2019年7月29日月曜日

メロン配達という"しごと"その後

いつものマドモアゼルの喫茶店に行ったらマドモアゼルが、(メロン園の)「Kさんからお中元としてコーヒーチケット5千円分預かってます」とのこと。気を使ってもらい恐縮です。

この喫茶店ではコーヒーチケットなどないけれど、私のために手書きのチケットを作ったそう。1回分おまけがついているらしくホットでもアイスでも11杯飲めるらしい。今年のメロンの出荷はお盆には終了するので私もほっとしている。

2019年7月24日水曜日

メロン配達という"しごと"

幼なじみで高級メロンを栽培していたK君が急逝してはや3年近い月日が流れた。厳冬の中で、また高温多湿を極める真夏のハウスで年中休むひまなく働き続けてとうとうメロンに命を捧げてしまうことになるとは。もうメロン園は閉じるしかないだろうと誰もが思っていたが、喪があけたら、70に近い奥さんが夏場だけメロン栽培を再開したのにはびっくり。

小学校教師の娘さんは週末などは手伝っているが、奥さんは毎日早朝から夜中までメロンの栽培と出荷準備でへとへとの毎日。デパートに納品に行く人が見当たらないので、私に助けを求めてきた。53歳で退職した私はそれ以降お金をもらって働いたことがなく、メロンの配達は新鮮な体験になりそうで興味本位に引き受けた。

K夫人とは配達に関してとくに契約めいたものを取り決めた訳でなく、言わば「子どものお使い」という位置づけが近い。デパートから8個とか20個、納品せよとの指令がメロン園にあると、K夫人から私に電話で依頼があり、私はメロンをデパートまで運び伝票に受け取りのサインをもらって帰る。在庫を持ちたくないデパートは注文が細かくたった5個の納品オーダーがあることも。往復と搬入作業に要する時間は2時間。

お使いの駄賃は“ガソリン代”として1000円+ミネラルウォーター1本あり。3回に1回ぐらいは高級メロンをもらって帰る。メロン配達をバイトと考えたら、全然ペイしない。交通事故に遭遇しても労災保険はない。だからこれはバイトではない……、にしても、困ったときの人助けというにはほぼ週2回の配達は業務っぽい。業務なら最低賃金プラス自車持ち込み、保険なしなので、1回5000円が相場か? しかしデパートでの小売り価格と納品伝票の価格差に唖然とする私には、そんなことを汗だくで働いている奥さんに言えない。

そもそも1000円であれ5000円であれその差に大きな意味はない。もう若くはないK夫人にしてもそんな大変な労働をしてまでメロン園を維持する経済的理由は乏しいと思う。亡くなった亭主のメロンに対する思い、長い年月を夫婦でメロン栽培に心血をそそいだ思い出を風化させたくないという思いでメロン作りを続けているように見受けられる。

さて、1000円のお駄賃でメロン配達をしている自分自身の行為について、別の解釈の可能性を考えてみる。もしメロンの運搬と週一の雑誌原稿書きがなかったら、そうでなくても自堕落な毎日がますますひどくなって引きこもりまっしぐらになること間違いない。配達はエッセイのネタになるし、デパートのバックヤードも見ることができた。何の取り柄もない、存在理由もない老人が1日を健康に過ごせることを金銭に換算すると1万円の収益に相当する。反対に病院や施設で寝たきりで過ごすと1日当たり3-5万円くらいの損失になる(個人負担、自治体、国負担を合わせて)。こう考えると、社会参加を通じて頭と身体能力の老化防止に役立っているメロン配達は実は金銭的にも十分ペイしている。

私のような都合のいい人間はなかなかいないだろう、と自分でも思う。もしK夫人がメロン配達のバイトを探すとしたら、だいたい週2で不定期に来てくれ、車の運転ができ、単純とはいえデパート納品の仕組みと手順を瞬時に理解し、ドタキャンなどしない人材を見つけることができるだろうか?デパートのバックヤードには高級食材がかなり無防備な状態で積まれているので、バイトテロをしでかすような人間は絶対使えない。

