2019年12月31日火曜日

上海の芥川龍之介

昨日NHKがやっていたドラマ、「上海の芥川龍之介」はNHKらしく、制作費を湯水の如く使っただけのことはある作品だと思いました。芥川の役を演じた松田龍平がいい味を出していましたね。100年前の東洋の魔都・上海はおそらくああいう感じだったのでしょう。阿片窟が至るところにあり、、、

私が最初に上海に行ったのは2005年くらいでした。上海駅周辺にはまだ少しあのような雰囲気が残っていましたが、あっという間に住民もろともブルドーザーで更地にされる様子が高層ホテルの窓から丸見えでした。その後の15年ほどの上海の激変ぶりにはまったく驚かされます。地下鉄は4路線から10数路線に増え、タン壺が設置されていたボロボロの市営バスはいつのまにかボルボの最新鋭バスに代わり、またニイハオトイレも多分都市部では絶滅したと思います。

この間、日本の衰退は著しく、不景気な話ばかり。2020年が明るく幸せな年になることを祈ります。

2019年12月29日日曜日

窓掃除

牛窓のてれやカフェに行ったらプロの人が窓拭きしていました。いろいろプロ用の掃除道具とテクニックを教えてもらったので、さっそくホームセンターで最低限の道具と洗剤を買いました。
アルカリ洗剤としては重曹、セスキあたりなら使いすぎても安全だそうです。酸性のものはクエン酸。プロは塩酸や強アルカリ洗剤を使うがそこまでしなくてもOKとか。
昔使っていたアメリカ製の窓拭きスクイーザーettoreを20年ぶりに使おうと思ったらゴムのブレードが劣化していました。アマゾンで検索してみると専用ブレードが見つかったので注文。ブレードゴム単体の値段が数百円、送料も同じぐらいで割高感あり。ホームセンターでは中国製のスクイーザーがひとつ250円ぐらいで売られていて、これはこれで買いました。自分は一体何をやってるのだろう?

2019年12月11日水曜日

令和2年

 新年あけましておめでとうございます。
 昨年は、上皇陛下の決断によって令和という新しい時代を迎えることができました。思い起こせば昭和の終わり、約半年の長きにわたって国中に重苦しい空気が漂い、自粛ムードの末に唐突に平成時代が始まりました。あの時に比べ今回の皇位継承はとても晴れ晴れとしたものでした。
 昨年4月末日から51日にかけては上皇陛下の退位、新天皇の即位の儀式があり、同1022日には即位礼正殿の儀があり、同1114日から15日にかけて大嘗祭がつつがなく執り行われました。いずれの行事も我々一般国民はテレビ中継で垣間見ることしかかないませんでしたが、それでも千数百年の歴史と伝統に自分自身も連なっていることが実感され感慨深いものがありました。
 昨年11月末、大嘗祭のために造営された大嘗宮がしばらくのあいだ一般公開されていたので、生まれて初めて皇居に出かけてみました。江戸城本丸跡の広場に設営された大嘗宮は意外なほどシンプルなもので、またちらっと見えた宮殿もフランスのベルサイユ宮殿、ロシアの冬宮殿(エルミタージュ)などと比較するのも愚かなぐらい何の変哲もない“質素”なものでした。しかし21世紀の彼我の宮殿には決定的な違いがあります。こちらの宮殿には国民の象徴としての天皇陛下が()()すのに対し、ベルサイユもエルミタージュも今は主なき館にして壮大な博物館、美術館に過ぎません。おごれる人も久しからず。対する日本は質素さと祈りです。
自然とともにつつましく暮らし、毎日昇ってくる太陽に感謝し(冬場、太陽が昇らない国もあります)、春になれば山桜が近くの山、遠くの山に棚引いてうっとり。五月晴れの後は雨の情緒を楽しみ、汗を流し、夏の終わりにはふと忍び寄る秋にここちよい風を感じ、初めて採れたお米に感謝を捧げ、大豆を収穫し、味噌を仕込んでまた新年を迎えます。
現在、米中の2大超大国による“戦争”がじわじわ戦火を拡大しつつあり、日本の行方もはっきりしません。しかし日本史上いろいろあったにせよ、縄文時代以来1万年もの長い時を、幾多の自然災害をものともせず人々はたくましく生き抜いてきた事実を心の拠り所として、心穏やかに暮らしていきたいものです。

2019年12月8日日曜日

ゴッホの耳なし自画像のように

今日は天気もよく午前中、渋柿の大木に梯子をかけて曲芸のようなことをやりました。実が50個ほどついたずしりと重たい枝をノコギリで切っていたら、枝が私の頭の方向に倒れかかってきました。そのとき持っていたノコギリが柿の枝に押されて耳に食い込みました。鋭い痛みを覚えて手で触ると血は少し出ているものの耳がなくなるような大事にはならずにすみました。

ハイドロコロイド絆創膏を大きめに切って耳を保護したのですが、まるでゴッホの「包帯をしてパイプをくわえた自画像」です。

昔から柿の木から落ちて死ぬ人が多いので登ってはいけない、と父からよく言われていたのに、渋柿もアルコール度数47%の焼酎に浸して保温すると美味しい柿に変身するので、やっぱり毎秋、登ってしまいます。(台風接近時には、テレビがしつこく「田んぼを見に行くな、屋根に登るな」と忠告してくれるのにも関わらず、雨どい掃除に登ります)

こんなことを書きながら、太宰治の「人間失格」の主人公、葉蔵が少年時代、体操の授業で鉄棒の逆上がりをわざと失敗してクラスの笑いをとったところ、クラスメートの発達障害らしき竹一少年から「ワザ、ワザ」(わざと)と声をかけられ、道化の本性をよりによってあの竹一に見抜かれていたとは、と狼狽する大変有名な、ある意味、この小説のクライマックスのシーンに我が身を重ねてしまいます。

でも、ワザではないのです。まさか自分が切った柿の太枝がノコギリとともに私を襲撃してくるとは!

葉蔵が竹一にゴッホの絵を見せるシーンがあります。竹一はゴッホの自画像を見て「お化けの絵だ」と言います。私の横顔もそれに何ら変わらないので、耳だけトリミングしました。




2019年12月4日水曜日

「憮然」の意味

地元紙に五木寛之のエッセイが連載されています。今回の題は「すき焼きに歴史あり」です。文中に「憮然」という言葉がありますが、誤用で有名なやつ。いわく、本来憮然は「がっかりしたさま」をいうのに、今ではもっぱら「不機嫌なさま」と70%の日本人が思っていると。

このエッセイで五木寛之は「がっかり」したのか「不機嫌」になったのか、その答は後ろの父親の部分を読めば、「不機嫌」であることが読み取れます。何事につけ若者ぶっている五木寛之のこと、私の解釈で間違いはないと思います。


そんなことより、今どきの若者って五木寛之のような米寿が近い老人(87)と同じすき焼き鍋なんかに箸突っ込んで「うまかったっす」なんて言うのかなあ? 私も老人の範疇に入りますが、そんな鍋の中で煮えている肉なんかつつきたくありません!「フケツ!」、「キューポラのある街」の中で唐突に叫ぶ幼き日の吉永小百合のカマトトセリフが想起されます。その後、彼女は清純派女優のイメージを払拭すべく、次の句を残したと言われています。

(以下はNinelivesによる破礼句考)*ばれくこう

   松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり

しかしこれは俗説で吉永小百合の真作は次のような句であるらしい。

   松茸を喰らひつしゃぶりまた喰らひ

日本語の名詞には単数複数の概念がなく、例えば芭蕉の「古池や蛙飛び込む池の音」の句では、カエルが1匹飛び込んだのか4、5匹だったのか分からないので英訳するときとまどうといったことをドナルド・キーンがどこかで書いていたように思う。(キーンはカエル1匹と解釈)

The ancient pond / A frog leaps in / The sound of the water.
( tr. by Donald Keene)

ひるがえって吉永小百合の句の場合、前者から受ける印象では咥えた松茸は1本であり、真作と思われる後者は大小さまざま複数の松茸を喰らったのであろう、まるでインパクトが違う。彼女は自称体育会系、肉食系のエネルギッシュな女性であり、「喰らひつ~また喰らひ」という畳み掛ける表現に真作ならではのリアリティーがよく表れている。

ちなみにこの記事を書くまで、筆者が吉永小百合作と思っていたばれ句は次のようなバージョン。

   松茸は舐めてくわえてまた吸うもよし


2019年12月2日月曜日

初霜の日ミニトマトをすべて収穫

先日の霜でミニトマトが枯れてきたので未熟な実を全部収穫しました。これはこのまま室温で放置しておくと次第に赤く熟してきます。腐ることはなく来年の5月ごろまでには全部赤くなり種も充実してきます。その種をまたポットにまいて苗を作り上げます。

門先のサザンカが満開になり、塀に絡み付いた蔦もすっかり紅葉しました。花びらや蔦の葉が昨夜来の雨に濡れた道路に落ちて晩秋の情緒が漂ってるのですが、隣のクソババが「道の掃き掃除をしろ」と迫ってきます。父がよく「あのでしゃばりが、、、」とブツブツ言っていたのが昨日のことのように懐かしく思い出されます。


2019年11月28日木曜日

岡山に無事帰りました

羽田空港で帰りの岡山便を待つあいだ1時間半ほど時間があったので第2ターミナル1階にある東邦大学羽田空港クリニックで腹痛を診てもらいました。ふつうの町中の診療所とまったく同じで、まず保険証を提示し、問診票に症状を記入し、体温を測ったりしながら待っていたらすぐに順番がきて若い女医さんが診てくれました。駆け出し(?)女医の背後にベテランぽい女性医師がついています。もちろん羽田空港のクリニックにかかったのは初めてのことで、医師は私の言うことをパソコンにひたすら打ち込んでいきます。最近の医者は何だか医者というより速記のプロみたいな存在です。いかに早くキーボード入力ができるかが医者の腕前ということでしょう。

一応、診察台の上に横たわって腹をあちこち押さえられ、自分の予想どおり「大丈夫でしょう。岡山に帰ってから病院に行ってください」となりました。でもこの言葉を聞いてから搭乗するのと不安をかかえたまま乗るのとでは気分的に大違いです。機内では持参していた世阿弥の「風姿花伝」現代語訳(PHP)を読んでいるうちにすぐに岡山に到着しました。

それにしても日本の健康保険制度はありがたいです。岡山市が発行した保険証が全国どこでも使えるうえに、働いていないのに老人ということで2割負担で済みますから。支払ったのは初診料の580円のみ。クリニックの収入は2880円。診察時間は正味15分として、これで医師2人分、看護師、受付2人、テナント料、その他もろもろの経費を考えたら、診療所の経営なんかやってられないでしょう。よく知らないけれどもし同じことをハワイの空港でやらかしたら軽く500ドルは取られるのではないかと思います。

