードは日本のデンソーが発明した2次元コードだそうですが、中国のコンビニで大活躍していたとは驚きでした。
・清潔になっていく都市
 かつて中国と言えば仕切りもろくにないニーハオ・トイレが有名でしたが、上海のような大都会ではすでに絶滅したようです。またパリやニューヨークの地下鉄駅にはたぶん現在でも公衆トイレはないと思いますが、上海の地下鉄駅にはちゃんとあります。使う気はないのですがいざというとき心強い存在です。
 また、食を扱う分野でも清潔に対する意識が徹底してきています。ジューススタンドやファーストフード店の従業員は食品を触るときビニール手袋を着用しています。手袋着用は今日では世界標準で、日本の寿司屋は例外ということでしょう。
 しかし中国でまったく変わらないものもあります。「ご利用ありがとうございました」、「お買い上げありがとうございました」、「またのご利用/ご来店をお待ちしています」……こうしたお礼の言葉は高級ホテルテルでも商店でもただの一度も聞いたことがありません。これらは決して中国語には翻訳できない日本語特有の謎の言葉なのです。きっと。

運転免許証更新手続きに思う

「岡山県運転免許センター」の画像検索結果
20歳のころ自動車の免許証を取って以来ほぼ半世紀、3年ごとに更新してきたので、私はあの不毛な儀式にこれまでの人生で15回以上つきあってきたことになります。なぜ不毛かというと、そもそもおよそ免許というからには、医師免許でも弁護士資格でも、国家が関わる資格認定とか免許は所定の技能と知識を収得した結果与えられたもので3年とか5年ごとの短期間に更新しなければならない理由が分かりません。
このような主張に対しておそらく警察は定期的な更新が必要だという理由を山のように挙げるでしょう。視力や認知力が落ちているかどうかチェックしなければならない、改正された法令を周知したい、更新しないと年齢とともに顔の形が変わってしまい身分証明に不都合等々。こういう理屈に対して異論を唱えても水掛け論になってしまうので深入りする気はありません。
しかしながら社会制度が早くから発達し成熟したヨーロッパでは免許証は一度取ったら生涯有効という国が多いようです。ドイツやフランスではおじいちゃんやおばあちゃんが18歳のころの顔写真を貼った免許証で車を運転しているといいます。イギリスでは70歳の誕生日まで書き換えはないそうです。もし免許証更新がないゆえに致命的な支障があるのなら早くから自動車社会になったドイツやフランスで見直しがないはずがありません。
となるとやはり日本での免許証更新制度というのは単なる手数料稼ぎ、あるいは警察関係の人々の雇用対策ではないかと邪推したくなります。それに更新手続きのたびに不思議、不愉快な思いがするのが交通安全協会という謎の存在です。なぜ県の運転免許センターに公(おおやけ)の組織でもない交通安全協会が入り込んで営業できるのでしょう?
更新手続きに必要な証紙を買うとき安全協会に入るよううながされますが、あの窓口の証紙を売っている人は県の公務員なのか協会の職員なのか一度尋ねてみたい気がします。協会は所場代や電気代をちゃんと県に納めているものと信じますが、警察組織と協会のみごとなまでの渾然一体ぶりには大変当惑します。
最後に、運転免許センターの権威主義丸出しの建物にひとこと。私はあの偉容を見るたびにナチスドイツの総指令本部を連想してしまいます。

2017年6月28日水曜日

文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(下)

 熊本で転んで内蔵を損傷した可能性があるのにもかかわらず、先生はJR職員の心配をものともしないでそのまま新幹線に乗り込み、岡山駅まで帰ってきて駅に待機していた救急車で病院に運ばれました。泰然自若の老病人とハラハラしっぱなしだったであろうJRの車掌さんの困惑した顔が目に浮かびます。

「何度もピーク」
 ふつうの人間にとって“人生のピーク”と呼べる時期は一度切りではないでしょうか。我々凡人にとっては、あこがれの大学に合格したとき、社会人になってばりばり活躍したころ、家庭を築いたとき……あとで振り返れば「あのころが我が人生最良の日々だった」と思える時期は何度もありません。
 ところが西郷先生の長い生涯には私生活においてもいくつもピークがあったものと想像されます。「想像される」というのは、先生の関心は常に今現在と未来にあり、過ぎ去った遠い昔のことなど自ら語られることはほとんどなかったからです。
「先生はソ連抑留時代もロシア美人にもてもてだったに違いない」、「どうやら今まで何度も結婚し、子どもの数も片手では収まりきらないらしい」とは、私が牛窓の「てれやカフェ」のマスター、ヒロシ君と今はなき先生を偲んでひそひそ語るたわごとですが、実際、西郷先生の人生は波瀾万丈だったようです。
お亡くなりになる前の何か月かは病院で過ごされたのですが、さしもの頭脳明晰な先生でもときには意識が混濁することがあったようです。ある日見舞いに訪れたヒロシ君に先生は言いました。
「おい、ヒロシ、おれは今殺し屋に追われている、隣の部屋にいるあいつだ。今夜おれは女を連れて逃げる。そこでお前に頼みたいことがある。ありったけの逃走資金と車を用意してくれ」
「女」というのは最後の日まで病院でお世話になった若い看護師さんのことなのか、それともシベリアの雪原のかなた、国境線をめざして先生といっしょに国外脱出を企てるロシア人美少女ナターシャかアナスタシアか?

