大正6年8月生まれの父が97歳の誕生日を待つことなく梅雨の合間の青空にかえっていきました。まったくの私事に過ぎない父の訃報をおおやけにすることはためらわれるのですが、長年介護し、そのようすをこのコラムに書き連ねてきましたので一応のご報告をさせていただきたいと思います。
今や大正1桁世代もまれになってきましたが、父が生まれたころは江戸末期から明治生まれの人が周りに大勢いたはずで、子どもの父はそういう人の話も聞いていたと思います。そして90歳を過ぎた父が曾孫に昔話を聞かせたとしたら、人間の記憶というものは一人の長寿の人を介して200年ぐらいのスパンをほぼダイレクトに語り継ぐことができます。そんなにも長い人生でした。
人生においてなすべきことを余すところなくなし終えた人の平和で穏やかな死でした。
人生においてなすべきことを余すところなくなし終えた人の平和で穏やかな死でした。
容態が急変し救急車を呼んで病院に搬送し、一時は安定するかにみえたのですが2日余りの入院ののち永眠しました。直接の死因は誤嚥性肺炎でした。長年人工透析をしながらも天寿をまっとうしたことは現在腎不全で人工透析を受けられている全国の多くの患者さんに希望を持っていただけるのではないかと思います。
葬儀や煩雑な事後処理が終わり父の書斎を片づけていたら父が喜寿(77歳)のころにワープロで作成した文集が何冊か出てきました。教師として過ごした40年の思い出とはまた違った多彩な趣味人としての父の素顔が見えるような文章で、いずれちゃんとした本にしてあげようと思います。その中の一つをご紹介します。
伊勢物語の「かきつばた」の真似なのか自分の名前である「おかすみお」を句の上に据えて人生の現実と夢を語っていました。
[現実]
お さないときからきまぐれ人生
か ねにはとんと縁薄く
す み家は雨もりセメント瓦
み なりはいつもちぐはぐで
お 粗末人生黄昏だ、申し訳ないことばかり
[夢]
お さないときから学者がのぞみ
か ねもしっかりためこんで
す み家は豪邸長屋門
み なりにいつも気をつかい上から下まで一流品
お えらい人といわれたい
ウワッ・・・喜寿だ!
父の遺稿文集「かなし」より