2019年11月27日水曜日

東京1泊旅行

現在、東京上野にある東京都美術館で、印象派およびポスト印象派のコレクションで名高いロンドンのコートールド美術館展が開催中です。シスレー、マネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴーガン等々おなじみの画家のしかも超名作ばかりが日本にやってきているのですから見に行かないわけにはいきません。さいわい全日空がいつもより少ないマイルで特典搭乗できるキャンペーンをやっていたので、気がかりなことがあるのにも拘わらず予約を入れました。
気がかりとはお腹に慢性的な痛みがあることです。先ごろ病院でエコー検査を受けたところ「特に異常は見つかりません、様子見でいいでしょう」とのことでした。しかし上京の日程を決めてから心なしか腹痛の度合いが増してきたような気がします。しかも以前は痛い箇所が曖昧だったのに今はお腹の左下に強い痛みがあることがはっきりしてきました。
ああ、それなのにバカな私は病院ではなく東京に来てしまった! 何とかなるだろう、東京は未開の地ではない、名だたる病院もいたるところにある、保険証も持ってきた。実際、東京に来てみると雨模様ながら楽しい。文句なく世界一機能性と情緒がマッチした大都会。住んでいたのは50年前の学生時代たった4年間だけなのに、いつの間にか自分の中の原風景みたいな街になっている……。
お腹の痛みは潮が満ち引きするように強くなったり弱まったりしつつも、旅の目的のコートールド展はこころゆくまで堪能できました。問題は帰りの飛行機です。機内で腹痛がぶり返し我慢できなくなっても空の上を飛んでいるからには「気分が悪い、降ろしてくれ」というわけにはいきません。テレビドラマでよくあるドクターコール、「お客様の中にお医者様はおられませんか?」のシーンが目に浮かびます。まったく旅行も命がけです。

思えば昔の人は旅に出ることはある意味、死を覚悟することでした。むしろ西行や芭蕉のような大詩人は客死することに積極的な意味と美学を見いだし、そこに人生の完成形を夢見たあとがうかがえます。しかしながら私のような凡人は脇腹の痛みさえ重病のサインのように思え、不安がつのり、無事岡山に帰れたら場合によっては夜間でも病院にすっ飛んでいこう、と臆病風丸出しです。

2019年11月20日水曜日

病院にペーパータオルを

 カナダから従兄たち一行6人がバカンスで訪日し、彼らを乗せたダイヤモンドプリンセス号が鳥取県の境港に立ち寄るというので会いにいきました。津軽海峡を回るクルーズ船は巨大な船にも関わらず折からの強風で揺れて船酔いし、秋田では接岸不能で大変な行程だったようです。
 日本に来るのは初めての人や十数年ぶりの訪日という人もいました。そしていっしょにわいわい松江城や宍道湖を観光したり食事をしながら、日本での印象等いろいろ興味深い話を聞くことができました。
 街や道路が清潔に保たれていること、至るところにある自動販売機が壊されることなく動いていること、トイレが機能的で清潔であること、店員の応対がとてもていねいで親切なこと等々、日本のいいところを率直に評価していました。
ただ、ひとつふたつ、私自身も常日頃外出先で不便だなあと感じていたことをカナダからやってきた従兄たちに指摘され、「やはり」と思ったことがありました。街にゴミ箱がないことと、トイレはどこでもこの上なく快適なのに手洗いにペーパータオルが設置していないことです。
思い返せば、昭和時代にはゴミ箱は至る所にあったし、飲食店では両手で布を引っ張り降ろして使うタオルマシーン(?)がありました。なつかしいあの機械は今いずこ? それに代わってこのごろコンビニなどでは電動水切り兼温風乾燥機をよく見かけます。しかしあれを皆様気持ちよくお使いなのでしょうか?
濡れた手を差し込むスペースが狭くて、よほど注意深く手を入れないと手の甲または手の平が機械の縁に接触し不快です。おまけに100Vの機械では温風というより生ぬるい風しか出て来ないのですっきり乾かすことができません。
その点やはり一番すぐれているのはペーパータオルでしょう。とりわけ病院のような衛生に極度に敏感でないといけない場所ではトイレのペーパータオルは必須アイテムだと思います。外来患者が持参した、清潔さが必ずしも担保されないハンカチで手を拭かれるよりペーパータオルを提供することは場所柄決して無駄なことではないと思います。日本でもハンカチを持ち歩かない種族が増えている昨今、病院に限らず、美術館等のトイレにもペーパータオルを置いてもらいたいと心から願います。

2019年11月13日水曜日

キムチ

 まもなく韓国が一方的に破棄を宣言したGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の有効期限が終了しようとしています。日本政府は徴用工問題を韓国政府が責任をもって解決しない限り、韓国に対する輸出管理の厳格化を緩める気配を見せず、ひとり韓国政府があせりまくっている状況です。
 一般の世論も一時は韓流ブームやK-POPで好意的であったのに今や民間の日韓交流まで冷め切っています。昔は韓国が一方的に反日をやっていたのに今では日本も嫌韓をおおっぴらに表明してもかまわないといった雰囲気が作られています。情緒的にも噛み合わない日韓関係にあって、韓国発祥と言われるキムチだけは、世界の発酵食品の歴史のなかでも特別すばらしい発明のひとつであり、文句なしに「さすが!」と賛辞を贈りたいと思います。
 昔からときおり発作的にキムチを食べたくなる衝動にかられます。スーパーにはいろんな輸入品や国産キムチが色とりどり並んでいますが、できれば手作りが一番です。そんななか最近YouTubeで発見した韓国系の料理研究家のコウ ケンテツさんのレシピは作る前からおいしそうな感じがして、さっそく白菜を買ってきて仕込んでみました。
 白菜をいったん5%の塩で漬けてそのあと自家製キムチヤンニョムとともに漬け込みます。ヤンニョムの中身は韓国産のトウガラシ、アミの塩辛、ナシ、リンゴなどの果物、ニラ、セリ、ニンジン、ダイコンなどの野菜、それにショウガ、ニンニクなどの薬味を加えたものがベースです。私はバリエーションとしてイカの塩辛、ワケギ、今がシーズンの柿などを加えて仕込みました。
 晩秋のおだやかで暖かい日が差し込む部屋に置いて乳酸発酵が進むのを待つこと3日、もうすでに最高のキムチに仕上がっていました。アミの塩辛は手作り、野菜や果物もできるだけ庭で採れたものを使ったのでおいしくないはずがありません。

 考えてみるとそれぞれ単品では単調な野菜、果物、海産物、香辛料をこれだけぜいたくにまた複雑に組み合わせた食品は、キムチのほかに思いつきません。トウガラシも極端に辛いわけではなくかすかな甘みが胃を刺激します。個性豊かで強烈な食材が作り出す絶妙のハーモニー。日韓の対立もいつかはこの超絶食品のように止揚(アウフヘーベン)する日が来るのでしょうか?

2019年11月6日水曜日

郵政民営化から12年

 先日、介護保険料の支払いと通帳記帳を半年ほど怠っていたので近くの集配郵便局に出かけました。ATMで記帳したところ余白ページがなくなり、支払いの件も含め通帳繰り越しのため、窓口で番号札を取りしばらく待ちました。
 平日の昼下がりの郵便局は民営化前とあまり変わらず、年輩のお客が目立ちます。思い起こせば小泉内閣時代、郵政民営化を巡って自民党は二つに割れ、郵政解散があり、民営化反対の立候補者に対しては“刺客”などという物騒な対立候補を送り込む大乱闘がありました。
 それから12年の歳月が流れ、当初心配された過疎地での郵便サービスの消滅、極端な不便化は避けられ、あまり目立ったクレームは発生しなかったように思います。しかし今年7月に明るみに出たかんぽ生命の不適切契約問題には、顧客軽視の実体が浮き彫りになり、とりわけお年寄りが大きな被害を受けました。
 “郵便局の保険なら間違いはない”という過去の信用に泥を塗る大変な裏切りであり、きついノルマが従業員に課せられたゆえの組織犯罪といってもおかしくない不祥事でした。とはいえ、郵便局の中を見渡してもそんなありえない不祥事があったことなど想像もできません。みなさん誠実、親切に顧客に接していて、昔の郵便局の雰囲気そのままです。
 でも素朴な疑問が湧きました。ゼロ金利時代になってもう何年も経つのにゆうちょ銀行はどうやって社員の給与を工面しているのだろう?民営化以前は350兆円の資金を国や道路公団などに貸し付けて悠々と仕事ができていたはずですが、コストのかかる郵便事業、利益を生まない銀行業、外資保険の販売までやらされているかんぽ事業など、気が遠くなるほど効率の悪い巨大組織です。

 やっと呼び出しがあり用件を伝えました。コンビニなら30秒で終わる公共料金の支払い、銀行ならATMでできる通帳繰り越しに10分もかかりました。伝票を書かされたり、窓口担当者は上席の承認をもらいに席を立ったり、仕事の遅さは相変わらず。「効率が悪く、稼いでいない」これが民営化後の郵便局に対する私の感想です。あれだけ大騒ぎした挙げ句の果てに誕生した民営郵政事業はいずれの分野をとっても顧客サービスはぱっとしないし、職員にとっても厳しい改革だったように思えます。

2019年11月5日火曜日

追悼マリー・ラフォレ

1960年代、70年代のフレンチポップス、シャンソン歌手でマリー・ラフォレほど素敵な歌手はいません。彼女のほとんどすべてのLPとCDを持っていますが、この頃はもっぱらYouTubeで見ています。残るはブリジット・バルドー、アラン・ドロンくらいか。ジョニー・アリディも最近亡くなってもう私も生きる意味がありません!
2019年11月2日逝去。80歳。

2019年10月29日火曜日

褒める文化

 星の数ほどあるYouTube上の英会話プログラムの中に“Hapa英会話”というのがあります。ロス在住のJunという日米ハーフの青年がほぼ毎日無料発信している動画サイトです。Hapa英会話では毎回日本語と英語の微妙な差を的確に説明してくれるので実践的な英会話が身につくだけでなく、日本人とアメリカ人の発想の違いもより深く理解できます。
 日米での発想法の違いでJunがよく取り上げるのが「アメリカ人は褒めること(compliment)、褒められることが大好き」というのがあります。そういえばアメリカ人やカナダ人は本当にささいなことでも挨拶代わりによく褒めてくれます。「その靴いいなあ!」、「素敵なセーターだね」、「こんなおいしいピザ食べたの生まれて初めて、君は料理の天才だよ」と、とにかくオーバー。
 それに比べ日本には古代中国の儒教的価値観がいまだに残っている面があって、私など人を褒めたり、また親しくもない人から褒められるとすぐに論語の「巧言令色、鮮なし仁」を連想してしまいます。要するに、言葉巧みにおべんちゃらを言うようなやつは信用ならない、と。
 確かにたまに人から褒められると、アメリカ人のようには素直に反応せず、「あんた、具合悪いんじゃないの?」とか「えっ?お前がそんなこと言うとは雪でも降るんじゃないか?」と棘のある言葉を冗談ぽく返すことも珍しくありません。
 そう言えば9月にカナダの親戚を訪問したときもずいぶんたくさんのComplimentをいただきました。私が持っていった“抹茶味カフェラテ”も「こんなおいしい飲み物はカナダにはないよ!」とか「昨年の関西・岡山旅行ほど楽しい旅は今までなかった。お前が我々の滞在が楽しく意義あるものになるようにと用意周到に準備してくれたことに今も大変感謝している」とずいぶん過剰な言葉をもらい面はゆい思いでした。
 しかもそうした定型とも思える褒め言葉を小さな子どもまで恥ずかしがることなくニコッと言葉に出して言ってくれます。そこがポイントだと思いました。小学生のころから大人がどのようにしてスムーズな対人関係を言葉で築いているのかを見て育てば自然と他人の長所を見つけるワザが身につきます。お国柄がなんだかんだと言っても褒められて悪い気がしないのは万国共通です。

