2019年3月29日金曜日

フキ、復活作戦

倉敷市中庄の従姉キミちゃんの家に寄りフキの株をもらってきました。1年もたつと立派なフキの群生ができると思います。

下の写真はゲシ(斜面)に植えたフキ。もともと我が家のフキの原生地がこのゲシでした。イバラの株を取り除いたら、まだ1株だけ生き残っているのもありました。ひょっとしたらミョウガの株かもしれませんが、嗅覚障害でフキかミョウガか区別できませんでした。もう2週間もすれば芽が出てくるので判明するはずです。

2019年3月27日水曜日

フランス語ふたたび

人生70年も生きていると、まだまだやるべきことが残っているという感じがすると同時に、何事ももういいや、できることは大体はやってきたし、やろうとしてもできなかったことは元々才能がなくてできなかったに過ぎない、そういう意味で人生に後悔などない、とこのごろそんな心境になっていました。
ところが先日、やなぎみわのワークショップに参加したことが導火線になったのか、「何かまた学びたい」欲求が忽然と湧いてきました。そんなことを思っていたある日、喫茶店で山陽新聞を読んでいたら「カルチャープラザ」の受講案内が目にとまり、そこに「フランス語中級」というクラスがあるのを発見しました。4月は新学期の季節で何かを始めるのにはぴったりのタイミングです。
ラディックさんというポーランド出身の画家の方が講師で、受講生は88歳の高齢男性と60代の元高校教師、それに若い女性の3人だけ。小人数で内容の濃いゼミが展開されていました。88歳のおじいちゃんはかつては数学教育にたずさわっていた方のようで元気はつらつ、高校の歴史の先生だった方はフランス語を始めてまだ1年ということでしたが、すでに中級レベルのフランス語を完全にマスターしているように見受けられました。
やはり学校の先生というのは大変なインテリで、勉強のやり方に熟知された方々です。きちんと予習したうえで出席されていました。私はというと、学生時代にフランス文学を専攻したはずなのに、久しぶりにフランス語の文章を読んでもさっぱり内容が理解できず愕然としました。
フランス語の単語や文法はそんなに忘れていないはずなのに、どうやら私の脳内では文章を解析したり意味を把握する機能が、あまりのブランクに、死にかかっていたようです。家に帰ってから辞書を丹念に引いて、集中して思考した結果、何とか理解できるようになりました。
 こういう作業をすると演算装置としての大脳がいかにも働いている実感があります。88歳のおじいちゃんが年齢を感じさせないのは若い頃から一貫して頭脳を使ってこられたからだと思います。私も老先生方にあやかることにし、正式に受講申請してきました。これを機会にあと18年、88歳現役をめざしてフランス語に取り組んでいきたいと思います。

2019年3月24日日曜日

ふき味噌

家の回りの蕗が3年ほど前に絶えてしまいました。30年ほど前に田んぼに移植した株が生き残っていないかと思って見に行ったところほんの2株だけですがありました。それをまた家の畑に持ち帰りました。花が開ききった蕗の薹を切り取り、自家製味噌とともに油で炒めてふき味噌にしてみたら、意外にあくも苦味もなく美味。持ち帰った株から出てくる蕗は今年は収穫しないで株をしっかり育てようと思います。

2019年3月20日水曜日

やなぎみわワークショップ「機械と朗読」に参加して(後編)

