2012年4月29日日曜日

原発ゼロの日

 福島原発の事故以来、全国に50数基ある原発が定期検査をきっかけに順次停止しまもなく稼働中の原発はゼロになろうとしています。当初、政府のシナリオどおりなし崩し的に休止中の原発が再稼働するだろうと思っていたのですが、大阪維新の会の橋下大阪市長の発言力が増してきた現在どうやら原子力発電がゼロになる日が来ることはまちがいなさそうです。

 日本という大電力消費国にとって原発の存在は生命線のはずでしたが、すでに9割以上の原発が停止した現在、何か不測の事態が起きているかというとそんなことは何もありません。比較的電力供給に余裕がある中国電力管内にすんでいるせいかもしれませんが、今現在電気が足りないという実感はありません。

原発事故直後、大規模停電を避けるために計画停電を実施した関東の大騒ぎは何だったのでしょう。原発が止まっても東電の供給能力は事故から一年経過した現在ほぼ以前の水準に戻っています。工夫さえすれば電気はどこからでも沸いてくるものなのか、それとも今までの統計が原発なしではにっちもさっちもいかないような印象を与えるために歪められていたのか、とにかく不思議なことです。

今しきりに真夏の電力不足が言われていますが、いったい日本の電気は足りないのか足りているのか、原発に頼らなくてもやっていけるのかどうか、ここはひとつ原発ゼロのまま真夏を迎えることが一番だと思います。節電も必要でしょう。

節電というとすぐに電気がなかった時代に戻るかのような議論が始まるのですが、本当にあぶないのは真夏のピーク時に限定され、日数にしても1週間から10日ぐらいの話です。しかも一番暑いのは午後から夕方にかけての数時間だけです。

つまり太陽がカンカン照りでまぶしい時間帯にエアコンがいちばん欲しい。ということはいったん稼働したら昼夜を分かたず電気を作り続ける原発よりも電気が必要なときに一番効率よく発電する太陽光発電こそ論理的にも政策的にも今もっとも推進すべきインフラだと思います。

建設するにしても廃炉にするにしても10兆円もの金がかかる原発に依存するよりはるかにやすい投資で夏のピーク問題は解決すると思います。夏が来るのが楽しみです。

2012年4月11日水曜日

メディカルカフェおかやま


桜が満開の4月8日の日曜日、日本泌尿器科学会100周年記念事業の一環として山陽新聞さん太ホールにおいて市民公開講座「メディカルカフェおかやま」という市民啓発講座が開催され、大変意義深い講演とパネルディスカッションを聞くことができました。

公開講座の具体的な内容は山陽新聞が4月26日の紙面で特集記事を組むと予告していますので男女問わず中高年の方はぜひ目を通していただけたらと思います。

この公開講座を聴講しようと思ったのは、私も還暦を過ぎて人並みに“おしっこの出が悪くなった”という自覚症状があったからです。とくに混雑した駅のトイレなどで後ろに人が待っていると余計出にくくあせります。

そんな時あまり時間をかけていると後ろの若者が「ちぇっ! これだからジジイの後ろになんか並ぶんじゃなかった」と言っているような気がして、まだ出ていないのに出たふりしてトイレから去っていった経験が1度や2度ならず。そこで去る3月、専門家に診てもらったところ、がんなどではなく単なる前立腺肥大症ということで薬を処方され、その薬がよく効いて悩みはすっきり解決しました。

泌尿器科という診療科はどうも行きにくいところだとだれもが感じていると思いますが、実は先生方もけっこう泌尿器科という名称にある種のコンプレックス(複雑な感情)をもっていたりするものだなあということがパネリストのトークの中に感じられました。医者も人の子です。

泌尿器科の女医の草分け的存在であるパネリストの1人、Y先生は医師になったころ、父親自身が医師であったのに、泌尿器科を選択すると告げたら、「おまえはチンポコ医者になるのか」と嘆かれたというエピソードを披露されていました。今でも状況は同じで女子学生が泌尿器科を選択するのは勇気がいるようです。

余談ながらY先生、実は中学校時代の同級生で母もお世話になったし、私自身、ことあるごとに電話相談して彼女を煩わしています。でもさすがに“見て”もらう勇気はありません。ある同級生は尿管に石が詰まって七転八倒したとき彼女に“見て”もらったそうです。「苦しさのあまり恥ずかしいだのなんだの言っている余裕はなかった」とのことでした。

使い勝手の悪い介護保険


  介護保険料が新年度から負担増になりました。介護保険制度はこの先どういう方向にいくのかビジョンがはっきりしないままの値上げです。

介護保険ができたときは在宅での介護を支援するというのが大きな目標のひとつだったと記憶していますが、12年も両親を実家で看ていて、在宅支援のための介護保険サービスの使い勝手の悪さはますますひどくなっています。

介護保険サービスを利用するにはまずもってケアマネージャーが作成する介護計画表にしたがってサービスが行われます。父(94)は週3回人工透析療法を受けるために自宅から病院まで通っていますが、朝ご飯は家族(と言っても私か兄)が用意したものを父は8時までに食べ終えなくてはなりません。8時から9時まで父の身体ケアをしてくれるヘルパーさんがやってくるからです。

そして9時になったら私か兄が足腰の立たない父を何とか車に乗せて病院へ連れていきます。帰りは送迎専門の業者さんが車椅子ごと車に乗せて家まで届けてくれます。なぜ出かけるときにもその業者さんに来てもらわないのかというと、ここが介護保険の使い勝手が悪いところなのですが、朝のヘルパーさんが帰ったあと2時間あけないと次の業者さんを利用できないそうです。

介護を要する人のニーズや生活パターンに合わせて柔軟な運用ができないことは摩訶不思議というほかありません。そんなわけでこの4月から父の送り迎えを同一の業者さんにお願いすることにし、朝の身体介護で入っていたヘルパーさんはお断りせざるをえなくなりました。

ところがこのことはとても残念なことかと言うとそうでもありません。父にとってヘルパーさんから次々と「はい、パジャマを着替えましょう」、「歯を磨いてください」などと指示されるのがうっとうしいことこの上ありません。もういつ亡くなっても大往生という年齢になっているのに、あれこれ指図されるのは息子の私から見ても気の毒な気がします。

パジャマなんか毎日着替える必要は全然ありません。それなのに毎日ヘルパーさんがパジャマを着替えさせるのは、数年前に作った計画書に基づくマニュアルにそのように記載されているからです。朝ご飯を食べさえすれば顔も拭かないまま病院へ行って何が悪いという気がします。