2019年10月25日金曜日

秋の北海道物産展

天満屋画廊で虫明焼きの作家、黒井博史展をやっているというのをローカル・ニュースで見て、寄ってみました。地味な備前焼と違って華やかな釉薬がかかっている美しい陶器にうっとりでしたが、この年齢になるとどんなモノもやがてすべて粗大ゴミになるので拝見だけさせていただきました。

7階の催し物会場で恒例の秋の北海道展をやっていたのでそちらも覗いてみました。岡山ではおいしい鮭を売っている店がほとんどなく、秋の北海道物産展はアブラの乗った紅ザケが手に入るいい機会です。半身をスライスし、一切れずつラップした冷凍紅ザケがあったので、売場のおばちゃんと交渉しました。定価5千円というので私が「お姉さん、負けて!」と言ったらあっさり500円引いてくれることになりました。同じ商品が10パックほどありどれがいいかなと思っていたら、おばちゃんが「手に持ってごらん、重い、軽いがあるから。これなんかでっぷり重いでしょ!」と言うので、「ほんま、お姉さんみたい」と相づちを打ちました。おばちゃんは「お客さんも言うねえ」と言いながら私が渡したクレジットカードを持って奥の方へ消えていきました。

おばちゃんはもうひとつアドバイスしてくれました。冷凍鮭はそのまま冷凍庫で保存し、調理するときは解凍しないで、フライパンにクッキングシートを敷いて弱火で焼くとおいしいとのことでした。さっそくやってみたら確かにドリップが出ず、焼き色もつき美味でした。いいことを教えてもらいました。

2019年10月23日水曜日

バレーボール、ラグビーW杯

 令和元年の10月は何かと話題の多い月でした。繰り返し日本列島を襲った台風によって多くの人々が犠牲になり、いまだに苦しんでおられる方が大勢います。いっぽう明るいニュースもたくさんありました。新天皇の王朝絵巻のような「即位礼正殿の儀」も無事終わりましたが、何と言ってもラグビーおよびバレーボール・ワールドカップでの日本チームの活躍は特筆ものでした。
もともとバレーボールは球技の中ではかなりマイナーな競技とみなされてきた歴史があります。日本の女子チームが金メダルを取った1964年の東京オリンピックは日本を興奮の渦に巻き込みました。しかしそのときの参加チーム数は男子10ヶ国、女子6ヶ国に過ぎず、総当たり戦で行われました。男子チームもソ連、チェコに続き銅メダルを獲得しました。
その後バレーボールは欧米を中心に人気が出て、もともと身長が総じて低い日本チームが国際試合で上位に食い込むのは難しくなってきました。そんな日本が28年ぶりに4位にまで躍進したのにはびっくり。連日の男子バレーボールのテレビ中継は本当に見ごたえがありました。とりわけ石川、西田の若きプリンスたちの何と力強く、頼もしいことか!わくわくハラハラの毎日でした。
最終戦のカナダとのマッチは5セット目までもつれ込んで、点数は99で拮抗、心臓の弱い私は「ここまでよくがんばった、でも体格の差はどうしようない、これ以上は無理だろう」と決め込んで見るのをやめました。ところが後でネットでチェックしてみたら「あれっ、勝ってる!?」でした。どたんばで怒濤のサービスエースを炸裂させるのだったら最初から言っといてよ、西田君。
ラグビーの予選突破には私も多くのにわかファン同様興奮しました。前回の五郎丸フィーバーのときはまだ“まぐれ”という感じだったのにこの4年のうちにあそこまでレベルがアップしていたんですね。昔は“何とむさ苦しいスポーツ、よくやるよ、まったく”と思っていた自分の無知と偏見を反省。
そういう意味でラグビーのワールドカップを日本に誘致し成功させた日本ラグビーフットボール協会の森喜朗さんの存在はとても大きい。政治家としては実力者ながらあまりぱっとしなかった森元総理大臣。W杯日本誘致は彼最大の功績です。

2019年10月19日土曜日

組原さん、来岡

沖縄大学教授・弁護士の組原洋さんが那覇から広島出張の途中、岡山に寄ってくれた。

神道山、黒住教本部
喫茶店、ロッキーマックスにて



彫刻家、小林陽介による平櫛田中翁
黒住教本部所蔵


2019年10月15日火曜日

千曲川

 今年最強の台風19号が関東甲信越・東北地方を襲いまたも多数の痛ましい犠牲者が出ました。今回の台風による被害は大雨で増水した河川の氾濫によるものが大きかったのが特徴的です。昨年倉敷市真備で起きた悲劇がより規模を拡大して東日本のあちこちに拡散した印象です。
 今回大きな被害を出した千曲川というと、すぐに思い浮かぶのが島崎藤村の「千曲川旅情の歌」です。素敵な長い詩は次のように始まります。

 小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子悲しむ
 緑なす 蘩蔞(はこべ)は萌えず
 若草も藉()くによしなし
   (以下略)

まだ20代だったころ、この千曲川を見たくて当時松本に住んでいた幼なじみを誘って上田まで行ったことがあります。季節は秋だったような気がします。川べりにはたくさんのウグイを焼いて食べさせる店が並んでいました。
ウグイはコイ科に属する淡水魚で流線型の美しい姿をしています。友人と一軒の店に入ってさっそく天ぷらと串焼きを注文しました。「美味しい!」となるはずが実際は小骨が多くちょっとがっかり。信州の上田や佐久、小諸あたりは松茸の産地でウグイ料理の口直しに友人とすき焼き屋に入ったものでした。遠い過去のなつかしい思い出。藤村の詩にあこがれてやってきた千曲川流域の自然は限りなく美しく50年経っても色あせることはありません。
ところが生涯最良の友と思っていたその幼なじみと後年、ふとしたつまらないことで、私の方からまったく一方的に連絡を取ることをやめてしまいました。いや、初めから親友なんかなどではなかったのに、子ども時代から大人になるまで他に友達もいなかったからつきあってもらっていただけのような気もします。
友人関係が終わってもう何十年にもなるのに、信州の美しい景色を映像などで見るたびに大切な幼なじみに不義理をしてしまったこと、そんなことがときおり喉に引っかかるウグイの小骨のように思い出され、後悔に苛まれます。
藤村に詩のインスピレーションを与えた千曲川が容赦なく堤防を破って暴れる様子をみながら、我が人生も山あり谷ありで一筋縄では行かなかったことが痛切に感じられます。平和な千曲川をまた見たいものです。



千曲川旅情の歌 島崎藤村(1900年、明治33年4月)


    一
小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子
(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞
(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾
(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香
(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む 
   二
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
(いに)し世を靜かに思へ
百年
(もゝとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁
(うれひ)を繋(つな)

2019年10月8日火曜日

キャッシュレス元年

消費税増税の機会をとらえて政府はキャッシュレス社会の実現をめざして、場合によっては増税分を上回るインセンティブをちらつかせています。食品に対する増税は見送ったのにも関わらずキャッシュレスで5%のキャッシュバックをするというのですから訳が分かりません。
それはともかく、海外でのキャッシュレス化の徹底ぶりをみると日本にもそういう時代が来ることは止められないし、また現金主義にこだわる理由もないような気がします。ただ、現金に代わる支払い手段の百花繚乱ぶりにはとまどうばかり。
なるべくひとつかふたつの決済手段に限定しようと思っても、そこにポイント付与条件の損得という要素が加わって決定打を見いだすことはなかなか簡単ではありません。複雑怪奇な決済手段に対応しなければならないお店には心から同情します。
そしてさらに奇怪だと感じることは、国はキャッシュレス社会を目指して声を張り上げているくせに、岡山市では今のところクレジットカードで市民税や固定資産税を支払うことができません。この大きな矛盾に対して自治体行政に文句を言う人はいないのでしょうか。社会保険の支払いでも税金でもクレジットカード払いできれば、チマチマした買い物で付くポイントと比較にならない大きな点数が貯まるはずです。
さて、そんなポイントをいかに賢く稼ぐか?いろんな人がYouTubeで裏技を競っています。航空会社のマイルを効率よく貯めるためには、どのカードを使い、そこで得たポイントをどこそこに移行し、最終的にいかに早く特典チケットをゲットするか、白熱の議論が展開されています。前途有望な青年がこんなことに知恵を絞りうつつを抜かしている社会というものは、間違いなく滅びへの坂道を転がっているとしか思えない……、と私も年輩の人にありがちな文句のひとつも言いたくなります。

そんなことを嘆きつつも、最近クレジットカードのポイントをチェックしてみたら800ポイントほどありました。コスパの悪いギフトカタログなんかには目もくれないで航空会社のマイルにさっそく移行。沖縄往復の特典旅行ゲットまであと少し!そのことに気づいた私はいままで漫然と現金払いしていた日常の買い物や医療費もクレカ払いに変えました。なかなか現金な性格です、我ながら。

2019年10月3日木曜日

ゴマ、小豆の収穫

ゴマの収穫をしました。このまま乾かしてゴマが自然に鞘からはじきでるのを待ちます。

小豆は花が長期に咲くので、収穫も11月ごろまで続きます。写真は最初の収穫分。最終的には赤飯1回分ぐらいの小豆がとれるでしょう。




2019年10月2日水曜日

カナダでの出入国手続き

9月にカナダ旅行をした際に感じた空港での出入国手続き、税関審査のあり方について、感じたこと、日ごろ疑問に思っていることについて述べてみたいと思います。
今回の旅行は関空発バンクーバー乗り継ぎカルガリー着の往復でした。大阪で預け入れたバッグは最終目的地カルガリーでの受け取りです。入国地バンクーバーに到着すると、“キオスク”というパスポート読み取り端末が並んでいるコーナーに誘導されます。その機械がパスポート情報と顔写真による照合、eTA(事前申請した電子渡航認証)情報との照合などすべてをするようです。
さらにキオスクマシーンは税関申告事項を質問してきます。すべての項目に対し”No”をチェックするとレシートがプリントされてきます。これを係員に渡すだけで入国審査と税関申告は終了、カルガリー行きの国内線飛行機が待っているゲートに移動します。
カルガリー到着時に大阪で預け入れたバッグを受け取るわけですが、荷物は到着ロビー外の非制限エリアにずらりと並んでいるターンテーブルから流れ出てきます。この点が日本と大違い。大阪で預けた大きなバッグは税関審査を受けることなく国内線到着ロビーの外で自由にピックアップできます。日本ではありえない税関申告システムにはびっくり。
カナダからの出国はさらに簡単でした。出発24時間まえにエアーカナダから私のスマホあてに「ただ今チェックインをお願いします」の案内があり、その場で搭乗券をスマホ上に発券。空港では大阪までのバッグもセルフサービスで預け入れし、セキュリティに進みます。あとはもう国内線とか国際線などいっさい意識することなく、バンクーバーで乗り換え、関空に帰ってきました。

旅行者の目に見えないところでどのような税関チェックがなされているのかよく分かりません。しかし、日本のように旅客を国内線利用と国際線搭乗にきっちり区分けする必要性ってどこにあるのだろう?カナダでふつうにできていることがなぜ日本ではできないのか、岡山のような小さな空港まで国内/国際の動線を完全分離する意味合いって何なのか?航空機での旅にとって大切なのはセキュリティの確保であって、旅行客の行き先ではないと思います。入管、税関の画期的改革を望みます。

