2013年3月30日土曜日

カラマーゾフの兄弟


最近見ごたえのあるテレビドラマがほとんどないのですが、フジテレビ系列で1月から3月にかけて放映されたドストエフスキー原作「カラマーゾフの兄弟」は毎回見るのが楽しみでした。原作からは大きく翻案されていて、舞台は日本の地方都市になっているし、登場人物たちの職業も現代風になっています。

ちなみに難解を極めるこのドストエフスキーの代表作が訴えたかったことをひとことで要約すると「罪の意識から愛の歓喜へ」(井筒俊彦著、「ロシア的人間」中公文庫版より)となります。日本で作るテレビドラマにそんな原罪だの魂の救済だのと小難しいことを求めても視聴率は取れないのでこれはあくまで日本のお話として楽しみました。

それでもストーリーは一応原作に沿っています。悪の化身のような父親と性格が異なる3人の息子がそれぞれ父親に対する葛藤と憎しみをかかえているという物語であることは皆様ご承知でしょう。ところが大邸宅には末松という料理人が住み込みで働いているのですが実はこの男は父がよその女に生ませた子供でテレビドラマでは父から捨てられたことを根にもって復讐の機会を狙っています。ある日父親が自宅で無惨な他殺体で発見され、状況証拠がはなはだしく悪かった長男が父親殺しの容疑で逮捕されます。実は真犯人は末松であり原作ではスメルジャコフという陰気な男です。

ドラマでは父親殺しで決定的に重要な人物である末松がほとんど最終回近くになってやっと本性をあらわすというストーリーになっていて、最終回は末松の独壇場でした。

長々とドラマの概略を述べてきたのですが、私も現在95歳になる父との葛藤の日々です。おおげさにいうと介護ストレスで私の命が父によって日々削り取られているような恐怖感さえときおり感じます。しかし父の人格の骨格部分は壊れてなく、見ていないようで物事の本質をきわめて正確に言い当てるのには驚かされます。

録画しておいた「カラマーゾフの兄弟」の最終回を父といっしょに見ました。父はこのとき初めてこのドラマを見たのですが、末松の悲劇をこのように語りました。(末松は)「子ども時代から笑うことを知らないで育ったからだなあ」と。ドストエフスキーの本質が読めてます。

2013年3月25日月曜日

発酵食品づくりの楽しみ

 
 私は幼いころから発酵食品に興味がある変な男の子でした。小学校4年のころ、「稲わらには納豆菌がいて大豆をゆでたものを藁包(わらづと)に包んでおくと納豆ができる」と子ども向けの百科事典に書いてあったのでさっそく試したことがあります。みごとに失敗しました。

百科事典の記載としてはまちがっていなかったのですが、細かな手順やコツ、ノウハウといったものが書かれてなかったのです。確かに稲わらには納豆菌が寄生しているものの数は非常に少なくそんなものでは納豆はできないこと、また納豆菌はかなりの高温に耐えることができるのでゆでたてのさわれないぐらい熱い大豆に納豆菌を仕込む必要があることなど一番大切な情報が抜けていました。

家にじいさんばあさんでもいたら伝統食品の作り方を伝授してもらえたのかもしれませんが我が家は核家族のはしりのような家庭で孤立無援。発酵食品がうまく作れるようになったのは大人になってからでしたが、大人の知恵でもってかかれば発酵食品づくりはとても簡単でした。ぬか漬け、たくあん漬け、白菜漬け、キムチ、奈良漬け、ヨーグルト、オリーブのピクルス、アンチョビなどなど。

そしてこの冬遅ればせながら生まれて初めて味噌づくりに挑みました。テレビの料理番組で大豆500グラムで作ると作りやすいと紹介されていたのを見てこれならできそうという気がしたのです。材料は大豆のほか、米糀(こめこうじ)500グラム、食塩250グラムだけ。

大豆を一晩水にかして、翌日ナベで柔らかくなるまで煮て、糀と塩を混ぜ、煮上がった大豆とミックスし、容器にぴっちり詰め込み重石をしてあとは夏が来て冬が来るのを待つのみです。

仕込んでからまだ2ヶ月しかたっていませんが、きょうホウロウ容器を開封してチェックしてみました。2ヶ所ほどわずかにカビが生えていたのでそれらを除去しついでに未完成の味噌をなめてみました。すでにまろやかな味の味噌になっていました!これから気温が高くなるにつれてどんどん熟成していくのでしょう。

