2020年12月27日日曜日

オランダ産カズノコ

 色々あったようななかったような2020年も残すところ1週間になりましたね。


いろいろあったようななかったような今年も余すところ1週間になりました。ともかくコロナにやられず年の瀬を迎えられたことに感謝です。


先日スーパーでオランダ原産の塩カズノコが売られていて珍しいと思い買ってみました。おせち料理の花形というかおせちをおせちたらしめているのは、私にとっては、カズノコ。大好き!塩分やコレステロールが多かろうが関係ありません。


昨日、塩出しして母譲りの調味液を作って漬け込みました。夜になってひと切れ試食したら、?、歯に抵抗するあのポリポリ感がほとんどありません。大ショックです。やはり日本の加工業者の指導が徹底しているアメリカ、カナダ産のものがいいようで、作り直しです。

この年末年始は、神社も幅広くお初参りしていいということなので、いつもの吉備津彦神社に出かけてみるつもりです。2020年のお告げは「八方塞がり」でしたが、2021が少しはましな年になるよう神様にお願いしてこようと思います。

皆様、よいお年をお迎えください。

2020年12月26日土曜日

松山城天守閣

 12月22、23日、1泊2日で松江までドライブ観光してきました。大阪から後輩のK君参加。今まで何度も松山、道後温泉を訪ねても小高い山の上にそびえる天守閣まで登ったことはありません。素晴らしい眺望でした。東横イン泊。GoToキャンペーンで3500円。それにお土産クーポン1000円もらってお得感大!

しかしこんなもの喜んで使っているのは年金生活の年寄りばかり。いちばんコロナにやられそうな老人を外出させてコロナで淘汰するための仕組みなのか?

天守閣



2020年12月10日木曜日

不思議な自販機

 缶コーヒーやお茶を自販機で買うときICOCAのようなプリペイドカードで支払うことがよくあります。先日津和野から中国道経由で帰宅したときのことです。高速に入ってから強烈な睡魔に襲われ、1秒ほど意識が飛んでは100メートルほど車が移動している状態を繰り返すようになり、最初のパーキングエリアで休憩することにしました。朝倉PAというほとんど利用者のいないパーキングでトイレと自販機が2台あるだけ。

さっそくジョージア何とかブラックという缶コーヒーのボタンを選択してICOCAをタッチ。でも缶コーヒーは落ちてこず、液晶モニターは点滅を繰り返し、ブーブーと音をたてています。「先にカードをタッチしてから商品ボタンを押すのかな?」と思い、またやってみたのですが、「処理中」みたいな表示がいつまでも消えず、あいかわらず機械はブーブー言っています。
タッチ回数を重ねれば重ねるほど注文が累積し、ICOCAの残高が減る一方ではないか?と思い、返却レバーを押してキャンセル。機械は点滅を繰り返しブーブー。
しかし表示は変わりました!

「諦めるのですか?」(一瞬、私は高速で居眠り運転した結果、すでにこの世の人間ではなくなりつつある。そのことを自販機が「諦めるのか?、ここで諦めたらもう現世に戻れないよ」と呼びかけているのか?と思いました)

ともかく、
私はICOCAに引き去った金額を戻してくれるのかと思って再びカードをタッチ、

「本当に諦めるのですか?」

と聞いてくるからまたタッチ。表示は「処理中」に変わりましたが全然状態は変わりません。
いったん車に戻り、車の中から自販機を監視。10分ほど経過して見に行ったら、ちょうどそのとき「処理終わりました」の表示になりました。缶コーヒーは一本も出てきていません。私は自宅のパソコンがフリーズしたときでも押したキーの記録は残っていて、あとで次々と勝手に処理することがあるのを思い出しました。
「タッチした回数だけ残高が減っている恐れ十分あり」です。

自販機に記されたコカコーラボトリングに電話してみました。受付のおばちゃんに説明したら、おばちゃんは「ICOCAの残高が減ったのですか?」と尋ねてきます。「いま自販機の前にいるのに、残高なんか分かるわけないじゃないですか」といっても全然ピンとこないようす。結局、エリア担当者に伝えるからということになりました。

朝倉PAは島根県益田のコカコーラボトリング社の管轄だそうで、気が遠くなりそうな距離です。そんな所から来るサービス係りをいつまでも待てないので、岡山に帰ったのですが、夕方電話があり、「当日プリペイドカードによる購入記録は一件もなかったのでおそらく大丈夫でしょう」とのことでした。(コカコーラの担当者が現場にいったときも同じ現象が起きたそうで、私の白日夢ではなかったようです)

2020年12月9日水曜日

浜田、津和野一泊ドライブ

 12月6-7の週末に島根県西部、石見探訪の旅をしました。浜田市はパッと見小さな町なのに漁港、病院、ホテルが不自然に大きくて不思議な感じがしました。島根県立大学もこの町にあります。

夜、名産のノドグロを賞味するために寿司屋に行きました。刺身や握り寿司で色々食べてみました。美味。でもマグロの中トロとあまり違わないような、、、
寿司を鱈腹食べたというのに、ホテルに帰る途中、鯖が美味しそうな料理屋があり、焼き鯖とビールを堪能。さすがに中ジョッキのビールを飲み干すことは無理でした。
でもまだホテルが(国に代わって)くれたGoToトラベル地域クーポンがあったので、コンビニで飲み物とおつまみ、それにバナナ3本買ってホテルに帰りました。太るはずです。

翌朝は漁港の見学。昨夜食べたバトウがたくさん並んでいました。バトウとはマテダイとかマトダイの山陰名です。中卸し市場の2階に朝からやっている「ぐっさん」という飯屋があり、人気店らしいのですが、朝からノドグロどんぶりという気分ではなくまた今度にしました。

そのあと、益田経由で津和野へ。30年くらい前に1度観光に行ったことがありますが、今回は月曜日ということもあり人が少なくゴーストタウンになっていました。森鴎外の生家と西周の家がほとんど隣どうしというのは知りませんでした。

夕方、中国道、広島道、山陽道と乗り継いで帰りましたが、浜田は遠かったです。

写真は浜田の静かな入江。



2020年11月30日月曜日

熊手

 近年、熊手という竹製の生活用具を使う人は多くないと思いますが、田舎暮らしでは落ち葉や刈り取った草を効率的にかき集めるのにとても重宝します。私が子どものころはたいていの町や村には「熊手屋」という家内工業的に熊手を製作販売する工房があったものです。手作りの頑丈な熊手は工芸品としてそれなりに高価な道具だったように思います。

今では荒物屋の消滅とともに、職人が手間暇かけて作った芸術品のような熊手も一緒に消えてしまいました。現在ホームセンターで売られているものは中国製の雑な商品で安価。二三度買ったことがありますが、すぐに竹製の櫛歯がへたりボロボロと柄から抜けていって使い物になりません。

ところが先日、県北の「道の駅」に立ち寄ったら、思いがけず昔なつかしい本格的な熊手が売られていました。柄は木製で重量感があり手によくなじみます。ただ櫛歯の数が8本仕立てとちょっと粗いのが気になりましたが迷わず購入。そして車を走らせていたらまた「道の駅」があり、今度は12本歯の熊手がありました。「ここで買えばよかった!」と思っても後の祭。さすがに熊手2丁は要りません。

家に帰りさっそく塀沿いの道路に散乱したツタの落ち葉をかき集めてみました。やはり8本歯は目が粗すぎて取りこぼしが出ます。12本歯のものが欲しかったなあ。トホホ。

それはともかく、竹製の熊手は欧米発祥の金属製熊手(レーキ)とは似て非なる存在で、竹の硬柔兼ね備えた素材の威力には驚かされます。畑で刈り取った草をかき集めるとき、熊手の歯が地を這う丈夫な蔓草や石ころに引っかかることがあります。そんなとき竹素材の歯はしなることにより障害物を回避し、草だけ効率よく集めてくれます。一方、レーキの金属製の歯は蔓草や石に引っかかるとどうにもなりません。障害物を柔軟に回避する能がないのです。

2020年という年はコロナに始まりコロナに終わりました。硬直したPCR検査、ステイホームとGoToキャンペーンというブレーキとアクセルの併用、国と自治体の意見相違で立ち往生しがちな対策……。新年は日本伝統の工芸品、竹製熊手のしなやかさで、その地方の医療、経済の実状にあった効果的なコロナ対策が取られることを切望します。


2020年11月17日火曜日

ヒヤッとした出来事

山陽本線庭瀬駅から県道を南に1キロほど行ったところに妹尾崎というのどかな場所があります。そこに「こんなところに?」というほどシックで瀟洒なカナダ風の外観を誇る喫茶店があります。店の名前は「ロッキーマックス」。20年前、私が両親の介護を始めたころから変わらず毎日のように出かけてはマドモアゼル(店主)が淹れてくれるおいしいコーヒーをいただいています。

お客の大半は地元の人で、その中の常連さんで、Nさんという脳梗塞からよみがえり、自宅からリハビリがてら歩いてやってくる高齢の男性がいます。ところが店の入り口は道路から少し高くなっていて石段が数段あります。私はNさんがバランスをくずして石段から転落しないかいつも心配。重そうな体格なので転んで頭でも打ったら命取りです。

そして事故は起こりました。最近喫茶店の近くにコンビニが新規開店し、オープニングセールで大勢の人が詰めかけた日のことです。いつものようにコーヒーを飲もうと店に行ったら、N老人が石段の上のドアの前にうずくまっています。両手それぞれにコンビニのレジ袋が握られ、周りには孫のためにもらったのかゴム風船3つが散乱しています。Nさんは私の姿を見て、「転んで立てないんじゃー」と助けを求めてきます。

ところがおじいさんはドアを背に身動きならない状態なので店の中の人の助けを借りることもできません。救急車を呼ぶべきか?私は一瞬ためらったものの意を決しておじいさんを抱き上げることにしました。ずしりと重い!しかしこちらも火事場の馬鹿力です。Nさんを支えて立たせることができました。長年両親の介護をした経験が思わぬところで役に立ったものです。

さいわい大事に至らず、Nさんはいつものようにコーヒーを飲んで、「あんたのおかげで助かった」と何度も私に感謝の気持ちを伝えてくれましたが、実際これから先のことが思いやられます。今回のような事故を恐れて家の中に閉じこもったら急速に運動機能を損ない、社交性を失えば認知症まっしぐら。かといってリハビリ目的でも一人で外出すれば、至るところ危険だらけ、交通事故にあう心配もあります。それから数日後、Nさんは親戚の人に連れられ元気にコーヒーを飲みにきていました。ひと安心ですが……。


2020年11月16日月曜日

思い出の修学旅行

中学校時代の思い出や写真をまとめようという企画を聞いて、久しぶりに子ども時代の写真や手紙類が無造作に、ぎっしり入っているブリキの箱をひっくり返してみました。

縦長に5人仲良く写っているのは、下から大平、中原(伸)、黒川、渡辺の諸君と私。みんないい笑顔。たぶん修学旅行先の旅館で写したものだと思います。最近出版された大平君の著書に記されている経歴を拝見したら、小学生時代にアメリカで過ごした、言わば帰国子女のはしりだったとのことでびっくり。でも中学校の英語の時間、大平君はふつうのジャパニーズ・イングリッシュをしゃべっていたような気がします。修学旅行の観光バスの車内、バスガイドが「皆さん、『幸せなら手をたたこう』の歌をご一緒に。『肩たたこう』のところは隣の人の肩をたたいて下さいね」と生徒に促します。すると隣席の大平君が「ぼく、こういうの嫌い。肩たたかないでね」と話しかけてきました。私も同感で、二人でささやかな抵抗をしたことがなぜかくっきり記憶に残っています。


もう1枚の写真は修学旅行の宿の宴会場で余興をしたときのものだと思います。岡先生もこうして当時の写真で見るとずいぶんお若かったのですね。壇上でやっていたのはいくつかのヒントを聞いてそれが何なのかを推量するゲームでした。司会役は私、藤山君は正解の「米のジュース」と書かれた紙を掲示。半分私の陰になっている女の子はシルエットがおしゃれでキュートな郡山(西平)さん。


あらためてあのときの修学旅行のことを振り返ってみると、2020年の現在でも公立中学校の大半が3泊なのに、我々は車中泊も含めて5泊ぐらいしたのではないかと思います。薄れていく記憶では正確な日程を再現することはもはやできませんが、ずいぶんリッチな旅程でした。長崎では平和公園、巨大な平和祈念像、グラバー邸を見学、そして雲仙天草国立公園を経由して熊本に渡り、熊本城と水前寺公園を散策しました。阿蘇の火口と草千里、このあたりはバスで雄大な景色を見ながら大分に入り、お猿の高崎山、別府温泉の地獄巡りなど存分に楽しんで岡山に帰りました。往復とも夜行寝台列車でしたよね?