2019年9月28日土曜日

タマネギ種まき

9月27日にタマネギの種まきをした。12x24のセルトレイ、その他のトレイに一粒ずつ種を落としていくのだが、種は1ミリほどで真っ黒、用土も真っ黒。作業をしていて、すぐにどこまでまいたか識別できなくなる。つまようじを目印に。
蒔いた種の総数は約600粒。うまく育たないのもあるので500本ぐらいの苗ができたら上々。11月中旬には20センチぐらいになりそれを畑に定植。ネット上のいろんな書き込みを見たら、発芽早々に消毒(殺菌)しないと全滅するという記事がある。タマネギは割合病気にかかりやすい野菜なので殺菌剤を1,2回使うのはやむをえないのかもしれない。

播種日:2019/09/27
定植予定2019/11/20前後
品種:もみじ3号(晩生)
    絹てまり(極早生)


2019年9月18日水曜日

1週間のカナダ旅行

9月初旬まだ暑い日が続くなか、2年ぶりにカナダ・アルバータ州の親戚を訪問する旅に出ました。いとこ達の多くは70代後半から80代になっているものの皆変わりなく元気に私を迎えてくれ何よりでした。前回と同じくカルガリーに3泊、そこから200キロほど離れたレスブリッジという町に2泊し、伯父さん達の墓参りをしました。
滞在中いとこ達には冬物の服のショッピングにつきあってもらいました。恥ずかしながら私にはカナディアンサイズでもXL、ときにはXXLがぴったりで、ジーンズや長袖シャツ、パーカーその他を旅行カバン一杯買いました(正確に言うとすべていとこ達に買ってもらった)。
お返しに、2年前訪問したときもすき焼きなど手料理が好評だったのでメニューに趣向を凝らしてみました。今回のテーマは「洋食」。カナダでも日本食レストランはあちこちにあるので天ぷらなどは避け、いわゆる洋食を作ってみました。
初日はトンカツ。地下室に置いてある巨大な冷凍庫からブタ肉ロースの大きなかたまりを取り出して解凍。スライスし、小麦粉、溶き卵、パン粉をまぶして揚げていくだけなので大した手間は要りません。パン粉は日本から持参しましたが、現地の中国人向けのスーパーなどにはちゃんとPankoとローマ字で書かれた商品がいろいろ売られていました。
 キャベツは西洋からやってきた野菜であるにもかかわらず日本のように生で千切りにして食べる習慣は欧米ともあまりないようです。包丁で山のようにキャベツの千切りを作り続ける私を見て従姉は「お前はいったい何をしでかしているのか?」と言った顔をしていましたが、いざトンカツに添えて出したら全員完食でした。

 翌朝は冷やご飯でベーコン、タマネギ入りケチャップライスを作り、昨夜作り過ぎてしまったトンカツでカツ皿を作って添えたところこれまた大好評でした。ケチャライスなど日本でも若い人は知らないかもしれません。でも材料はシンプルなのでどこででも作れる洋食だと思います。カナダ滞在最後の日の夕方、従姉から「今夜はカレーを作って!」とリクエストがあり、牛肉たっぷりのカレーを作りました。カナダ出張料理は低コストながらも、いとこ達との絆を深めるのに大いに役立ちました。

2019年9月15日日曜日

1円玉廃止論

9月15日の読売新聞に消費税10%化に関連して1の廃止が視野に入ってきているとの特集が掲載されていました。確かにヨーロッパや中国ではセントに相当するコインのやり取りはかなり昔からないような気がします。日本人はこういうことに関して律儀なのでちゃんと1円の単位まできちんとやり取りしてますが、レジ待ち時間が生み出す損失はバカになりません。丸めても何も問題ないのではと思います。

この度のカナダ旅行出発前に大阪の友人が10カナダドル札と小銭をいろいろ20枚ほどくれました。しかし1セント玉はもはや店で受け取ってもらえませんでした。読売の記事によるとカナダでは2013年までにセントは廃止したそうです。
また支払おうと渡した10ドル札を受け取った店員さんは、「何これ?使えるかどうか聞いて来る」と店の奥のほうへ聞きにいきました。帰ってきたらOKと言って受けとりました。今の紙幣はプラスチック製らしく若い店員は紙製の紙幣は初めて見たとか。

帰国便の機内で余った小銭はチャリティーに寄付してくれと放送があったのですべて寄付してきました。ささやかな金額ですが。

結局、滞在中カナダドルのキャッシュには一度もお目にかかりませんでした。

2019年9月14日土曜日

機内で映画「ボヘミアン・ラプソディー」

11日夜猫が待ってる我が家に帰ってきました。帰りの飛行機の中で「ボヘミアンラプソディー」をこの度初めて見ました。

知人がクイーンの岡山公演を見たことがあると言ってましたが、私はクイーンの存在自体この映画が話題になるまで知りませんでした。日本語字幕がなかったので細かなところまでは聞き取れませんでした。しかし、なるほど公開時に話題になっただけのことはあるなと感動し、退屈な機内の時間が割合早く過ぎました。

Mama, just killed a man とフレディが歌い始めたとき、同時代を生きてきた世代特有のなつかしさのようなものがこみ上げてきました。我々もけっこう長く生きてきたものです。

夜遅くマンションに帰ると、ママ猫ミーシャが大喜びでスリスリしまくり、旅行バッグなどもすべて点検。甘えてくる猫は本当にかわいいものです。ミーシャはしばらくスリスリを続けていましたが、1週間も留守にされたことを思い出したのか、突然狂暴になって、しかも泣くように目付きで私の手の指に何度も噛みついてきて、いとおしさ倍増!「寂しかったのよ!」と抗議しているように感じられました。

やはり旅行は猫がいる限り1週間が限度だと思いました。

2019年9月10日火曜日

名状しがたい(カナダ、カルガリーにて)

初めてカナダ、アメリカ旅行をした20代のころから50年後の今もこの2つの国の名状しがたい違和感は一体何なのか?と思う。完璧に計算された道路網、広々とした家、親戚や肉親とだけでなく、どこでもいつでも和気あいあいとした人々。う~む、居心地が悪いではないか!カナダの鬼才クローネンバーグが「裸のランチ」で見せた、いびつで、醜悪で、底意地の悪い病的な社会、蠱惑に満ちた世界はどこにあるのだろう?

日本で私は兄夫婦と口をきかない、隣のクソババと口をきかない、同窓会で威張っている元x国大使なんかとは隣の席に座ってもお互い完全無視。いやこんな個人のレベルだけでなく、何かと突っかかってくる韓国とおおっぴらにヘイトしあっている日本。この安定した居心地の良さは何?

ヨーロッパは少し違う。日本に近い部分がある。ベネチアには確かにトーマス・マンが描いた退廃がある。フランス人には京都人顔負けの洗練された性根の悪さがある。カナダ人は教育され過ぎているのかな?


旅も明日で終わりだというのにまだ1ドルも使っていない。今回も何もわからないまま帰りの飛行機に乗ることになるだろう。

従姉妹ハトコたちが25人もあちこちから集まってくれた。コミュニティセンターを借りての大パーティー。

(下)カルガリー市立図書館。





2019年9月4日水曜日

台風10号近所でも被害発生!

いつもの理髪店に行ったら、ご亭主が、「この前の台風で駅前マンションの駐車場の屋根が崩れて大被害があったそうですが、大丈夫でした?」と話しかけてきた。駅前には横1列に10棟近くマンションがあり、私の所有物件がある2番館の駐車場には屋根などない。(私はその時ハトの糞害と格闘していた)。「うちは大丈夫」と答えたものの気になるので本日見に行った。
いやビックリ!無残。停めてあった車は残らずフロント、運転席側が潰れてしまったのではないかと思う。
屋根を支える支柱が片側にしかないので、構造的には非常に弱い。損害賠償はいかに?

(倒れた屋根。青空をつんざく裸足が不気味!)

2019年9月3日火曜日

マンションのハトと格闘(下)

 台風の雨風が激しいなか、ハトの巣を撤去し積もりに積もった糞を片付け、徹底的に掃除したので、もうハトはここには来ないだろうと思ったのが大間違いでした。34日後には再びハトが帰ってきて、グルグル鳴いて、ベランダやエアコンのダクトに糞をまき散らしています。
 私もそれなりにいろいろ対策を研究し、ベランダにテグスを張ったりゴム風船をエアコンダクト周辺にぶら下げたりしましたが効果はいまいちでした。帰巣本能がほかのどんな鳥よりも高度に発達したハトは防鳥ネットで侵入を物理的に阻止する以外無理っぽいのです。とりあえず今は様子見するしかない、と思ってのんびり構えていたら、事態はのっぴきならないことになりました。
 郵便受けにマンション管理会社から「事務連絡」が入っていて読んでみると、私の部屋の直下にある平面駐車場の車の持ち主からハトの糞害について苦情があったので、ベランダの手すりにテグスを張るなり、剣山を置くなり、対策をしてほしいとのことでした。マンション住人のなかでもなかなかのうるさ型オヤジの文句タラタラ顔が目に浮かびます。
しかし……、前号記事で述べたように、マンションの東側に面した住戸だけ防鳥ネットが張られていないのがそもそも手抜かりであり、それは管理組合で検討すべき課題、もし私が下手にベランダの手すりに剣山を置いたり、テグスを設置して、それらが風雨に当たって車の上に落下したらそれはそれで文句を言ってくるに違いありません。
 とはいうものの、そんなことを理由に日々糞害に憤慨しているジイサンをいたずらに刺激してもきっといいことにはなりません。近年ささいなことで血を見る事件が毎日のように報道されています。そこでとりあえず、管理会社の提案に沿った形でテグスを張り直すことにしました。
物知りの友人の意見では、テグスと手すりの間隔は10センチメートル空けるべき、ということで、ところどころ発砲スチロールの板をかまして糸を高く張ってみたら今度ははっきり効果がありました。見えない糸が足にからんでハトは大パニック。人間の知恵も大したものです。ハトの止まり木の役をしていたエアコンダクトはプラスチック剣山で覆いました。つかの間の平和かもしれませんが、ハトとの戦いは一時休戦です。

マンションのハトと格闘(上)


 数年まえからマンションのベランダにハトが来るようになりました。ベランダに置いてあるエアコンの室外機と壁の間のわずかな空間を寝床にしているらしく、外から帰ってくるとまずベランダのコンクリート製の手すりに着地し、あたりの様子をうかがってから巣に入っていきます。
 我が家のベランダにハトがくるようになるまえ、すでにマンションのあちこちの住戸でハト被害が発生していて、マンションを覆うネットを設置することが理事会で決まりました。ところが、階段やエレベータがある廊下側と西側の住戸にはネットが張り巡らされたのに、なぜか東南角部屋の住戸9軒のベランダだけネットが設置されていません。
 もしかして、ネット設置に関する事前のアンケート用紙に私が「対策必要なし、ハトは平和の象徴」と、すっとぼけたことを記入したのがお堅い理事会の面々の逆鱗に触れて、その結果東側住戸だけ置いてきぼりを食らったのかもしれません。ともかくその結果は悲惨なものになりました。今まで廊下側に住み着いていたハトがいっせいに東側住戸各階のベランダに引っ越してきたのです!
 「何とかしないといけない」と思ったときはもう手遅れでした。すでに巣の中にかわいらしい卵が2個産み付けられていて、鳥獣保護法によってこうした野生動物の卵や雛を勝手に処分することはできません。こうして何度か雛が巣立ち、また卵を産んで……を繰り返していたここ数年のこと。今年の夏たまたま巣が空になっていたときに大型台風が岡山に接近しました。絶好のチャンス!
 ベランダに出ると強風で吹き飛ばされそうになるなか、上半身はTシャツ、下はパンツ一丁になって、巣の撤去を開始しました。ものすごい量のウンチが堆積し、これはご近所にも迷惑をかけていたに違いありません。私自身は昨年来、嗅覚障害で鼻がきかず何ともないのです。花のいい匂いを感じないのは正直つらいけど便利なこともあるものです。
 ハトの糞にはありとあらゆる病原菌が潜んでいるとかで、晴天時に掃除すると糞の粒子が舞い上がり危険なのですが、今日は大丈夫。糞はビチョビチョ、バケツに何杯も糞や巣の材料を回収できました。Tシャツはめくれ、背中の皮膚に横殴りの雨がつぶてのようにピチピチ当たるのに耐え大掃除完了です。(続く)

