2011年12月15日木曜日

母ゆずり


介護生活も12年目を迎え、この夏、誕生日がくれば父は95歳、母93歳、そして私は64歳になります。父は相変わらず、死が避けがたい現実であることを絶対認めず、体は年々次第に弱ってもう自力ではイスからベッドへ移動することもできないくせに「自転車はまだ乗るから捨てるな」と口だけは達者です。

文学少女だった母は若いころからおりにふれエッセイを書きためていましたが、70代の終わりごろから認知症が徐々に進み始め、80歳のとき、岡山女子師範学校の国語教師だったN先生への追悼文を書いたのが最後のエッセイになりました。

現在でもこじゃれた文章などで「山が笑う」という比喩にお目にかかることがよくあります。母が女学生時代、あこがれのN先生の授業でのこと。「山が笑う」という漢文の一句にみんなが感心するなか母は「山がゲタゲタ笑うなんてナンセンス」と抗議。「そうか、ふーん、アハハハハ」、先生は大声で笑われた、と最後の記憶をふりしぼってN先生追想集に言葉を寄せています。

話変わって私自身のこと。昨年は牛窓の「てれやカフェ」で文芸学の第一人者である西郷竹彦先生から直々に石川啄木、宮沢賢治、夏目漱石、森鷗外の名品を例に西郷文芸学の手ほどきを受けました。まもなく92歳になられる先生ですが、いささかの衰えもなく理路整然と作品を分析・解説され、生徒にもちゃんと考えることを要求されます。

鷗外の「山椒大夫」を読んだときのことです。厨子王が盲目の母と佐渡で再会を果たす感動的な場面。「安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ」と鳥を追い払いながらつぶやいている母の前にうつ伏す厨子王。「その時干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た」と鷗外は母の様子を描写しています。私は異議を唱えました。

「イメージとして分からないこともないが、干した貝が水を得てほとびるというのは目の比喩としてちょっと変じゃないですか」と。先生は「君はつまらないことに引っかかるなあ」と笑っておられましたが、いくら名作中の名作といわれる作品でも陳腐な言い回しには「ナンセンス」と言わずにはおれないところは我が母ゆずりです。両親には今年も元気で過ごしてもらいたいと願わずにはいられません。
  

2011年も終わりに

   年々、一年が過ぎていくのが早くなっているような気がするのはいつものことですが、今年に限っては若い世代の人々も同じようなことを言います。なぜあっという間に一年が過ぎてしまった気がするのか、その理由をちょっと考えてみました。

千年に一度の大震災と原発爆発という日本の歴史上かつてなかった大惨事が3月に東日本で起きて以来、首相交代程度のつまらないニュースにはいちいち心が動かなくなりました。いわば空前絶後の悲惨な事態を前にして、ほかのいっさいのことがかすんでしまい、まるで記憶に残るような大きな事件は何もなかったかのような錯覚におちいってしまった、これが日本人に共通した心理状態ではないでしょうか。こんなとき時間は駆け足でむなしく過ぎていきます。

狂ってしまった時間感覚を正常に戻すためには、震災からの復興と原発に対して今後どう対処していくのか国民が覚悟を決めることが一番だと思います。政府と東電が脱原発に対してはっきりした方針を示さないまま場当たり的な事故収束に明け暮れるなか、年末になって地方が動き始めました。

福島県の佐藤知事は11月30日に記者会見を開き「国と東電に対して、県内の原発10基すべての廃炉を求める」と復興計画に明記することを発表。大英断です。知事の決断に先立って10月、県議会が全原発廃炉の誓願を賛成多数で議決していますので福島県民の決意はほんものです。

私は内心、いったん原発マネー依存体質になったら、例え今回のような重大事故が起きても全廃に踏み切ることは困難ではないかと思っていたのですが、県民総意で全廃を打ち出したところに福島の深い絶望と再生への希望を見る思いがします。

一方、原発銀座と呼ばれる福井県は福島ほど危機感がないのか、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉を除いて、脱原発の話は聞こえてきません。しかし関電の筆頭株主でもある大阪市長に市民の圧倒的な支持を得て橋下徹氏が当選し、記者会見で橋下さんは株主の権利を行使して関電に脱原発を求めていくと話しています。

主体的に動かない政府と東電に対しこれら地元が明確な態度を表明したことで、やっと狂った時計がまた正常な時を刻むようになった気がします。来年に希望がでてきました。