今年の正月(2020年)だったか桝田君と岡山駅前の居酒屋で一杯やりながら、あの寝台列車の旅のことをなつかしく語りました。3段式寝台車なのに、なぜか中・上段のベッドを使用させてもらえず、その代わりに技術家庭の先生手作りのラワン板を席と席のあいだに渡して寝るという苦肉の策、あれはいったい何だったんだろう、と。実際は板などかえってじゃまで床に転がってぐっすり寝たのではなかったかと思いますが、先生方のご苦労と工夫、生徒を思うお気持ちには今でも大変感謝しています。


2020年11月11日水曜日

米大統領選、その行方

いろいろなことがあったアメリカ大統領選挙は民主党のバイデン/ハリス組が現トランプ/ペンス正副大統領を制したことを受けて、年明け1月20日にはバイデン政権が誕生するという運びになりました。

しかしながらトランプ大統領はいまだに負けを認めずありとあらゆるどんでん返しの方策を連発しています。こうしたトランプの姿勢は世界の良識派の人々のひんしゅくを買い、実際、アメリカ国境線からほど近い町に住んでいるカナダ人の従姉に言わせれば「ドラマチックだけれど、もううんざり、疲れるわ」ということのようです。日本のマスコミもバイデンの一方的な勝利宣言以降は「トランプは往生際が悪い、見苦しい」との論調が目立ちます。

複雑怪奇なアメリカの大統領選出手順がどのような結末をもたらすのか、日本の明日とも深く関わるイベントの結末を見守っていきたいと思います。私はトランプが自分の劣勢に民主党の陰謀が働いていると公言していることをむげに批判しません。むしろ簡単に往生際が悪いなどと情緒的な風潮で大切な大統領選の結果をいいかげんにしてしまうのはアメリカ合衆国の将来に長く禍根を残すことになることを心配するからです。

大統領選直後経済の分野ではニューヨーク・ダウが1日で1200ドルも高騰し、日経平均もバブル崩壊後の最高値更新という思いがけない事態が進行中です。冬が近づきコロナ感染者数が最初の流行をしのぐ勢いで日本も含め世界中で急増しているなかでの株高です。株高の直接の火付けになったのはファイザー製薬が開発していたコロナワクチンが実用レベルで有効であることが発表されたことによります。

しかし、このよろこばしいニュースもトランプさんに言わせれば「トランプ政権下で開発が進んだ手柄を民主党が奪った」とその発表の時期にバイデン側の陰謀があったのでは、と不満たらたら。もちろんバイデンならずとも民主党支持者やリベラル派の人々に言わせれば「コロナで24万人もの犠牲者を出した無為無策のトランプがよく言うよ」ということになるでしょう。

この先、株高もコロナも世界情勢もどこへ行き着くのか、大統領選の結末同様、断定的なことは誰にも分かりません。万事いい結果になることを祈るばかりです。

2020年11月5日木曜日

晩秋の大阪日帰り旅行

 アメリカ大統領選の開票がもめにもめている最中に、2月以来9か月ぶりに大阪まで日帰りで出かけました。コロナが再び増加に転じるなか大都市に行くのは正直怖かったのですが、あまりにも長いあいだ岡山という安全地帯に閉じこもっていては息が詰まるという思いもあって、大した用事もないのにとにかく大阪に行ってくること自体を目的に出かけてみました。

久しぶりに乗った新幹線のぞみ号で小さな変化に気づきました。今までは英語のアナウンスは女性の声の録音が流されているだけでしたが、今回初めて肉声による英語アナウンスを聞きました。乗車したのぞみが福山と岡山の間で減速したので、岡山駅を3分遅れで発車したことをお詫びする、という突発的な内容のアナウンス、それを日本語に続いて英語で男性車掌さんが流暢にしゃべったので、これは録音ではないなと思った次第です(それとももっと高度な英語自動アナウンス生成システムを導入したのかもしれない)。

新大阪駅で地下鉄御堂筋線に乗り換えのですが、平日の昼間とはいえ車内ががら空きだったのは驚きでした。心斎橋で電車を降りて道頓堀まで歩いてみて街に人が少ないのにはびっくり。立ち並ぶブランドショップにお客の人影はなく歩道からでも所在なげに立ちつくす店員の姿がよく見えます。ここ数年のミナミは歩道の上はもちろんあらゆる種類の店は面的、立体的に人であふれかえり、身動きならなかったというのに……。

せっかく大阪まで来たので、昔の職場の後輩君を呼び出して、いつもの千日前・丸福珈琲店で落ち合いました。丸福は昭和9年創業の、大阪を代表する老舗カフェで、ここにはなにわの雰囲気が10年1日のごとくいまだ色濃く残っています。赤や青の派手なジャケットを着た老人がひとり競馬新聞なんかを読みふけっているところなど何やらパリのカフェを彷彿とさせるものがあり、こういう景色だけはいつまでも変わってほしくないものです。

結局大阪では丸福で濃いブレンドコーヒーを2杯飲んだだけで友人とは人気のなくなった黒門市場を散策して分かれました。友人は安倍元総理を苦しめた潰瘍性大腸炎で腸が詰まり食事ができない状態がもう3日も続き食事どころではないのに、本人はもう慣れっこのようす。見るからに痛々しいのですが治療方法がない故の難病人生です。コロナが終わったらまたヨーロッパかタイに遊びに行こう、とあまり現実感のない約束をして新大阪駅へ向かいました。



2020年11月1日日曜日

嫌な英語表現

   久しぶりにカナダの従姉からメールが届きました。トピックのひとつに愛犬のコビーが死んで悲しい、というのがあり、時を同じくして、こちらでもマドモアゼルの喫茶店の看板ネコが同じころ死んで、マドモアゼルを手伝ってグレちゃんを懇ろに葬ってやったところです。

従姉の愛犬コビーは安楽死させられたようで、英文では、Last Wednesday we had to put our dog Kobi down. She had been struggling for over a month. It has been sad and we miss her.
となっていました。飼い犬などの安楽死は put one's dog down と表現するそうですが、文字通りに解釈すれば「潰す」というイメージです。昔は日本の農家では、「今日は鳥スキするから、1羽潰してきて」と夫婦で会話していたものです。また、日大アメフト選手危険タックルのコーチが「関学のxxを潰してこい」などと命令していたときの「潰す」がこの put down の語感でしょう。
私ならギリシャ語由来の、和英辞典に載っている Euthanize を使うと思いますが、これはもしかして人間にしか使わないのかもしれません。ペットは家畜なので、擬人化して安楽死させるのではなく、潰すのが英語圏の発想なのでしょう。

小学生のとき、私が生まれたときから家にいたクロという黒犬がフィラリアで苦しみ次第に腹水がたまりどうにもならなくなりました。ついに父が安楽死を決断し獣医に連絡を取りました。ところがその日はクロの体調が少しよくて、私は父に泣いて取りすがり、安楽死させるなと抗議。でも獣医はやってきて塩化カリウムを注射しまもなくクロは死にました。とても悲しい事件でした。とてもじゃないけど、英語のように「フィラリアは不治の病なので可哀想だけどツブしましょう」なんて言えないです!

ペットを飼うと最後はこういうつらい別れが必ずくるのに、ネコは「ここは与しやすし」とかぎ分けた家に上手に入ってきますね。

元気なころのグレちゃん





2020年10月30日金曜日

マツタケ豊作というものの

 


秋の味覚といえば20世紀梨、サンマ、マスカット、マツタケ……秋の珍味は数々あれどやはりマツタケだけは別格。国産もののなかでも岡山産マツタケはとりわけブランド感にあふれています。そんな岡山産高級マツタケとのご対面を目指して、秋晴れの一日高梁、湯郷温泉方面のマツタケがありそうな道の駅や直売所まで、ドライブがてら出かけてみました。その結果、どこの店で聞いても「今年は入荷が多い」とのことでした。しかしお値段はふつうサイズのカサが開いたものでも1本5~7千円と例年通り高嶺の花です。

 大正生まれだった父の話では我が家がある岡山市近郊の里山でもマツタケはよく採れたとのことでした。私の子ども時代の岡山県のマツタケ生産量のピークは実に2,738トン(昭和32年)、昨今はわずか1.5トン前後であることを考えるとマツタケはもはや絶滅したも同然です。

ほんとうに昔はよかった。山のふもとに田んぼを持っていた伯父は秘密の発生場所を知っていて、農作業に出かけはいつもマツタケを数本カゴに入れて帰ってきました。伯父さんはなかなかのシブチンで、それを弟夫婦である私の両親やかわいい甥っ子(つまり私)には決してくれようとはしませんでした。

 村の慣習で山に入ることはだれでも自由でしたので私も一度だけ、まさに生涯一度だけ村の山でマツタケを採ったことがあります。マツタケは毎年同じところに生えるというので翌年も翌々年もその場所に行きましたが、あれは夢だったのかというぐらい空前絶後の体験です。それでも秋になり山に入ればハツタケ、アミタケなど素朴なキノコがあちこちで見つかり、またブルーベリーの近縁種であるガンス(標準名ナツハゼ)の実を取っては口の中を青くさせていたものです。

 人々が山で薪取りや落ち葉かきをしなくなった今という時代はもはや赤松が生育する環境ではなく、マツタケの生産量が回復することは未来永劫ないでしょう。マツタケは高いといえば確かに簡単には手が出ない食材ですが、この希少性ゆえにマツタケの存在感があるのだと思えば致し方ありません。もしマツタケがエリンギみたいに1パック150円で売られていたらどうでしょう。逆に大根にマツタケ並の希少性があればおでんの大根も燦然と輝くはずです。


2020年10月21日水曜日

顔のシミ取り

 このごろスマホを見ていると顔のシミ取りの広告がよく割り込んできます。うるさい広告は即刻スキップするので、それがどんなものなのかよく知りません。たぶんシミ取りクリームかなんかを購入せよというお誘いではないかと思います。