ここで大学時代、心理学の授業で習ったある実験の話を紹介したい。

実験。
被験者の学生を2つのグループに分ける。グループAの学生にはわずかな報酬で単純作業をさせる。グループBにも同じ単純作業をさせるが高い報酬を支払う。
1時間後「仕事は面白かったか?」それぞれのグループの被験者に尋ねる。

「面白かった、意義があったと感じた」と答えたのはどちらのグループでしょう? Aのわずかな報酬しかもらえなかったグループです。そのココロは、ちゃんと報酬をもらった人たちは作業がつまらないものだったことが客観的に判断できたのに対し、詰まらない作業を報酬なしでやらされた人は、その事実を受け入れられず、「自分たちがやった作業は意義があるものだった」と考えないことにはやってられないという心理が働くとのこと。50年前の心理学の教室でこの話を聞いたとき一番記憶に残ったのは、上記のような結果もさることながら、いずれの被験者に対しても実験を企画した側から報酬は支払われなかったというオチ。ちょっとひどくない?

結論。
メロン配達は、金銭的にはほとんど無意味、むしろ交通事故など大きなリスクを背負っているが、人助けがもたらすある種の喜び、必要とされる存在であることを実感するための行為に他ならない。心理学の実験のとおりということになる。

PS. 案の定本日上記で危惧した事態が発生した。配達の帰り、たまに寄る喫茶店の駐車場でバックで駐車しようとしたとき、もう少しバック!とアクセルを踏んだらコツンという音がした。車を降りてみるとバンパーが喫茶店のコンクリートモルタルの壁に接触して傷がついてしまった。いくら古い車でも大切に乗っている車に傷がつくのは悲しい。メロン配達とはほとんど因果関係のない話ながら、いろんな要素が複雑に組み合わさって運命に導かれてしまう。Mais, ca doit etre tres subjectif!(それは大変主観的な考え方に違いないが)

2019年7月23日火曜日

三つ子の魂百まで

 東京上野の国立西洋美術館で開催中の松方コレクション展会場に展示されている松方幸次郎の経歴をあらためて読んでみました。昔の実業家、大富豪はスケールも違うし、やることも大胆でしかも巨万の富をちゃんと後世に残す算段をして世を去っていることに大変感銘を受けました。
 説明は日本語のほか英語でもなされ、何気なく英文のパネルを読んでいたら、「第一次世界大戦」、「第二次世界大戦」の部分が”the First World War””the Second World War”と綴られていることに気づきました。これらは固有名詞なのでふつうは”World War I”, ”World War II”と称する、というのが私の頭の中にあり、ちょっと違和感がありました。
 岡山に帰ってきて、よせばいいのに、そのことについて美術館宛にメールを出してみました。あの名だたる国立美術館の学芸員様あてに!もちろん控えめな言葉使いに努め、また西洋美術館自身のホームページ上でも松方幸次郎を紹介する記事においては、”World War II”式の表現を使っていることを引用しつつ、とにかくクレーマー扱いされないよう心がけました。
数日後、返信のメールがきました。文面は私が指摘した点にはとくに触れることなく、「このたびは貴重なご意見をいただき、重ねてお礼申し上げます。今後の運営などの参考とさせて頂きます」という実に素っ気ないものでした。たぶん役所的にはこういう文面こそ100点満点の回答なのだと思います。つまり何か答えているようでもあり、同時にお前の意見など何一つ取り合っていないということを最小限の言葉でクレーマーに悟らせるテクニックを駆使した模範回答。
 思えば私は小学生のころから71歳の現在までずっとこんなどうでもいいことを指摘するのが好きな人間でした。お節介、出しゃばり、自己顕示欲のかたまり……。今でもよく覚えていて思い返すたびに赤面するのは、小学生のとき、月の自転を巡って担任の先生を説教したことです。
 「月は自転しません」と先生がおっしゃるので、「公転と自転周期が一致しているだけで自転しています。もし自転しないのなら月の裏側が見えるはずです」と私。先生は首をひねっておられました。どうも納得がいかないようすです。「先生、家に帰って一晩よく考えてみて下さい!」本当にいやな子どもでした。

