夜中母を襲った吸血鬼の正体はいぜんとして不明なまま事態は沈静化したかにみえました。ところがある晩、深夜いつものように母の横で仮眠していたら枕元で何かカサコソという音がしたのでスマホの明かりでその辺を一応調べたのですが異常はなく、そのまままた寝ました。
しばらくして首筋に冷たい感触があり、しかも動いています! びっくりして電灯をつけてみたら15センチもある大ムカデが首と枕の間にいるではありませんか。ムカデの背中側に首の皮膚が当たっていたのです。ぬらり、ひんやり。ムカデの腹側が首筋に当たっていたら、つまり首の上をヤツが這ってかまれていたら、きっと私は発狂したと思います。
手許にあった薬局でもらった処方薬の紙袋に大ムカデを誘導しぱっと口を閉じました。さてどうしよう。火あぶりの刑、あるいは熱湯責めにしてやるか、と思ったものの、こいつが母を襲った証拠はないし、私も刺されたわけではないので無罪放免に決定し、塀の外に逃がしました。しかしこれは何も蚊一匹殺さなかったアッシジの聖フランチェスコの真似をした訳ではありません。実はムカデには恩と負い目があったのです。
小学生のころ庭に高さ2メートルほどの棕櫚の木がありました。幹はタワシのような細く乾いた繊維で被われていて、子どもごころに私はふとこれに火を点けたらどうなるかなと思ってマッチをすりました。
火は一気に幹を駈け登りました。大変なことをしでかしてしまった!我が親父は偏執狂というか性格におおらかさがないというか、こういうことに関しては必ず目敏く見つけネチネチ説教するのが常でした。ときに体罰をともなう親父のしつこい叱責を想像すると暗澹たる気分でした。
するとまだ煙が残っている半ばこげた木の先端に何やらうごめくものがあります。棕櫚の木をねぐらにしていた大ムカデが火にあぶられて出てきたのです。私はとっさに話を作り替えました。「大ムカデが棕櫚の木に逃げたので火をつけて退治した」と。我が罪を大ムカデに転嫁したことを60年ぶりに初めて告白します。
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