早春の播州路の風物詩と言えばイカナゴの釘煮に尽きます。隣県の釘煮のことなどまったく知られていなかった岡山でも2000年ごろから、うわさがうわさを呼んで、家庭で釘煮を作るのが流行し始め、どこのスーパーでもイカナゴのシンコ(稚魚)が並ぶようになりました。ところが近年イカナゴはまったくの不漁で、シンコの値段が今ではキロ当たり4~5千円もするうえ、そもそも入荷自体がレアになってきました。
瀬戸内海からイカナゴが激減してしまった原因について兵庫県の水産資源管理当局の説明では、海水がきれいになり過ぎた結果だと結論づけています。海水中の窒素やリンなどの栄養塩が減った結果、プランクトンが減り、それを餌にするイカナゴも減ったという負の連鎖説です。
岡山のローカルニュースでも海苔について同じような話を聞きました。児島湾で養殖されている海苔が黒々と着色することなく色落ちが激しいのは、河川から流れ込む水がきれいになりすぎたせいだというのです。海水の貧栄養化に伴うイカナゴや海苔の不漁に対して兵庫県や岡山県当局は、今後は排水中の窒素やリンの含有率を人為的にコントロールする、つまりはきれいになりすぎた海に栄養塩を補給することでイカナゴ不漁問題、海苔の色落ち問題に対処する方針のようです。
一連の話を聞いて、私は「なるほど」と思う反面「海がきれいになりすぎてプランクトンが減り、海産物が不漁になった」という説が本当にそうなのか疑問に思います。というのも、そもそも日本の海、とりわけ瀬戸内海は高度経済成長時代以前、公害垂れ流し時代以前は透明で有機物に乏しい海域でした。またよく手入れされた山林から腐植有機物が河川を伝って海に流入する量は今よりずっと少なかったはずです。
水島コンビナートはまだなく、山紫水明の岡山。川の水は春夏秋冬サラサラ清らかに流れ、春にはシラスウナギが小川を遡上していきます。岡山はばら寿司に代表されるように昔からとびきり美味な魚に恵まれた土地でした。我が家も質素な暮らしながら夕食の主役は「下津井もの」の魚たち。このような体験的記憶を呼び起こすにつけ、イカナゴや海苔の不漁の原因を栄養塩の欠乏と断定する「水清ければ魚棲まず」説には少々首をかしげたくなります。