高松市美術館で開催されていた「やなぎみわ展 神話機械」に関連したイベント、「機械と朗読」に図らずも参加することになり、来館者も見ているまえで何とか自分のパートを朗読することができました。
最後にまた元の会議室に集まり、やなぎみわ先生から15名の参加者に対しコメントや今後の演劇パフォーマンスの予定などについてお話をおうかがいしました。「男性3人の皆さん、よかったですよ」とのお言葉をいただいたのは素直にうれしいことでした。
70年の人生を振り返ってみて、舞台に立ったことが2回だけあります。幼稚園のとき学芸会で私はピーターラビットの主役を任されました。あまり目立たない子どもだった私は幼なごころにも自分は主役を張れる器でないことは自覚していたのになぜかそうなってしまいました。
そしてふだんけんかに強く偉そうにしていた近所のヨッチンなんか、野菜畑のカブラの役を割り当てられ、カブラの絵を切り抜いた帽子をかぶってじっとしているだけ。私、主役のピーターうさぎは母親の言いつけを破ってマグレガーさんの農場に忍び込んで野菜を食べてマグレガーさんに見つかり、舞台の上を所狭しと逃げ回り大活躍。幼稚園児ながらヨッチンがしょんぼり突っ立っていたことを今でもよく覚えています。
  小学校1年生のときは、今度は浦島太郎に抜擢されました。体格のよかったクラスメートが亀の役になり、その背中に乗って竜宮城へ向かうのです。私は遠慮深い性格だったので亀にまたがっても自分の足で体重を支えていたら、その子が「足を上げて乗っていいよ」と言ってくれたのがうれしかったです。大団円では白くて長い髭を顎に接着剤で貼り付けて舞台の上で孤独をかみしめるシーンを演じましたが、今や私もほんものの翁(おきな)になってしまいました。
今回やなぎみわのワークショップに参加して、人前でパフォーマンスすることの楽しさを多少なりとも感じました。幼年時代のささやかな舞台体験も今の自分をいくらか支えていることだし何か始めたい。今更舞台は無理としてもシナリオや詩の朗読を試みることならできそうです。できればそらんじてみたい。こんなことを思うのも、そろそろ自分自身の玉手箱を開けてみる時期が到来してきているせいかもしれません。

2019年3月12日火曜日

やなぎみわワークショップ「機械と朗読」に参加して(前編)

能や歌舞伎などの伝統劇からオペラやミュージカルを含め、舞台芸術を鑑賞するのは人生の楽しみの一つです。しかしながら自分が舞台の上に立つ?!そんなことは考えるだけでも空恐ろしいし、あがり症の私は人前で演技するなんて死んでもいやと思っていました。ところが……。
ただいま324日まで高松市美術館で「やなぎみわ展 神話機械」という展覧会が開催中です。本個展に関連したイベントのひとつとして「機械と朗読」というワークショップがあり、私はそれがどんなものかよく分からないまま参加申し込みしました。なにしろ国内外の現代アートシーンでもっとも注目を浴びているアーティスト、やなぎみわ(1967-)さんにお会いできるチャンスはめったにないことですから。
「神話機械」というかなり大がかりな仕掛けを駆使した作品はごく簡単にいうと、古代の投石機を模した機械や怪しい光を放ちながら床の上を徘徊しつつ何やらしゃべる機械、そうかと思えば断ち切られた下半身が床に転がってくねる、およそそんなパフォーマンスです。古代の神話に登場する機械をエレクトロ・メカニズムで再現しているとも言えます。
参加人数15名に限定されたワークショップとは、こうした「神話機械」たちの演技にあわせてシェークスピアのハムレットに登場する墓堀り道化たちのセリフを朗読することでした。本番の前にまずは美術館の会議室でやなぎさんから台本を渡され、発声指導を2時間余り受けました。
朗読の経験も演技の経験もない私はたった1行のセリフでも人前でしゃべろうとすると不覚にも声はうわずり、心臓はドキドキです。参加者の中には演劇経験者やアナウンサー経験がある人もいて、そういうセミプロの人々は長いセリフを実に流暢に、かつよどみなく読み上げ実力のほどを見せつけてきます。
私はできないものは仕方がない、せめて自分に割り当てられたセリフは大きな声でゆっくりしゃべろう、と覚悟を決めました。そしていよいよ来館者が待ち受けている神話機械の展示室へ移動しました。照明が落とされ神話機械たちが不気味に動き始めました。ショーの幕開けです。
“こいつは宮仕えの男だな、お得意の台詞は「ご機嫌うるわしゅう陛下!」”。このようなセリフを数か所、なんとか会場全体に響く声で朗読し終えました。(続く)


