2016年2月15日月曜日

天皇皇后両陛下比島慰霊の旅

ご高齢の両陛下が太平洋戦争最大の激戦地であったフィリピンまで、50万柱を超える戦没者の霊を慰める旅に出られました。実際フィリピンでの戦いの悲惨さは想像を絶するものがあり、敵味方問わず、今なお多くの遺族が決して癒されることのない苦悩を抱えたまま生きています。
私も叔父(母の弟)をレイテ島のカンギポットという山で亡くしています。母のためにも一度は慰霊のためにレイテ島に行ってみたいのですが、現在のフィリピンでもいったんマニラを離れると治安が悪くとうてい一人でふらりと出かけられるような状況ではありません。
実は今から20年ほど前、叔父の慰霊のためにマニラまで出かけたことがあります。首都マニラでもホテルや商店の入口は実弾を込めた銃を持った警備員が固めているような物騒きわまりない大都市。やっとのことでマニラ近郊の激戦地コレヒドール島を訪問し、そこで拾った石を遺骨代わりに日本に持ち帰りました。
二十歳そこそこの叔父が所属部隊もろとも飢えと病に苦しみ全滅していった様子は大岡昇平の「レイテ戦記」(中公文庫)に実に詳細に記録されています。資料を含め上中下3巻、総ページ数1400枚もの死の記録を読むことは苦痛以外の何ものでもありません。
 結局、曲がりなりにもフィリピンまで出かけても個人では島から島への移動もままならず、戦記も心がふさがって読めません。戦没者の慰霊はそれほど困難なことです。
ところがこの度の両陛下の慰霊の旅の様子をテレビで見て本当に救われた気持ちになることができました。 両陛下は慰霊碑に菊の花を手向けられたあと遺族の方々と実に長い時間お話になられていました。列席した人々は大感激の様子で「父(夫、兄……)もさぞ喜んでいることでしょう」と口々に話していました。

 いかなる人のどんな言葉をもってしても、あるいは国の金銭的な弔意にも慰められることがなかった遺族の深い喪失感、無念をただ天皇のみが慰謝できるという奇蹟を垣間見た気がしました。現在の憲法のもと天皇は神ではなく人間であることを疑う人はいません。しかし両陛下が戦跡や各地の被災地で人々を慰められているお姿を拝見するたびに、これは人間ワザではない、これこそ正真正銘神ワザだと思わずにはいられません。

大寒波襲来

ずいぶん暖かい冬だと思っていたら突然の大寒波襲来でした。岡山市がマイナス5度近くまで冷え込んだことは70年近い人生のなかでも記憶にありません。とはいえこれまでもひと冬に何度か氷が張ることはあったのでマイナス5度程度なら大したことはないとタカをくくっていたら思わぬことが起きました。
朝、冷たい水道水は出るのにお湯がでないのです。どうやら給湯器からの配管が途中で凍ったようです。ふだんならこんな日は朝寝坊に限ります。これこそ退職後のスローライフの醍醐味!のはずですが、運の悪いことに3ヶ月も前からこの日は胃の内視鏡検査の予定が入っていて朝8時半には病院に到着していなければならなかったのです。
 2年に一度のいちばんいやな検査の日と100年ぶりの寒さが見事に重なり気分は最悪でしたが、何とか検査にも耐え、体にも異変はなくほっとして家に帰りました。翌日も冷え込むとの天気予報に遅ればせながら庭の植物を寒さから守る対策を始めました。
 中でも寒さに弱いのが柑橘類です。鉢植えのレモンとライムの木があるのですが、このところの寒波で急に葉っぱから光沢が消えてしまいました。このまま寒さに当てると落葉し、やがて枯死してしまうので家の中に取り込むことにし、植木鉢の表面にはびこっていた草を引き抜いていたら何やらもぞもぞ動くのでびっくり。アマガエルが植木鉢の中で冬眠していたのです。「起こしてごめん」。
 土をやわらかくし、そっとアマガエルを2センチメートルほどの深さに埋め戻してやったのですが、だいじょうぶかどうか心配です。息はできるのだろうか?カエルは冬眠中、体の表面に粘膜のようなものを張って体を保護しているのではないか?などと気にはなったのですが、野生のカエルの生命力を信頼するしかありません。
 他にも植木鉢のライムの樹上で越冬している生き物がいました。アゲハのさなぎです。体を糸で木の枝にしばって支えています。鉢の土の中にはミミズもいるでしょう。葉っぱにはカイガラムシも寄生しています。

 ノアの箱船よろしく幾多の生命を宿した植木鉢ですが寒波からの緊急避難は2,3日で終わりです。春が来た、と勘違いして目覚めても冬の室内に彼らの食料はありませんから。

スキーバス事故

  軽井沢近くの国道で起きたスキーバス事故は目を覆うような悲惨な結果をもたらしました。就職も決まり春からそれぞれ希望の分野で活躍しようとしていた学生たちが何故こんな不条理な死に方をしなければならなかったのか、残された家族の無念の思いはいかばかりかと思います。
 「格安バスツァーに参加したばっかりに……」というのがどの遺族にも共通した悔恨ではないでしょうか。なぜ大学生ばかりが犠牲者になったかというと大学の生協にはこうした格安旅行のパンフがいっぱい置いてあるからです。サークルやゼミ仲間がこうした粗悪な旅行商品に飛びつくのはごく自然なことです。
 私も大阪の大学で働いていたとき同僚や学生たちと計5人で生協が取り扱っている格安スキーツァーに参加したことがあります。バスは事故も起こさず新潟県赤倉温泉スキー場まで連れていってくれましたが宿が酷かった。
大きなホテルなのに部屋には石油ファンヒーターしかなく3時間経過すると火が消えます。3時間ごとに「起きてスイッチを入れてくれ!」と凍える寒さの中でお互いにけっとばしながら悶々。しかしそのうちタンクが空になり、フロントに電話。フロントは「こんな真夜中に言われても……」と応じない。あやうく室内凍死するところでした。
 スキー旅行の楽しさを学生にも教えてやろうと企画したツァーだったのに散々な目にあい怒りが収まりません。生協に文句を言ったら、クレームは主催旅行社に言えといいます。そのとき初めて旅行主任やら知事認可、国交省大臣認可などの制度があること、パンフを通り一遍見ただけでは分からない条件等があることも学びました。
 結局、海千山千の旅行社相手に粘った甲斐があって一人5千円ずつ取り戻しましたが、生協には二度とこんな旅行商品は置かないよう申し入れたのは言うまでもありません。

 今回の事故の犠牲者、早大女子学生の母親は取り乱すことなく気丈にも「学生が親への配慮から格安のツァーを選ぶのは自然なこと」(産経ニュース)と言っていました。しかし格安にも限度があります。今回、法令違反を繰り返しているような劣悪な会社の旅行商品を大学生協が扱っていたとしたら、大学生協の責任は免れないのではないでしょうか。