人間が働かなくても微生物がいつのまにか絶妙な食品を作ってくれます。次は醤油を作ってみたいと夢をふくらませているところです。

2013年3月16日土曜日

3.11謝謝台湾


WBCは大変な盛り上がりをみせています。すでに侍ジャパンはチャーター機で決戦の地サンフランシスコへ旅立っていきました。これまでの日本でのいずれの試合もエキサイティングなものでしたが、なかでも対台湾戦は歴史的な名勝負でした。

手に汗をにぎる試合内容もすばらしかったし、それぞれのチームを応援する日本と台湾の観客の心が熱く通じたという意味においても、スポーツがもたらす最良の部分を体感できたのがこの試合だったと思います。

2年前の東北大震災の大惨事に対し、台湾はいち早く150億とも200億円とも言われる巨額の義捐金を日本に送ってくれました。それなのに昨年3月の政府主催追悼式で民主党政権は中国におもねて台湾代表を一般席に座らせるというとんでもない対応をしてしまいました。

そして、日本人として汚名を挽回する絶好のチャンスだったのが東京ドームでの日台戦でした。これまで台湾の人々にちゃんとお礼を言いたいと感じていた若者たちが試合会場で「台湾ありがとう」のプラカードを掲示しようとネットで呼びかけ、実際多数の「3.11謝謝台湾!」の手製プラカードが掲げられました。

日本のテレビ局はこれらのプラカードの存在をいっさい無視して画面に映さなかったのですが、台湾メディアは大きく取り上げ台湾中に感動の嵐を巻き起こしました。これは日本人が思っている以上のメッセージを台湾の人々に伝えることになりました。

現在、オリンピックなど国際的なスポーツイベントで台湾は「チャイニーズタイペイ」と呼ばれています。台湾の人々にとって屈辱的な呼称を甘受しているのが現在の非情な国際情勢です。ところが日本はマスコミも台湾をチャイニーズタイペイではなく台湾と呼んでいることがWBCのテレビ中継を通じて初めて台湾の人々の目にとまったらしく、この点も彼らが日本を親しく思ってくれるきっかけになりました。

極東地域で相互に尊敬でき心が通じる国は台湾しかないことを日本はもっと重視していかなければならないと思います。4月にはいよいよ岡山から台北直行便が運行を始めます。ただ週2便では予定をたてにくく、早期に週3便体制に移行できるよう多くの方々の活発な搭乗を県民の一人として願っています。

2013年3月13日水曜日

ロシア巨大隕石落下


杞憂:“ありもしないことを取り越し苦労する”という意味で古来決まり文句として使われてきました。古代中国の「杞」の国の男が、天が落ちてきたり、大地が崩れたりしないか、と夜も寝られず食事も喉を通らないほど心配していた故事によるものです。(列子)

しかし先日のロシアの隕石落下事件のすさまじい映像を見ているとだれも杞の国の男を笑うことはできません。今回落ちてきたのは直径17メートルもあったにもかかわらず空中で割れたから被害はあの程度でしたが、6500万年前にメキシコのユカタン半島に落ちた小惑星は直径が10―15キロメートルあり、発生した津波は300メートルあったと推測されています。

その破壊エネルギーは広島型原爆の10億倍にも達し、空に舞い上がった粉塵によって大規模な気候変動が生じ、その結果恐竜が滅びたことはほぼ定説になっています。

巨大隕石の落下、あるいは小惑星の衝突はめったにないこととはいえ、いったん落ちたら「種」そのものが滅びてしまうところに本当の怖さがあります。人間は極度に知能を発達させたおかげで、宇宙の始まりから終わりまでイメージとして描くことができるようになりました。しかも単なる空想ではなく素粒子の研究と高性能の望遠鏡による宇宙観測の結果、描いたイメージがどうやら本物であることも証明されています。

しかし長い宇宙の一生のどのあたりで人類は滅亡するのでしょうか。宇宙のスケールで見ると人類が存在した時間なんてほんの一瞬かもしれません。「そのとき」がきたら最後、これまで人類が共有してきたいっさいの記録、記憶、その痕跡も永遠に消滅します。認識の主体が存在しなくなることは認識の対象も存在しないと同じことですから。

突然ロシアの天空を引き裂いて落ちてきた隕石によって、いままで神話として語られ、科学として探求され、しばしばSFとして語られ、果てはパラノイアとして語られてきた宇宙と地球ののっぴきならない関係、人類もやがては地球とともに滅びるであろうことがにわかに現実味をおびてきました。