2019年9月1日日曜日

牛窓の畑、収穫前のサツマイモ全滅

イノシシが農作物を襲うという話は聞いていたけど、収穫前のサツマイモがひとつ残らず喰われてしまいショックが大きい。春はカボチャ、夏はトウモロコシ、秋はサツマイモ、初夏のころハンターからもらったシシ肉が予想に反して美味だったはず。
秋植えのジャガイモを40株植えたものの、種芋自体食べられないか心配。

2019年8月28日水曜日

スマホ異変、修理とその結果

1ヶ月ほど前、本コラムで3年余り愛用してきたスマホが壊れた話をご紹介しました。ショップでは、修理は高額になるという理由で買い換えを勧められたのですが、私なりの考えもあって、たとえ新品を買うより高くついても私の手と脳になじんだスマホは修理して使おうと決め、東京のサービスセンターに発注しました。ずいぶん長い時間待たされましたが無事修理が完了し使い慣れたスマホがある生活に戻りました。
 いろいろな意味で自分の選択はなかなかよかったのではないかと満足しています。まず修理代金ですが脅かされた額の半額でした。キャリアのポリシーはバッテリー交換のみでも“防水性能劣化など修理箇所が見つかればそれも有償で修理する。見積もり時点での最終修理金額に納得がいかない場合は電池交換も修理もしないで返却する”とのこと。修理代金は数万円になることがある、とのキャリアの予防線には気の弱い消費者ならずともひるみます。
 修理済みの商品に添付された修理明細書には次のようなことが記されていました。「電池交換、裏蓋交換、防水性能劣化のため液晶画面側のケースを交換、USB端子交換、これらの修理交換作業の都合で基盤も交換しました」と書いてあったのには思わず笑ってしまいました。要するに外側のケース、液晶だけでなく心臓部も総替えしたという説明です。
 いや、私の推測ですが、総替えではなく、同じ機種の新品を送り返してきただけ、というのが実状であろうと思います。大量生産による低コストで効率的に製造された精密機械を個別に人手と時間をかけて修理するなんて無理。その証拠に修理箇所の見積もりをするのにまる10日かかったのに、修理にゴーサインを出したら、2日後にはもう“修理済み”となって返ってきました。
 アンドロイドOSのバージョンは当然のことながら最新のものが組み込まれていて、最初は使い勝手の違いに少しとまどいもあったのですが、細かい不具合が大幅に修正されていて、使用中にフリーズすることもなくなり、“修理”に出したことに大満足です。前回本欄に記事を書いたときには、ユーザーが自分で電池交換できないことを嘆いたのですが、結局、キャリアの修理方針はそう悪いものではない、一定の合理性がある、と感じた次第です。 

2019年8月22日木曜日

三宅定子さんの死を悼む

 中学校時代の同期生、三宅定子さんが急逝したという第一報に接し、本当に驚き、言葉がありませんでした。玉野市在住の三宅さんは、地域社会への貢献だけでなく、奉仕と支援を通して全世界の女性の地位向上のために活動する世界的な社会奉仕団体であるゾンタの幹部として、昨年は横浜で国際ゾンタ世界大会を成功裡に収め、その功績をたたえ、美智子皇后陛下(当時)から皇居に招かれ、お茶をふるまわれたとお聞きしました。
 公私とも実にエネルギッシュに活躍していた“さーちゃん”に異変が起きたのは6月ごろのことで、7月下旬に大手術を受け、当初は順調に回復していたが、急変しそのまま帰らぬ人となった、とご遺族様からおうかがいしました。4月には中学校の恩師を囲んでいっしょに花見の宴会をにぎやかに楽しんだばかりなのにあまりに急な話です。
 術後、病床からクラスメートにあてたメールによると、さーちゃんは学生時代からこれまでも3回生死をさまよう大病をしたことがあり、いつも故両親が枕元にやってきて「定子、貴女はもうこれ以上無理をして頑張らなくていいのよ。一緒に早く帰りましょう!」と言うのを毎回振り切ってきたのになぜかこの度は来てくれなかった、とのことでした。
 さーちゃんのこの最後のメッセージは一見よく聞く臨死体験の「お迎え」現象のようでもあるけれど、この言葉には彼女の病状と術後経過に関する真相が隠されている……、私にはそんな気がします。「今回は両親が迎えに来なかった」。つまり天国のご両親から見てもこの度の手術でまさか最愛の娘が死ぬなどとは思ってもなかった。事実手術そのものは成功した、まだお迎えが来る時期ではなかった。それなのに術後にいったい何があってこうなってしまったのか、幼なじみの私には疑問と悔しさが残ります。
 第一報を聞いてすぐに駆けつけた幼なじみによると、とても苦痛に満ち疲れ切った表情をしていたそうです。本当に悲しい。2日ほどおいて通夜が始まる前に私はひとりさーちゃんと最後のお別れをしました。偉大な女性の偉大な生涯の最期にふさわしい威厳のある平和な寝顔でした。
今ごろさーちゃんはまた別の世界で大活躍しているに違いない、そのように信じて私はあなたを送ります。

2019年8月16日金曜日

絶倫衆院議員

週刊文春8月15-22日夏の特大号の巻頭グラビアに当選11回ながら大臣就任を拒否しているので有名なxx1区選出衆議院議員○○先生の猿顔丸出しの写真が!御年65歳。

詳しくは同誌を見ていただきたいが、週3回デリヘル三昧。しかも4時間コースにエンチョーを重ねて、夜7-8時スタートで朝方7時になることもあるらしい。あきれるよりも裏山しいことこのうえありません。

もちろん同氏のよからぬ行状は地元では知らない人はいない公然の秘密、それでも1区で11期連続当選させるxx県人は情けない。




2019年8月8日木曜日

スマイル・シンデレラ

  ゴルフの全英女子オープンで岡山っ子の渋野日向子選手が優勝したニュースには日本中が大フィーバーです。ゴルフに縁のない私もインタビュー映像に見入ってしまいました。
 現地での優勝記者会見で、どんなお菓子が好きなのか尋ねられたとき、「なんじゃろ?」と岡山弁を連発したのには思わず吹いてしまいました。何と素直でかわいい子!いっぺんに大ファンになりました。ただ彼女につけられたニックネームが“スマイル・シンデレラ”というのはちょっと違う気がしました。
渋野さん自身、「トロフィーは王子様ではない」と言っていましたが、勇者をシンデレラに例えるのはセンスがよろしくない。単なるラッキーガールという軽い意味でシンデレラと呼ばれたのかもしれませんが、渋野さんは王子様に見初められたのではなく、むしろ彼女自身がいきなり、王子の座(というか女王の座)を獲得したというべきでしょう。
岡山県からはこれまでも、陸上の人見絹枝をはじめ、マラソンの有森裕子、フィギュアスケートの高橋大輔などオリンピックメダリストを輩出してきましたが、彼らにはアマチュアスポーツをまったく異次元の高みに引っ張り上げたという画期的な功績があります。渋野さんもそうしたスーパーアスリート列伝に連なる人だという気がします。
渋野さんの底抜けに明るくスマイルに満ちた会見からは、これまでの日本人スポーツ選手が試合中や勝利の会見でよく見せてきた情緒的な気負いや弱さがみじんもなく、日本にもようやく汗と涙、スポ根、シゴキ等と無縁の、本来そうであるべき健康なアスリートの時代が到来したことが感じられました。
ちなみにアムステルダムオリンピック(1928)で日本人女性初のメダリストになった人見絹枝の銅像が岡山県立岡山操山高校にあるというのを最近テレビドラマで知りびっくりしました。私も高校時代の3年間をそこで過ごしたのですが、そのような像があったのかどうかすらまったく記憶にありません。

高校卒業以来半世紀を超える歳月が流れてしまいました。セキュリティにうるさい今のご時世では外部の人がふらっと校内に入れるのかどうか分かりませんが、遅ればせながら一度は人見絹枝先輩の勇姿を拝みたいものです。



2019年8月1日木曜日

スマホ異変

6月末、岡山空港の出発ロビーで東京行き搭乗便の出発を待ちながらスマホを操作していたときのことです。スマホが何かおかしい。保護ケースがいびつな形をしていて変だなと思ってよくよく見るとスマホ本体の裏蓋が膨れてはがれていました。そう言えば本体も異常に熱く、飛行機の中で爆発でもしようものなら旅行どころではありません。一躍「時の人」になってしまいます。
そんな大事にならなくても、今ここでスマホが壊れたら23日の東京滞在はご破算です。とりわけ困るのが会う約束をしている人といっさい連絡が取れなくなること。「連絡が取れないということを相手に連絡する手段がない」、参った。ホテルにチェックインし、さっそく携帯会社のインフォメーション・センターに電話しました。そして驚くべきことを告げられました。
要するに内蔵電池が劣化して膨張した可能性が高い、電池交換を含む修理費用は、お客様は補償サービスに加入していないので実費で5-6万円が見込まれる、代替品の貸し出し、その他詳しいことはホテル近くのショップで承る、とのことでした。
そもそも電池という2年ほどで寿命が尽きるものを内蔵しているくせに電池交換ができないとは! キャリアの言い分は、電池は“交換”ではなくその他不具合な箇所もあわせて点検する“修理”であり、その費用は新品を買う方が安いぐらいになる場合がある、ということらしい。
キャリアの担当者は補償サービスに加入されていれば……と言うが、私は「スマホは命の次ぐらい大切なので、絶対紛失したり水に浸けたりしない覚悟で使う、従って補償サービスは不要」と考えて契約しませんでした。が、内蔵電池のことは想定外でした。ショップは契約時に「2年過ぎには電池交換を含む高額な点検修理が必須であること、したがって補償サービス加入も必須であること」をユーザーに十分説明し納得させるべきです。
何もかも腹立たしいけれど、こうなっては新品より高くついても修理してとことん使ってやろう、そうでないと収まりがつかない、そんな気持ちです。1990年代の携帯黎明期からずっと使ってきた大手キャリアにも愛想が尽きましたが、いまさら格安会社に乗り換えるのもそれはそれでまためんどうなことです。

2019年7月29日月曜日

メロン配達という"しごと"その後

いつものマドモアゼルの喫茶店に行ったらマドモアゼルが、(メロン園の)「Kさんからお中元としてコーヒーチケット5千円分預かってます」とのこと。気を使ってもらい恐縮です。

この喫茶店ではコーヒーチケットなどないけれど、私のために手書きのチケットを作ったそう。1回分おまけがついているらしくホットでもアイスでも11杯飲めるらしい。今年のメロンの出荷はお盆には終了するので私もほっとしている。