でもなぜ高齢男性の私のスマホにシミ取りの広告が配信されるかというと、実は私の顔には左の目尻から頬にかけて大小数個のシミがあり長年気になっていました。たぶんネットでシミ取りについて検索した記録が業者に流れてその結果広告が集中したのだと思います。

それはともかく、シミ取りとはいえ正体不明の薬剤を顔に塗るのは怖いので、先日、日頃お世話になっている大学病院の形成外科の先生に相談を持ちかけてみました。医師は私の顔のシミを見て、「こういうのは街の美容外科の方がいいレーザー治療器を持っているし上手ですよ、紹介状を書きますね」と言われたのにはちょっと意表を突かれました。

確かに畏れ多くも大学病院の形成外科は大やけどの治療や欠損した体の修復など重篤な症状で苦しむ人々を助けることに存在理由があるのであって、年寄りが「顔のシミが気になるから取ってくれ」などと言って訪ねるのは少し場違いかも、です。

しかし、私にはむしろ派手な広告を打つ街の美容外科の方が雰囲気的に敷居が高く、少々旧式の器械しかないといっても、やはり大学病院の先生にお願いすることにしました。こうして長年の懸案事項だった悩みは解消に向けて一気に動きました。

レーザー治療は麻酔なしで簡単でした。レーザーを照射するたびにバチン、バチンと衝撃音と痛みがほっぺたを走り抜けます。1カ所に数回照射するのですが、トータルでは軽く一発顔面を殴られたような感じでした。そして1週間後、診察室で顔に貼られた絆創膏を剥がしてもらいました。シミは消滅していました。むしろシミがあったところが白くなりすぎて目立つくらい。そのうち顔の地色に同化していくのでしょう。

顔のシミは老化現象であり病気ではないとのことで全額自己負担でしたが、シミがこんなにも簡単に取れるのなら全然不満はありません。「次は醜く突き出た我がお腹を何とかしなくちゃ」とはずみがつきます。ただしこればかりはお医者さんに頼ることはできませんね。

 
(ビフォア、シミが4個ほどマスクの下にあった)
 
(アフター、ほとんどのシミは消滅。目の横の大きいシミは消えていないので来年1月に再度処置予定)


2020年10月14日水曜日

岡山がミシュランに登場

 今年の秋は岡山県内外の外食好きの人々にとってうれしい出来事がありました。何と飲食、宿泊施設の格付けで世界的に有名なミシュランガイド、京都・大阪版に岡山が加わったのです。さっそく真新しい「ミシュランガイド京都・大阪+岡山2021」を買ってきました。

 ガイドブックのタイトルには「+岡山」とあるので京都、大阪の付録として岡山の有名店が申し訳程度に掲載されているのかと思ったら、そうではなくページ数も京都、大阪とほぼ同じという充実した構成になっていました。岡山は食材がおいしく、また京阪神からの交通の便がいいのでわざわざ他府県から出かけるだけの価値があるというのが、岡山が選定された理由のようです。

 ミシュランガイドの評価基準で最高の三つ星レストランで供される料理とは「そのために旅行する価値のある卓越した料理」と定義されています。三つ星に限らず星がついている店に関してはミシュランの判断は読者の多くが認めるところでしょう。しかしながら味覚とか店に対する評価は人それぞれで絶対的なものではなく、実際のところミシュランガイドもほとんどのページを気軽に出かけられる和食、洋食、寿司、天ぷら、うどん、そば、ラーメン、豆腐、カレー等のお店の紹介に割いています。

 一例として、岡山の表町に行ったときによく立ち寄る洋食の「食堂やまと」が紹介されていました。この店はラーメン、豚カツ、焼き飯など家庭的なメニューが人気でお昼時はいつも席待ちの行列ができています。私、実はこの店の働き者のご亭主とは高校の同期なのです。

  とはいえ、高校3年間を通してクラスがいっしょになったこともないし部活も違ったので、面識があるというわけではないのですが、高校時代の同窓生が半世紀に渡って、同じ場所でおいしい料理を作り続けてきたことがミシュランに認められたことは自分のことのようにうれしいもの。今度「やまと」に行ったら「見たよ、おめでとう」と声を掛けてみるつもりです。

 蛇足ながら、ミシュランガイドの日本版が取り上げる都市は東京や京都、大阪を除くとかなり変則的なものです。かつては北海道や広島・愛媛、福岡・佐賀など特別版が散発的に出たようです。岡山県大特集も今後しばらくないものと思われます。




2020年10月7日水曜日

脱はんこ社会へ

 日本のお役所に深く根付き、未来永劫なくならないと思われてきた行政文書に必須のはんこ押印文化がついに見直されることになりました。行動力のある河野太郎規制改革担当大臣の背後には菅首相がいるのでいろんな方面からの反対があったとしてもこれは実現しそうです。

はんこは日本七不思議のひとつといっても過言ではないユニークな存在です。日本中どこでも数百円で買える既製品の印鑑が署名(サイン)など足元にも及ばない絶対的な効力を発揮するのにも関わらず、ニセ印鑑の押印による被害が蔓延しているかというと案外そうでもなく、このあたりが外国人には、否、日本人にも摩訶不思議なはんこ文化です。

ではいったい何のために押印が必要なのかというと、おそらく「昔からそうなっているから」というのがいちばん実状に近いのではないでしょうか。つい2年ほど前に管轄の警察署に車庫証明をもらいに出かけたときのことです。実家の車庫を登録したのですが、土地の所有者は亡くなった父名義のままです。私は印鑑をふたつ持参し、担当者の目の前で「土地所有者の承諾印」を押そうとしたら、担当者は「あっちを向いてやって」というのです。警察署ですらこんなにも融通がききます。病院の保証人になるときとか、あらゆる日常のシーンで堂々と代理署名できはんこさえ違えば何を押してもノープロブレム。はんこは無敵です!

しかし、脱はんこ社会になったら、おそらく今までの形式的なはんこに代わって、本人自著が必須になり、また認知症になった親の代筆など今まで簡単にできていたいろんな手続きが極端に難しくなるのではという気がします。前述の車庫証明のような場合、はんこを押してくれるべき人はすでにこの世にいません。相続の値打ちなど無いに等しい土地でもお互い避けている不仲な兄と協議して、先ずは相続問題を片づけないといけなくなりそうです。

考えてみればはんこはさまざまな問題をはらみつつも便利な存在だからこそ、行政も見て見ぬふりすることで社会生活が円滑に保たれてきました。この先、規制改革が成功し行政文書からはんこが消えても、印鑑文化は落款や賞状などに生き残ってほしいものです。たとえば叙勲に伴う勲記は大きな御璽が押されているゆえに威厳があり、また迫力と美しさがが感じられるのではないかと思います。

2020年9月30日水曜日

国勢調査2020

忘れたころにやってくるのが国勢調査です。前回からオンライン回答できるようになったのは、スマホやパソコンを使い慣れている住民にとっては便利であり、うっとうしい調査員とのやりとりがないぶん昔よりずいぶん楽になったと思います。

それでも回答にとまどうことが多かったのも事実です。私の場合、住居がマンションと一戸建ての2軒あり、ふだんは住民票のある一戸建てで寝起きしています。しかしこちらに調査用紙がいっこうに届かないまま提出日が迫ってきて、私は苦肉の策としてマンションに配布された用紙に一戸建ての内容を書き込んでスマホで送信しました。

でも翌日になって「待てよ、マンションで配られた用紙を勝手に流用したのはまずかったのでは?調査書には個別IDも設定されているし」という疑念がわき、区役所に電話相談。話がややこしいのですが、いつまでたっても一戸建ての方には調査用紙が配布されないし、区役所からも地区の調査員と連絡が取れないとのことで、実状とは違うもののマンションに居住している内容に回答を修正しました。

あらためて「調査票の記入のしかた」の説明書を開き、「2か所に住居をもっている人」のところをみると「ふだん寝泊まりする日数の多い住居」が調査場所になるそうです。しかしながら説明欄には不用になった調査票の処理方法が明示されていません。

今度は「国勢調査コールセンター」に電話してみました。答えは単純明快、「不用な調査票は廃棄してください」。びっくりです。「国の最も重要な統計」という割には配布もれがあったり、区役所、調査員、住民相互の意志疎通もスムーズにいきません。何度訪ねても留守の家庭に調査員も疲労困憊でしょう。また都会では集合住宅の郵便受けに入れられた調査書がそのままロビーのゴミ箱に放り捨てられている光景も。

2020年、日本も遅まきながら官民あげてデジタル化に舵がきられました。100年前の1920年に始まった国勢調査もそろそろビッグデータを活用した正確迅速、人手に過度に頼らない方法でやってもらいたいものです。それにしても日本語の「世帯」って何でしょう?健康保険、税務署、住民票、国勢調査とそれぞれに定義が違うように思います。




2020年9月23日水曜日

令和版「半沢直樹」を楽しむ

テレビドラマ「半沢直樹」は高い視聴率を維持しつつまもなく最終回を迎えようとしています。豪華俳優陣の確かな演技に支えられ、かつての民主党政権時代を彷彿とさせる政官界の悪霊たちに戦いを挑む正義漢の半沢を見て視聴者は例外なくスカッとする仕組みになっています。安心してドラマに没頭できるという意味では現代の水戸黄門といったところでしょう。いやストーリー展開にいろいろ想像力をかきたてさせられるという意味では水戸黄門以上です。

 都市銀行の統廃合、日本航空の破産などバブル崩壊以降日本で実際に起きた、まだ記憶に新しい時代が舞台になっているだけに視聴者もドラマが絵空事ではなく自然に感情移入できる内容になっているのがミソでしょう。「半沢直樹」に関してはネット上でも大フィーバーが起きていて、人物相関を解説する人、結末を予測する記事などであふれています。予告編で辞表をたたきつける半沢の運命は?箕部幹事長は倒せるのか?