2019年7月22日月曜日

コンニャクの実


コンニャクの実が熟してきました。一粒の大きさは大豆くらいです。パパイヤ風のきれいな色の実です。アマガエルの子どもがとまっていました。
梅雨時の庭はまるでジャングルです。

2019年7月16日火曜日

山田ねずみ大根


滋賀県特産の山田ねずみ大根の種を購入しました。昔一度栽培したことがあります。根の長さが25センチメートルの短い大根ですが、肉質の柔らかさは大根中随一とか。

もう一方の白首宮重丸尻大根はタクアン漬けにするつもりで購入。細長い大根でないと干しても乾かないのです。昨年は「干し理想」にしましたが生育が遅く、今年は宮重に。
昔、タクアン用大根で地上部がとても激しく曲がる品種を育てたことがあります。直角に曲がり、畑がとても乱雑に見えました。あれは何という品種だったかなあ?と思っていたのですが、この白首宮重丸尻大根のパッケージの説明に「根は地上に伸び上がり曲がります」とあるのでこれだったのかも知れません。記憶では「とてもよく曲がります」だったのであるいはさらに別の品種かも知れません。
宮重は固定種で「肉質極上の煮食用」とのことですが、やはり曲がるという特性は栽培家にとってやっかいです。まっすぐ抜けず折れるのです。タクアン用には阿波系統の大根も有名です。

2019年7月11日木曜日

うつ病の由来

 科学史上の新発見、新説はときに我々の人生観までひっくり返すことがあります。数年前イギリスのサイエンス誌に発表されたある論文によると現生人類にはネアンデルタール人のDNAが混入していて、そこからうつ病、たばこ依存など12種類の疾患がもたらされたとのことです。
50年前大学で心理学を専攻していたころ、うつ病は原因別に外因性、内因性、心因性の3つに分類されると教わりました。外因性とは脳腫瘍やケガなど原因が「外」にあるものであり、心因性とは家族やペットの喪失など「気分(こころ)に原因があるもの、それらに対し内因性とは、「原因が内部にあってよく分からない」つまり本物のうつ病であると。
 現代ではもう少し精密な理論が展開されて上述のようなおおざっぱなことを言うと笑われるかもしれません。しかしうつ病はまるで流行病のように老若男女かまわずこの国の人々に襲いかかり国民病の様相を呈しています。事態は深刻です。私の狭い交友関係でもうつ病に苦しんでいる人は大勢います。しかも内因性というか原因がはっきりせず、効果的な治療法もない重症例が多いのです。
 いやなできごとがあった、ひどく悲しいことがあったという訳でもないのに、人はときどきどうしようもなく落ち込み無力感にさいなまれることがあります。とりわけ今のような梅雨真っ最中の季節には。生きる意味も感じられないし、生きるエネルギーも沸いてこない……。
 私は、こうしたときこそ悶々うつうつと落ち込んでいないで「調子が悪いのは自分のこころの持ちようが悪いからとか、努力が足りないからとかではない、うつ病っぽいのは自分の中にあるネアンデルタール人由来の遺伝子が騒いでいるせいなんだ」と開き直ればいい、とそんなふうに考えることにしました。

 アフリカ大陸で誕生したという現生ホモ・サピエンスはもともと明るい場所が好き。そこに暗い森の洞窟に住んでいたうつ病因子をもったネアンデルタール人との混血が起きたというのですから、梅雨空の下で過ごす日々が続くと、遠い祖先が過ごした陰気なヨーロッパの洞窟生活がこころの内側によみがえって、気分がさえないのは当然。内因性うつとは何のことはない、ご先祖様由来だったと思えば気が楽になりますね。

