2020年9月30日水曜日

国勢調査2020

忘れたころにやってくるのが国勢調査です。前回からオンライン回答できるようになったのは、スマホやパソコンを使い慣れている住民にとっては便利であり、うっとうしい調査員とのやりとりがないぶん昔よりずいぶん楽になったと思います。

それでも回答にとまどうことが多かったのも事実です。私の場合、住居がマンションと一戸建ての2軒あり、ふだんは住民票のある一戸建てで寝起きしています。しかしこちらに調査用紙がいっこうに届かないまま提出日が迫ってきて、私は苦肉の策としてマンションに配布された用紙に一戸建ての内容を書き込んでスマホで送信しました。

でも翌日になって「待てよ、マンションで配られた用紙を勝手に流用したのはまずかったのでは?調査書には個別IDも設定されているし」という疑念がわき、区役所に電話相談。話がややこしいのですが、いつまでたっても一戸建ての方には調査用紙が配布されないし、区役所からも地区の調査員と連絡が取れないとのことで、実状とは違うもののマンションに居住している内容に回答を修正しました。

あらためて「調査票の記入のしかた」の説明書を開き、「2か所に住居をもっている人」のところをみると「ふだん寝泊まりする日数の多い住居」が調査場所になるそうです。しかしながら説明欄には不用になった調査票の処理方法が明示されていません。

今度は「国勢調査コールセンター」に電話してみました。答えは単純明快、「不用な調査票は廃棄してください」。びっくりです。「国の最も重要な統計」という割には配布もれがあったり、区役所、調査員、住民相互の意志疎通もスムーズにいきません。何度訪ねても留守の家庭に調査員も疲労困憊でしょう。また都会では集合住宅の郵便受けに入れられた調査書がそのままロビーのゴミ箱に放り捨てられている光景も。

2020年、日本も遅まきながら官民あげてデジタル化に舵がきられました。100年前の1920年に始まった国勢調査もそろそろビッグデータを活用した正確迅速、人手に過度に頼らない方法でやってもらいたいものです。それにしても日本語の「世帯」って何でしょう?健康保険、税務署、住民票、国勢調査とそれぞれに定義が違うように思います。




2020年9月23日水曜日

令和版「半沢直樹」を楽しむ

テレビドラマ「半沢直樹」は高い視聴率を維持しつつまもなく最終回を迎えようとしています。豪華俳優陣の確かな演技に支えられ、かつての民主党政権時代を彷彿とさせる政官界の悪霊たちに戦いを挑む正義漢の半沢を見て視聴者は例外なくスカッとする仕組みになっています。安心してドラマに没頭できるという意味では現代の水戸黄門といったところでしょう。いやストーリー展開にいろいろ想像力をかきたてさせられるという意味では水戸黄門以上です。

 都市銀行の統廃合、日本航空の破産などバブル崩壊以降日本で実際に起きた、まだ記憶に新しい時代が舞台になっているだけに視聴者もドラマが絵空事ではなく自然に感情移入できる内容になっているのがミソでしょう。「半沢直樹」に関してはネット上でも大フィーバーが起きていて、人物相関を解説する人、結末を予測する記事などであふれています。予告編で辞表をたたきつける半沢の運命は?箕部幹事長は倒せるのか?

 ところで、このドラマを特徴づける演出として気づいたというか気になることがひとつあります。それは半沢を始め、主要登場人物がよく怒鳴ることです。私自身は大学図書館というかなり上品な職場しか経験したことがないので、ドラマの中で役人や銀行幹部たちだけでなく半沢自身も毎度鬼の形相で怒鳴っているのが非現実めいた感じがしますが、さもありなんという体験を私も一度だけしたことがあります。

 バブル時代だっと思いますが、若気の至りで、銀行の預金商品について疑問があり本店頭取宛にクレームの手紙を書いたときのことです。早々に支店長が血相を変えて私の職場にやってきて説明を始めました。全然納得できない内容だったので引き続き私の考えを主張したところ、突然支店長が切れてドラマさながら罵倒されました。本当に怖かった。密かに始末されて大阪湾に捨てられるのではないかとさえ思いました。

 2020年の現在、日本の組織風土はどうなのでしょう。セクハラ、パワハラは日常化し、大学でもときおりアカハラ事件が表面化します。選良といわれる国会議員でも「このハゲーッ!」と怒鳴る女性議員がいました。「半沢直樹」は日本の企業風土に根付いている粗暴な対人関係の一面を可笑しく面白く描き切っていることも人気の秘密なのでしょう。


2020年9月20日日曜日

生えそろった大根

 