2019年7月24日水曜日

メロン配達という"しごと"

幼なじみで高級メロンを栽培していたK君が急逝してはや3年近い月日が流れた。厳冬の中で、また高温多湿を極める真夏のハウスで年中休むひまなく働き続けてとうとうメロンに命を捧げてしまうことになるとは。もうメロン園は閉じるしかないだろうと誰もが思っていたが、喪があけたら、70に近い奥さんが夏場だけメロン栽培を再開したのにはびっくり。

小学校教師の娘さんは週末などは手伝っているが、奥さんは毎日早朝から夜中までメロンの栽培と出荷準備でへとへとの毎日。デパートに納品に行く人が見当たらないので、私に助けを求めてきた。53歳で退職した私はそれ以降お金をもらって働いたことがなく、メロンの配達は新鮮な体験になりそうで興味本位に引き受けた。

K夫人とは配達に関してとくに契約めいたものを取り決めた訳でなく、言わば「子どものお使い」という位置づけが近い。デパートから8個とか20個、納品せよとの指令がメロン園にあると、K夫人から私に電話で依頼があり、私はメロンをデパートまで運び伝票に受け取りのサインをもらって帰る。在庫を持ちたくないデパートは注文が細かくたった5個の納品オーダーがあることも。往復と搬入作業に要する時間は2時間。

お使いの駄賃は“ガソリン代”として1000円+ミネラルウォーター1本あり。3回に1回ぐらいは高級メロンをもらって帰る。メロン配達をバイトと考えたら、全然ペイしない。交通事故に遭遇しても労災保険はない。だからこれはバイトではない……、にしても、困ったときの人助けというにはほぼ週2回の配達は業務っぽい。業務なら最低賃金プラス自車持ち込み、保険なしなので、1回5000円が相場か? しかしデパートでの小売り価格と納品伝票の価格差に唖然とする私には、そんなことを汗だくで働いている奥さんに言えない。

そもそも1000円であれ5000円であれその差に大きな意味はない。もう若くはないK夫人にしてもそんな大変な労働をしてまでメロン園を維持する経済的理由は乏しいと思う。亡くなった亭主のメロンに対する思い、長い年月を夫婦でメロン栽培に心血をそそいだ思い出を風化させたくないという思いでメロン作りを続けているように見受けられる。

さて、1000円のお駄賃でメロン配達をしている自分自身の行為について、別の解釈の可能性を考えてみる。もしメロンの運搬と週一の雑誌原稿書きがなかったら、そうでなくても自堕落な毎日がますますひどくなって引きこもりまっしぐらになること間違いない。配達はエッセイのネタになるし、デパートのバックヤードも見ることができた。何の取り柄もない、存在理由もない老人が1日を健康に過ごせることを金銭に換算すると1万円の収益に相当する。反対に病院や施設で寝たきりで過ごすと1日当たり3-5万円くらいの損失になる(個人負担、自治体、国負担を合わせて)。こう考えると、社会参加を通じて頭と身体能力の老化防止に役立っているメロン配達は実は金銭的にも十分ペイしている。

私のような都合のいい人間はなかなかいないだろう、と自分でも思う。もしK夫人がメロン配達のバイトを探すとしたら、だいたい週2で不定期に来てくれ、車の運転ができ、単純とはいえデパート納品の仕組みと手順を瞬時に理解し、ドタキャンなどしない人材を見つけることができるだろうか?デパートのバックヤードには高級食材がかなり無防備な状態で積まれているので、バイトテロをしでかすような人間は絶対使えない。

ここで大学時代、心理学の授業で習ったある実験の話を紹介したい。

実験。
被験者の学生を2つのグループに分ける。グループAの学生にはわずかな報酬で単純作業をさせる。グループBにも同じ単純作業をさせるが高い報酬を支払う。
1時間後「仕事は面白かったか?」それぞれのグループの被験者に尋ねる。

「面白かった、意義があったと感じた」と答えたのはどちらのグループでしょう? Aのわずかな報酬しかもらえなかったグループです。そのココロは、ちゃんと報酬をもらった人たちは作業がつまらないものだったことが客観的に判断できたのに対し、詰まらない作業を報酬なしでやらされた人は、その事実を受け入れられず、「自分たちがやった作業は意義があるものだった」と考えないことにはやってられないという心理が働くとのこと。50年前の心理学の教室でこの話を聞いたとき一番記憶に残ったのは、上記のような結果もさることながら、いずれの被験者に対しても実験を企画した側から報酬は支払われなかったというオチ。ちょっとひどくない?

結論。
メロン配達は、金銭的にはほとんど無意味、むしろ交通事故など大きなリスクを背負っているが、人助けがもたらすある種の喜び、必要とされる存在であることを実感するための行為に他ならない。心理学の実験のとおりということになる。

PS. 案の定本日上記で危惧した事態が発生した。配達の帰り、たまに寄る喫茶店の駐車場でバックで駐車しようとしたとき、もう少しバック!とアクセルを踏んだらコツンという音がした。車を降りてみるとバンパーが喫茶店のコンクリートモルタルの壁に接触して傷がついてしまった。いくら古い車でも大切に乗っている車に傷がつくのは悲しい。メロン配達とはほとんど因果関係のない話ながら、いろんな要素が複雑に組み合わさって運命に導かれてしまう。Mais, ca doit etre tres subjectif!(それは大変主観的な考え方に違いないが)

2019年7月23日火曜日

三つ子の魂百まで

 東京上野の国立西洋美術館で開催中の松方コレクション展会場に展示されている松方幸次郎の経歴をあらためて読んでみました。昔の実業家、大富豪はスケールも違うし、やることも大胆でしかも巨万の富をちゃんと後世に残す算段をして世を去っていることに大変感銘を受けました。
 説明は日本語のほか英語でもなされ、何気なく英文のパネルを読んでいたら、「第一次世界大戦」、「第二次世界大戦」の部分が”the First World War””the Second World War”と綴られていることに気づきました。これらは固有名詞なのでふつうは”World War I”, ”World War II”と称する、というのが私の頭の中にあり、ちょっと違和感がありました。
 岡山に帰ってきて、よせばいいのに、そのことについて美術館宛にメールを出してみました。あの名だたる国立美術館の学芸員様あてに!もちろん控えめな言葉使いに努め、また西洋美術館自身のホームページ上でも松方幸次郎を紹介する記事においては、”World War II”式の表現を使っていることを引用しつつ、とにかくクレーマー扱いされないよう心がけました。
数日後、返信のメールがきました。文面は私が指摘した点にはとくに触れることなく、「このたびは貴重なご意見をいただき、重ねてお礼申し上げます。今後の運営などの参考とさせて頂きます」という実に素っ気ないものでした。たぶん役所的にはこういう文面こそ100点満点の回答なのだと思います。つまり何か答えているようでもあり、同時にお前の意見など何一つ取り合っていないということを最小限の言葉でクレーマーに悟らせるテクニックを駆使した模範回答。
 思えば私は小学生のころから71歳の現在までずっとこんなどうでもいいことを指摘するのが好きな人間でした。お節介、出しゃばり、自己顕示欲のかたまり……。今でもよく覚えていて思い返すたびに赤面するのは、小学生のとき、月の自転を巡って担任の先生を説教したことです。
 「月は自転しません」と先生がおっしゃるので、「公転と自転周期が一致しているだけで自転しています。もし自転しないのなら月の裏側が見えるはずです」と私。先生は首をひねっておられました。どうも納得がいかないようすです。「先生、家に帰って一晩よく考えてみて下さい!」本当にいやな子どもでした。

2019年7月22日月曜日

コンニャクの実


コンニャクの実が熟してきました。一粒の大きさは大豆くらいです。パパイヤ風のきれいな色の実です。アマガエルの子どもがとまっていました。
梅雨時の庭はまるでジャングルです。

2019年7月16日火曜日

山田ねずみ大根


滋賀県特産の山田ねずみ大根の種を購入しました。昔一度栽培したことがあります。根の長さが25センチメートルの短い大根ですが、肉質の柔らかさは大根中随一とか。

もう一方の白首宮重丸尻大根はタクアン漬けにするつもりで購入。細長い大根でないと干しても乾かないのです。昨年は「干し理想」にしましたが生育が遅く、今年は宮重に。
昔、タクアン用大根で地上部がとても激しく曲がる品種を育てたことがあります。直角に曲がり、畑がとても乱雑に見えました。あれは何という品種だったかなあ?と思っていたのですが、この白首宮重丸尻大根のパッケージの説明に「根は地上に伸び上がり曲がります」とあるのでこれだったのかも知れません。記憶では「とてもよく曲がります」だったのであるいはさらに別の品種かも知れません。
宮重は固定種で「肉質極上の煮食用」とのことですが、やはり曲がるという特性は栽培家にとってやっかいです。まっすぐ抜けず折れるのです。タクアン用には阿波系統の大根も有名です。

2019年7月11日木曜日

うつ病の由来

 科学史上の新発見、新説はときに我々の人生観までひっくり返すことがあります。数年前イギリスのサイエンス誌に発表されたある論文によると現生人類にはネアンデルタール人のDNAが混入していて、そこからうつ病、たばこ依存など12種類の疾患がもたらされたとのことです。
50年前大学で心理学を専攻していたころ、うつ病は原因別に外因性、内因性、心因性の3つに分類されると教わりました。外因性とは脳腫瘍やケガなど原因が「外」にあるものであり、心因性とは家族やペットの喪失など「気分(こころ)に原因があるもの、それらに対し内因性とは、「原因が内部にあってよく分からない」つまり本物のうつ病であると。
 現代ではもう少し精密な理論が展開されて上述のようなおおざっぱなことを言うと笑われるかもしれません。しかしうつ病はまるで流行病のように老若男女かまわずこの国の人々に襲いかかり国民病の様相を呈しています。事態は深刻です。私の狭い交友関係でもうつ病に苦しんでいる人は大勢います。しかも内因性というか原因がはっきりせず、効果的な治療法もない重症例が多いのです。
 いやなできごとがあった、ひどく悲しいことがあったという訳でもないのに、人はときどきどうしようもなく落ち込み無力感にさいなまれることがあります。とりわけ今のような梅雨真っ最中の季節には。生きる意味も感じられないし、生きるエネルギーも沸いてこない……。
 私は、こうしたときこそ悶々うつうつと落ち込んでいないで「調子が悪いのは自分のこころの持ちようが悪いからとか、努力が足りないからとかではない、うつ病っぽいのは自分の中にあるネアンデルタール人由来の遺伝子が騒いでいるせいなんだ」と開き直ればいい、とそんなふうに考えることにしました。

 アフリカ大陸で誕生したという現生ホモ・サピエンスはもともと明るい場所が好き。そこに暗い森の洞窟に住んでいたうつ病因子をもったネアンデルタール人との混血が起きたというのですから、梅雨空の下で過ごす日々が続くと、遠い祖先が過ごした陰気なヨーロッパの洞窟生活がこころの内側によみがえって、気分がさえないのは当然。内因性うつとは何のことはない、ご先祖様由来だったと思えば気が楽になりますね。

2019年7月10日水曜日

チビちゃん、膀胱結石を手術で取り出す

チビちゃん(♀12歳くらい)の膀胱結石は、結局手術で取り出してもらいました。治療用のエサでは溶けない石でした。今日はこれから糸抜きに連れていきます。トータルで13万円くらいかかったけどほんとうによかった。

