2017年3月15日水曜日

神戸日帰りの旅

大阪の友人が神戸に行く用事があるけれどそれはすぐ済む、後はひまなので神戸で会わないか、という誘いがあり喜んで出かけました。私自身、上海にはしょっちゅう行っているくせに本場でおいしい中華料理に当たったことなど一度もなく、その恨みを神戸の中華街で晴らすのも一興だと思われました。
あらかじめ口コミ情報を元に行く店も決めて出かけ、JR元町駅で友人と合流し、南京町にあるくだんのレストランに入りました……。口コミ情報ほどあてにならないものはないですね。大外れ、満腹感も満足感もないまま店を出ました。すると向こう三軒両隣、よその店のメニューばかりが燦然と輝いて見えます。
「他の店にすればよかった」などと愚痴をこぼしたら友人が「どこの店でもレベルはいっしょですよ。俺たちそういうことを学ぶ能力に欠けているからいつも期待しては失敗するんじゃないですか」。わざわざ岡山から出かけて不満足なメシを食ってそのまま帰るのはあまりにも虚しい。そこで震災以来22年ぶりに神戸の街を歩いてみることにしました。
廃墟から完全に立ち直った神戸は心なしか震災前の独特の情緒、雰囲気が薄れて平凡な町並みに変わっているような気がしました。
それでも神戸の老舗は健在でした。海から山に向かってトアロードを上って行くとデリがあります。日ごろ「おいしいベーコンがない」と嘆いている私ですがさすがは神戸、ハム、ソーセージ、ベーコン、サーモン、鯖、ニシンの薫製などが抵抗しがたい魅力で私を誘惑します。せっかくの機会なのでノルウェー産ニシンの薫製をおみやげに買いました。薄くスライスしたライ麦パンにバターを塗りニシンの薫製を乗せレモンを搾って食べるのは最高のぜいたく!
歩き疲れて昔なつかしい中山手通りにある「にしむら珈琲店」に入りました。大阪千日前の「丸福珈琲店」、京都河原町の「フランソワ喫茶室」、この3軒を私的には関西3大至宝喫茶店とさせていただきます。

にしむら珈琲で元気を取り戻し、大阪の友人と別れたあと元町から在来線に乗って帰ってきました。夜、スマホをチェックしたら、大阪の友人からメールが入っていました。「今帰ってきました。麻婆豆腐と酢豚を食べ、満足感でいっぱいです。王将で食べました」とありました。

2017年3月8日水曜日

心配ごと

人生、ニャンともならない
コンビニの本・雑誌コーナーには思わず手に取ってみたくなる本がさりげなく並んでいます。これら料理、趣味、健康、マニュアル本などに混じって人生論も売れ筋商品のようです。猫に人生を語らせる「人生はニャンとかなる!」は「明日に幸福をまねく68の方法」という副題がついていてロングセラーです。
ネコの写真に癒され言葉に励まされる仕組みになっていてほほえましい。ところが我が家には幸福をまねくはずの猫が合計12匹もいるのですが、多すぎて私は四苦八苦。そもそもなぜ12匹かというと、11年ほど前、散歩道に段ボールに入れられて捨てられていた赤ちゃん猫(メス)を保護しミーシャと名付けて飼い始めたのが悲劇の発端でした。
ミーシャはすぐ大人になり避妊手術をする間もなく妊娠、子猫5匹を生みました。授乳が終わったら手術をと思っていたらまたも妊娠、また5匹出産!その上もう1匹捨て猫が加わり総勢12匹になりました。全部を同じ場所で飼うことはできず、今は実家とマンションに分かれて6匹ずつ仲良く暮らしています。
ところが最近マンションの猫のうち1匹が血尿を出していることに気づきました。見た目はみんな元気で、どの子が病気なのか見当もたたず考えあぐねて獣医さんに相談しました。獣医さんも、当然のことながら、個体が識別できないと治療は無理、と言われ途方にくれています。
1匹ずつ檻に入れてみようにも、もともと私のことを餌を運んでくるおじさんとしか思っていない猫たちは警戒心が強く、素直に檻なんかに入りません。それにそんなことをしたら5匹の母親であるミーシャはいまだに母性が強く残っていて子どもの叫び声を聞きつけると私に本気で食ってかかり私は血塗れになります。
したがってまずミーシャを実家に移し、残りの5匹を順番に檻に入れて採尿という段取りを実行すればいいのですが、実家の猫たちはもうミーシャが母親であることはとっくに忘れているので喧嘩しそうです。でもまごまごしていたら命取りに、と心配はつのる一方です。……どの子もあと10年は生きそう。この先すべての猫が生涯を終えるまで私が先にダウンすることもかなわず私の悩みはかなり深刻です。

