2016年1月18日月曜日

大女優、原節子

 戦後の日本映画の黄金時代を彩った大女優、原節子(1920-2015)が昨秋ひっそり亡くなりました。原節子が活躍した40年代から50年代の映画撮影は今では考えられないハードスケジュールで原節子も毎年5本前後出演しています。

 70年代になって日本映画が下火になったころフランスでは往年の日本映画の再評価がなされ、パリのシネマテック(国立映画博物館)では黒澤明や小津安二郎特集をよくやっていました。

 私が原節子の代表作「東京物語」を初めて見たのもたまたま滞在していたパリのシネマテックでした。小津監督にとっても原節子にとっても代表作である「東京物語」。尾道に住んでいる老夫婦が、久しぶりに子ども達が独立して生活している東京を訪れたもののみんな生活が忙しく老親に寂しい思いをさせます。そんな中、戦死した次男の妻、紀子が義理の両親を細やかに気遣う話です。

 これといった事件もなく淡々としたストーリーはヨーロッパ人の美意識を激しくくすぐり、小津安二郎への評価は絶対的なものになりました。

そして日本女性の聡明さ、つつましさ、神秘的なまでの美しさで観客を魅了したのが主演女優の原節子だったのです。ところが彼女は1962年、最後の映画に出演したあと引退し、その後半世紀以上の長い年月を世間から遠ざかって暮らし、「永遠の処女」などと呼ばれました。

 同じ時代のヨーロッパの大女優、イングリッド・バーグマン(1915-1982)は名画「カサブランカ」(1942)で知らない人はいませんが、彼女は引退することなく晩年には故国スウェーデンの巨匠イングマル・ベルイマンの「秋のソナタ」で深い演技を見せました。

 また、マレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)も1979年には「ジャスト・ア・ジゴロ」で高級ホストクラブの女衒(支配人)の役を老醜を隠しもしないで演じて忘れがたい印象をスクリーンに残しました。このとき若きホスト役だったのが先日亡くなったイギリスのロックスター、デヴィッド・ボウイでした。

 こうしてみると、女優の命は外見の若さ、美貌、もどかしいばかりの肢体にあるのではなく、老いてもなお内側から輝くものだと思います。原節子には引退などしないで、日本女性の高貴で美しい“老い”を見せてもらいたかったです。

2016年、年頭にあたり

  また新しい年が始まりました。今年はリオ・オリンピックの年です。はるか遠いブラジルの地でのオリンピックですが、日本からの選手や観客と現地の日系人との交流はさまざまな場面で深まるでしょう。そして2年後には韓国・平昌で冬季オリンピックが予定され、4年後はいよいよ東京です。

東京大会に関しては国立競技場の建設問題、エンブレム騒動等出鼻をくじかれるような問題が多々ありましたが、準備段階での舞台裏事情はともかく本番では日本のきめ細やかな大会運営が期待されます。

こうした大規模な国際イベントにとって今や最大の懸案事項はテロ対策です。4年後の世界情勢はどうなっているのでしょうか。欧州、中東を舞台にした宗教的、政治的葛藤はより過激になるのか収束に向かうのか? 中国の覇権主義の行方は? 銃社会のアメリカの指導者はいったいだれに? そして日本はどんな国柄の国家になっているのでしょう? 

楽観的な未来像を描くことは今の世界情勢からいってとても難しい気がします。個人的には4年後には71歳になっています。もちろん生きていればの話ですが……。

それにしても今年も新年を迎えられたことはありがたいことです。2年前に亡くなった父は96歳のまま、ときどき夢に出てきては私をびっくりさせます。墓参りをさぼっているから向こうからやってくるのだと思いますが、父はもうこれ以上年を取りません。今年の夏には2歳若かった母が父の年を追い抜くでしょう。

両親のことだけでなく自分にとって大切だったもの、音楽、絵画、文学、映画等、お気に入りの作品はどれもこれも幼年期から青春時代に出会ったものばかりです。つまりは半世紀以上前のものを再び追い求めているこのごろです。昔の映画はDVDで簡単に入手できます。日本の古典文学は、最近になってすばらしい現代語訳が施されていっそう身近な存在になってきました。

こうして、未来を思い描くのではなく過ぎ去った過去にばかり目を向けることは一般に、後ろ向きで見苦しいことと考えられています。しかしながらこの先4,5年以内に人類が達成することなど、過去数千年に渡って積み上げてきた知恵の総決算に比べたらものの数ではありません。今年は古典の世界に静かに向き合っていこうと思います。

四国急行フェリーのご利用を

 年に何回か上海へ行くのに相変わらず高松発着の春秋航空を愛用しています。出発日によっては片道3千円以下の料金設定をしていることも珍しくなくわざわざ瀬戸内海を渡る価値は十分あります。また高松自体も栗林公園など観光スポットの多い大変魅力的な都市なので空港の行き帰りにあわただしく素通りするだけなのはもったいないことです。

昨年末上海に出かけたときは帰路ちょっと時間があり栗林公園や博物館に立ち寄り、その後JR瀬戸大橋線ではなく何十年ぶりかでフェリーに乗って宇野まで帰ってきました。

 かつて24時間休まず頻繁に運行していた連絡船も、1988年に瀬戸大橋が開通して以来、今や四国急行フェリー1社がほそぼそと営業を続けているのみです。瀬戸大橋とは勝ち目のない競争をしているのが現状ですが、しかし「ここまでして大丈夫?」と思わせるうれしい出血サービスがあることを知り、概要をご紹介します。ぜひご利用を!

昨年12月現在のデータですが、運行便数は高松発、宇野発それぞれ1日に10便。朝は7時発、最終便は20時10分発です(宇野、高松とも)。通常、フェリーは車で利用する場合運転者1名分のみ運賃が車両搬送料に含まれていますが、四国急行フェリーの場合、同乗者は全員無料なのです。休日は平日よりさらに1割弱ほどお安くなっています。

ちなみに普通車での往復運賃は平日で5,650円、休日では5,130円です。さらにシルバー割引きというのもあってシニア層にはうれしいサービスです。また車なしで乗船する旅客運賃は片道690円、往復で1,320円です。

 岡山-高松間はJRでは1,510円(マリンライナー自由席)かかるのに対しJRで宇野まで行き、フェリーに乗り換えた場合の合計運賃額は1,270円と240円も安く驚きの料金設定です。所要時間は2時間ちょっとです。

 海上の橋からではよく見えない瀬戸の絶景も船からは手に取るように近くに感じられます。潮風も心地よく波静かな内海を船は滑るように進んでいきます。携帯充電用の電源コンセントも完備、売店にはインスタントながらカップうどんもあります。瀬戸大橋の向こうに日が沈み残照の中、懐かしい海のにおいに包まれ、エンジンのリズミカルな音を聞きながらのクルーズは最高の贅沢でした。