手術の翌日、家に帰り、カラーを付けられたまま家具やドアにぶつかっていたのが不憫で、2日目には外してやりました。傷口をしつこく舐めることもなく、順調に回復し、2.4キロしかなかった体重はすぐに2.8キロになりました。

チビちゃんは生後まもなく孤児になり、おっちゃんネコと一緒に暮らしていたのが、おっちゃんネコが死んだのか他所へ行ったのか、農家の籾殻の山の上で震えて助けを求めていました。
何とかしなくちゃ!「おじさんとこに来る? お兄さんネコ、お姉さんネコが6匹いるけど」と言ったらついてきて、我が家の一員になりました。

胎児のころ栄養不良だったのか、全体に小さなネコで、体重が大人になっても3キロほど。他の義兄弟と仲はいいけど、おじちゃんのことがいちばん好き!いつもペタペタ甘えてまとわりついてきます。マンションのネコと合わせて12匹。我が人生はネコに大きく支配されています。



2019年7月3日水曜日

大阪城エレベーター不要論に思う

大阪G20サミットはテロ等深刻な事件もなく無事終了し、ホスト国日本の安倍さんのごきげんな顔が目立ちました。そんな安倍首相が夕食会の席上で「大阪城復元時にエレベーターをつけたのは大きなミス」と発言し賛否両論物議をかもしました。
首相は大阪城が明治維新の混乱の中で大半が消失したことにふれ、天守閣は90年前に16世紀の姿に忠実に再現されたことを誇らしく語り、ついでにジョークの意味で「エレベーターは余計だった」と発言したのでしょう。各国首脳は安倍さんのお寒いジョークを理解できたでしょうか。
はたして、国内でも「ユーモアのつもりかも知れないけどセンスがない」、「バリアフリーの考えに反する」など論争が起きました。ネットでは首相に忖度する意見が目立ちましたが、私は「またか」とこの種の議論に残念な気持ちになりました。日本人は自然や古い町並みを平気で破壊するくせに、峨々たる名山にケーブルカーなど設置する話が出ようものなら猛反対が起きます。
また環境省の杓子定規な環境保護政策は一見正論であるように見えるけれどそこに弱者排除の無神経さがあるように思えます。日本が世界に誇る信州・上高地の例を見てみましょう。上高地は有名な河童橋から奥へ奥へと梓川の渓流沿いに遊歩道が整備されています。しかしその絶景は足腰の強い人しか見ることがままならないのです。穂高連峰への登山基地がある横尾山荘まで登山客も約10キロの平坦な道を重いリュックを背負って歩かなければなりません。
ところがここは、沢の幅が広く実は立派な道路も完備しているのです!せめて電動の小型バスとかカートを足腰が弱った老人や障がい者のために走らせてくれないかといつも思います。では立派な道路はだれが使うのか?環境省の職員や関係者(お友達も含めて)だけが特権的に使っています。それが悪いとは言いません、その道路を弱者にもオープンにしてだれもが世界有数の自然美を見られる手段にしてほしいのです。

ヨーロッパを代表する名山、モンブランでは富士山より高いエギーユ・デュ・ミディまでケーブルカーで20分で登れます。マッターホルン然り。そこには本格的なレストランやカフェがあります。日本の十年一日の硬直した、進歩のない自然保護に隠れた弱者排除論争には辟易です。

2019年7月2日火曜日

フキとコオニユリ

フキをまた移植して増やしました。食用百合が満開になりました。





喫茶店、ロッキーマックスの看板ネコ

グレちゃん。美しいグレーの毛並みの大きな雄ネコです。


ネコは高いところが大好き。商品の上に駆け登ってご満悦。マドモワゼルに叱られても猫耳東風


2019年6月26日水曜日

“げし”のフキ

 “げし”というのは私が住んでいる岡山市西部あたりでかつて使われていた方言だと思います。段々畑の斜面の部分のことです。我が家にも隣家との境界をなす高さ3メートルx10メートルほどのげしがあり、ありとあらゆる動植物が何十年と変わることなく豊穣な生を営んでいます。斜面ゆえに水はけがよく、人に踏まれないので土はいつもふかふかでミミズがいっぱい。そこで育つ植物はとても健康でのびのびしています。
 長いスパンで観察しているとその豊かな土地を争って植物同士の栄枯盛衰もあります。ここ数年いちばん勢力範囲を拡大しているのはミョウガで、夏から秋口に大量のミョウガが収穫できます。ラッキョウの原種も何か所かコロニーを作っています。昔の農家の人はラッキョウを栽培するとき、このようなげしに生えている原種を掘り取ってひとつひとつにばらして畑に定植したものです。
 フキ(蕗)もげしが大好きな植物です。子どものころ母から「フキをとってきて」と言われると「はーい」と返事してげしのフキを切り取って台所へ届けたものです。ところが一昨年ごろからフキがミョウガ軍団に負けたのか、気がついたら絶滅状態になっていました。母との思い出が詰まっているフキが庭先から消えてしまうのはとても残念なので、この春フキ復活作戦を試みました。
 ホームセンターに行くとたしかにヤマブキの根が売られていましたが、頼りないぐらい細い根で買う気にならず、結局倉敷の従姉妹の家から株分けしてもらいました。たくさんもらったので半分は普通の畑に植え付け、残りをげしに植えました。そのとき30センチほど離れた場所にクローバーの葉ほどの大きさの植物が芽を出していました。絶滅したと思っていたフキの赤ちゃんでした。
 そして6月も終わりになりげしを見ると従姉妹からもらったフキはミョウガに混じって元気いっぱいに育ち、フキの赤ちゃんも立派なフキに成長しました。我が家の100年越しのフキが絶滅寸前になりながらも生き延びることに成功したのです。ともに畑に植えたフキよりはるかにみずみずしくのびのびとしています。
元来豊かな植生を支えてきた里山のげしは、近年防災と土地の有効利用のため、どんどんコンクリートで固められ、不毛の空間になってきています。残念なことです。

(“げし”の様子)
橙色のつぼみが着いているユリは正月用のユリ根を食べ損ねたものを植えました。ユリ(おそらくコオニユリ)。「谷間の百合」(バルザック)ではないですが、こういう斜面が好きな植物です。画面上部のよく育っているフキは従姉妹から分けてもらったもの。画面中央のフキが春にクローバーの葉ほどの大きさだった株。手前の株はもともとこの斜面に生えていた株ですが、30年ほど前に田んぼに移植し、そこで暮らしていたものです。今年の春、田んぼから家に持ち帰り、畑に植えたのですが生育が悪く、梅雨入りの本日(6月27日)もともとの住処であるこの“げし”に戻しました。手前やや左寄りのひも状の植物が上記の原種ラッキョウです。



2019/6/28、台風一過上京する日の朝、コオニユリ開花


2019年6月25日火曜日

大納言小豆栽培

アズキやササゲは高温が好きな豆科植物です。父が昔、「アズキの種まきは7月に1日でもかかっていればよい」と言ってました。つまり7月31日に種まきしても晩秋にはちゃんと収穫できるという意味です。実際、兵庫県の農林試験場などの報告を見ると、早植えするより7月の終わりに種をまく方が収量が増えると記述しています。
小豆は大豆と異なり大きな美しい花を咲かせます。




2019年6月23日日曜日

もしかして大腿骨骨頭に異変?

牛窓の畑で農作業していたら突然豪雨になり、農機具小屋で雨宿り。雨が上がって畑から下の畦道に続く坂に足を踏み出したらずるっと滑り腰の辺りを強打しました。10日前のことです。びっくりしたけど特に外傷もなく、普通に生活していたのですが、昨日急に腰骨の左付近に痛みが出て、ドラッグストアーで湿布を買って張り付けて寝ました。けさは痛みが引いたようです。
左大腿骨骨頭部に内軟骨腫があり、整形外科の先生から、転倒には気をつけてと言われているので、そこにひびでも入っていたら大変。週明けに整形外科に行くべきか思案どころです。
牛窓へは自宅で育苗中の大豆の苗を植えに行かなけばならないし、週末には2泊で上京することになっていて、とにかく何事もなく日々暮らしたいのに、人生には思いがけないワナがあるものです。

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その後、牛窓で大豆の植え付けをしたところ、腰の痛みは消えました。さらにこの何年間か足の浮腫で正座ができなかったのが、大豆の苗を植えるために畑に膝をつくのですが、そのままお尻を落としたら正座ができました。畑のきつい作業のおかげで、体の水分が抜けて浮腫が改善したようです。脱水症状には気を付けないと。



2019年6月19日水曜日

令和時代最初の大地震

 日本に住んでいる限り地震と水害の2大自然災害から免れることはできません。しばらく地震がないと思っていたら618日の夜、新潟・山形を中心に震度6強の地震があり、テレビは各局とも通常番組を打ち切って地震特番に切り替えました。
 テレ朝の報道ステーションでは富川アナが「津波は予報よりはるかに大きなものがやってくることがあります。東日本大震災のときは3メートルの津波予報に対し実際は10メートルを超える津波がきました」と繰り返し避難を勧めていました。
 しかし、人間はいくら避難勧告や避難指示が出ても簡単には実際の行動に移せるものではないことは昨年の7月豪雨の例を持ち出すまでもありません。なぜ逃げないのか?それは多くの場合、避難勧告や避難指示が出た場合でも後になって振り返ってみると大したことにはならなかったことが多いし、深夜に避難することに大きなリスクを伴うからです。
 ちなみに今回の新潟地震による被害は震度6強の規模であったのにもかかわらず、家屋が倒壊したり死者が出ることもなかったのは奇跡に近いことだと思います。ネット記事によくある中国人などのコメントを読んでいると、「こんな大地震がきても倒れない日本の住宅はいったいどうなっているのか?」という称賛にあふれています。しかしもし今回の地震で1か所でも震度7を記録していたら被害の甚大さは途方もないものになっていたはずで、富川アナが「津波が来る、逃げろ」と絶叫していたのも無理ありません。
 巨大地震による直接的な被害は建物の倒壊による圧死や落下物の直撃を受けることです。でもこれは気付いた時にはすでに被害は起きてしまっているのでどうしようもない。しかし津波や大型台風、河川の増水氾濫はある程度予測がつき、適切な避難勧告が出た場合、前もって用意されている安全な場所に逃げれば助かる可能性はぐっと上がるでしょう。
 今回の新潟地震は令和時代になって初めての大地震でしたが、何といっても本命はいつ発生してもおかしくないと言われている南海トラフ地震です。近年、阪神淡路大震災、東北大地震、熊本地震、鳥取県中部地震、大阪府北部地震とつらい体験をしてきた日本ですが、当面の最後の大地震は来るのが分かっているのですから、賢く対処したいものです。

2019年6月14日金曜日

蛇の交尾目撃

昨日は気持ちのいい晴天で、庭先で育苗中の黒大豆の世話をしていたら、隣との境界になっているゴソの木陰から突然、何かが暴れのたうつ気配がしました。とっさに「隣の○ソババがまた境界線を削りにきている!」と思ったのですが、よく見ると草むらで巨大なアオダイショウが2匹絡んで暴れていました。

最初、何のことか分かりませんでしたが、すぐに交尾しているところに違いないと思いました。おぞましくも恐ろしい光景でした。
とにかくこちらに来るのは阻止しようと、水道のホースから水を勢いよくかけたら分離しました。

蛇は苦手です。トラウマになりそうです。ところが、後でネットで調べたら、蛇の交尾(の夢)を見たら金運アップという、吉相らしい!でも水をかけて強制分離させたから金運ダウンかも。

今年はコンニャクの花が咲いたり、蛇の交尾を目撃したり、70年の人生で初めて経験することが続きます。南海トラフ巨大地震がすぐそこまで来ている前兆でしょうか?

