2020年10月30日金曜日

マツタケ豊作というものの

 


秋の味覚といえば20世紀梨、サンマ、マスカット、マツタケ……秋の珍味は数々あれどやはりマツタケだけは別格。国産もののなかでも岡山産マツタケはとりわけブランド感にあふれています。そんな岡山産高級マツタケとのご対面を目指して、秋晴れの一日高梁、湯郷温泉方面のマツタケがありそうな道の駅や直売所まで、ドライブがてら出かけてみました。その結果、どこの店で聞いても「今年は入荷が多い」とのことでした。しかしお値段はふつうサイズのカサが開いたものでも1本5~7千円と例年通り高嶺の花です。

 大正生まれだった父の話では我が家がある岡山市近郊の里山でもマツタケはよく採れたとのことでした。私の子ども時代の岡山県のマツタケ生産量のピークは実に2,738トン(昭和32年)、昨今はわずか1.5トン前後であることを考えるとマツタケはもはや絶滅したも同然です。

ほんとうに昔はよかった。山のふもとに田んぼを持っていた伯父は秘密の発生場所を知っていて、農作業に出かけはいつもマツタケを数本カゴに入れて帰ってきました。伯父さんはなかなかのシブチンで、それを弟夫婦である私の両親やかわいい甥っ子(つまり私)には決してくれようとはしませんでした。

 村の慣習で山に入ることはだれでも自由でしたので私も一度だけ、まさに生涯一度だけ村の山でマツタケを採ったことがあります。マツタケは毎年同じところに生えるというので翌年も翌々年もその場所に行きましたが、あれは夢だったのかというぐらい空前絶後の体験です。それでも秋になり山に入ればハツタケ、アミタケなど素朴なキノコがあちこちで見つかり、またブルーベリーの近縁種であるガンス(標準名ナツハゼ)の実を取っては口の中を青くさせていたものです。

 人々が山で薪取りや落ち葉かきをしなくなった今という時代はもはや赤松が生育する環境ではなく、マツタケの生産量が回復することは未来永劫ないでしょう。マツタケは高いといえば確かに簡単には手が出ない食材ですが、この希少性ゆえにマツタケの存在感があるのだと思えば致し方ありません。もしマツタケがエリンギみたいに1パック150円で売られていたらどうでしょう。逆に大根にマツタケ並の希少性があればおでんの大根も燦然と輝くはずです。


2020年10月21日水曜日

顔のシミ取り

 このごろスマホを見ていると顔のシミ取りの広告がよく割り込んできます。うるさい広告は即刻スキップするので、それがどんなものなのかよく知りません。たぶんシミ取りクリームかなんかを購入せよというお誘いではないかと思います。

でもなぜ高齢男性の私のスマホにシミ取りの広告が配信されるかというと、実は私の顔には左の目尻から頬にかけて大小数個のシミがあり長年気になっていました。たぶんネットでシミ取りについて検索した記録が業者に流れてその結果広告が集中したのだと思います。

それはともかく、シミ取りとはいえ正体不明の薬剤を顔に塗るのは怖いので、先日、日頃お世話になっている大学病院の形成外科の先生に相談を持ちかけてみました。医師は私の顔のシミを見て、「こういうのは街の美容外科の方がいいレーザー治療器を持っているし上手ですよ、紹介状を書きますね」と言われたのにはちょっと意表を突かれました。

確かに畏れ多くも大学病院の形成外科は大やけどの治療や欠損した体の修復など重篤な症状で苦しむ人々を助けることに存在理由があるのであって、年寄りが「顔のシミが気になるから取ってくれ」などと言って訪ねるのは少し場違いかも、です。

しかし、私にはむしろ派手な広告を打つ街の美容外科の方が雰囲気的に敷居が高く、少々旧式の器械しかないといっても、やはり大学病院の先生にお願いすることにしました。こうして長年の懸案事項だった悩みは解消に向けて一気に動きました。

レーザー治療は麻酔なしで簡単でした。レーザーを照射するたびにバチン、バチンと衝撃音と痛みがほっぺたを走り抜けます。1カ所に数回照射するのですが、トータルでは軽く一発顔面を殴られたような感じでした。そして1週間後、診察室で顔に貼られた絆創膏を剥がしてもらいました。シミは消滅していました。むしろシミがあったところが白くなりすぎて目立つくらい。そのうち顔の地色に同化していくのでしょう。

顔のシミは老化現象であり病気ではないとのことで全額自己負担でしたが、シミがこんなにも簡単に取れるのなら全然不満はありません。「次は醜く突き出た我がお腹を何とかしなくちゃ」とはずみがつきます。ただしこればかりはお医者さんに頼ることはできませんね。

 
(ビフォア、シミが4個ほどマスクの下にあった)
 