 ところで、このドラマを特徴づける演出として気づいたというか気になることがひとつあります。それは半沢を始め、主要登場人物がよく怒鳴ることです。私自身は大学図書館というかなり上品な職場しか経験したことがないので、ドラマの中で役人や銀行幹部たちだけでなく半沢自身も毎度鬼の形相で怒鳴っているのが非現実めいた感じがしますが、さもありなんという体験を私も一度だけしたことがあります。

 バブル時代だっと思いますが、若気の至りで、銀行の預金商品について疑問があり本店頭取宛にクレームの手紙を書いたときのことです。早々に支店長が血相を変えて私の職場にやってきて説明を始めました。全然納得できない内容だったので引き続き私の考えを主張したところ、突然支店長が切れてドラマさながら罵倒されました。本当に怖かった。密かに始末されて大阪湾に捨てられるのではないかとさえ思いました。

 2020年の現在、日本の組織風土はどうなのでしょう。セクハラ、パワハラは日常化し、大学でもときおりアカハラ事件が表面化します。選良といわれる国会議員でも「このハゲーッ!」と怒鳴る女性議員がいました。「半沢直樹」は日本の企業風土に根付いている粗暴な対人関係の一面を可笑しく面白く描き切っていることも人気の秘密なのでしょう。


2020年9月20日日曜日

生えそろった大根

 


山田ねずみ大根。自家採取した種を蒔いたら順調に発芽しました。4粒づつ蒔いて、そのうち生育のいいものを2本残し、さらに1本にします。収穫は12月から1月ごろ。


2020年9月14日月曜日

70年ぶりのノミ(蚤)被害

 ようやく夜中の寝苦しさが和らいだ9月初めの明け方、足元を何かがチクチク刺している気配がしました。朝起きてから足を見てびっくり仰天。左右のひざ下それぞれ20ヶ所も紅斑ができて猛烈に痒いのです。こういう場合掻いてはだめと分かっていてもがまんできるような痒みではありません。
 蚊とはあきらかに違うし、何だろう?しばらくしてこれはノミに違いないと思い至りました。それにしてもノミにやられるなんて、記憶をたどってみると70年近く前の幼児時代(昭和20年代)にまで遡ります。現在寝室として使っているまさにその部屋で私は生まれ育ちました。
終戦直後の物資のない時代、日本人は最悪の衛生環境の中で暮らしていました。子どもの頭はシラミだらけ、布団に入ればノミが飛びかかってくるというおぞましい時代。そのころ登場したのがアメリカ進駐軍がもたらしたDDTという強力な殺虫剤です。銀座の街頭で進駐軍の兵士が若い女性に頭からDDTの粉剤をふりかけ、彼女たちもきゃっきゃっと喜んでいるニュース映像を映画館で見たような記憶があります。
我が家でも寝る前や朝起きたとき布団の中にいるノミをつぶすのが日課でしたが、ある日父が缶入りのDDTを買ってきて押入の布団にパフパフかけていました。子ども心に「殺虫剤を直接布団にかけるのは怖いな」という気がしましたが、父には逆らえません。有機リン薬品特有の臭が染みついた布団で寝ていたものです。
DDTの威力はたいしたものでしたがその後環境汚染物質として危険が指摘され市場から消えていきました。また生活環境もよくなりノミの被害はまれになりました。しかしながらウイルスや原虫など昆虫や小動物が媒介する伝染病は地球温暖化でますます増えているように思います。
現代では病気の花形(?)はガンや生活習慣病、高齢による病変に関するものばかり。しかし人類の長い歴史を通じて人間を苦しめ死に至らしめた病気の筆頭は感染症でした。マラリアのような古典的なものからエイズや新型コロナなど新顔が加わり、人類が向かいあっていかないといけない病気の主役は依然として感染症です。どんなに文明が進化してもノミひとつ退治できない人類は感染症から永久に逃れることはできないでしょう。


症状から見て、ノミではなくトコジラミ(南京虫)にやられたのかもしれない。夕方遅くまで半ズボン姿で畑の草取りをしたとき、噛まれたのかも。



2020年9月3日木曜日

カナダの従兄「ジム」

大正6年生まれの父は5人兄弟の末っ子でした。そのうち次兄(私の伯父)と姉(伯母)のふたりは戦前のカナダに移民し、それぞれ家庭を持ちました。勤勉な伯父や伯母の家族は当初、温暖な気候のバンクーバー近郊で平和に暮らしていたのですが、太平洋戦争が激化してきたころ敵国人として強制収容所に入れられ大変な苦労をしました。そして冬場マイナス20度になるアルバータ州の僻地に強制移住させられました。伯父や伯母はいわばカナダの暗黒の歴史の生き証人のような存在でした。
父によれば若き日の伯母は琴が上手な聡明な人だったそうです。伯母には「ジム」という一人息子がいて、彼は伯父の子どもたちと仲良くアルバータ州の新天地で育ちました。ジム少年は計算や数学が得意だったそうで、高校を卒業したあと生涯、電設工事の仕事をしていました。
伯母はジムがまだ中学生のころ乳ガンで早世しました。従姉たちによれば、ジムの母親は常日頃息子にお金を大切にすること、無駄をしないことを言い聞かせてきたので、ジムは大変な倹約家に育ち、結婚もせず、株でコンスタントに稼ぎ、伯父の子どもたちと慎ましく、仲良く暮らしてきたそうです。
晩年になると人生を楽しむことにも目覚めたみたいで、昨年の11月には従姉たち夫婦4人とともにダイヤモンドプリンセス号のクルーズで鳥取の境港にやってきました。出迎えに行くと何とジムは白人のガールフレンドを連れてきているではありませんか!やせ形のジムの3倍はありそうなバーバラといい雰囲気です。
私の中古ステーションワゴンに6人を詰め込んで松江城や宍道湖を見てまわったのですが、巨体のバーバラが石段を上がるのにも苦労していたのに比べジムはひょいひょいと登っていました。
 たった半年前はそのように元気だったジムですが、今年になって食が細り肺の機能が低下し、ついに8月下旬、永眠したと従姉が知らせてきました。コロナによる制約もあり家族だけで小さな葬式をするからお前も見てとのこと。何とネットでライブ中継するサービスがあるのです。お悔やみのメッセージも書き込めます。そして従姉が書いたメッセージを読んでジムの名が「ジェームズ・ハジメ・オカ」であることを初めて知りました。88歳でした。



2020年8月26日水曜日

レジ袋有料化に異議あります

 71日から小売り店でのレジ袋の無料配布が禁じられ、まもなく2か月が経とうとしています。レジ袋有料化は世界の趨勢であるし、日本だけがいつまでも環境に悪いとされるレジ袋を配り続けることもできなかったのでしょう。私も6月末によく行くスーパーで売り出されていたマイ買い物かごを買ってみました。
 マイかごの中にスーパー備え付けのかごをセットして商品を入れる、レジでは店員さんがレジを通した商品をマイかごにつめてくれる、そうすれば購入した商品をレジ袋やマイバッグに詰め替えることなく、そのまま車に乗せて帰宅できるので便利、とのことです。ところがせっかくのマイ買い物かごは一度も買い物で活躍することなく、今では脱衣所の洗濯かごに成り果てています。かさばる空のかごをわざわざ車に載せて店まで持参する不便さが耐えられないからです。
 では折り畳めるマイバッグはどうかというと、客や店員が触った商品をマイバッグに入れることに抵抗があるうえ、店にとっても万引きの温床になるマイバッグの普及はセキュリティコストの増加に直結するだけで積極的なメリットはないのが実状ではないでしょうか。
 有料化が始まり、古いレジ袋を持参したり、空き箱をもらってそこに入れたり、裸の商品にシールを貼ってもらってそのまま車に運んだりいろいろやってみましたが、結局今では毎度毎度レジ袋を購入するところに落ち着きました。1枚の値段は高々5円ですが、そのメリット、ありがたさは計りしれません。
 何よりも家庭ゴミの処理に大活躍するので有料でも買う意味は大きいのです。岡山市が指定している黄色の有料ゴミ袋にいきなり生ゴミや個人情報丸見えの封筒類、衛生上気を使わないといけない犬猫の糞や紙おむつなどを入れることはできません。あまりにも生々しいゴミをそのままゴミステーションに出すのは回収業務を担当している業者さんに対してもずいぶん失礼なことだと感じます。

 それに、そもそもレジ袋などのプラスチック類は最新の焼却炉で他の生ゴミなどといっしょに燃やすとダイオキシンを出すこともなく、また燃焼効率アップにもつながるとも聞きます。一見もっともな国のレジ袋有料化政策も市民の安定したライフスタイルを大きく損なっていませんか?

2020年8月21日金曜日

石鎚山登山下見

昨日(木曜日)は西日本最高峰(1982m)の石鎚山登山の下見に出かけました。先日通ったばかりの伊予西条のdeja-vu感濃厚な山道を石鎚山ロープウェイの案内標識を頼りに車を走らせていくと簡単に到着しました。
車は京屋という昭和30年代ぽい旅館に預けました。中国人アルバイトのおじさんに1日預り料の500円を払い、目の前のロープウェイ駅へ。
ところが駅までのわずか30段ほどの坂を登るだけで心臓がバクバクし、失神しそうに。今の運動不足と過体重では山登りは命取りになる予感がします。
ロープウェイは往復2000円。7分くらいで標高差800メートルを一気に登ります。1968年から営業しているそうですが、ロープウェイの施設って50年ももつんですね! それはともかく、上の駅に着いてみると濃い霧がかかり何も見えません!空気が薄い分、本当にしんどい。それでも最近の経験から歩き始めたら何とかなるので、とにかくスキー場のリフト乗り場まで行きました。リフトを使って成就社まで行けばそこが本格的な石鎚山登山の起点だそうです。そうではあるのですが、五里霧中ではリフトに乗っても景色は見えそうもなく、下見はここで終了、下りのロープウェイで降りました。
駐車場に帰ったら中国人おじさんがニコニコと、温泉に入っていったらどうか、タダなので、と声をかけてくれました。せっかくのお言葉ながら、昭和のあまりにも老朽化した建物に恐れをなして辞退したのですが、あとでクチコミをみたらなかなかいいお湯らしいです。
今回は下見の下見で終わりました。でも石鎚山ロープウェイルートの概要が分かったのはよかったです。秋になって空気が澄んできたらまた行ってみたい山でした。


2020年8月19日水曜日

コロナ禍以来の遠出記録

コロナ以来外国に行けなくなり、その反動で国内、しかも西日本の各地によく出かけました。
自分のメモとして時系列で記憶を確かめることにします。7月、8月は一日を置かず出かけているみたいです。

2/17-2/22 ハワイ、カナダの従兄弟たちと合流。まだアメリカではコロナは流行していなかったので滞在中全然問題なし。

4/14-4/16 高知県足摺岬、四万十市、宿毛泊 宿毛では感染者が発生していた。

5/5 日帰り、高梁市成羽 夫婦岩

5/17 松江まで日帰り。足立美術館2年間有効パスポート購入

7/3 日帰り 広島県呉市 潜水艦目撃

7/10 真庭市北房ドライブ

7/11 日帰り 福山

7/12 日帰り 那岐山 山の家

7/18 日帰り 山口県周防大島、ハワイ移民資料館、田布施訪問。伊藤博文生家。

7/23-7/24 松江、島根県立美術館で年間パスポート購入。足立美術館

7/28-7/29 福岡県、大分県ドライブ。中津東横イン泊。

8/4-8/5 高知県宿毛市泊、四万十川源流を訪ねる。

8/9 日帰りで徳島県剣山へ。駐車場が満杯だったので剣山に登るのはあきらめ、かずら橋、雲辺寺へ。

8/10 上斎原、那岐山までドライブ

8/15-8/16 島根県三瓶山登山、出雲大社参拝。松江、東横イン泊、16日 足立美術館、 蒜山高原、上蒜山登山道入り口まで。熊やマムシがいるとのことで登山中止。

8/20  愛媛県石鎚山ロープウェイで往復。成就駅(山頂駅)は霧に包まれ視界不良。リフトのおじさんと少し話して下りロープウェイへ。標高が高いせいか少し歩くだけで胸が苦しくなる。




ブログ再開しました

Googleが提供しているブログのプラットフォームが変更され、私の利用環境との相性が悪く四苦八苦していましたが、元のスタイルに戻すことができましたので、今までのように続けたいと思います。
Googleがいつまで旧システムを維持するかどうかよく分かりませんが、とりあえず復旧です。