2019年6月12日水曜日

選挙投票にITの活用を

6月は株主総会のシーズンです。毎年この季節になると連日郵便受けに分厚い封書が届きます。それらは決まって株主総会への出席案内状で、議決権行使書も同封されています。
最低単元の株主の意向など議決結果に何の影響も及ぼさないし、記入済みのハガキを返送するのもめんどうなので、これまで大体はちらっと見て封筒ごとゴミ箱にポイでした。
しかしよくよく見たら、郵送、ウェブサイトだけでなくスマホでも議決権を行使できると書いてあり、ものは試しでQRコードを読み取ってみました。驚きました。ユーザーIDもパスワードも不要で、各議案項目の賛否表示欄にチェックしOKしたら即議決権の行使ができました。これは便利!と大変感心して他の会社のものもチェックしたら今やどの社もこの方式が可能になっていました。
いったい何年前からこんなオプションが用意されていたのか知りませんが、IT社会のプラスの側面を思い知らされた感じがしました。そしてこれは国民に大きな負担をかけている国会議員や地方議会選挙にぜひ取り入れるべきだと思いました。もちろん株主総会の議決よりはるかに厳格に不正投票を防止する手段を講じなければなりませんが投票の仕組みは同じようなものでしょう。有権者は届いた投票用紙に印刷されているQRコードをスマホで読み取り投票するだけ。マイナンバーの記入ぐらいは必要かもしれませんが、投票所に出向いての投票に比べると若年層の棄権は劇的に改善するはずです。
株主総会のようなお金がからむ事案でもすでに電磁的な議決が100%認められているというのに選挙の投票だけが、あれこれ不正や信頼性の確保を言い訳に、いつまでも従来の方式であっていいはずがありません。有権者の3割程度の人の投票で議員が選ばれている社会の方がよほど罪深いものがあると思います。
また選挙事務にかかるコストは単にお金の問題だけではありません。実際の選挙事務を担当する市町村職員に大変な肉体的、精神的負担をかけている惨状があります。選挙事務担当者は何か月もの間、土日休日がいっさいないとも聞きます。選挙実務の改善こそIT技術の出番ではありませんか。
問題は高齢者によって支持されている保守政党がすんなりスマホ投票を検討するかどうか、見通しはかなり暗いというのが実情でしょう。

2019年6月10日月曜日

牛窓、車軸を流す雨

牛窓の畑に植えたサツマイモが土地が乾燥しすぎでなかなか活着せず困っていました。でも今日雨雲が近づいて来たのでジャガイモのあとに大豆の苗を植えていたら突然スコールのような雨が降りだしました。農機具小屋に駆け込み、畑を見ていたら乾ききった畑のあちこちに水溜まりができるほどの激しさ。



2019年6月9日日曜日

ヘーゼルナッツ結実!

昨年3月に苗を植えたヘーゼルナッツに実がつきました。2本植えて1本は昨年夏の暑さと乾燥で枯死。1本では実つきが悪いとのことですが、、、
ヘーゼルナッツはドングリの仲間ではなく、ブナ目カバノキ科の低木で葉っぱが涼しげです。


収穫は秋のようです。

2019年6月5日水曜日

クラウドファンディング

 昔は個人や小さなグループがお店など始めようと思ったときは、まずは自己資金を貯め、親をくどき、さらには信用金庫や銀行に融資をお願いするのが王道でした。しかしリスクを取ることに慎重な金融機関から満足な担保もない人が事業資金を借りることなどほとんど不可能でした。
 ところが最近日本でも着実に拡がってきているのがクラウドファンディングです。自主映画の製作と公開、大手メーカーでは作れない個性豊かな服を世界市場で販売したい、ヤギを飼って本格的なチーズを作りたい……と、かつては文字通り夢まぼろしに終わりがちだった若者の夢を銀行や親に平身低頭することなく実現させる手段がついに登場したのです。
 この画期的な資金調達手段は国の施設でも活用されています。上野公園にある国立西洋美術館では2019611日から923日まで「国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展」が開催されます。同展では近年偶然発見されたモネの幻の大作「睡蓮、柳の反映」が修復のうえ展示されます。莫大な修復費用の一部として、同館は本年3月にクラウドファンディングを立ち上げました。目標額は300万円とのことで、とうてい大規模修復をまかなう額ではないのですが、西洋美術館としては国の予算がひっ迫するなか、国民に直接サポートを訴える試みを始めたということのようです。
 この企画を知った私はその場で寄付の申し出をしました。コメント欄があったので「いつも常設展をシニア無料観覧させていただいているお礼に代えて」と書き込んだところ、定型のお礼のメールの文中に「いつも無料常設展を見て下さって、そのお礼にと……素敵です」と、お堅い国立施設からのものとは想像できない心温まるメッセージを忍ばせてくれました。好感度↗
 支援総額は3,632,000円、346人からの支援があったそうです。返礼品として松方コレクション展のチケット2枚が送られてきました。ちなみに最高額の30万円寄贈した人に対する返礼は?何と馬渕明子館長(71)とのランチ!だそう。口の悪い大阪の友人にそのことを話したら、「オレはそんな罰ゲームいやだ!」と罰当たりなことを言っていました。ともかく西洋美術館の初の試みは目標額達成率121%と大成功、早い機会にモネの大作に会いたいと思います。

2019年6月2日日曜日

ポーランド人画家ラデックさん

新聞社のカルチャープラザ講座で、何十年ぶりかで始めたフランス語ですが、講師のラデックさんの記事が地元紙に掲載されました。
ポーランド人からフランス語を学ぶというより、ポーランド人画家から西洋美術史についてゼミ形式で学んでいるといったほうが正確です。ラデックさんは6月いっぱいポーランドに里帰りなのでゼミもお休み。6月は歯医者、病院予約もないので久しぶりにゆっくりできます。

山陽新聞2019/6/2備前エリア

2019年5月31日金曜日

タマネギ収穫

タマネギ収穫、そのあとにサツマイモを植える。紅ハルカ20本。


2019年5月29日水曜日

川崎19人死傷事件

 またも小学校登校途中の児童が刃物を持った男に襲われ多数の死傷者が出ました。凶悪殺戮事件は、安倍首相が来日中のトランプ米大統領との蜜月ぶりをアピールするため連日のパフォーマンスを総仕上げしようとしていたまさにその日の朝、神奈川県川崎市で起きました。
横須賀自衛隊基地での日米首脳同席の行事では、多数の警官・機動隊が警備に動員されていました。川崎での事件はそんな一般の治安が手薄になる日を狙っての犯行だったのではないかという気がします。
 犯人の51歳の男はその場で自殺したので犯行の動機は永遠に封印され、今後どのような効果的な対策を考えればいいのかその手掛かりは簡単には見つかりそうもありません。私は事件の第1報を聞いて、すぐに20016月に発生した大阪教育大学附属池田小襲撃事件を思い起こしました。
今回の川崎市で起きた事件同様、大阪の国立名門小学校の児童が殺戮の標的になってしまったことは偶然ではありません。池田小学校事件の犯人、宅間守は控訴を自ら取り下げ、子どもを殺された家族や身体と心に深い傷を負った児童への謝罪の言葉もなくこの世を去っていきました。宅間は法廷でこんな恐ろしい呪詛の言葉を吐いています。
「世の中は公平やない!わしは世の中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。わしみたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを分からせたかったんや。世の中勉強だけちゃうぞ、とあのくそガキに一撃を与えたんや……。」
宅間守は自身の自殺の道連れに児童を殺傷したと法廷で述べていますが、今回の事件も自殺の道連れという何とも身勝手な、幼い子どもに対する愛のかけらもない行動でした。このよく似た二つの事件の背景には自身の生い立ちがきわめて悲惨であったという自覚があり、幸せそうに見えるエリート家庭の児童に対する底知れぬ怒りが感じられます。
ますますひどくなる一方の格差社会に対する怒りや絶望・怨念は、大阪や川崎のような極端な形をとるかどうかは別にして、均質だと思われてきた日本社会をジワジワ蝕んでいて、今後も同様の事件が起こりうる素地は十分あります。通学時の防犯対策など何の役にもたちません。

2019年5月25日土曜日

ミズナのモヤシ

ミズナの種をキッチンで選別したとき、多数の種がシンクまわりに散乱し、亀の子たわしで掃除しました。それから3、4日したらたわしからミズナのモヤシがいっぱい芽生えておぞましくもシュールな光景になりました。
そこでひらめいたのが400ml もある種の使い道。スプラウト(モヤシ)にして食べればいい!モヤシを作ったことはないけど、金属バットに濡れた布巾を敷き、その上に種を広げ、ふたをして室温で管理したらいいのではないかと思います。味噌汁に入れる、サラダにする、刺身のつまにすればいいかと。

2019年5月22日水曜日

ミズナ

子どものころ近所のお年寄りが畑で採れた大きなミズナをよく届けてくれました。いまどきスーパーで売っているような細長くてきゃしゃなものではなくミズナ1株の大きさがよく太った白菜ぐらいある、ずしりと重たい代物です。
母はそれを縦横十文字に切り分け、まずは煮物にしていました。アゲやクジラといっしょに煮込んだミズナは子どもにとっては苦手だった記憶があります。残ったミズナは漬物にして食べていましたが、これはしみじみおいしい! きっとミズナにはグルタミン酸が多く含まれているのではないかと思います。現在でも京都の老舗漬物店ではミズナやミブナは定番の人気商品ですね。
ちなみにミズナとミブナは植物分類学的にはほぼ同種です。葉の切れ込みが深いのがミズナ、葉に切れ込みのないのがミブナですが、ミブナはもっぱら漬物用に栽培されているようです。これに反し素朴な伝統野菜の代表選手だったようなミズナが近年のサラダブームで生で食べるのが流行し、今では煮食い、漬物だけでなくレストランやカフェでも必須の野菜アイテムに出世しました。
そんなミズナを私も昨年秋に家の畑で栽培してみました。秋に種をまき、20センチぐらいまで育ったら、大きいものから順番に間引いてサラダに入れます。やがて10月中旬になると、新たに畑をよく耕して元肥を施し、適当な間隔を空けて定植します。真冬が到来するころにはかなりの大きさの株になり、なべ料理や浅漬けに重宝します。
3月、白菜が終わるころがミズナの収穫のピーク、やがて花が咲き、5月には種が実り枯れていきます。晴天続きの今日、種がぎっしり詰まったミズナの花穂を採取し、種を取りました。ミズナとかミブナのような伝統野菜の種は固定種なので、自分で採った種を再びまいてもほぼ親と同じものができるので、種まきごとに種を購入する必要はありません。
さて本日収穫したミズナの種は400mlという途方もない量でした。秋に畑にまくのは10ml程度、約2000粒。ということは40年分の種があることに! 種にも寿命があるのでそんなに長期間保存する意味はありませんが、ミズナという生命のカプセル(種子)のひとつひとつが立派な野菜に育つことを夢見て、ビンに詰めて、冷蔵庫の野菜室に入れました。

2018年10月に定植したときの様子