(アフター、ほとんどのシミは消滅。目の横の大きいシミは消えていないので来年1月に再度処置予定)


2020年10月14日水曜日

岡山がミシュランに登場

 今年の秋は岡山県内外の外食好きの人々にとってうれしい出来事がありました。何と飲食、宿泊施設の格付けで世界的に有名なミシュランガイド、京都・大阪版に岡山が加わったのです。さっそく真新しい「ミシュランガイド京都・大阪+岡山2021」を買ってきました。

 ガイドブックのタイトルには「+岡山」とあるので京都、大阪の付録として岡山の有名店が申し訳程度に掲載されているのかと思ったら、そうではなくページ数も京都、大阪とほぼ同じという充実した構成になっていました。岡山は食材がおいしく、また京阪神からの交通の便がいいのでわざわざ他府県から出かけるだけの価値があるというのが、岡山が選定された理由のようです。

 ミシュランガイドの評価基準で最高の三つ星レストランで供される料理とは「そのために旅行する価値のある卓越した料理」と定義されています。三つ星に限らず星がついている店に関してはミシュランの判断は読者の多くが認めるところでしょう。しかしながら味覚とか店に対する評価は人それぞれで絶対的なものではなく、実際のところミシュランガイドもほとんどのページを気軽に出かけられる和食、洋食、寿司、天ぷら、うどん、そば、ラーメン、豆腐、カレー等のお店の紹介に割いています。

 一例として、岡山の表町に行ったときによく立ち寄る洋食の「食堂やまと」が紹介されていました。この店はラーメン、豚カツ、焼き飯など家庭的なメニューが人気でお昼時はいつも席待ちの行列ができています。私、実はこの店の働き者のご亭主とは高校の同期なのです。

  とはいえ、高校3年間を通してクラスがいっしょになったこともないし部活も違ったので、面識があるというわけではないのですが、高校時代の同窓生が半世紀に渡って、同じ場所でおいしい料理を作り続けてきたことがミシュランに認められたことは自分のことのようにうれしいもの。今度「やまと」に行ったら「見たよ、おめでとう」と声を掛けてみるつもりです。

 蛇足ながら、ミシュランガイドの日本版が取り上げる都市は東京や京都、大阪を除くとかなり変則的なものです。かつては北海道や広島・愛媛、福岡・佐賀など特別版が散発的に出たようです。岡山県大特集も今後しばらくないものと思われます。




2020年10月7日水曜日

脱はんこ社会へ

 日本のお役所に深く根付き、未来永劫なくならないと思われてきた行政文書に必須のはんこ押印文化がついに見直されることになりました。行動力のある河野太郎規制改革担当大臣の背後には菅首相がいるのでいろんな方面からの反対があったとしてもこれは実現しそうです。

はんこは日本七不思議のひとつといっても過言ではないユニークな存在です。日本中どこでも数百円で買える既製品の印鑑が署名(サイン)など足元にも及ばない絶対的な効力を発揮するのにも関わらず、ニセ印鑑の押印による被害が蔓延しているかというと案外そうでもなく、このあたりが外国人には、否、日本人にも摩訶不思議なはんこ文化です。

ではいったい何のために押印が必要なのかというと、おそらく「昔からそうなっているから」というのがいちばん実状に近いのではないでしょうか。つい2年ほど前に管轄の警察署に車庫証明をもらいに出かけたときのことです。実家の車庫を登録したのですが、土地の所有者は亡くなった父名義のままです。私は印鑑をふたつ持参し、担当者の目の前で「土地所有者の承諾印」を押そうとしたら、担当者は「あっちを向いてやって」というのです。警察署ですらこんなにも融通がききます。病院の保証人になるときとか、あらゆる日常のシーンで堂々と代理署名できはんこさえ違えば何を押してもノープロブレム。はんこは無敵です!

しかし、脱はんこ社会になったら、おそらく今までの形式的なはんこに代わって、本人自著が必須になり、また認知症になった親の代筆など今まで簡単にできていたいろんな手続きが極端に難しくなるのではという気がします。前述の車庫証明のような場合、はんこを押してくれるべき人はすでにこの世にいません。相続の値打ちなど無いに等しい土地でもお互い避けている不仲な兄と協議して、先ずは相続問題を片づけないといけなくなりそうです。

考えてみればはんこはさまざまな問題をはらみつつも便利な存在だからこそ、行政も見て見ぬふりすることで社会生活が円滑に保たれてきました。この先、規制改革が成功し行政文書からはんこが消えても、印鑑文化は落款や賞状などに生き残ってほしいものです。たとえば叙勲に伴う勲記は大きな御璽が押されているゆえに威厳があり、また迫力と美しさがが感じられるのではないかと思います。