千年に1度の東北地震が現実に起き30メートルの津波に襲われた日本です、富士山の噴火ももはや杞憂だなどと言っておれません。

殺人暴風雪

 先日の北日本をおそった暴風雪災害では痛ましい犠牲者が9人も報告されています。とりわけ父一人、娘一人の親子が遭難し、父親が自分の命と引き替えに娘の命を守ったというニュースには何とお悔やみを言ったらいいのか想像もできません。

北海道の人々は寒冷地のきびしい気象条件には慣れていると思うのですが、今回のようなひどい暴風雪はかなりの高齢者も経験したことがないひどいものだったようです。

雪に埋もれた車の排気ガスで一酸化炭素中毒になり一家4人がなくなったことも新聞で読んで暗然としました。いったいそういう状況に自分がはまってしまったら助かるだろうか、と自問したのですが、たぶん助からないと思います。あんなにも寒い土地で車のエンジンを切ったらそのまま冷凍人間になってしまいます。

北海道の実状を知らないから気楽に思いつくのですが、一酸化炭素中毒を未然に防ぐために排気管近くの雪を除去することはできなかったのでしょうか。おそらく車のドアを開けることさえできない状態だったのでしょう。まさに一寸先が見えないホワイトアウト。

それにしても自然災害の多い日本でいつ何時襲ってくるやら分からない自然現象の猛威に対抗するにはすでに開発済みの手段を普及させるだけでもかなり違うと思います。携帯電話やスマホに搭載されているGPS機能を積極的に活用して家族の居場所の正確な情報をつかむ訓練など自治体や警察・消防は行っているのでしょうか。

大地震のときなど大規模災害が発生したとき、あわてて帰路につかず、現在安全なその場所に留まることが大きな危険や渋滞による混乱から身を守ることになります。家に帰るべきか今いる場所にとどまるべきか判断は難しいと思うのですが、今回の悲劇を教訓に、より安全重視で判断することが大切だと思います。

日本は狭い国土の隅々まで人が住んでいます。ところが人口減少がはげしくいまや全国いたるところに「限界集落」が存在しています。日本はどんな僻地でも山奥でも人が住もうと思えば住むことを拒まれることはありません。しかし自然災害を含めいざというときに消防も警察も対応できないような場所にこだわって生きていくのは手放しでは喜べないと思いました。

エジプト気球墜落事故


1月にアルジェリアで起きたテロ事件の記憶がまだ生々しいというのにまたも人気観光地ルクソールで4人の日本人が犠牲になりました。こういう事件や事故が報道されると誰しも最初に犠牲者の名前と年齢を確かめるのではないでしょうか。

今回の日本人の犠牲者は60代半ばの2組のご夫婦でした。この年代の人々はほかの世代に比べ一番気力、体力が充実しまた財力もあります。元気なシニア世代は通り一遍のハワイやヨーロッパの大都市では感動も薄い。一生に一度は子供のころ夢見た遠い遠い異国の地に出かけたいのです。エジプトやトルコの古代遺跡、アステカやインカ文明の遺跡、イグアスの滝やパタゴニアの大草原。できればギアナ高地にだって行ってみたい。

ところがこうした世界の秘境で彼らはとんでもない事故に遭遇します。セスナ(小型遊覧飛行機)のエンジンが止まったり、観光バスが対向車線のトラックと正面衝突したり、何故かこういう事故がよくあるのです。

でもさすがに今回のように気球が墜落したというのは聞いたことがありません。テロや交通事故は十分想定できてもまさかの気球炎上と墜落です。

「こんな死に方はいやだな」私がそういうと、いつもよく行く喫茶店のマドモアゼルは「でも、夫婦いっしょだったからよかったじゃない」と女性らしい感想を語っていました。たしかにこれが夫婦でなくていわくあるカップルだったりしたら墜落以上の修羅場が待ちかまえているだろうし、夫婦でもどちらかだけがとっさに飛び降りて助かったとしてもそれはそれで一生恐ろしいトラウマをかかえていかなければなりません。

梯子など高いところから落ちて運良く助かった人がしばしば語ることですが、人は墜落する何秒かの間に生まれたときのことからいままで生きてきた一生のできごとを走馬燈のように思い出すとか。未来が絶たれると脳は逆回転するらしいのです。

こういうときよみがえる記憶はいい思い出ばかりでしょう。幸せだった幼い日々、楽しかった少年少女時代、配偶者に出会った喜び、子供達は大きくなり今や独立し、安心して旅に出た……。(突然現実に戻って)それなのに今こうして墜落している……! 怖すぎます。墜落死だけは絶対避けなければなりません。