2013年6月19日水曜日

原発事故その後



東京電力福島第一原子力発電所が地震と津波にもろくも崩壊し過酷な放射能事故を引き起こしたのはわずか2年ちょっと前のことです。いまでもふる里を追われ避難生活を続けている被災者が30万人もいるというのに電力業界は原発再稼働にやっきになり、政界でも与党政調会長の高市早苗氏が「原発事故で死者が出ている状況ではない」とおよそ現実離れした発言をして与野党から批判を受けています。

つまりは被災者以外の多くの国民は原発事故のことはすでに意識の外に追いやってしまっているのがこの国の現状だと思います。そして全国各地に避難している人々の意識にも変化が起き、もはや帰郷をあきらめた人が6割にも達するという報道がありました。

ここでにわかに福島から遠く離れた岡山がクローズアップされてきます。避難先として岡山の人気が高く岡山に定住する人は依然増加しているとのことです(朝日新聞6月16日)。これに関して美作市在住の作家・あさのあつこさんは「都会でなく、自然条件が厳しくもない岡山の人にはつかず離れずの間合いがある」そんなところが人気の秘密だと分析しています(同記事)。同感です。

それにしてもふる里から800キロも1000キロも離れた遠い岡山まで移住して来られる方々のエネルギーと実行力には感服します。北関東や東北地方の暖かい人間関係を捨てて、京都ほど極端ではないにしてもはっきりいってかなりドライな岡山県人に混じって暮らすのは大変な勇気が必要だったと思います。

瀬戸内市長船町服部にドイツ式の本格的なパンを作って売る店が昨年暮れにオープンしました。“オぷスト”という天然酵母のパン屋さんですが、もともと埼玉県で開店しようとしていたら原発事故があり放射能の影響を考えて岡山に移住してこられたそうです。小さな子供たちのためとはいえそこまでできるのは夫婦の愛情と子供の健康への心配が高市さんなんか想像もできないぐらい大きいからにちがいありません。

この“オぷスト”のパンは上述のような背景を抜きにして単純にものすごくおいしいパンでした。我が家から車で片道1時間かかるのですがわざわざ出かける価値があります。本場ドイツでも今どきこんな食べ応えがあるパンは珍しいでしょう。
 
(写真はサナエちゃん、鼻のあたりがなんとなく・・・)
 

2013年6月18日火曜日

我が罪を贖えり、大ムカデ



  夜中母を襲った吸血鬼の正体はいぜんとして不明なまま事態は沈静化したかにみえました。ところがある晩、深夜いつものように母の横で仮眠していたら枕元で何かカサコソという音がしたのでスマホの明かりでその辺を一応調べたのですが異常はなく、そのまままた寝ました。

しばらくして首筋に冷たい感触があり、しかも動いています! びっくりして電灯をつけてみたら15センチもある大ムカデが首と枕の間にいるではありませんか。ムカデの背中側に首の皮膚が当たっていたのです。ぬらり、ひんやり。ムカデの腹側が首筋に当たっていたら、つまり首の上をヤツが這ってかまれていたら、きっと私は発狂したと思います。

手許にあった薬局でもらった処方薬の紙袋に大ムカデを誘導しぱっと口を閉じました。さてどうしよう。火あぶりの刑、あるいは熱湯責めにしてやるか、と思ったものの、こいつが母を襲った証拠はないし、私も刺されたわけではないので無罪放免に決定し、塀の外に逃がしました。しかしこれは何も蚊一匹殺さなかったアッシジの聖フランチェスコの真似をした訳ではありません。実はムカデには恩と負い目があったのです。

小学生のころ庭に高さ2メートルほどの棕櫚の木がありました。幹はタワシのような細く乾いた繊維で被われていて、子どもごころに私はふとこれに火を点けたらどうなるかなと思ってマッチをすりました。

火は一気に幹を駈け登りました。大変なことをしでかしてしまった!我が親父は偏執狂というか性格におおらかさがないというか、こういうことに関しては必ず目敏く見つけネチネチ説教するのが常でした。ときに体罰をともなう親父のしつこい叱責を想像すると暗澹たる気分でした。

するとまだ煙が残っている半ばこげた木の先端に何やらうごめくものがあります。棕櫚の木をねぐらにしていた大ムカデが火にあぶられて出てきたのです。私はとっさに話を作り替えました。「大ムカデが棕櫚の木に逃げたので火をつけて退治した」と。我が罪を大ムカデに転嫁したことを60年ぶりに初めて告白します。