2019年7月10日水曜日

チビちゃん、膀胱結石を手術で取り出す

チビちゃん(♀12歳くらい)の膀胱結石は、結局手術で取り出してもらいました。治療用のエサでは溶けない石でした。今日はこれから糸抜きに連れていきます。トータルで13万円くらいかかったけどほんとうによかった。

手術の翌日、家に帰り、カラーを付けられたまま家具やドアにぶつかっていたのが不憫で、2日目には外してやりました。傷口をしつこく舐めることもなく、順調に回復し、2.4キロしかなかった体重はすぐに2.8キロになりました。

チビちゃんは生後まもなく孤児になり、おっちゃんネコと一緒に暮らしていたのが、おっちゃんネコが死んだのか他所へ行ったのか、農家の籾殻の山の上で震えて助けを求めていました。
何とかしなくちゃ!「おじさんとこに来る? お兄さんネコ、お姉さんネコが6匹いるけど」と言ったらついてきて、我が家の一員になりました。

胎児のころ栄養不良だったのか、全体に小さなネコで、体重が大人になっても3キロほど。他の義兄弟と仲はいいけど、おじちゃんのことがいちばん好き!いつもペタペタ甘えてまとわりついてきます。マンションのネコと合わせて12匹。我が人生はネコに大きく支配されています。



2019年7月3日水曜日

大阪城エレベーター不要論に思う

大阪G20サミットはテロ等深刻な事件もなく無事終了し、ホスト国日本の安倍さんのごきげんな顔が目立ちました。そんな安倍首相が夕食会の席上で「大阪城復元時にエレベーターをつけたのは大きなミス」と発言し賛否両論物議をかもしました。
首相は大阪城が明治維新の混乱の中で大半が消失したことにふれ、天守閣は90年前に16世紀の姿に忠実に再現されたことを誇らしく語り、ついでにジョークの意味で「エレベーターは余計だった」と発言したのでしょう。各国首脳は安倍さんのお寒いジョークを理解できたでしょうか。
はたして、国内でも「ユーモアのつもりかも知れないけどセンスがない」、「バリアフリーの考えに反する」など論争が起きました。ネットでは首相に忖度する意見が目立ちましたが、私は「またか」とこの種の議論に残念な気持ちになりました。日本人は自然や古い町並みを平気で破壊するくせに、峨々たる名山にケーブルカーなど設置する話が出ようものなら猛反対が起きます。
また環境省の杓子定規な環境保護政策は一見正論であるように見えるけれどそこに弱者排除の無神経さがあるように思えます。日本が世界に誇る信州・上高地の例を見てみましょう。上高地は有名な河童橋から奥へ奥へと梓川の渓流沿いに遊歩道が整備されています。しかしその絶景は足腰の強い人しか見ることがままならないのです。穂高連峰への登山基地がある横尾山荘まで登山客も約10キロの平坦な道を重いリュックを背負って歩かなければなりません。
ところがここは、沢の幅が広く実は立派な道路も完備しているのです!せめて電動の小型バスとかカートを足腰が弱った老人や障がい者のために走らせてくれないかといつも思います。では立派な道路はだれが使うのか?環境省の職員や関係者(お友達も含めて)だけが特権的に使っています。それが悪いとは言いません、その道路を弱者にもオープンにしてだれもが世界有数の自然美を見られる手段にしてほしいのです。

ヨーロッパを代表する名山、モンブランでは富士山より高いエギーユ・デュ・ミディまでケーブルカーで20分で登れます。マッターホルン然り。そこには本格的なレストランやカフェがあります。日本の十年一日の硬直した、進歩のない自然保護に隠れた弱者排除論争には辟易です。

2019年7月2日火曜日

フキとコオニユリ

フキをまた移植して増やしました。食用百合が満開になりました。





喫茶店、ロッキーマックスの看板ネコ

グレちゃん。美しいグレーの毛並みの大きな雄ネコです。


ネコは高いところが大好き。商品の上に駆け登ってご満悦。マドモワゼルに叱られても猫耳東風