四万十川

岡山市に住んでいると中四国のあらゆる観光地まで最低1泊で十分楽しい旅行ができます。私の旅のスタイルは宿泊所以外は何も決めないで出かけるもの。中四国のどこへ行こうと会うべき知人はいないし何かに拘束されるということもありません。しかし何度もこうした小旅行を繰り返していると、このごろ自分なりの好みがはっきりしてきました。
 いろんなところへ出かけているつもりでも結局毎度同じ場所に宿を取っています。四国では高知と愛媛が特にお気に入りで、先日も四万十川を源流まで遡るドライブをしてきました。行きは高知自動車道経由で一気に四国西南端にある宿毛まで行き、定宿にしているビジネスホテル泊、翌日は四万十市河口部から源流への旅を開始しました。
四万十市は旧・中村市で四万十川が土佐湾にそそぐ町ですが、私は今でも中村市の方がピンときます。その上ややこしいことに、四万十“市”近くには四万十“町”という自治体が同じ国道56号線沿いにあり紛らわしいことこのうえありません。四万十川の河口にある町が四万十市、源流に位置するのが四万十町なのでともに清流のイメージの「四万十」を市町名に冠したのでしょう。
私の拙い文章では四万十川の不可思議をうまく説明できないのですが、国道56号線が走る四万十市から川沿いにひたすら上流を目指して車を走らせると、川は内陸の山岳部へと遡って行くと見せかけて、いつのまにかまた56号線沿い、海辺の四万十町に出ます!まるで狐に化かされたような気分になるのがこの川のユニークな流域配置の妙です。
それはともかく、四国はどこをドライブしていて道に迷っても、迷わされても過度な心配は要りません。どっちみち海岸線沿いに四国を一周している国道に出ます。徳島から高松・松山へは国道11号線、松山から海沿いに高知へは56号線、高知から徳島へは55号線がぐるっと取り囲み、さらにそれに対応した高速道路が完成に近づきつつあります。

道路の整備によって国道沿いの風景は四国に限らず全国どこも同じコンビニ、同じチェーン店の繰り返しですが、ガソリン価格だけは違いがありますね。高知ではレギュラーガソリンが145円前後でびっくり。満タンにはできませんでした。岡山まで帰ってほっとしました。(旅行日は8月4日)


2020年8月18日火曜日

三瓶山プチ登山

お盆の終わりの休日、連日の猛暑を避けるために島根県の三瓶山(さんべさん)までドライブしました。現地に行って気付いたのですが、うれしいことにスキーリフトが夏場も運転しているではありませんか!さっそく往復切符を買ってリフトに乗りました。昔スキーによく行っていたころのリフトは順番待ちの長い行列ができていたものですが、今は夏、しかもコロナの夏でお客はわずかです。
リフトの上から振り返ってみると駐車場がみるみる小さくなって、気分は最高です。リフトの終点には登山道の案内板があり、「()三瓶(さんべ)頂上まで20分」という文字が私を誘ってきます。山登りなどもう何十年もしていないので20分といえども足が耐えられるのか不安。でもせっかくここまで来たのだから、ひざが痛くなるまでできるだけがんばってみようという気になりました。
果たして、10メートルほど山道を登っただけで心臓はバクバク、息をするのも苦しく酸欠状態に。でも立ち止まってブナの大木の木肌をなでていたら木の精霊が乗り移ってきたのか、少し元気を回復。こうしてつづら折りの道をたどっていると、ときおり下山者とすれ違います。小学生などはカエルの子のようにぴょんぴょん降りてきます。私も子どものころは体が重力の支配をこんなにも受けているなんて想像もしていませんでした。
そうこうしているうちに標高957メートルの女三瓶山頂上に到着しました。リフトに乗り、残りわずかな距離を歩いただけなのに今の私にとっては大した一歩だとうれしくなりました。女三瓶山頂上からは日本海の海岸と出雲方面が遠望でき、吹き抜けていく風は山岳特有のさわやかな涼風でした。すぐ近くには最高峰の男三瓶山(1126m)の勇姿が見えます。さきほどまでの心臓バクバク、足ガクガクもすっかり忘れ、次回は男三瓶山まで往復するぞ!とすっかり調子づいている私でした。
下りもリフトを利用して駐車場まで戻りました。後で膝にくるのではないかと心配していたのですが、どうやら大丈夫だったようです。世間ではよく、山登りは上りより下りの方が足を痛める、と言われています。しかし私は体重過多と脚力の低下もあって上りはリフトやケーブルカーに助けてもらい、下りを自分の足で歩くのが性に合っています。


2020年7月27日月曜日

DIY鳩避けネットの設置

空き家同然になっているマンションのベランダがここ数年鳩の格好の住処になっていました。鳩のカップルはエアコン室外機2台と壁の隙間にマイホームを作り、年2回ぐらい子育てをしています。鳩にも生きる権利があるので、私自身はなるべく気にしないようにしてきたのですが、私の部屋直下に専用駐車スペースがある住人から何度か強い調子のクレームを頂きました。車のボンネットに糞が落ちるので対策しろと。
苦情というものは言う方も勇気と覚悟が要るものですが、言われたら言われたで、(言う人の気持ちも分からないではないけれど)、「コンチクショウ!」と思うものです。しかも敵は直接文句を言うだけでは飽きたらず管理会社を巻き込んで圧力をかけてきます。「仕方ない、何とかしよう」。最初は手すりの上にテグスを張り、室外機の上にはプラスチック製の剣山を置いてみました。しかしこれらの効果はまことに限定的で、頭のいい鳩にはほとんど効き目がありません。
やはりベランダ全体を覆うネットを設置するしかない、と覚悟を決め23業者の話を聞いてみたら最低でも数万円かかるとのことでした。それに業者に来てもらうためには家の片づけも大変なので、結局自分でネットを取り付けることにしました。DIYDo-it-yourselfです。
「止めとけ、落ちる!」というのが友人たちの忠告でした。実際、ベランダの手すりとほぼ同じ高さの脚立に乗らないと上の階のベランダ天井に手が届きません。3階と言えども脚立の上に立つと頭はクラクラ。おまけにベランダの床は排水のために微妙に傾斜していて脚立は常にぐらつきます。それでも50センチ置きにネット取り付け用のフックを接着剤で固定していき、後日また脚立に登ってネットを掛けました。
少々たるんでいるけれどなかなかいい感じに仕上がり、それまでどうしても鳩の知恵に勝てなかった闘いについに勝利しました。今までチャチな対策をしては鳩と目が合い、鳩が苦労して作った巣を撤去するたびに鳩の恨みを買ってきた罪悪感から私自身が解放されたのが一番の収穫です。
かかった費用は材料費のみで、総計1万円以下でした。但しこれは皆様にはお薦めできません。私のようにベランダから落ちて人生が終わっても悔いのない人なら別ですが。

2020年7月17日金曜日

迷走GoToトラベル

GoToトラベルキャンペーン直前になって、東京在住者(出発、目的地?)は除外、またウイルスを撒き散らすであろう若者と重症化しやすい年寄りも対象外とか。すでに旅行代金を支払い済みでキャンセル料がかかる人にとって、今になって旅行を取り止める場合、キャンセル料の免除措置はあるのでしょうか?

そもそも「コロナが収束した後に実施」の前提を無視してキャンペーンをごり押しすることの無謀さには呆れてしまいます。(実は老人である自分もホテル代軽減を狙っていました(^^;)

2020年7月15日水曜日

訳の分からないGo to キャンペーンよりも消費税、ガソリン税減税を

7月になって新型コロナウイルス感染症の第2波が首都圏を中心に第1波をしのぐ勢いで拡大しています。岡山県でもぽつぽつ新規感染例が報告され、この病気はなかなか一筋縄ではいかないしぶとさを見せつけています。そんな状況のなか政府は“Go to キャンペーン”なるものを都道府県の反対にも関わらず繰り広げようとしています。
伝えられるところによると、Go to キャンペーンには、Go to Travel キャンペーン、Go to EatGo to EventGo to 商店街の4種類があるとか。今また4月、5月の悪夢が再来しつつあるこのタイミングで、「観光旅行に出かけろ、はでに飲み食いしろ、お祭り騒ぎをし、商店街を練り歩け」というのですから驚きです。しかも最大半額は国民から巻き上げた税金で補填してあげますという途方もない政策。
お金の使い道がナンセンスなだけでなく、ネーミングがこれまた和洋折衷なうえ、“campaign”の綴りが難しいためかカタカナ表記という、いかにも頭のいいお役人様が(彼らがバカにしている)国民の受け狙いで、無い知恵をしぼったとしか思えないお寒いものです。
いったい日本はどうなったのでしょう?コロナ対策だけに限っても日本のやり方は一流先進国のそれではありませんでした。極端に少ないPCR検査、ちまたにあふれるようになってから配られたアベノマスク、気が遠くなるほど時間がかかった10万円一律支給。こうした国の政策に翻弄された一番の被害者は国民であることは言うまでもなく、医療現場や国の下請けで忙殺された自治体の職員の方々も相当ダメージを受けたことと思います。
政府が緊急にやるべきことは、「歌え、踊れ、遊べ、何度でも、心ゆくまで!」と号令をかけることではなく、一時的でも消費税を下げる(あるいは停止する)こと、ガソリン税のうち“暫定”と言いながら1974年以来(ほんのわずかな期間を除き)取り続けている暫定税率25.1円を廃止することではないかと思います。こうすれば消費はゆっくりと、しかし確実に回復し、国民は気が向いたらちょっと遠出して、温泉にでも浸かり、おいしいものを食べ、コロナ疲れを癒そうという気分に、自然になれると信じます。

2020年7月8日水曜日

マグカップ

実家の庭がいつのまにかドクダミに占拠されてしまいました。ドクダミのにおいが強烈過ぎるためか、かれんな白い花をつけるドクダミを愛でる人は少ないようです。そんなドクダミの姿を終生変わることなく焼き物のモチーフに描いた女流陶芸作家が牛窓にいました。
東海林由紀さん。1968年の4月、早稲田の教育心理学教室に入ったとき以来の長い交流でした。40数名のクラスメートのなかでひときわ聡明で芯の強い女性でした。卒業後は私は大阪で就職し、彼女は心理学とはおよそ縁のない陶芸の修行を始めました。そして、どのような縁があったのか岡山出身の陶芸家と結婚し、牛窓に工房を持ち、「青空」という喫茶店の経営と陶芸家の生活を両立させてきました。
私が大阪での仕事を辞めて両親の介護のために2001年に岡山に帰ってから数年の間、彼女が淹れるコーヒーを求めて本当によく牛窓まで車を走らせたものです。ある時、陶芸家としての彼女に、マグカップを作ってくれるよう依頼したことがあります。若いころオーストラリアのタスマニア島で見かけて買ったお気に入りのマグカップが壊れてしまい、東海林さんに壊れたカップを渡し、「こんな感じのものを作って」とお願いしたのです。
それから23年後、彼女は生まれ故郷の岩手県一関に引っ越してしまいました。そして東北大震災の前年、ドクダミの白い花が咲く頃、突然の彼女の訃報を聞きました。そして10年の歳月が流れました。依頼したままのマグカップのこともすっかり忘れてしまいました。
ところが今年も庭のドクダミの白い花が咲く頃、「青空」の店舗を引き継いだ「てれやカフェ」に行ったところ、マスターから「マグカップを預かっています」と言われてびっくりしました。牛窓在住の東海林さんの陶器の愛好家がドクダミのデザインが施されたマグカップを店を通じて私にくださったのです。驚きです。東海林さんは私がデザインを依頼したマグカップを一関に帰るまえのあわただしい時期に作ってくれていたことを知って感無量でした。