2013年6月6日木曜日

酒津 水辺のカフェ



 介護という忙しくも退屈な日々を過ごしていると用事もないのに遠くの友人に長電話して「最近何かおもしろいことない?」と聞くのが口癖になりました。どいつもこいつも「ないっ!」のひとことで終わり。そんなとき強い味方になってくれるのが岡山のタウン情報誌です。

タウン情報誌の人気企画といえば喫茶店特集です。どこの店も素敵にみえ一度は出かけてみたい気分にさせられます。しかしこういう特集に繰り返し登場する喫茶店は往々にして店主の「こだわり」が顔に出ていて何だか一見(いちげん)さんとして行くのがためらわれます。

でも抵抗できない喫茶店がありました。酒津の「水辺のカフェ 三宅商店」です。酒津という地名は桜の名所として子どものころからよく耳にした地名ですが、岡山市郊外育ちの私には土地勘がなく今まで一度も行ったことがありません。言わば幻の名所である酒津。情報誌に掲載された湾曲した水路に沿って水の上にせり出したように見えるカフェの写真が私を強烈に誘います。

スマホアプリのナビが「目的地に到着しました」というのに我が愛車は高梁川沿いの土手の上を走っていて、本当の目的地は酒津公園をクネクネとすり抜けたわかりにくいところにありました。よくタウン情報誌で紹介される店が「隠れ家的○○」と言う割にはデカデカと派手な看板を掲げた俗っぽい店だったりするものですが、三宅商店は確かにナビをも騙す本当の隠れ家でした。

人気の水辺が見えるカウンター席は満席だったので靴を脱いで2階の座敷に上がりました。開け放った窓から心地よい風が八畳と六畳の続き間を流れていきます。用水路を流れる水の音と高梁川堰堤の道路を走る車の遠い騒音が不思議によくマッチして心が静まってきます。

家に帰ってからあらためて酒津の位置を地図で調べてみました。なんと酒津公園はときおり出かける倉敷イオン・ショッピングモールの裏手に位置していました。そういえばナビが盛んにイオンの方向に私を誘導しているはずでした。私は酒津は総社にあると昔から思い描いていて清音(きよね)の方から高梁川に沿って大きく回り込んでいたのです。

素敵な隠れ家は案外身近なところにあるものですね。今度遠くの友人を誘ってやろうと思います。

風俗と風土



いわゆる慰安婦問題について大胆というか思慮に欠ける発言をして物議をかもした橋下大阪市長が東京の外国人記者クラブで会見を開きました。通訳をはさんで1時間以上の長丁場のやりとりでした。

橋下さんと各国記者のあいだには最後まで埋められない溝が残っていました。東京や西欧のエリート記者は大阪という風土を知らないがゆえに橋下さんの発言が耐え難く突拍子もないほど異様なものに感じられたのではないか、そんな気がします。

記者の質問で飛び出してきた「飛田」とは“中学生でも知っている”現存の赤線地帯です。私も東京の大学を出て大阪の大学に就職したころ、何気なく友人と天王寺界隈を散歩していて知らないうちに飛田に迷い込んだことがあります。衝撃的でした。

見たところ80歳ぐらいの遣り手ババア(それにしても下品な表現!)が三味線片手に流し目で「寄っていきー」と声をかけてくるのです。うぶな我々は一目散に逃げ出しました。

飛田よりもさらにお手頃な料金で得難い体験をさせてくれるのが泉南の信太山(しのだやま)であることはふつうの高校生でも知っていること。信太山には自衛隊の大規模な駐屯地があることでも有名です。

大阪で暮らしはじめたころ、世間を騒がす事件の性質が東京と大阪でずいぶん違うなと思いました。そのころ関東では幼女連続殺害事件に代表される性犯罪が多発していました。一方、大阪ではなぜかガス爆発事故が多く、他には豊田商事会長刺殺事件、三菱銀行北畠支店襲撃事件など金にからむ事件が頻繁に起きていました。猥雑な大阪なのになぜか凶悪性犯罪は少なかったのです。

私が出した結論は、大阪では性にまつわることはタブーでもストレスでもなく飲み食いと同レベルの日常的営為であるのに対し、建前を優先させ官僚的思考が強い東京では抑圧された性衝動が性犯罪や猟奇的な犯罪を生み出すのではないか、です。

橋下市長が当初発言していた「沖縄の海兵隊は風俗を利用せよ」という発言の下地にはこのような風俗と治安が折り合いをつけている大阪的発想法があったのではないでしょうか。ただそれを国際政治の場で発言したことは謎です。失言ではなく彼ならではの計算があってのことかもしれません。焼け太りということは政治の世界でもありえますから。