2019年5月31日金曜日

タマネギ収穫

タマネギ収穫、そのあとにサツマイモを植える。紅ハルカ20本。


2019年5月29日水曜日

川崎19人死傷事件

 またも小学校登校途中の児童が刃物を持った男に襲われ多数の死傷者が出ました。凶悪殺戮事件は、安倍首相が来日中のトランプ米大統領との蜜月ぶりをアピールするため連日のパフォーマンスを総仕上げしようとしていたまさにその日の朝、神奈川県川崎市で起きました。
横須賀自衛隊基地での日米首脳同席の行事では、多数の警官・機動隊が警備に動員されていました。川崎での事件はそんな一般の治安が手薄になる日を狙っての犯行だったのではないかという気がします。
 犯人の51歳の男はその場で自殺したので犯行の動機は永遠に封印され、今後どのような効果的な対策を考えればいいのかその手掛かりは簡単には見つかりそうもありません。私は事件の第1報を聞いて、すぐに20016月に発生した大阪教育大学附属池田小襲撃事件を思い起こしました。
今回の川崎市で起きた事件同様、大阪の国立名門小学校の児童が殺戮の標的になってしまったことは偶然ではありません。池田小学校事件の犯人、宅間守は控訴を自ら取り下げ、子どもを殺された家族や身体と心に深い傷を負った児童への謝罪の言葉もなくこの世を去っていきました。宅間は法廷でこんな恐ろしい呪詛の言葉を吐いています。
「世の中は公平やない!わしは世の中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。わしみたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを分からせたかったんや。世の中勉強だけちゃうぞ、とあのくそガキに一撃を与えたんや……。」
宅間守は自身の自殺の道連れに児童を殺傷したと法廷で述べていますが、今回の事件も自殺の道連れという何とも身勝手な、幼い子どもに対する愛のかけらもない行動でした。このよく似た二つの事件の背景には自身の生い立ちがきわめて悲惨であったという自覚があり、幸せそうに見えるエリート家庭の児童に対する底知れぬ怒りが感じられます。
ますますひどくなる一方の格差社会に対する怒りや絶望・怨念は、大阪や川崎のような極端な形をとるかどうかは別にして、均質だと思われてきた日本社会をジワジワ蝕んでいて、今後も同様の事件が起こりうる素地は十分あります。通学時の防犯対策など何の役にもたちません。

2019年5月25日土曜日

ミズナのモヤシ

ミズナの種をキッチンで選別したとき、多数の種がシンクまわりに散乱し、亀の子たわしで掃除しました。それから3、4日したらたわしからミズナのモヤシがいっぱい芽生えておぞましくもシュールな光景になりました。
そこでひらめいたのが400ml もある種の使い道。スプラウト(モヤシ)にして食べればいい!モヤシを作ったことはないけど、金属バットに濡れた布巾を敷き、その上に種を広げ、ふたをして室温で管理したらいいのではないかと思います。味噌汁に入れる、サラダにする、刺身のつまにすればいいかと。

2019年5月22日水曜日

ミズナ

子どものころ近所のお年寄りが畑で採れた大きなミズナをよく届けてくれました。いまどきスーパーで売っているような細長くてきゃしゃなものではなくミズナ1株の大きさがよく太った白菜ぐらいある、ずしりと重たい代物です。
母はそれを縦横十文字に切り分け、まずは煮物にしていました。アゲやクジラといっしょに煮込んだミズナは子どもにとっては苦手だった記憶があります。残ったミズナは漬物にして食べていましたが、これはしみじみおいしい! きっとミズナにはグルタミン酸が多く含まれているのではないかと思います。現在でも京都の老舗漬物店ではミズナやミブナは定番の人気商品ですね。
ちなみにミズナとミブナは植物分類学的にはほぼ同種です。葉の切れ込みが深いのがミズナ、葉に切れ込みのないのがミブナですが、ミブナはもっぱら漬物用に栽培されているようです。これに反し素朴な伝統野菜の代表選手だったようなミズナが近年のサラダブームで生で食べるのが流行し、今では煮食い、漬物だけでなくレストランやカフェでも必須の野菜アイテムに出世しました。
そんなミズナを私も昨年秋に家の畑で栽培してみました。秋に種をまき、20センチぐらいまで育ったら、大きいものから順番に間引いてサラダに入れます。やがて10月中旬になると、新たに畑をよく耕して元肥を施し、適当な間隔を空けて定植します。真冬が到来するころにはかなりの大きさの株になり、なべ料理や浅漬けに重宝します。
3月、白菜が終わるころがミズナの収穫のピーク、やがて花が咲き、5月には種が実り枯れていきます。晴天続きの今日、種がぎっしり詰まったミズナの花穂を採取し、種を取りました。ミズナとかミブナのような伝統野菜の種は固定種なので、自分で採った種を再びまいてもほぼ親と同じものができるので、種まきごとに種を購入する必要はありません。
さて本日収穫したミズナの種は400mlという途方もない量でした。秋に畑にまくのは10ml程度、約2000粒。ということは40年分の種があることに! 種にも寿命があるのでそんなに長期間保存する意味はありませんが、ミズナという生命のカプセル(種子)のひとつひとつが立派な野菜に育つことを夢見て、ビンに詰めて、冷蔵庫の野菜室に入れました。

