貧農の家に生まれ場違いなお嬢様学校で英語を勉強している花子に受け入れがたい事態がおきました。“腹心の友”の伯爵家令嬢が九州の炭坑王と見合い結婚するというのです。花子は親友がお金のために親ぐらい年齢の離れた成金と愛のない結婚するのを黙って見ておれません。必死に思いとどまらせようとします。
ところが裕福な家に育ったといっても家庭的な愛を知らない蓮子は花子より5歳も年上で、しかもすでに一度結婚して出戻りしている苦労人です。人生は乙女チックな夢想のようにはいかないことを蓮子はよく理解しているのです。
伯爵家の財政的窮地を救うために泣く泣く承諾した人身御供のような結婚が果たして花子が思うほど本当に不幸なことかどうか、それはこれからのお楽しみです。
蓮子の結婚のような年の離れた金持ちとの婚姻に対して花子ならずとも多くの人が嫌悪感をもつようですが、結婚が意味する社会的、経済的仕組みとして、年の差婚はそんなに悪くはない、と私は思います。
フランスの小説などでは上流階級の年の差婚がよく主題になります。金も権力もある初老の男がずっと若い女と結婚。そのうち夫は死に妻は莫大な遺産を相続する。未亡人は若いツバメと再婚、やがて年老いた妻は夫に財産を残して死ぬ……。
つまり世代がずれた結婚はなかなか合理的なのです。夫か妻が死ぬとき配偶者は元気で財産の管理も相続もちゃんとできます。“愛の問題”はノープロブレム。上流階級では若い妻や若い夫が外で遊ぶのは見て見ぬふりをするのがマナーなのです。あくまで小説の世界の話ですが。
しかしこの年の差婚は現代においてこそ意味があるのではないでしょうか。同年代の男女が結婚するとどちらもいっしょに年を取り、いっしょにぼけてワヤです。
花子のような浅はかな若い女性に考えてもらいたい。若いだけで金も知恵も生活力もない男より蓮子の夫のように財力も経験もありその上老い先そんなに長くなさそうな男性こそ理想の結婚相手であると。
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