コンビニのネコちゃん、「人生、ニャンともならないよ!」。

よくなった住宅品質

農地を住宅地に転用するのが簡単になったのか、市街化調整区域のはずの我が家の周囲にも年々4,5軒単位でミニ開発が行われ、敷地は狭いながらも設備のよさそうな家があちこちに建ってきています。
建築基準が厳しくなって耐震、耐火、断熱性能がひと昔前の住宅とは比較にならないぐらいいい家々。こうした高機能の新築住宅ができあがる様子を毎日散歩の途中に見ていると、まもなく新しい家で生活を始める若い家族の幸せな光景が目に浮かぶようです。
終戦直後に生まれた我々団塊世代は、暖房のない部屋でコタツや火鉢で暖を取りながら子供時代を過ごし、大学生になって都会に出ても四畳半の何もない下宿の部屋でインスタントコーヒーとインスタントラーメンで飢えをしのぎ、やがて家庭を持っても住むところはアパート。くじ運のいい場合は公団2DK住宅でした。
公団2DKとは広さ40平方メートルもない延べ床面積に小さな部屋が二つと狭いダイニングキッチン、風呂トイレあり、エレベータなし物件です。こうした家で生まれ育ち巣立っていった団塊ジュニア世代になってようやく現在の高機能・高品質住宅に手が届くようになったというわけです。21世紀を迎えてやっと!
思い起こせば、1972年にドイツを旅して知り合いになった人の家に泊めてもらったとき、住宅の品質の高さには驚嘆しました。窓は木製の枠にペアガラスがはめられ、屋根裏部屋に至るまでスチーム暖房が完備していました。すでに築20年ぐらいの感じがし、その様子から敗戦後、間髪入れず庶民のための高品質住宅が整備されたことがうかがえました。
そんなドイツの家を見て私は両親の家を高機能の家に改修したいと思ったのですが、1970年代の岡山ではペアガラスのサッシなど工務店が扱っておらず、業者も我が父親も断熱の意味など理解しようともしませんでした。また住宅の改修に対し銀行ローンなど存在せず、結局時代が進むのを待つしかありませんでした。
過ぎたことはともかく、欧米に遅れること50年にして、狭いながらも質のいい住宅が普及してきたのは公的住宅ローンの融資条件に住宅の品質が問われるようになったからに他なりません。産業重視で民生を犠牲にして戦後の日本の繁栄があったことがいまさらながら悔やまれます。

上海中心(上海タワー)

「上海タワー」の画像検索結果
中国の正月である春節が終わって航空運賃が一年の中でもっとも低いこの時期、春秋航空の高松上海便チケットが捨て値で売られているのを見て衝動的に上海に出かけました。
特に何か用事とか観光目的があった訳ではありません。本当に暇つぶしの旅でしたが、今回初めて世界第2の高さ(632m)を誇る上海タワーにのぼってみました。タワーといってもスカイツリーのような電波塔ではなく、オフィスやホテルなどが入居している超々高層ビルです。
まるで龍がくねりながら天に向かって飛翔するかのようなイメージのビルは遠くから見ても異彩を放っています。まさに昇り龍中国を象徴する外観です。訪問した日は日曜日で天気もよくさぞかし見物客でごった返しているかと思いきやそうでもなく、チケットもすぐ買えました。パスポートの提示を求められましたがシニア割引にしてくれました。それでも日本円で約2千円。ふつうの中国人にとって安くはない入場料です。
119階の展望台までわずか55秒で到着するエレベータは三菱電機製ということですが、何事につけ日本の先進的なイメージが人民の目に触れるのを嫌う国策のせいか、世界最速エレベータの操作パネルのどこにもMitsubishiの文字が見当たりません。よくよく探してみたら足許の目立たない場所に小さな文字で記載していました。もし私の推理が当たっているなら、“偉大な中華民族”を標榜している割には政権の小物っぷりがイタい中国です。
高さ552メートルの展望台フロアーに出ると一瞬めまいのようなものを感じました。そしてガラス窓の外というか眼下を見ると既存の超高層ビル群がジオラマのように地面にへばりついて見えます。期待していた遠景はというとこれが残念。晴天にも関わらず大気汚染がひどく全体的にぼーっとかすんでいます。

それにしても土地の広い上海になぜこんな高いビルが必要なのか不思議です。地上500メートルのオフィスやホテルで働いたり滞在して不安はないのでしょうか?地震はあまりない上海ですが、9.11テロのような事態が起こらないとも限りません。事実エレベータに乗る前のセキュリティチェックの厳しさは空港並でした。一度は行きたい場所でしたが二度はけっこうと思いつつ下りエレベータに乗った次第です。