2018年10月に定植したときの様子

2019年5月20日月曜日

島根県日御碕の柱状節理




柱状節理は1600万年前に流紋岩が急速に冷えて収縮するさいにできた亀裂ですが、日御碕周辺の節理は非常にきめ細かいものでした。3-4センチ角しかありません。日本1高い(約44m)灯台はエレベーターがないとのことで昇るのを断念しました。降りてきた人々の話を聞いていると、「帰りの車の運転ができない、ブレーキを踏む力がない」と嘆いていました。

2019年5月16日木曜日

恐怖の金縛り

20代から40代にかけて私は睡眠中よく金縛りにあって苦しい思いをしたものです。しかし50代半ばになって両親の介護生活を始めたら慢性的な寝不足もあって夜中に金縛りに苦しめられることは次第にまれになりました。ところが長かった介護生活が終わり毎晩こころゆくまでゆっくり寝られるようになったら、またときおり息もできないような金縛りに苦しめられるようになりました。
 昨夜のことです。布団にくるまって寝ていたらふと廊下に人の気配を感じます。「あっ、泥棒に入られてしまった!この家には盗るようなものはないから諦めて出て行ってくれ」と恐怖に恐れおののきながら必死に祈りました。しかしこういう場合、事態は必ず悪い方向に進展するものです。
 次の瞬間、泥棒は廊下から私が寝ている部屋の中に入り込んできたのが気配から分かります。とにかく電気を点けようと枕元のスタンドに手を伸ばすのですが、どうあがいてもスイッチに手が届きません。金縛りにあって体が全然動かないのです。そうこうしているうちにやつはすでに布団の裾のあたりにまで近づいているではありませんか。私は大声で何度も「南無阿弥陀仏」と唱えたのですが、泥棒か悪霊か得体の知れない男は去っていきません。<待てよ、我が家は日蓮宗だから「南無妙法蓮華経」でないと効果がないはずだ>などと考えているうちにハッと目が覚め電気を点けることができました。もちろんそこには泥棒とか悪霊がいた痕跡はありませんでした。
 夢でよかったと胸をなでおろしましたが、味わった恐怖は本当にリアルでした。そういえば父は晩年ベッドの下にいつも大きな玄翁(げんのう)を置いていました。不審に思って「こんな物騒なものをなんでベッドの下に置いているの?」と父を詰問したら、「寝ているときに強盗に襲われたらこれでたたきのめすのだ」と真面目な顔で言うので呆気にとられたことがあります。確かに玄翁の方がお経より実用的な気がします。
 人間の感覚にとって現実とは物理的に発生したことだけでなく、「現実だと感じたこと」も現実そのものなのかもしれません。これから先どんどん歳を取ってくると両親が味わったであろう老いの孤独と恐怖に私も立ち向かっていくことになるのでしょう。恐ろしいことです。



2019年5月13日月曜日

夏目漱石

連休が終わり梅雨までのひと月あまり昼間は暑く夜は冷えるような日が続く。ジャガイモに花が付き玉ねぎの収穫も間近。こんないい季節なのに学校や会社では五月病、いやこの頃は六月病になる人が多いという。
これは何も若い人に限ったことではなく、私のまわりに鬱々としている人が何と多いことか。私だって夕暮れ時から夜の10時ごろまでたまらない寂寥感に襲われる。

