2012年5月26日土曜日

古代七つの文明展

 先日東京から友人が訪ねてきたので定番の後楽園を案内したあと岡山市立オリエント美術館に寄ってみました。ちょうど今「古代七つの文明展」が開催中で思わぬ収穫がありました。(624日まで)

 オリエント、エジプト、中南米、ギリシャ・ローマ、シルクロードとインド、中国の古代文明の遺産に関しては今までも内外の博物館・美術館や特別展でお目にかかってきました。こうした遺跡や遺物は紀元前3千年とか4千年という気の遠くなるような昔の文明の痕跡であるにもかかわらず、まるで昨日それらが消滅したばかりというぐらい鮮明にまた完璧に保存されています。

ところが今回の展覧会が非常にユニークだと思ったのは、上記6つの文明に加え、我が日本の縄文文明がエジプトやメソポタミアに負けず劣らずの迫力で肩を並べていたことです。正直言って縄文時代とは“いまだ文明以前”ぐらいに漠然と思っていた私には大ショック。何に驚いたかというと、十日町市博物館蔵の国宝・縄文式火焔型土器の推定年代として紀元前3500年―2500年頃と明記したあったことです。

年代の古さにおいても美的価値においても古代エジプトやメソポタミアのものに全然負けていません。日本で古代史というとせいぜい邪馬台国はどこにあったのかとか、卑弥呼とは誰だったのか、のあたりで思考が停止してしまっていて、それ以前はおおざっぱに縄文、弥生時代とひとまとめにしていたのが我々の古代史観ではないでしょうか。それが一気に5500年も遡れるなんて!

そのことを生まれて初めて知っただけでも「古代七つの文明展」を見た価値があります。エジプト学の世界的権威である早稲田大学名誉教授・吉村作治氏監修の非常にレベルの高い催しものがこの岡山で開催されていることにも感激しました。

美術館に入ったのが4時過ぎだったのでゆっくり見学するひまもなくあっという間に閉館時間に。しかしもうひとつ驚きがありました。館外で吉村先生とばったり出会ったのです。すると友人は先生に親しくあいさつしたのでびっくり。何でも昔アルジェリアでサハラ砂漠探検をする吉村先生、曽野綾子さんを接待したことがあるそうです。古代悠久の歴史もおもしろいのですが、人の出会い、再会もまた奇なりと思いました。

2012年5月17日木曜日

岡山県庁のミュージックサイレン


 ○○誌前編集長の○○氏は職を辞して以来、郷土史に名を残した著名人の伝記を精力的に上梓されています。最近偶然書店で氏の最新作である「三木行治の世界:桃太郎知事の奮闘記」(岡山文庫、日本文教出版社、2012)を目にしました。

 同著には私が知らなかった三木知事(知事在職1951-1964)に関するさまざまなエピソードが網羅されていて興味が尽きません。例えば、資料として添えられている三木さんのパスポートには“身長1.57メートル”と記載されています。恰幅のいい大男のイメージが記憶に残っていますが、実は小柄だったのですね。

 さらに同書を読み進んでいくと、今も正午と午後5時に県庁の屋上から美しいメロディを鳴り響かせているミュージックサイレンに関する詳細な記述がありうれしくなりました。三木知事が現庁舎ができるとき「ひとつだけわがままを言わせてくれ」とこだわって最高級の機器を設置したという逸話です。

 私の中学生時代、正午にはシューベルトの「菩提樹」を、そして夕方学校帰りにはドボルザークの「家路」を聞くのがとても楽しみでした。○○さんの本によると昔はサイレンの音をさえぎる高層建築がほとんどなかったので県庁から5キロメートル離れたところでも聞こえたと書かれていますが、私が住んでいた妹尾は10キロ近く離れているのに夜9時、風向きがいい日には「子守歌」がはるか遠く聞こえていました。

大学生になって岡山を離れ、53歳のとき親の介護のために仕事を辞めて再びふるさとに帰ってきた私を何よりも暖かく迎えてくれたのが県庁の「菩提樹」と「家路」でした。思春期のころの胸がうずうずする感覚がよみがえってきます。「早春」、「あこがれ」、「友情」、「初恋」、「旅への誘い」、「郷愁」……。

青春は過ぎ去り老いを感じ始めた今、なつかしいサイレンの音色を私は特等席で聞いています。県庁の真向かいにある県立図書館です。まもなく正午というとき決まって正面玄関から外に飛び出し、図書館の太い柱にもたれながら至福のメロディにしばし身と心をゆだねます。

泉に沿いて茂る菩提樹……

ここに幸あり、ここに幸あり。

プァー(正午の瞬間)

桃太郎知事からのプレゼントは世代を超越した県民の宝物です。

2012年5月10日木曜日

恐怖の高速ツアーバス


連休中の交通事故件数は例年より少なかったという新聞記事を見て思わず“ウッソー”とうなってしまいました。が、統計的にはそれが事実なのでしょう。

しかし記憶としては、連休前にあちこちで発生した登校途中の学童の列に車が突っ込み大勢の痛ましい犠牲者を出した事件に高速ツァーバス居眠り運転事故の衝撃映像が重なり、日本の道路行政、運輸行政、通学路の安全確保等はいずれもお寒い限りだということが露呈したのが連休前後の約3週間でした。

私自身2,3年前、岡山・東京を往復するのに高速ツァーバスをよく利用し本欄にも体験記をつづったことがあります。ツァー代金は鉄道の半額から4分の1だし夜行なので宿泊代と移動中の時間が節約できることが最大の魅力でした。

岡山路線は各社とも距離(約700キロ)の制約から乗務員が1人で運転することは許されず、実際私が乗車したどのバスにも交代の運転手がいました。しかしある会社のバスは車内にトイレがないのにいったん岡山を出発したら最初のトイレ休憩は何と岐阜の養老SAという強行軍で大変驚きました。途中でトイレに行きたくなることがないよう車中での飲食は極力我慢したものですが、その間運転手が過酷な状態の中でバスを運転していることには想像が及びませんでした。2回目のそしてそれが最後の休憩地だったのは何と神奈川県の海老名SAでした。

 今回の事故の詳細が明白になるにつれ、もし乗車前にそれが分かっていたら200パーセント、誰もこんな危険なバスには乗らなかったでしょう。無責任な会社、違法であるうえ過酷で低賃金、孤独な日雇い運転手。しかも中国出身のこの運転手は今回の運行経路に土地勘がなく道路案内標識を十分理解するだけの日本語能力に欠けていたといいます。

更に何よりも許し難いのがこのようなバスが深夜日本中の高速道路を走っている現状を放置・是認してきた国土交通省の無為無策無責任行政です。国交省に限らず、些細なことには口うるさく規制する割に肝心のところで大抜けしている日本の行政システム。これを総点検することは今や待ったなしの政治課題です。

悲惨をきわめ、決してあってはならない事故の犠牲となられた方々に深く哀悼の意を捧げます。