学友にして生涯の友人だった由紀さんが逝ってちょうど10年。たっぷりコーヒーをそそげる清楚なマグカップはついに私の元に届きました。不思議な縁があるものです。



2020年7月1日水曜日

山田ねずみ大根

冬の食卓を代表する野菜のひとつに大根があります。もともとは地中海沿岸地方が原産とのことですが、なぜか極東の果ての日本で大根は民衆からこよなく愛され、他国では考えられないほど大きさ、色形もさまざまな品種が育成されました。圧巻は重さ30キロにもなる桜島大根と長さ2メートル近くまで伸びる守口大根です。ともに同じ大根とは信じられないほどマニアックな野菜をよくぞ作り出したものだ、と昔の人の研究熱心さに驚かされます。
日本には上記2種ほどユニークではないにしても、全国各地に特有の固有種があり、なかでも私が毎年作っている品種に「山田ねずみ大根」という滋賀県特産の真っ白で小振りな大根があります。山田ねずみの特徴はお尻がきゅっと締まり、まるでネズミのしっぽのように主根がピンと飛び出しているからです。肉質は緻密で柔らかく、また葉っぱも棘がなくすべすべして煮食いに最適。
そして何と言っても、市販の大根が現代の少人数家庭の食生活にマッチしないどでかい代物であるのに対し、山田ねずみは独り者でも食べきるのにちょうどいい大きさなのです。
しかも、こうした特産大根は種苗商や研究施設で改良された交配種と違い、固定種と呼ばれ、自分で種を採って蒔くことができます。私は今まで大根の種を自家採取した経験はなかったのですが、この春はコロナ騒動で畑に行かないうちに山田ねずみ大根に花が咲き、5月の末には大量の種ができてしまいました。
9月になり自宅の狭い菜園で大根を作るのに必要な種はせいぜい100粒で十分、しかしせっかくここまで命を長らえた種を捨てるのはかわいそう、そしていちいち鞘から種を取りだしました。約2デシリットルもの山田ねずみ大根の種の収穫です。
 とはいえ、いくら何でもこんなにも大量の種は個人ではどうしようもなく考えあぐねていたら、岡山大学で有用植物を研究されている方からいいアドバイスをいただきました。大根の種はライフクシという生薬になるそうです。消化を助け、おなかをスッキリ整えるとか。これなら大根の種が大量にあってもちゃんと命を大切にいただくことになります。

 コロナがどうもすっきり収まらないままもう7月になりました。はや後半です。そして8月下旬にはまた大根の種蒔きの準備が始まります。

2020年6月24日水曜日

現代の鎖国

日本史で習った江戸時代の鎖国っていったいどんな感じだったのでしょうか。鎖国していても現実には外国からいろいろな道具や嗜好品などが長崎を経由して日本に持ち込まれていたと思いますが、やはり庶民にとって外国とは日常生活に縁のない遠い存在であったに違いありません。
一方、当時の日本人は外国で起きるさまざまな戦争、動乱、革命、疫病の流行、宗教の対立等の混乱など知る由も、それらに悩まされることもなく、日本独自の文化を育み、人々は仕事と趣味を調和させ、貧しくとも平和な生活を築いていたものです。そして1867年、大政奉還があり、鎖国は解け明治という疾風怒濤の時代に突入しました。
日本は急速に近代化し、敗戦、高度経済成長等いろいろあり、2020年の現在、世界はすっかりグローバル化しました。がここにきてまさかのコロナ鎖国の復活です。もちろん動けないのは人間だけで、物流、情報、通信は従前通り機能しています。
4月初め、カナダの従姉に「大葉」の種を航空便で送ってあげました。「大葉が好きなのだけれど、種が手に入らない」と言っていた彼女の希望をかなえることなど簡単なことです。スーパーで種を買って封筒に入れて郵便局で投函するだけ。
ところが1週間過ぎても1か月過ぎても「届いた」とのメールが来ません。そして我が家の庭でうっとうしいぐらい大葉が茂りだした6月半ばになってやっと届きました。考えてみると郵便局は引き受けてくれたけれどカナダ行きの直行便がない現状では、大葉の種が入った封書はいったいどんな旅をしたのでしょう。横浜からバンクーバー行きの貨物船に乗せられたのかもしれません。
このように物流は確保されているといっても、本来1週間で届くものが2か月を要する例もあります。同じく情報はテレビやネットでちゃんと伝えられているはずですが、現地に出かけて自分で見聞きしたものとは迫力も生々しさも違います。大葉の写真からあのさわやかなにおいが伝わってこないのと同じです。

外国旅行がいまだ解禁にならない現代の鎖国状況のなかで、今一番の望みは国際線の飛行機の席に座ること。安全な行き先が少ないのがやっかいですが、ニュージーランドあたりなら問題ないのではないかと“開国”の日が待ち遠しいこのごろです。

2020年6月17日水曜日

マロン、肛門嚢胞炎

2週間前の金曜日、マロンの様子がおかしいので調べたらお尻が赤黒く腫れていて、すぐにせのお動物病院に。
そろそろ完治してもいいころなのに、かさぶたができているのでカラーを外せないし、食事の補助が大変。一度、食事時にカラーを外してやったら、治りかけていた傷口を舐めて出血し、元のもくあみに。それ以来エサを食べ終わるまでずっと監視し、食べ終えるとすぐ捕まえてカラー装着。今ではどこにもぶつからず器用に家の中を歩き回っています。

2020年6月16日火曜日

芭蕉


昭和23年ごろ、家の新築と同時に父がどこからかもらってきて植えた芭蕉が72年後の今も絶えることなく東の庭に育っています。ある程度大きくなったら花が咲いて小さなバナナが現れ、バナナは大きくなることなく、木そのものも枯れていきます。
長年身近にある芭蕉って分類学的にはどこに位置付けられるのか、ふと知りたくなってWikipediaを見たら、何と生姜の近縁種でした。そういえば、地下茎で繁殖し、花の構造も茗荷に似ています。
道路にはみ出すように大きな花を咲かせるので、小学生なんかが、「わっ! バナナがなってる」と見上げて通りすぎます。
近年、岡山で耐寒性のあるバナナが栽培されマスコミがよく取り上げています。冬の冷え込みが昔ほど厳しくないので、もしかしたら耐寒バナナを栽培するのも夢ではないかもしれません。

2020年6月15日月曜日

梅雨入り

今年の梅雨はいきなり大雨で始まりました。例年なら梅雨の末期によくある集中豪雨に似た激しい降り方に真備の悲劇が思い起こされます。
日曜日、今にも落ちて来そうな暗い空の下、総社から矢掛にかけてドライブしてみました。小田川流域の水没した町並みは今では傷跡が目立たないまでに立派に復興していました。被災された住民の大変な努力のたまものと頭が下がります。
道路沿いの農家の庭先には、ナス、トマト、キュウリ、トウモロコシがはやくも実を付け収穫の時期を待っています。連休前、野菜の苗が植えられ、種が蒔かれたころは新型コロナの真っ最中で、世の中から人も車も消えてしまったような状態でした。
私も野菜畑を少々持っていますが、コロナ隆盛期のころは野菜の植え付けに関して何もする気になれず畑は荒れるにまかせていました。感覚的には何だか、自分の内部にある季節を感じるセンサーが麻痺してしまったような今年の春でした。
ところがやはり農家の人には季節の移ろいを何よりも大切にする習慣がほとんど本能のように備わっていて、ちゃんと適期に野菜の苗を植え、田んぼでは籾を蒔き、例年通りのペースで田植えが終わっています。
梅雨に入って、私も遅ればせながらホームセンターに出かけキュウリやゴーヤの苗を買ってきました。インゲンやササゲはこれから種蒔きしても十分間にあうので植えてみようと思います。
思えば、コロナさえなければ今ごろはオリンピックの開幕を前に日本中が大フィーバーを起こしている最中だったでしょう。まったく戦争に匹敵する犠牲者を出し、未曾有の経済的、文化的、心理的損失をもたらした新型コロナウイルスの世界的な流行は当初の甘い見通しをはるかにくつがえすものでした。東京都知事でさえ(だからこそ)3月末ごろまでオリンピックは開くと公言していました。ほんとうに世の中一寸先は闇とはよく言ったものです。
一方、農家の庭先に植えられた野菜が季節どおりに実り、例年どおりツバメが農家の納屋の天井に巣を作って子育てしているところを見ると、自然の営みほど安心確実なことはありません。慈雨が田んぼの稲をはぐくみ幾多の水辺の植物や動物を養う6月の田園。ただ集中豪雨だけはご遠慮いただきたいものです。

2020年5月27日水曜日

クワの実が熟れる季節

5月末から6月初めにかけての梅雨前、晴天に恵まれた日が続きます。家庭菜園ではタマネギやニンニクの収穫適期になり、また連休中に植えたナス、キュウリ、トマトがぐんぐん大きくなる季節です。今年は3年ほど前に庭に植えたクワの木に実がたわわになり始め、手を紫に染めながら一つずつ収穫しています。ジャムにするとこれが絶品なのです。
そういえば、童謡の「赤とんぼ」にクワの実が登場しますね。
「赤とんぼ」
夕焼、小焼の、あかとんぼ
負はれて見たのは、いつの日か。
山の畑の、桑の実を、
小籠に、つんだは、まぼろしか。
十五で、姐やは、嫁にゆき、
お里の、たよりも、たえはてた。
夕やけ、小やけの、赤とんぼ。
とまっているよ、竿の先。
(三木露風作詞、大正10年、歌詞の表記にはゆれがある)
「赤とんぼ」という題名から私は長い間、季節は秋と思いこんでいたのですが、よく考えるとクワの実が熟すのはちょうど今ごろなので「あれっ?何か変」と思いました。でも歌詞の流れを追っていくと一つの年の初夏とか秋の出来事を描いたのではなく1番から4番まで歌詞をたどっていくと、そこには十数年ぐらいの歳月が流れていることがはっきりしてきました。
まだ歩くことができない幼児のころ、姐やに負われて夕焼けを見たのが1番、少年になって山の畑にクワの実を取りに行ったのが2番、そして3番は子守り奉公をしていた姐やが15歳で嫁に行ってしまった、そして4番では何とも甘酸っぱく少しさびしい記憶の流れを大人になった現在懐かしく思い出している。
三木露風のような詩人でなくてもどんな子どもも桑の実には何か郷愁を感じるのではないでしょうか。それが今や我が家の庭に何本も育ち、しかも品種改良のせいもありひとつひとつの実が大きいのです。

ざる一杯実を採ってきて軸などは取り除き、ざっと水洗いした桑1キログラムに対し砂糖400グラム、ペクチン、レモン汁を加え煮ていきます。煮詰めていけばジャムになりますが、私はまだ流動性が十分残っている状態で火を止めます。ミルクやヨーグルトとの相性が抜群。びっくりするぐらいおいしい桑の実プレザーブの完成です。


2020年5月20日水曜日

緊急事態宣言解除になって

新型コロナ感染症の流行にはずいぶんハラハラさせられましたが、5月も半ばを過ぎた昨今、状況は目に見えて沈静化してきました。そして北海道および首都圏4都県以外の府県では緊急事態宣言が解除となり、デパートや飲食店も再開され街に活気が戻り始めました。
ところが自治体の長やマスコミの論調を聞くと何やら人出が戻ってきたことを素直に歓迎していないような口ぶりなのが気になります。国が宣言を解除したのは、今までステイホームで経済活動、人と人との交流など国民生活が死んだようになっていた状態から目を醒まし日常を取り戻すためだったはずなのに、です。
そう言えば「3密」という東京都知事が流行らせた言葉の定義も最初は、密閉、密集、密接の3つが重なることは避けなさいということだったはずなのに、いつのまにかこれら3つのいずれか一つでもあればダメと拡大解釈されてきました。
そして岡山県知事の「岡山県に来たことを後悔させてやる」発言です。これは岡山県に限らず全国あちこちで他府県ナンバーの車が攻撃されるという常軌を逸した行為にまでエスカレートしました。ひどい例では駐車した車に傷が付けられるとか他府県ナンバーの車を写真に撮ってネットにさらすなどということも行われたようです。
そもそも政府が緊急事態宣言を発した理由は感染爆発により医療崩壊が起こることを避けるという明確な目的があってのことでした。つまり、新型コロナウイルスには今のところ有効なワクチンも特効薬もないが、病院で対処できる範囲にダラダラ流行を下げることで、遠くない将来コロナと人間が共存できるところまでもっていきたいので、国民の協力をお願いしたいという趣旨でした。
ところが真面目かつ集団同調的な国民性もあって過剰な自粛や他府県民攻撃、陽性者・医療従事者いじめなどが起きたものと思います。統計学的に見てひとまず流行は終わったと見なしていいにも関わらず、マスコミは早くも「第2波、第3波を警戒せよ」と危機感をあおってきます。

コロナとは「適当に」つきあっていかないとそれこそコロナの思うつぼ。新しい患者がぽつぽつ出ても騒ぎ立てない、第2波が来たらそのときまた対策を取るというスタンスで十分ではないかと思います。

2020年5月13日水曜日

無意識のうちに逆走!

