2010年4月23日金曜日

讃岐気質



 ときおり瀬戸大橋を渡って讃岐に行くと岡山と隣合っているといっても人も風景もそうとう趣を異にしていることに気付きます。どう違うか、感じたままを率直に述べてみたいと思います。決して悪口ではないので讃岐の皆さま悪しからず。
 まず風景。なだらかな里山が続く備前・備中とは対照的に讃岐にはその名も讃岐富士、飯野山が平野から唐突に立ち上がっています。山としては小さくても自己主張の激しい風景です。
 人間が作り出した田園風景も違います。田んぼと田んぼの境界をなすあぜ道が岡山あたりでは自然の土でできているのに対し、讃岐ではきっちりコンクリートで固めています。
 水に恵まれない讃岐では、命より大切な水が隣の田んぼに逃げていかないようコンクリートを打って防御。それに岡山弁でいう“げし”(土手とかノリ面)が耕地面積を著しく減少させるのを防ぐためにもコンクリで垂直に仕切るのはある意味理にかなっています。しかしその代償として、讃岐の田園は殺風景です。春がきてもあぜ道やゲシにタンポポやレンゲの花が咲くということがありません。
 自然環境の制約は骨相学にも影響します。岡山人がどちらかというと面長なのに対し讃岐人は丸顔が多い。鼻も低い感じですが、これらの特徴はどんぶりからうどんを効率よくすするのに一番適した形態であることに私は気付きました。
 では、なぜかの地ではかくもうどんの消費が多いのか、それは水不足の土地柄ゆえ米を食べようにも米作は難しく乾燥に耐える小麦栽培が盛んであったという歴史的事実を反映してのことでしょう。
 岡山でうどん、そば、お好み焼きのような粉モン文化が他県に比べ未発達なのは米が豊富で小麦やそばをつくる必要があまりなかったからに他なりません。
 生きる苦労を知らない岡山県人は屁理屈をこねるのは日本一うまいけれど根性がなく、反対に讃岐人は逆境を跳ね返すバイタリティーにあふれ商売上手。岡山資本のスーパーがつぶれた跡には決まって讃岐資本の店がオープンします。

鳩山さんの「いのち」とは

 鳩山無責任内閣の迷走と無策ぶりにはあきれるばかりです。それでもせっかくの政権交代なのでもう少し長い目で見守っていくつもりでした。
 しかし、中国において日本人死刑囚が覚醒剤密輸事件で刑を執行されてしまった件に対して日本政府がとった態度を見て私の心はきまりました。もはや民主党政権には何も期待しない、一刻も早く政権の座から降りてもらうべきだと。
 4人の日本人死刑囚に対する近日中の執行が通告されたというのに政府は「懸念を表明する」という屁みたいなコメントを表明しただけで、「内政には干渉しない」というとんでもない物わかりのよさで応じました。これは昨年末イギリス人死刑囚の執行が予告されたときブラウン首相が激怒して30回近く強硬に抗議したのとまったく対照的です。
 まだ記憶に新しい鳩山さんの施政方針演説「いのちを守りたい」とはいったい何だったのかと思います。たしかに中国の法を犯したかもしれないけれど国際的に見れば死刑相当とは言えない日本人犯罪者のいのちは簡単に見捨てていいのでしょうか。鳩山さんには「中国が死刑を強行した場合は上海万博には行かない」ぐらいの脅し文句の一つでも言うだけの根性はなかったのでしょうか。こういう人に「いのちを守りたい」などという夢みたいなことを何十回も聞かされたくないと思いました。
 伝統的に帝国主義的な外交政策で評判の悪いアメリカも自国民救出には国務省が総力でかかるし、アヘン戦争の原因を作ったイギリスは中国に対して言わば「脛に傷を持つ」身ながら上述のとおり人権問題にはなりふりかまわず抗議します。こういうところがアングロ・サクソン人の立派なところだと思います。
 今回の執行予告に関して日本のマスコミで正面きって中国批判をした新聞はひとつもなく、現地からの特派員報告の形で事実だけ手短に伝えていました。こうした報道姿勢も中国政府にどんなに勇気を与えたことか、桜は満開なのに気分は重いです。