「内部にたくわえられたマグマ」は先生の長い生涯の最後の瞬間まで灼熱のエネルギーを放出し続けたのです。すばらしき哉! わが師西郷竹彦先生 合掌

文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(中)

西郷先生の業績の集大成ともいうべき「西郷竹彦・文芸教育全集」全36巻を出版した恒文社社長の池田恒雄氏(ベースボールマガジン、恒文社会長)が全集の巻頭言で次のように西郷先生の人となりを紹介しています。

「先生は、いまも、若き日のエネルギーを持って日本中を、駆け回っておられる。しかも、近著からもわかりますように、そのお仕事は何度目かのピークを迎えておられるように思います。内部に蓄えられたマグマの強さには、ほとほと感心せずにはいられません」(西郷竹彦著「わが人生を織りなせる人々」新読書社、p.92、下線は筆者)。

この池田氏のことばはそのまま先生のより私的な部分あるいはパーソナリティーの根幹をなす人格の中枢部分にもあてはまるのではないかと思います。ここではプライバシーに配慮しつつも池田氏の言葉からキーワードを取り出して、先生の最晩年を近くで見てきたものとして思い出をつづってみたいと思います。

「若き日のエネルギー」
100年近い生涯を通じて先生は常に若い女性から生きるエネルギーをもらっていました。複数回におよぶ結婚生活、多くの子どもさんに恵まれたこと自体が現今の草食動物化した若者世代には想像もつかない旺盛な動物的エネルギーの持ち主であったことを証明しています。
90歳を過ぎてから始められた我々地元民を受講者にしてのセミナーの参加者は中年以降のおっちゃん、おばちゃんが多かったのですがたまに文学に興味をもった女子高生なんかも混じっていました。
先生はおじんやおばんには目もくれず、若い生徒さんには実に懇切丁寧に勉強方法を伝授していました。「君、名前は何ていうの?文学を学ぶのにはまずこれこれの本を読むといい、今度持ってきてあげよう……」まるで高校か大学の文芸部の先輩が新入部員の女の子に語りかける口調。若き日のエネルギーは不滅です。

「日本中を駆け回る」
 文芸教育研究会主催者として先生は90歳を過ぎても全国大会に臨まれました。また遠距離の旅も一人で出かけることがありました。あるとき熊本出張の帰り、駅で転倒し、腎臓が損傷するという大事故に見回れたことがあります。即刻救急車で病院搬送しなければいけない状況です。(続く)

文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(上)

瀬戸内市牛窓在住の文芸学者西郷竹彦先生が97歳の生涯を終えられたことを新聞報道で知りました。一生を通じて精神が老いることなく、ここ数ヶ月病床にありながらも新しい本の執筆に情熱を燃やしておられたさなかの訃報でした。
西郷先生の名は日本での文芸学という学問領域にあってはまさにカリスマ的存在で、特に初等、中等教育界で先生の名前を知らない人はいないと言っても過言ではありません。そんなすごい方がたまたま岡山のしかも牛窓という海辺の小さな町で晩年を過ごされたおかげで、私も直接先生の講義に親しく加わる幸運に恵まれることができました。
数年前、90歳を過ぎた先生は地元の人々を対象に「てれやカフェ」という喫茶店で、夏目漱石、宮沢賢治、森鴎外、石川啄木等の作品を通じて文芸学の理論を精力的に説いてくださいました。とてもエキサイティングな学問体験でした。(その様子は山陽新聞文化部の取材記事として2011年4月21日、22日、24日の3回に分けて掲載)。
1920年、鹿児島生まれの先生の生涯は波乱に満ちたものだったようです。幼いころに両親をなくされ、土方をしながら苦学、東京大学で応用物理学を専攻。卒業後まもなく兵役、ソ連で抑留生活を余儀なくされたといいます。戦後生まれの我々からは想像もできない青春時代です。
しかし先生はそんな境遇をものともしません。ソ連での抑留生活では多くの日本兵が強制労働と栄養失調、極度のストレスと極寒の気候に命を落とし、2度と日本の土を踏むことなく死んでいきました。ところが先生は語学の才能を生かし、モスクワ東洋大学日本学部講師に採用され日本文化と日本文学を教え、1949年に帰国してからはロシア児童文学の翻訳を手がけ、その後文芸教育の理論的支柱になるのです。

どうやら恐怖のソ連抑留生活もイケメン、インテリ、薩摩隼人の先生にとってはモテモテで全然悪くなかっようです。どんな境遇でもそれこそはやり言葉でいう自己実現を果たす能力が生まれながら身についていたのでしょう。先生のリビドー(本能のエネルギー)は生涯減衰することがありませんでした。次回は少しばかり先生の人柄をしのぶエピソードをご紹介しようと思います。(続く)