2015年2月4日水曜日

震災20年(中)


 神戸がまさに壊滅状態になったその日、無謀にも車で神戸に出かけ、姪の無事を確かめて直ぐさま大阪へ引き返すことにしました。

姪のマンションのすぐ近くで火災が起きていました。消防車が1台来て2階建ての家に放水しています。プールや防火用水から水を取っているのですが水はすぐ底をつきます。すると火勢が以前にも増して強くなり到底鎮火するとは思えません。

不思議な光景でした。ふつう火事と言えば野次馬が集まりぼやでも消防車が何台も駆けつけ大騒ぎになります。今まさに目の前で住宅がはげしく燃えているのにそんなものを見ている人はいません。私ひとりがじっと火の手が勢いを増す様子を観察していたら、消火活動をしていた若い消防士が私に声をかけてきました。

火事場見物していないですぐに立ち去るよう言われるだろうと予想していたのですが消防士の言葉はまったく意外でした。

「消防車の中にパンと水があるからどうぞ」

おそらく、絶望的な様子で火事を見ていた私のことをその家の住人だと思いねぎらいの言葉をかけてくれたのでしょう。恥ずかしさで真っ赤になりながらも感動しました。この状況の中でなおも人を思いやる優しさを失わない消防士。静寂のなか執拗に燃え上がる火を前にしてなすすべもない消防士の絶望が彼の優しさに姿を変えていたのでしょう。

パンをもらう資格などない私は再び車のエンジンをかけ大阪に向かいました。ところが国道43号線の真上にあった阪神高速道路は倒壊し、43号線も通れません。すべての車が2号線に押し寄せ1時間に100メートルぐらいしか進まない状態が大阪までずっと続きました。

動かない車から外を見ていたら、傾斜したまま踏ん張っていた4階建てのビルが余震とともに突然めりめりと倒壊しました。路面は盛り上がりめくれたアスファルトに車の腹が当たります。ふだん大阪まで車で30分で着く距離を結局10時間かけてたどり着きました。

大阪の光景を見て再び目を疑いました。神戸の惨状がうそみたいに何もかもふつうに機能していました。電車が走り、食堂が営業し、パチンコ屋だって明かりがこうこうと。直下型地震の恐ろしさ、不公平な仕打ちには愕然としました。(続く)

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