2010年4月3日土曜日

高橋大輔・トリノ2010


 バンクーバーオリンピックでは惜しくも銅メダルだった高橋大輔がトリノのフィギュアスケート世界選手権大会でついに金メダルを取りました。浅田真央とともに男女とも優勝という文句なしの快挙です。しかも今年は第100回の記念すべき大会でした。
 目の肥えたヨーロッパの観客に高橋はどう映ったのか、それはYouTubeにアップされたイタリアやフランスのテレビ動画を見ればよく分かります。解説員がすっかり興奮して「素晴らしい」、「最高」、「お見事」、「音楽性と技術が完全に溶け合っている」などと絶賛。
 日本のテレビはオリンピックに比べると世界選手権の扱いが小さく、なかなかノーカットで放映してくれないのですが、YouTubeなら好きなだけ繰り返してみることができます。
 ヨーロッパで絶賛されるだけあって、高橋の演技はもはやフィギュアスケートというスポーツの枠を超えて鳥肌が立つような身体パフォーマンス芸術の域に達していると思います。華麗なステップはもちろんのこと、小さな指先の動き、首の振り方、表情に至るまでこんなすごい役者は私も見たことがありません。
 高橋の今シーズンのフリーの曲目がフェリーニの名画「道」のテーマ曲(ニーノ・ロータ作曲)であったこともイタリアの観客を狂喜させました。
 第二次大戦直後、日本に負けず劣らず暗く貧しかったイタリア。なんとかその日1日の食事にありつくために人々が必死で生きていた時代の悲しみや憩いのひとときを現代の日本の若者が魔術師のように再現してみせたのですから、イタリア人が喜ばないわけがありません。
 花1輪をジャッジ席に差し伸べアピールするシーンについて高橋は「今日はジャッジが全員男性だったので困った」と朝のワイドショーで笑わせていました。
 観客の興奮をよそにやや抑え気味にインタビューに答える高橋はユーモアのセンスも一流です。来年の東京大会ではどんな魔法を見せてくれるのか今からワクワクします。

カリカリ・ベーコン


 当たり前のことですが、町の肉屋さんでは日常食べる食肉は牛、豚、鶏(トリ)など種類を問わず扱っています。ところが学生時代、初めてフランス文化に接して、どうもフランスには日本のように一口に肉屋と言ってしまえるような店がないのではないか、ということに気付きました。
 教育熱心で怖いフランス人の女性教授が私にフランス語で質問しました。「牛肉はどこで買いますか?」…「デパートで買います」。マダムの顔が一瞬歪み「牛肉を売っているのは“ブシュリー”です!」と厳しく訂正されました。
 後年フランスに行って先生が言おうとされた意味がやっと分かりました。牛肉は“ブシュリー”(牛肉専門店)で売っていました。同様に豚肉および豚肉加工品を売っているのが“シャルキュトリー”です。
 最近では牛・豚の垣根は低くなっていると思いますが伝統的には牛肉屋と豚肉屋は店の雰囲気からしてまったく別物です。シャルキュトリーに入ると、商品の多彩さにまず感動します。
 生の豚肉以上に充実しているのが豚肉製品。ハム、ソーセージ、ベーコン、パテ、その他もろもろの日本の肉屋では見たこともない加工品が、このうえなく洗練されたディスプレイで売られています。
 私はフランスに行くと肩の凝るレストランで一人寂しく食べるより、市場でハムやソーセージ、チーズ、パンそれにワインを買いこんでホテルの部屋で食べるのが大好き。正味で本場の食文化の奥深さを味わえます。
 最近では日本でも地産地消ブームですばらしい豚肉加工食品が通販等で手に入るようですが、私はベーコンだけは函館の「カール・レイモン」から離れられません。ベーコンをカリカリになるまでこんがり焼いて朝食に食べる幸せ!(普通のベーコンはカリカリにならずべたつくのです)
 まもなく菜園のアスパラガスが芽を出します。もぎたてのアスパラガスをベーコンと炒めて食べるのは最高の春の贅沢です。