数年前、文芸学者の西郷竹彦先生と漱石の「夢十夜・永日小品」を読んだ。漱石の闇の深さにぞっとし、忘れ得ぬゼミになった。漱石の死後100年が経過し、漱石の作品が古くなるどころかますますリアルに身に沁みる。

老いの坂をどのように生きていけばいいのか分からない。幼なじみの舞踏家は愛息がフランスに帰り、「プチ鬱」になったというメールを寄越してくる。「お菓子な感じ」(ママ)と誤変換しているのも気付かず送信してくる。彼女もパリに帰った方がいいのではないかと思う。しかしパリにはパリのspleenが150年前同様漂っているだろう。より絶望的な姿になって。(ボードレール パリの憂鬱)

2019年5月8日水曜日

コンニャクの花

今は亡き父が昭和40年ごろ小学校の校長として赴任していた北房町(現真庭市)から持ち帰ったコンニャクが主を失った今でも実家の庭で元気に育っています。4月中旬ごろ太い葉茎が1本まっすぐ地上に出てきて葉を広げ晩秋には枯れます。農家はそのころ芋を掘り食品としてのコンニャクに加工するのですが、我が家では父も私ももっぱら観葉植物として毎年楽しんできた次第です。
ところが今年はいつもの太い葉茎が何か変です。どうしたのかと思って観察していたら、びっくり仰天、花茎が伸びてきたのです。コンニャク栽培農家では大して珍しい現象ではないと思いますが、私の身近にいる人々に尋ねてもコンニャクの花の実物を見たという人は皆無です。
コンニャクはミズバショウやカラーとおなじくサトイモ科の植物であり独特の形状の仏縁苞があります。花全体の大きさは地上から計ると2メートルぐらいあり、色はカラーチャートを参照してみると葡萄色(えびいろ)が近いかなと思いますが、黒っぽい紫でビロードのような質感です。これはちょうど新皇后陛下がときおりお召しになるドレスの色によく似たシックな色彩であり、父が植えて以来50数年間一度も花を咲かせたことがないのに、新元号が始まるとともに前代未聞の花を咲かせたのは植物までもが令和時代の始まりを祝福しているかのようです。
私はこの巨大でユニークな花を人目につかない庭の中で独り占めするのはもったいない、多くの人にコンニャクの花を紹介したいと思い、思い切って地元新聞社に取材を持ちかけてみました。すると早々に取材に来てくれ、3本の大きなコンニャクの花に囲まれた私の写真をカメラに収めて帰られました。新聞に掲載されるかどうか分かりませんが、期待に胸ふくらみます。

実は父も昔、近所のため池に繁茂する巨大なオニバスを同じ新聞社に紹介し、取材してもらってオニバスの写真とともに紙面に登場したことがあります。父と息子はえてして何かにつけ対立するものですが、長い人生では似たり寄ったりの行動をするものです。父がなくなってまもなく5年。息子の私にこんな大きなサプライズを残してくれていました。 父の命日には墓参りをし、父が見ることがなかったコンニャクの開花をお墓に報告しようと思います。

2019年5月7日火曜日

地元紙、我が家のコンニャクの花を取材!

連休明けの今日、地元紙が取材に来てくれました。まさかボツにはならないと思うけどこればかりは新聞社の都合次第ですよね。


2019年5月2日木曜日

クラウドファンディング

大熊一夫監督 新作ドキュメンタリー「精神病院のない社会」上映会を山陰の皆様へ!
松江在住の中学校時代のクラスメートの女性が上記映画上映を企画し資金をクラウドファンディングで集めていると同窓会メーリングリストに書き込みました。詳細は下記のリンクのとおりです。

引きこもり、不登校の現場が主としてそれぞれの家庭なものだから、その子ども、その家庭特有の問題と思いがちです。しかし日本が非常に貧しかった昭和20年代、30年代にはほとんど見られなかった現象が豊かになった平成、令和時代に大きな社会問題になったことを考えると、この問題は社会的、政治的課題であることがよく分かります。NPOを立ち上げた木村さんはそこのところにいち早く気づき活動してこられたようです。

クラウドファンディングも従来の寄付同様詐欺的な金集めも混じっているかもしれず、簡単にはだれも寄付してくれないでしょう。それでもこのサイトを見る限り、現代社会でけっこう根付いているファンド手法だなと感じました。