2013年11月27日水曜日

天皇陛下と宮殿

  ここ十数年、皇室トピックと言えばいいにつけ悪いにつけ雅子さまをめぐる話題が中心だったような気がします。ところが秋の園遊会で山本太郎参議院議員が天皇陛下に突然手紙を渡すという前代未聞の珍事が発生し、不敬であるとして山本議員に対する懲罰や天皇の政治利用に関してさまざま議論されました。

この秋、庶民でもあまり考えたくない自分の葬儀や埋葬に関して両陛下ご自身が質素かつ現代にあわせたスタイルでやってほしいと発言され大きなニュースになりました。

そして明るい話題としてはケネディ米国大使着任にともなう馬車行列と信任状捧呈式がありました。宮殿正殿・松の間での伝統と様式美に彩られた国事行為をテレビを通じて垣間見ることができました。

山本議員の手紙事件はまったくほめられた行為ではありません。別に園遊会のような特別な席でなくても型が決まった行事の最中での唐突でぶしつけな行為はそもそもマナー違反ですが、まるで火の手があがるように山本議員の軽率な行為に対し議員辞職まで迫る非難の嵐が起きたのは行き過ぎだと思いました。

この事件がどのように決着が付くのかなと思っていたら、任期中は皇室行事への参加禁止という訳の分からない処分で火が消えました。なぜ強硬な懲罰要求が引っ込んだのかというと、私の想像ですが、山本議員あてに刃物が入った郵便物が届いた事件があり、陛下が議員のことを心配されているというニュースが伝わったからではないかという気がします。人間的に暖かく、深い思慮と無私の思いやりにあふれた方を陛下としていただいていることを奇跡のようにありがたく感じました。

天皇の存在は我々が普段意識している以上の恩恵を日本にもたらせているのはいうまでもありません。それなのに国事行為の本丸、「宮殿」なるものがなぜあのように質素なのでしょう?外国の新任大使も「宮殿」と聞いて出かけたのに家具調度品ひとつない板の間が「正殿」だったとはびっくり仰天ではないでしょうか。

伊勢神宮も驚くほど簡素な建物であることを考えるとあのシンプルさこそ日本をよく表現しているといえなくもないのでしょうが、せめて迎賓館(旧赤坂離宮)クラスの宮殿を皇居に置いてもバチは当たらないのではないかと思います。

2013年11月14日木曜日

ザワークラウト

  テレビ番組でコンスタントに視聴率が取れる定番に料理番組があります。イケメンタレントが実現不可能な凝った料理を作ったり、うるさい大阪のおばはんが講師の横から機関銃のように口を挟んだり、3分とか5分というわずかな時間でたちまちよだれがでそうなごちそうができるものなどいろいろ。

でも残念なことにテレビを見ながら真似して作ってみたいと思っても材料が複雑すぎたり、何を何グラムとメモしなければどうにもならないものばかり、もっぱら目で楽しみ忘れます。ところが最近たまたまチャンネルを回していたらNHKの「きょうの料理」でドイツ名物ザワークラウトの作り方をやっていました。

講師は日独ハーフの門倉多仁亜(かどくらたにあ)さん。料理はやはり本場の人から習うのが一番です。ザワークラウトは“酸っぱいキャベツ”という意味でキャベツを乳酸発酵させたドイツを代表する漬け物ですが、これにソーセージとビールがあったら文句なし。梅干しとおにぎり並の相性の良さです。レシピは超簡単、すぐ覚えられました。

材料: キャベツ1個、塩はキャベツ重量の2%、ローリエ1枚、ジュニパーベリー3粒(あれば)、キャラウェイシード少々とのことです。

ここで“はて?”と思われる方が多いと思われるのがジュニパーベリーでしょう。日本ではあまりなじみのないものですが、洋酒のジンの香り付けに使われる松ヤニっぽい香りの香辛料です。デパートでもなかなか取り扱っていません。

ところがこれは実は日当たりのいい近場の里山のどこにでも生えている針葉樹の実。和名「ネズ」です。岡山では「モロウ」とか「モロ」と呼ばれ、私が子どものころはこの木を切ってきてクリスマスツリーにしたものです。ジュニパーベリーがどこにでもあることを知っているのは不肖、私ぐらいのものではないかとちょっと得意気な気分です。

荒く刻んだキャベツに塩をして上記材料を加え重石をして暖かい部屋で3,4日発酵がすすむのを待ちます。静かにホツホツと泡立ちながら発酵してたちまち本場のザワークラウトが完成です。おいしい! キャベツ2個で作ったのにすぐに食べ尽くし、今度は4個、大きな瓶(かめ)で作りました。「ソーセージとビールをこれに持って参れ!」と独り言。

安全神話よ、いつまでも

 昔から日本は“安全と水はタダ”と言われてきました。水道水はたしかに有料ですが1立方メートルの水が1リットルのミネラルウォーターより安いのですからタダ同然。これが中国などへ行くと何はともあれコンビニを探して2リットルとか4リットル入りのミネラルウォーターを買い求め、飲料はもとより歯磨きにも気を配らなければならないので大変な労力とコスト負担になります。