 高速道路を逆走して大事故を起こす高齢ドライバーの存在は一種の社会問題と化しています。対向車と正面衝突して双方の車に死者がでることも珍しくありません。
 高速道路を逆走してしまう主因はサービスエリアやパーキングエリアで休憩した後、出口ではなくもと来た方向へ走ってしまうことにあるようです。「そんなバカな!あり得ない」とニュースを見ながら高齢ドライバーにあきれてしまう私ですが、そのありえないことを先日自分でやってしまいました。幸い高速道路でなかったこと、信号付近のできごとであり、双方向ともすべての車が停止中だったことにまず感謝です。
 家のすぐ近くという訳ではないのですが一応生活圏にあるコンビニにでかけたときのことです。信号機のある交差点の角地にある大きなコンビニです。駐車場の一方は細い田舎道に面し、もう一方は片側2車線で中央分離帯をはさんで反対車線が2車線ある立派な道路に面しています。
 昼間たまに立ち寄るときは全然問題ないのに、先日夕方暗くなってそのコンビニに行った帰り、4車線道路を何故か上下2車線と勘違いし、右折して「左車線」に入りました。正面の信号は赤で停止。すると交差点の真向かいの車がライトを激しくハイビームとロービームを繰り返してきます。「えっ?私がハイビーム?」と頭をひねっていたら、助手席の同乗者が「逆走してる!」と絶叫。ようやく私も異常事態に気づいて信号が青に変わる寸前に交差点のど真ん中を横切って本来の走行車線に進むことができました。いやはや、自分の車の真っ正面にヘッドライトをつけた車があること自体おかしいのに、対向車から激しくパッシングされるまで気づかないなんて!
まったく無意識のうちにこんなとんでもないないことをしでかしてしまい、同乗者も対向車の方もさぞ肝を冷やされたことと申し訳なく思うとともに、「このようにして逆走が起きるのか」と怖くなりました。後日問題のコンビニの駐車場を見に行きました。とくに看板のようなものはなく、できれば「←お帰りは左折のみ」とでも案内標識があったらと思いました。昼間なら絶対(たぶん?)間違わないのに夜間の運転はこんなところにも落とし穴があったのか、と逆走は他人ごとではないことが身にしみて分かりました。

2020年4月24日金曜日

学生時代に戻って

親を送り、後はお迎えがくるのをゆっくり待っていればいいけっこうな年齢になりました。おまけに世界はいま病理的にも精神的にもすっかりコロナにやられて自粛ムードです。
少し前までは、引きこもりの人々に対して、がんばって社会の中へ出ていくようあの手この手で家族も行政もやっきになっていたのに、今は「ステイ・ホーム」の大合唱。この状況は引きこもりの人だけでなく、用済み、することなし年代の我々にも案外居心地がいいものです。
こういうときこそ家にこもり、人生でし忘れたことを確認するいいチャンスとばかり、学生時代にNHKラジオ2放送でお世話になった「フランス語入門」講座のテキストを読み返すことにしました。「入門」とはいえ昔の語学講座は非常にレベルが高く、はっきり言って初学生が簡単についていけるようなものではありませんでした。だからこそ放送が終わっても、いつか読み返そうと思い、テキストは捨てることなくその後の50年以上の長きに渡って私の引っ越しに同行させ、1冊も失うことなく今も書棚に並んでいます。
さいわい今回は孤独な学生時代と違って私の目論見に賛同してくれる人がいました。中学校時代のクラスメートで大学卒業後フランスに渡り舞踏家として名をなしたKさんです。30年ぶりに帰国し今でも第一線の舞踏家として活躍する一方、カルチャー講座でフランス語を教え、非常に忙しい日々を送っている人ですが、今の自粛ムードの中ですっかり活躍の場を奪われけっこう退屈している様子なのです。そこでいっしょにフランス文学論を読んでみよう、と声をかけたら即OKになりました。
1回目として1969年ごろ放送されたフランス語入門応用編に掲載されたフローベールの「感情教育」に関するテキストをコーヒーカップ片手に1時間ほどで読みました。
20歳のころ、同じ東京の空の下で学生生活を送っていたのにまったく出会うこともなく、社会に出てからは、私は大阪、Kさんはパリで現役時代を過ごしたことになります。それがいまや年を取り、コロナのおかげでまるで中学校時代に戻ったようにフランス文学を語っているのですから、人生もなかなか捨てたものではないな、と密かに思います。

2020年4月15日水曜日

最近気になる言葉

(たてつけ) 
前代未聞の感染症の拡大で国と都道府県の間に溝ができ、両者の間でいろいろ議論が戦わされています。そうした折りによく聞く言葉に「たてつけ」というのがあり、耳障りな言葉だなあ、と思うのは私だけでしょうか。「立て付け」あるいは「建て付け」とはもともと大工さんが使う言葉で、たとえば鴨居なんかがゆがんでいると障子やふすまはガタピシ、スムーズに開け閉めできません。こんなときに「建て付けが悪い」というのではなかったかと思います。
 ところが最近、大臣や知事の皆様が好んで「たてつけ」という言い回しを使っています。「法律のたてつけがそうなっているので……」というのが典型的な用例。一見分かりやすい言葉でありながら、実は有無を言わさず「そういうご要望には応えられません」と国民、都道府県民を言いくるめているような気がします。
そこには裏で政治家を操る官僚たちの巧妙な言い訳、責任逃れの悪知恵が隠されていると言ったら言い過ぎでしょうか。たてつけの悪い法律はいくらカンナで削ったり他の木切れをはさみこんでもいまくいきません。きちんとした法律や条例の改正で国民、県民の切実な要望に添ったものに作り変えてほしいものです。
(オーバーシュート)
 「オーバーシュート」という言葉はだれが使い始めたのかよく知りませんが、たぶん感染症の専門家たちでしょう。原義は「度を越す、行き過ぎる」という意味でしかなく、英語圏では感染症の爆発的な拡大の意味では通じないそうです。どうやら日本の感染症の専門家たちがあえてインパクトのある和製英語を仕立てたというのが実状らしい。「鬼面人を驚かす」、つまり、見せかけの威勢を示して人を驚かすつもりでしょうが、そんな言葉に(おど)される日本人はいないでしょう。

 ほかにも今回の事態で登場した言葉に「クラスター」があります。私はすぐに「クラスター爆弾」のことを思い浮かべました。一つの爆弾のなかにいくつもの小さな爆弾がブドウの実が房をなすように仕組まれたとりわけ非人道的な兵器です。確かに感染の拡大の様子はクラスター爆弾を投下したイメージにぴったり。「クラスター」という言葉に関しては異議を唱えません。(私の主張もかなりいいかげんですね)

2020年4月8日水曜日

日本の至宝ビジネスホテルを世界に

 新型コロナウイルス感染症の拡大にともない東京など大都市では病床がほぼ満杯です。そのため東京都はついに軽症者を病院から民間のホテルに移し始めました。そこで出番になったのが商用客、観光客とも激減のビジネスホテルです。
 ホスピタル(病院)からホテルへと言うと何だか語呂合わせのように聞こえますが、この二つの言葉の語源は同一で、元々はラテン語のhospitale、客をもてなす場所、から来ていると学生時代に教わりました。旅人あるいは病んだ人々を暖かくお迎えするという意味で病院とホテルはそんなに違いはないでしょう。
 余談はさておき、20代のころからヨーロッパを中心に一人旅を度々繰り返してきました。しかしいつも不便、不経済この上ないと不満に感じてきたのが外国のツインベッド主体のホテルです。シングルルームなんてほとんど存在しません。たとえシングルで予約を取っていてもいざ部屋に入ってみるとツインベッドがデンと構えています。
 そんな外国のホテル事情に比較してしみじみいいなあと思うのが我が日本のビジネスホテル。今回東京で新型コロナウイルス患者を受け入れることになった東横INNチェーンは、私も常日頃お世話になっていて、本当によくできているなと滞在するたびに感嘆します。
 一人旅の私には機能的で清潔な部屋、寝心地のいいベッドがあれば十分。ただ全国どこで泊まっても部屋の作りやインテリアまでもが同一で、例えば、今日は博多、明日は熊本、そして大分と移動しても、翌朝目が覚めたとき一瞬「ここはどこ?」と滞在場所の見当識がすぐにはよみがえってこないのが難点です……。
 それにしても、こんな便利で快適なシングル主体のホテルがなぜ外国では皆無なのでしょうか?そのことは日本発のパック旅行にも大きく影響しています。例の「お一人様参加追加料金」です。我ら「お一人様」にはとんでもなく高い追加料金上乗せがあるので、せっかくの格安パック旅行が遠く手の届かないものになってしまいます。
 ラグジュアリー感には欠けるものの日本が発明したビジネスホテルこそ世界に誇りうる至宝のインフラ。現在東横INNは韓国等にもチェーン展開していますが、業界にはパリやニューヨーク等欧米の主要都市にぜひ1000室規模のシングル主体のホテルを作ってもらいたいものです。