2019年3月9日土曜日

やなぎみわトークショー


今日と明日、やなぎみわのイベントに参加します。本日はトークショー、明日はワークショップです。高松市美術館にて。

2019年3月5日火曜日

不可解なできごと

観劇のため家を空けていたある日の夕方のことです。家から少し離れた場所にある喫茶店のマドモアゼルから電話がありました。今どき電話とは緊急事態発生に違いありません。
「さっき店に岡さん(筆者)の近所の亀を飼っているという人(亀さん)が見えて、道で黒猫が変死しているから連絡してほしいと言っていました」と言うのです。亀さんは45年前に近所の空き家を買ってそこを仕事場にしている方で、私はときどき畑で採れた野菜をあげたり、亀さんが池で飼っているスッポンの話をするぐらいで特に親しいわけではなく、名前も電話番号もお互い知りません。でも好感がもてる人です。
確かに我が家には猫が6匹いて、たまに外に出してやるとなかなか帰ってこないので「チビちゃん、クロちゃん、帰っておいで!」などと門先で大声で呼びかけることもしばしば。しかし私が家を空けるとき猫を外に出したままにすることはありません。でも亀さんにしてみれば私の猫が毒殺されたと思って、お隣のでしゃばりセツコ婆さんに私のいそうな場所を尋ねたようです。
でしゃばり婆さんは変死した黒猫が実は近所の人がお世話をしている地域猫だとよく知っているくせに肝心のお世話している人には連絡せず、亀さんにもどこの猫か説明していません。私の猫が変死したと心配してくれている亀さんに「こうちゃん(私)なら、いつもあそこの美人ママがいる喫茶店に入り浸っている」とでも言ったのでしょう……。
ともかくマドモアゼルにはうちの猫は外に出していないから大丈夫と伝えてスマホの電源を切って舞台を鑑賞、再びスマホの電源を入れたら、そこには兄からの数回の着信履歴とメッセージがありました。「セツコさんから、近所で黒猫が変死したと電話があったが……」。驚きました。
私に連絡がつかないからと言ってよその町に住んでいる兄にまで何故に電話したりするの?まったくそういう余計なことを何のためらいもなくしでかすところが、でしゃばり婆さんのでしゃばりたる所以です。「飼い猫が家の外で変死した?ケータイもつながらない!これは弟に何か面倒な異変が起きてる」と思って兄が駆け付け、合い鍵で実家に入り散らかり放題の私の部屋に踏み込んでいたら(汗)

私自身生まれ育った場所で孤高を保って暮らしているつもりでも、私の行動はご近所から逐一監視されていて丸裸同然です。猫の変死事件より恐ろしい田舎暮らしです。




クロちゃん。図体も大きいし、精悍な顔をした雄の黒猫ですが、性格は優しく、餌はいつも他の猫に譲って最後に食べています。

2019年3月3日日曜日

やなぎみわ神話機械展/ 高松市美術館

2004年、丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館でやなぎみわの作品に出会ったときの衝撃はいまだに鮮明です。今回の高松市美術館での個展はほぼ10年ぶりの大きな催しだそうです。
やなぎみわといえば若い女性に老婆のメークアップをさせた少女地獄極楽老女が代表作ですが、今回の展示では神話機械、夜の桃の木の写真、その他ビデオ作品が彼女の新しい境地を示していました。
桃の木の写真。福島県の桃畑で撮影された収穫直前の川中島白桃がたわわに実った大木が微妙に変化をつけながら多数展示されています。ボランティアの方の解説では古事記の神話に関連しているとのことでした。来週(3月9日)には作家によるトークショーがあるので、桃の木の作品の意図など直接おうかがいできるものと期待しています。
神話機械は文字通り、古代の神話に登場する投石機などを現代のエレクトロメカニズムを組み込んで作品に仕立てていました。大きな装置で実際に頭蓋骨のような玉を弾き出して飛ばせます。木の枝にワインの空き瓶が30本くらい突き刺さったものが大きな鈴のようにガシャガシャ身震いさせながら光るもの、床をのたうつ下半身など不思議な作品もありました。

