コロナウイルスの感染拡大は岡山のような田舎にも及びつつあります。今のところ2人陽性、ひとりはスペイン帰り、もうひとりはフィリピン帰り。
喫茶店に客が戻ってきて、警戒感はずいぶん低下しています。マスク着用カップルが一組いますが、ほぼノーマスク。マスク売ってないし、まあいいかという雰囲気です。
2020年3月28日土曜日
2020年3月25日水曜日
あっぱれ外国人熟年カップル
お彼岸過ぎ、散歩がてら吉備津彦神社に出かけてみました。閑散とした境内に参拝客はほとんどおらず、桜の花もまだなので神社全体が静寂につつまれていました。そろそろ帰ろうと思って参道を振り返ったら石段をゆっくり登ってくる初老の白人カップルがいました。欧米でコロナウイルスが猖獗を極めているというのに今どき外国からの観光客とは?と思い声をかけてみました。
「私はスペイン人、彼はイタリアのミラノ出身。ずっといっしょに旅しているの!」
今、世界中で一番やばい国からやってきた旅行者ではありませんか!興味津々、休憩所の椅子に腰掛けてゆっくり話を聞いてみると彼らはおよそ日本人には想像もつかない永遠の旅人たちでした。2人は夫婦かパートナーでしょう。
今から17年前に、男性は50歳でそれまで自営でやっていた不動産ビジネスを売り払い自宅も処分、金利の高いオーストラリアドルで預金しその利息で悠々自適、女性は動物病院のスタッフだった。2人はメキシコに渡りキャンピングカーを購入して、この17年間ヨーロッパ、オーストラリア、南北アメリカ、アジアを隈無く旅しているといいます。
日本には何度も来ているらしく、今回は3月初旬にメキシコから来日したのでまだ検疫上の問題もなくすんなり入国できたそうです。日本では、キャンピングカーはレンタカーを借り全国を旅しているとのことでした。日本の文化にも詳しく私が「お寺と神社の区別がつきますか?」と聞いたら「寺院は仏教、神社は神道の神様……」とちゃんと知っていました。私は冗談交じりのウンチクを傾けました。「もっと簡単に識別する方法があります。金閣寺など拝観料を取るのがお寺、いつでも無料で参拝できるのが神社です」。
「17年もいっしょにキャンピングカーで旅していて飽きることはないのですか」と尋ねてみました。「彼は私にとって最高のパートナー」、「彼女といっしょにいれば退屈なんかしないよ」と言って、私の目の前でチュッと熱くキスしてみせました。故郷のイタリアやスペインにいる親戚縁者のことを心配しつつも、人生を謳歌している南欧カップル。コロナで足止めを食らおうが豪ドルが安くなろうが彼らはそんなことは気にとめていないようです。
2020年3月23日月曜日
新型コロナ、ついに岡山でも!
昨日(3.22)、岡山市北区在住の60代女性が陽性判定を受けました。市長の会見で明らかにされたのは、スペイン旅行から帰って症状が出たとのことです。感染経路が分かっているので安心しました。
2020年3月13日金曜日
終息しないウィルス禍に思う
1月中旬ごろ中国・武漢市の海鮮市場から発生したと言われる新型ウィルス感染症が瞬く間にアジア、中東、欧米を中心に世界規模の大惨事になるとは夢にも思いませんでした。この前代未聞の災厄に前兆がなかったかといえば実はあったのです。
毎年正月にお参りする吉備津彦神社の拝殿脇に「令和2年八方塞がり表」という立看があり、昭和23年生まれの私も当たり年だと知りました。いかに善男善女といえども10歳、19歳、28歳……とおよそ10年に1度は八方塞がりの年に当たるのです。もちろん神様もそこは商売、「八方除け」のお守りを買ったり祈祷をしてもらうなど災厄から逃れる道はちゃんと用意されています。
お守りは千円、祈祷は確か5千円からだったと記憶していますが、安価なお守りで済ましたのが大間違いだったとすぐに思い知りました。今まさに八方塞がり! 武漢発新型コロナウィルスの悪意に満ちた感染パワーは「八方塞がり」当たり年の男女を恐怖のどん底に突き落とすだけでは満足せず、全年齢、全民族、全世界の人々に感染症の危険と社会経済的損害を与えています。
3月13日現在、ほぼ全都道府県に新型コロナウィルス感染症が広がっているなか、岡山県ではPCR検査で陽性になったケースの報告はありません。一瞬「遂に岡山でも」と思った倉敷在住の方が高知県で陽性確認された例は岡山県ではなく高知県の統計にカウントされ、また倉敷の関係先でクラスターが発生することもありませんでした。
こうしてみると確かに今回の事態は「八方塞がり」そのものであるにせよ、県内では感染がほぼ抑えられているのは冷静な県民と当局の努力のたまものでもあるし、神様も応援してくれている証拠だと思います。
長期間船内に旅客とクルーを閉じこめたダイヤモンド・プリンセス号のときは欧米から対応のまずさをボロクソに言われ、またPCR検査実施のハードルの高さが多くの感染症の専門家から批判されましたが、結果的には、今のところ医療崩壊を起こさず重篤な患者がきちんとした治療を受けられる環境が維持されているのはさすが日本です。
命さえあればスポーツイベントや学校行事の取りやめなど後々「そんなこともあったね」と、笑って話せる日が来るに違いありません。
2020年3月4日水曜日
50年ぶりの自動車教習所
70歳を過ぎて初めての免許証更新をこの夏に控え、高齢者講習を受けてきました。私が受けたのは2時間コースのもので講師の先生から30分ほどの講義を聴き、そのあと視力検査と自動車学校内のコースを実際に運転するという内容でした。講習に参加した人はもれなく修了証書がもらえるそうで、どんなに運転が下手でも落とされる心配はないということでした。
それなら国はなぜこのような講習を義務づけているのか、若者人口の減少に苦しむ自動車学校の救済策のために存在理由が希薄な講習を導入したのだろうか、などと勘ぐりつつも50年ぶりに教習所の門をたたきました。今回の受講生はわずか8人でした。白髪のおじいちゃん7人と紅一点のオールドマダムが仲良く小さな机に腰掛けて、指導員の流ちょうな説明に耳を傾けます。
我々を担当した指導員も警察OBとおぼしき年輩の方でしたが一回りは若そうでした。毎日同じ講義をされているのか、ポイントを押さえた説得力のある話しっぷりは芸の域に達していました。それにしても今も昔も自動車学校の指導員や運転免許センターの講師の皆さんは、例外なく独特の人生に対する確固たる自信のようなものが表情や口の端々に表れているものですね。
「私はこれまで間違いのない、人に恥じることのない正しい人生を歩んできました。これからもずっとそのように生きていきます」と顔に書いています。太宰治の代表作「人間失格」の第一の手記冒頭で「恥の多い生涯を送ってきました」というあまりにも有名な告白をした青年とは真逆の、正しい道をまっすぐに歩いてきた方々に違いありません。
2人ペアーで運転の順番待ちをするあいだ同年輩の見知らぬ方と少しばかり話をしました。「免許証を取ったころは坂道発進に苦労しましたなあ、また自動二輪のときはメグロでした」。いやはや同時代を生きてきた受講生の皆さんは他人ながら自分の分身とさほど違いません。最初無駄と思われた高齢者講習も何だか同窓会のようで楽しい半日でした。
今、自動車学校にはコロナウィルス休校で突然時間ができた若者が押し掛けているとか。S字クランクで立ち往生している若い生徒さんを横目で見ながら、ちょっぴり我が青春時代を懐かしく思い出しました。
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