2020年4月2日木曜日

作られる医療崩壊

 桜が咲く頃には気温・湿度とも上昇するので新型コロナウイルスも自然に収まるのではないか、との当初の見込みと期待はみごとに裏切られました。まさに爆発寸前、医療崩壊寸前です。最近、岡山市内で長年診療所をやっている友人から悲痛な声が同窓会のメーリングリストに寄せられました。
(1)医師がPCR検査が必要と判断しても行政当局(保健所)から拒否される。(2)患者が重症化して入院するころにはすでにウイルスをあちこちまき散らしている。潜在的な感染者は陽性判定された人数の10倍、100倍は存在しているはず。そして友人の医師は、(3)「検査対象を決めるのは、行政ではなく、現場の患者を診ている臨床医がするべきこと。検査を増やして、無症状、軽症は在宅か施設で管理、病院は治療が必要な患者に空けることは岡山でもすぐできることだ、と主張しています。
 この切実な叫びは友人に限らず現場の医者ならだれでも痛切に感じていることでしょう。ところが指定感染症に関する法令に従えば新型コロナウイルスに感染していることが判明したら直ちに入院させ最低でも12日余り病院で管理、間隔を空けた2度の検査で陰性になるまで退院させることができないとなっています。事実、今この感染症でベッドをふさいでいる患者は軽症の人が大半のはずです。病院が単なる隔離施設になってしまっているのです。
 別の言い方をすれば、検査をすれば陽性者が出て病院がパンクするのでPCR検査は極力しない、例え現場の医師が必要と判断した場合でも、というのが医療先進国日本のお寒い現状。この本末転倒した仕組みこそ医療崩壊の原因だと思いますが、大阪府の吉村知事は重症度に応じた治療・隔離施設の分割を早くから提唱してきました。しかし吉村知事の提案も感染症に関する国の法令のしばりで簡単にはいかないのでしょう。

 カナダの従姉たちからカナダの現状を伝えるメールが毎週のようにきます。地方都市までロックダウン状態で食料品の買い出しも制限があるようです。それでも彼女たちのメールにはカナダ政府や地方行政に対する信頼感があふれています。行政の早い決断、思い切った措置、援助、等々に対して「信頼できる」と賞賛しています。このような政府を作っているカナダ国民は本当に立派です。

2020年3月28日土曜日

コロナウイルス依然衰えず

コロナウイルスの感染拡大は岡山のような田舎にも及びつつあります。今のところ2人陽性、ひとりはスペイン帰り、もうひとりはフィリピン帰り。
喫茶店に客が戻ってきて、警戒感はずいぶん低下しています。マスク着用カップルが一組いますが、ほぼノーマスク。マスク売ってないし、まあいいかという雰囲気です。

2020年3月25日水曜日

あっぱれ外国人熟年カップル

お彼岸過ぎ、散歩がてら吉備津彦神社に出かけてみました。閑散とした境内に参拝客はほとんどおらず、桜の花もまだなので神社全体が静寂につつまれていました。そろそろ帰ろうと思って参道を振り返ったら石段をゆっくり登ってくる初老の白人カップルがいました。欧米でコロナウイルスが猖獗(しょうけつ)を極めているというのに今どき外国からの観光客とは?と思い声をかけてみました。
「私はスペイン人、彼はイタリアのミラノ出身。ずっといっしょに旅しているの!」
今、世界中で一番やばい国からやってきた旅行者ではありませんか!興味津々、休憩所の椅子に腰掛けてゆっくり話を聞いてみると彼らはおよそ日本人には想像もつかない永遠の旅人たちでした。2人は夫婦かパートナーでしょう。
今から17年前に、男性は50歳でそれまで自営でやっていた不動産ビジネスを売り払い自宅も処分、金利の高いオーストラリアドルで預金しその利息で悠々自適、女性は動物病院のスタッフだった。2人はメキシコに渡りキャンピングカーを購入して、この17年間ヨーロッパ、オーストラリア、南北アメリカ、アジアを隈無く旅しているといいます。
日本には何度も来ているらしく、今回は3月初旬にメキシコから来日したのでまだ検疫上の問題もなくすんなり入国できたそうです。日本では、キャンピングカーはレンタカーを借り全国を旅しているとのことでした。日本の文化にも詳しく私が「お寺と神社の区別がつきますか?」と聞いたら「寺院は仏教、神社は神道の神様……」とちゃんと知っていました。私は冗談交じりのウンチクを傾けました。「もっと簡単に識別する方法があります。金閣寺など拝観料を取るのがお寺、いつでも無料で参拝できるのが神社です」。

17年もいっしょにキャンピングカーで旅していて飽きることはないのですか」と尋ねてみました。「彼は私にとって最高のパートナー」、「彼女といっしょにいれば退屈なんかしないよ」と言って、私の目の前でチュッと熱くキスしてみせました。故郷のイタリアやスペインにいる親戚縁者のことを心配しつつも、人生を謳歌している南欧カップル。コロナで足止めを食らおうが豪ドルが安くなろうが彼らはそんなことは気にとめていないようです。

2020年3月23日月曜日

新型コロナ、ついに岡山でも!

昨日(3.22)、岡山市北区在住の60代女性が陽性判定を受けました。市長の会見で明らかにされたのは、スペイン旅行から帰って症状が出たとのことです。感染経路が分かっているので安心しました。

2020年3月13日金曜日

終息しないウィルス禍に思う

 1月中旬ごろ中国・武漢市の海鮮市場から発生したと言われる新型ウィルス感染症が瞬く間にアジア、中東、欧米を中心に世界規模の大惨事になるとは夢にも思いませんでした。この前代未聞の災厄に前兆がなかったかといえば実はあったのです。
 毎年正月にお参りする吉備津彦神社の拝殿脇に「令和2年八方塞がり表」という立看があり、昭和23年生まれの私も当たり年だと知りました。いかに善男善女といえども10歳、19歳、28歳……とおよそ10年に1度は八方塞がりの年に当たるのです。もちろん神様もそこは商売、「八方除け」のお守りを買ったり祈祷をしてもらうなど災厄から逃れる道はちゃんと用意されています。
 お守りは千円、祈祷は確か5千円からだったと記憶していますが、安価なお守りで済ましたのが大間違いだったとすぐに思い知りました。今まさに八方塞がり! 武漢発新型コロナウィルスの悪意に満ちた感染パワーは「八方塞がり」当たり年の男女を恐怖のどん底に突き落とすだけでは満足せず、全年齢、全民族、全世界の人々に感染症の危険と社会経済的損害を与えています。
 313日現在、ほぼ全都道府県に新型コロナウィルス感染症が広がっているなか、岡山県ではPCR検査で陽性になったケースの報告はありません。一瞬「遂に岡山でも」と思った倉敷在住の方が高知県で陽性確認された例は岡山県ではなく高知県の統計にカウントされ、また倉敷の関係先でクラスターが発生することもありませんでした。
 こうしてみると確かに今回の事態は「八方塞がり」そのものであるにせよ、県内では感染がほぼ抑えられているのは冷静な県民と当局の努力のたまものでもあるし、神様も応援してくれている証拠だと思います。
長期間船内に旅客とクルーを閉じこめたダイヤモンド・プリンセス号のときは欧米から対応のまずさをボロクソに言われ、またPCR検査実施のハードルの高さが多くの感染症の専門家から批判されましたが、結果的には、今のところ医療崩壊を起こさず重篤な患者がきちんとした治療を受けられる環境が維持されているのはさすが日本です。
命さえあればスポーツイベントや学校行事の取りやめなど後々「そんなこともあったね」と、笑って話せる日が来るに違いありません。

2020年3月4日水曜日

50年ぶりの自動車教習所

70歳を過ぎて初めての免許証更新をこの夏に控え、高齢者講習を受けてきました。私が受けたのは2時間コースのもので講師の先生から30分ほどの講義を聴き、そのあと視力検査と自動車学校内のコースを実際に運転するという内容でした。講習に参加した人はもれなく修了証書がもらえるそうで、どんなに運転が下手でも落とされる心配はないということでした。
それなら国はなぜこのような講習を義務づけているのか、若者人口の減少に苦しむ自動車学校の救済策のために存在理由が希薄な講習を導入したのだろうか、などと勘ぐりつつも50年ぶりに教習所の門をたたきました。今回の受講生はわずか8人でした。白髪のおじいちゃん7人と紅一点のオールドマダムが仲良く小さな机に腰掛けて、指導員の流ちょうな説明に耳を傾けます。
我々を担当した指導員も警察OBとおぼしき年輩の方でしたが一回りは若そうでした。毎日同じ講義をされているのか、ポイントを押さえた説得力のある話しっぷりは芸の域に達していました。それにしても今も昔も自動車学校の指導員や運転免許センターの講師の皆さんは、例外なく独特の人生に対する確固たる自信のようなものが表情や口の端々に表れているものですね。
「私はこれまで間違いのない、人に恥じることのない正しい人生を歩んできました。これからもずっとそのように生きていきます」と顔に書いています。太宰治の代表作「人間失格」の第一の手記冒頭で「恥の多い生涯を送ってきました」というあまりにも有名な告白をした青年とは真逆の、正しい道をまっすぐに歩いてきた方々に違いありません。
2人ペアーで運転の順番待ちをするあいだ同年輩の見知らぬ方と少しばかり話をしました。「免許証を取ったころは坂道発進に苦労しましたなあ、また自動二輪のときはメグロでした」。いやはや同時代を生きてきた受講生の皆さんは他人ながら自分の分身とさほど違いません。最初無駄と思われた高齢者講習も何だか同窓会のようで楽しい半日でした。
今、自動車学校にはコロナウィルス休校で突然時間ができた若者が押し掛けているとか。S字クランクで立ち往生している若い生徒さんを横目で見ながら、ちょっぴり我が青春時代を懐かしく思い出しました。

2020年2月26日水曜日

ハワイ旅行2020

2月中旬、新型コロナウィルス感染症の拡大におびえながらもハワイ旅行に出かけましたが、結果的には拍子抜けするほど普段通りの旅になりました。とりわけ米国入国の際の健康チェック、帰国時の関空の検疫も通常通りで、まさに水際作戦の最前線であるにもかかわらず何ら緊張感がないのは驚きでした。
さて30数年ぶりのハワイは高層ビルが増えて、昔はホテルのベランダから一幅の絵画のようにダイヤモンドヘッドが美しい姿を見せていたのにもう半分ぐらいしか見えなくなっていました。また昔はそんなに目に付かなかったホームレスが随所に増えていることが格差社会アメリカの縮図のように思われました。
どんな人がどのようにしてホームレスになってしまったのか、彼らと話をしたわけではないので私の想像に過ぎないのですが、多くは地元ハワイの原住民ではなくアメリカ本土から渡ってきた白人が多いように見受けられました。常夏の夢のような楽園ハワイにいったん住み着いたらもう二度と冬寒く夏暑いアメリカ本土には帰れなくなるのかもしれません。恐ろしい天国です。
ホテルではカナダから一足先に到着していた従姉のヨリコ、カズたち7人と合流し、ハワイ滞在を楽しみました。もっとも、楽しんだと言っても我々いとこ同士みんな60代から80代後半の高齢者で海に入る訳ではなく、食べる、昼寝をする、おしゃべりする、そしてショッピング通りをぶらぶら歩くの繰り返しです。
いつも不思議に思うのですが欧米人は、日本人は旅先でも忙しく動き回ってあれではバカンスとは言えない、とよく言います。しかし私は多数の日本人同様、同じ場所で何日も何もしないで過ごすのは苦手です。たった4泊のハワイ滞在も私には長すぎるのに従姉たちは10泊の予定でハワイに来ています。これがバカンス大国フランスともなると1か月海辺に滞在するのは当たり前というのですから、やはり休暇に対する考え方が日本と欧米では根本的に違うのかもしれません。

従姉のヨリコとその夫カズは昨年秋、ダイヤモンド・プリンセス号で日韓クルーズをしたばかりですが、ちょっと時期が違えば横浜で幽閉されるところでした。「クルーズはこういうことがあるから怖いでしょ?」と言っても全然通じませんでした。