2015年8月28日金曜日

夏休みと9月の新学期


1学期の終了式、全国の小学校、中学校の校長先生は訓辞の最後にきっとこのような言葉を付け加えていると思います。「最後に皆さん、9月の新学期には全員元気に真っ黒になってここに戻ってきて下さい」と。

私が子どものころ、40日の夏休みは平穏無事、大した行事もなく、家でゴロゴロする毎日。お盆を過ぎてから大慌てで宿題に取りかかり、9月1日はまだ熱気が残る新学期の教室に戻ったものでした。事件や水難事故にあう生徒もいなかったわけではないにしてもそれは不運な例外でした。

ところが現代では500人もの数の児童や生徒が一人残らず夏休みを無事に乗り切るのは奇跡に近いぐらい難しいことではないか、そんな気がします。校長先生の言葉は終業式での型に決まった訓辞というより心底切実な願いに違いありません。

大阪府寝屋川市で起きた中学生殺害事件は本当に痛ましい、やりきれない事件でした。大阪の友人に「いったい、今の子どもはどうなってるの? 夜、出歩いて親は止めないの?」と聞いたら、「夜中に出歩いたり、よその家に泊めてもらうことなど珍しくも何ともないですよ」とのことでした。

人気(ひとけ)のない深夜の商店街をスマホの電源を探していたのでしょうか、行ったり来たりしている殺害された男女生徒のシルエットが防犯カメラの動画に残っています。底知れない孤独と悲しみに満ちた遺影であると私には感じられました。

安全神話が浸透した日本は事実世界のどこの国よりも安全です。安全を信じて疑わないからこそ他人を無防備に信じて、いとも簡単に犯罪の餌食になるのでしょう。

日本を訪れた外国人が一様に驚くのはランドセルを背負った小学生が一人で地下鉄や電車に乗っている光景だとか。欧米や中国では子どもの通学はスクールバスに乗せるか、親が送り迎えするかが義務づけられているそうです。それでも子どもの誘拐事件は日常茶飯事です。

安全だと思われている日本でも、子どもを取り巻く環境には危険な落とし穴がいっぱい仕掛けられていることが今回の事件で改めて確認されました。子ども達を守るためには夜間の外出を制限し、子どもの徘徊には警察官による補導だけでなく周囲の大人たちの積極的な声かけが必須だと思われます。

エスカレーターあれこれ


中国発のニュースには毎度驚かされます。天津大爆発の被害者数は発生後5日目現在で死者、行方不明者あわせて約200人と発表されていますが、中国のネット市民自身“0が2つ足りない”と被害者数の過小ぶりをいぶかっています。天津大爆発の少し前は中国各地で発生する“人喰いエスカレーター”の恐ろしい事故の映像がテレビのワイドショーで繰り返し流されていました。

エスカレーターの安全性は疑う余地のないものだと信じていたのに、簡単にステップが外れて落ちる中国のスーパーの映像を見せつけられた後しばらくは駅やデパートでエスカレーターに乗るとき思わず身構えてしまいました。

我が人生でエスカレーターなる不思議な乗り物に最初に出会ったのは岡山の天満屋でした。年輩の方は記憶されていると思いますが、今の天満屋は1970年代初めごろに大きく増築されました。それ以前は今の建物の南半分が店舗で、店舗と県庁通りの間がバスステーションでした。

天満屋は小さいながらも岡山における流行の発信地でした。その天満屋に岡山県初のエスカレーターが設置されたのは昭和30年代だったと記憶しています。わざわざバスに乗って見物に行ったぐらいエスカレーターは珍しいものでした。

天満屋が今の姿になった70年代初めごろイギリス旅行した際、ロンドンの地下鉄駅でステップが木製のエスカレーターが現役で活躍しているのを見て仰天しました。その後、木製ステップのエスカレーターはニューヨークのメイシーズ百貨店でも見かけました。

同じころフランスでは雨ざらしのエスカレーターや階段の踊り場で水平に動くエスカレーターがあるのに驚いたのですが、これらはその後日本でも目にするようになりました。もっとびっくりするのがスパイラルカーブを描いて上昇するエスカレーター。岡山県ではアルネ津山に設置されているそうです。

なぜあんな不思議な動き方が可能なのか、私の頭では理解できません。上のフロアーに到達したステップがうまく反転して下に降りていくところが想像できないのです。なにはともあれエスカレーターは子どもの夢を刺激する魔法の乗り物。中国の事故のような痛ましい事例は根絶してほしいものです。

なぜ特殊詐欺に引っかかるのか?


岡山県警のまとめでは今年上半期の特殊詐欺被害額が9億円に上り、すでに昨年1年間の額を上回ったとのことです。警察も被害の大きさに危機感をもったのか老人がいる家庭を戸別訪問して注意を喚起しています。残念なことに警察やマスコミの努力は限定的であり、ますます被害者が増えているのが現状です。

よくテレビでお年寄りが1000万円もの振り込め詐欺にあったなどというニュースを聞くとだれもが「そんなバカな! 息子が交通事故を起こして法外な慰謝料を請求され路頭に迷っている、などと親に泣きついてくるなんて詐欺に決まっているではないか」と簡単に騙されてしまう被害者に首をかしげます。

では、そもそもなぜ人は簡単に特殊詐欺に引っかかってしまうのでしょうか? 私なりにその理由を考えてみました。ひとことで言えばオレオレ詐欺は人の心理の隙を巧みについているからだと思います。

どんなに子どもを信頼している親でも心のどこかに子どもの人生に待ち受けている危機に不安を抱えています。ある日これまでまじめ一筋、エリート街道を歩んでいた自慢の息子が「会社の金に手をつけてしまった。今日中に金を会社の金庫に戻しておかないとクビになる」と言い出すこともないことではない。

「飲み屋で知り合った女性と一晩つきあったらこれが質の悪い女でやくざのヒモが出てきて脅されている。すぐに500万円渡さないと殺される」、「会社経営に失敗して不渡りを出しそうだ」などと突然電話で泣きつかれたとき、親は“詐欺だ”と思う前に自慢の息子に対する信頼がガタガタと崩れて“心配が現実になった、今こそ親の出番だ”と思ってしまう悲しい親心。(演歌調ですが)

親は子どもが思っているよりはるかに寛大で子どもを無条件で愛しています。ある日息子や娘が自分は性同一性障害者だとカミングアウトしても少し驚きとまどった後、「自分の育て方が悪かったのか?」などと自責の念にかられこそ息子や娘を責めたりはしないでしょう。
そんな親心の優しさ寛大さの脆弱なポイントに毒の矢を放つ特殊詐欺には厳罰をもって臨むほかに効果的な対策はありません。騙される親を笑うなどもってのほか。他者を少しでも愛する人は必ず特殊詐欺のターゲットになります。私も含めて。