ボランティアの方のギャラリートークを聞きながら、私の悪い癖で小学生のように「はい、はい、それ知ってます!」をまたやってしまいました。あとでボランティアの方に謝ったら、「いえいえ、盛り上がるから歓迎です」と言っていただき少しほっとしました。また同じツァーの若者に声をかけてにわかインタビューを敢行。一人で静かに観賞されていたのを妨げ、迷惑ジイサンぶりを遺憾なく発揮してしまいました。申し訳なかったです。でもとても楽しいひとときでした。(3月24日まで開催中)




上: 今回のチラシ

中: 少女地獄極楽老女のうち老妓、モデルは若い女性→特殊メイクで老婆→老妓が若い舞妓のメイクをしている。

下: モデルのEriko 実際のモデルは男性だそうです。自分の墓のフタをランウェイにしている。私のお気に入りの作品。

2019年3月2日土曜日

2019年3月1日、古関すまこ舞踏公演を見て

https://youtu.be/UmyzYBeGrE8

このリンクは公演で使われた、In heaven eveything is fine という歌のオリジナル曲です。デイビット・リンチ監督「イレイザーヘッド」、グロテスクで悪夢のような傑作、のいわばメインテーマ。
終盤、イタリア語のナレーションがありましたが出典は分かりませんでした。翌日すまこさんから聞いたところ、パゾリーニの「奇跡の丘」(原題: マタイによる福音書)の一部だそうです。

中学校時代のクラスメート4人がかぶり付きだったので古関さんも苦笑されたことでしょう。圧倒的な舞台でした。古関さんもこれまで岡山での公演で抑えていたsumako koseki をかなり出したとおっしゃっていました。もっと大胆に!

片翼の天使がもうひとりの片翼の天使に出会い、惹かれあい、ついに合体するシーン。プラトンの、確か饗宴に、何故人はある特定の人と恋におちるのか? その理由を考察したところがあります。元々ひとりの人が生まれてくるとき、半分ずつこの世に出現する。それ故、これら半分ずつの魂が出会ったとき、元のひとつに合体しようとする強い力が働く、それが恋に落ちるメカニズムだと。
私は古関さんと若い片翼の天使のシーンをそのように解釈しました。

実際、エロチックで美しいシーンでした。牛窓から観にきた人も、超一流の舞踏がここ岡山で見れるってすごい、しかもチケットが安過ぎ!と感想を述べていました。

公演のあと牛窓のH君とマドモワゼル・Aの3人で夜食を食べに行き、時が経つのを忘れて、気付いたら零時前。駅まで走って最終の倉敷行きに間に合いました。そろそろ降りるべき駅かなと思ったら乗り過ごしていました。タクシーで近くの駅までもどるという失態をしでかしました。

このブログ初登場マドモワゼル・Aとは若いころパリのガリマール出版社で働いていたという才女。これまた、何故こんな人がこんなわびしい牛窓に?と思わずにはいられない異色の人です。他所から来た人ではなく牛窓ネイティブ。ガリマールはフランスの岩波書店という感じの憧れの出版社です。1980年代に古関さんもAさんも共にパリで青春を過ごしていたことになります。後々こうしてふるさとの岡山で初めて出会うことになるとも知らずに。人生は面白いと思いました。

人生には悲しいことの方が多いですが、絶望から救ってくれるのは、文学、広くは芸術だけというのが、私の実感です。古関さんありがとう!そして私のゴリ押し気味のお声かけに足を運んでいただいた皆様に感謝いたします。