 これに反し“安全”の方は日本でもずいぶん高くつくようになりました。至るところ監視カメラが設置してあり、警備保証は成長著しい産業になりました。しかし、それでも日本は訪日観光客が驚き、感激するぐらい安全が保たれている社会であることには相違ありません。

 日本でふつうに暮らしていて、空港以外の場所で持ち物をチェックされることなど経験したことがありませんが、これが一歩外国に踏み込むとそうでもありません。上海やバンコクの地下鉄改札口にはエックス線透視装置が設置してあって、始発から終電まで、係員のおじさんやおばさんからバッグやリュックを装置に通すよう指示されます。

地下鉄ですらこの調子でセキュリティチェックをされ、うっとうしいことこの上ないのですが、長距離列車が発着する上海駅などでは一段と厳しいチェック体制がとられています。駅がまるで空港のような構造になっていて、切符をもっていない人はそもそも駅構内に入れません(切符売り場と駅構内は完全に分離されています)。

乗客は列車の行き先ごとに待合室に入れられ、列車がホームに入ると係員の誘導でホームに移動して指定の車両に乗車する仕組みです。列車が出たあとホームには人っ子ひとり残っていないことを確認して次ぎの列車が入ってきます。

もし日本の新幹線で上海並に荷物検査なんか始めたら5分おきに列車を出すことなど到底不可能になり鉄道による高頻度・高速大量輸送体制が成り立たなくなります。けれども本当は危ない。でも知らんぷり。
爆発物や危険な化学物質が入った荷物が網棚に放置されているかもしれないのにひたすら安全神話にすがって運行されている日本の新幹線。おそらく何か起きないかぎり今の便利で自由な乗車システムは維持されるでしょう。安全神話よ、永遠に。

2013年11月4日月曜日

菅原道真あれこれ

“菅公学生服”(岡山市)は学生服のトップメーカーでその歴史は大正時代にさかのぼるそうです。私が中学生だったころ(昭和30年代)も“菅公”とか“カンコー”というロゴの看板をよく見かけました。「カンコーって何だろう? 変な名前だなあ」などとその摩訶不思議なブランド名をいぶかったものですが、それが菅原道真にあやかった名前だったことに気づいたのはずいぶん後年になってのことです。

 菅公すなわち学問の神様の名前を学生服のブランド名にしたのはなかなか気がきいています。政治家として、学者として、また詩人として才能がありすぎたために不遇な最後を遂げた悲劇の人。死した後いったんは怨霊として恐れられたもののその後一転神様に祭り上げられた日本史の中でも最大級の卓越した人物。

 天神様、菅原道真はおよそ上記のような経歴で知られ、ちょっと堅いイメージがあるのですが、道真が残した膨大な量の漢詩を読むととてもみずみずしい感性の持ち主で千年以上も昔の人とは思えません。『菅家文草』という漢詩集にこういう七言詩(部分)があります。

 紈質何為不勝衣
 謾言春色満腰囲 (春娃無気力)

紈(しらぎぬ)なす質(かたち)の何せんとてぞ衣(ころも)に勝(た)えざる
謾(いつわ)りて言えらく春の色の腰の囲りに満てりと

この2句の意味はおよそ次のようになります。

舞姫たちのすべすべ肌は薄衣さえ耐えられないように見えるのは何故?
春の気が彼女たちの腰のまわりにまとわりついているからだと? 嘘おっしゃい!

(つまり)
スケスケ衣装の舞姫たちがこの上なく色っぽいのは、春の陽気のせいですか? いいえ(彼女達が発散させるフェロモンのせいです)……などと超訳すると身も蓋もありませんが、平安時代初期、すでに道真は現代フランス象徴詩に匹敵する詩を大量に残していることはもっと知られていいと思います。

 話変わって、10年ほど前まで「とうりゃんせ……、天神様のお通りじゃ」の曲が大阪で盲人用信号に広く使われていました。私は当時の磯村大阪市長あてに「こんな暗くて脅迫的な短調の曲は盲人用信号に使うな、ピッポーにせよ」という主旨のメールを出しました。メールを出したことすら忘れたころ大阪の信号が「ピッポー、ピッポー」に変わりました。万歳!

* * *

道真のこの詩は唐の詩人、白居易の『長恨歌』の影響を受けているものと思われます。

 春寒賜浴華清池(chi)
 温泉水滑洗凝脂(zhi)
 侍兒扶起嬌無力(li)
 始是新承恩澤時(shi)

   春まだ寒いころ、華清池の温泉を賜った。
 温泉の水は滑らかに白い肌を洗う。
 侍女が助け起こすとなよやかで力ない。
 このとき初めて皇帝の寵愛を受けたのであった。

高等学校の漢文の授業で先生は次のように解説されました。
「楊貴妃がお湯からあがろうとしたときぐったりして力が入らなかったのは、何も温泉で湯当たりしてのぼせたからではないよ」(先生はその後国士舘大学教授になられた)

この華清にある温泉は今でもお湯が出ているそうです。西安には行ったことがないのですが、一度はその温泉や兵馬俑博物館を訪れてみたいと願っています。
(写真は華清宮。楊貴妃の像が史跡のイメージをぶっ壊しています)