山田ねずみ大根。自家採取した種を蒔いたら順調に発芽しました。4粒づつ蒔いて、そのうち生育のいいものを2本残し、さらに1本にします。収穫は12月から1月ごろ。


2020年9月14日月曜日

70年ぶりのノミ(蚤)被害

 ようやく夜中の寝苦しさが和らいだ9月初めの明け方、足元を何かがチクチク刺している気配がしました。朝起きてから足を見てびっくり仰天。左右のひざ下それぞれ20ヶ所も紅斑ができて猛烈に痒いのです。こういう場合掻いてはだめと分かっていてもがまんできるような痒みではありません。
 蚊とはあきらかに違うし、何だろう?しばらくしてこれはノミに違いないと思い至りました。それにしてもノミにやられるなんて、記憶をたどってみると70年近く前の幼児時代(昭和20年代)にまで遡ります。現在寝室として使っているまさにその部屋で私は生まれ育ちました。
終戦直後の物資のない時代、日本人は最悪の衛生環境の中で暮らしていました。子どもの頭はシラミだらけ、布団に入ればノミが飛びかかってくるというおぞましい時代。そのころ登場したのがアメリカ進駐軍がもたらしたDDTという強力な殺虫剤です。銀座の街頭で進駐軍の兵士が若い女性に頭からDDTの粉剤をふりかけ、彼女たちもきゃっきゃっと喜んでいるニュース映像を映画館で見たような記憶があります。
我が家でも寝る前や朝起きたとき布団の中にいるノミをつぶすのが日課でしたが、ある日父が缶入りのDDTを買ってきて押入の布団にパフパフかけていました。子ども心に「殺虫剤を直接布団にかけるのは怖いな」という気がしましたが、父には逆らえません。有機リン薬品特有の臭が染みついた布団で寝ていたものです。
DDTの威力はたいしたものでしたがその後環境汚染物質として危険が指摘され市場から消えていきました。また生活環境もよくなりノミの被害はまれになりました。しかしながらウイルスや原虫など昆虫や小動物が媒介する伝染病は地球温暖化でますます増えているように思います。
現代では病気の花形(?)はガンや生活習慣病、高齢による病変に関するものばかり。しかし人類の長い歴史を通じて人間を苦しめ死に至らしめた病気の筆頭は感染症でした。マラリアのような古典的なものからエイズや新型コロナなど新顔が加わり、人類が向かいあっていかないといけない病気の主役は依然として感染症です。どんなに文明が進化してもノミひとつ退治できない人類は感染症から永久に逃れることはできないでしょう。


症状から見て、ノミではなくトコジラミ(南京虫)にやられたのかもしれない。夕方遅くまで半ズボン姿で畑の草取りをしたとき、噛まれたのかも。



2020年9月3日木曜日

カナダの従兄「ジム」

大正6年生まれの父は5人兄弟の末っ子でした。そのうち次兄(私の伯父)と姉(伯母)のふたりは戦前のカナダに移民し、それぞれ家庭を持ちました。勤勉な伯父や伯母の家族は当初、温暖な気候のバンクーバー近郊で平和に暮らしていたのですが、太平洋戦争が激化してきたころ敵国人として強制収容所に入れられ大変な苦労をしました。そして冬場マイナス20度になるアルバータ州の僻地に強制移住させられました。伯父や伯母はいわばカナダの暗黒の歴史の生き証人のような存在でした。
父によれば若き日の伯母は琴が上手な聡明な人だったそうです。伯母には「ジム」という一人息子がいて、彼は伯父の子どもたちと仲良くアルバータ州の新天地で育ちました。ジム少年は計算や数学が得意だったそうで、高校を卒業したあと生涯、電設工事の仕事をしていました。
伯母はジムがまだ中学生のころ乳ガンで早世しました。従姉たちによれば、ジムの母親は常日頃息子にお金を大切にすること、無駄をしないことを言い聞かせてきたので、ジムは大変な倹約家に育ち、結婚もせず、株でコンスタントに稼ぎ、伯父の子どもたちと慎ましく、仲良く暮らしてきたそうです。
晩年になると人生を楽しむことにも目覚めたみたいで、昨年の11月には従姉たち夫婦4人とともにダイヤモンドプリンセス号のクルーズで鳥取の境港にやってきました。出迎えに行くと何とジムは白人のガールフレンドを連れてきているではありませんか!やせ形のジムの3倍はありそうなバーバラといい雰囲気です。
私の中古ステーションワゴンに6人を詰め込んで松江城や宍道湖を見てまわったのですが、巨体のバーバラが石段を上がるのにも苦労していたのに比べジムはひょいひょいと登っていました。
 たった半年前はそのように元気だったジムですが、今年になって食が細り肺の機能が低下し、ついに8月下旬、永眠したと従姉が知らせてきました。コロナによる制約もあり家族だけで小さな葬式をするからお前も見てとのこと。何とネットでライブ中継するサービスがあるのです。お悔やみのメッセージも書き込めます。そして従姉が書いたメッセージを読んでジムの名が「ジェームズ・ハジメ・オカ」であることを初めて知りました。88歳でした。