2016年3月10日木曜日

「哀悼の意」英語では


2月初め、珍しく従兄弟のトモアキ君から電話があり、アメリカに住んでいるレイコさん(トモアキ君の姉)が亡くなったようだ、と知らせてきました。昭和30年ごろ、レイコさんはアキという男性と結婚しアメリカに移民していきました。当時私は小学生でしたが、岡山駅まで親類縁者みんなでレイコさんを見送りに行った日のことが60年経った今でも思い出されます。合掌。
日本では人が亡くなるとあわただしく葬儀が執り行われますが、アメリカではそうでもないらしく、3月に入ってようやく葬式の日取りが決まり、トモアキ君夫婦はアメリカまで葬儀に参列するために出かけることになりました。
私も列席できるものならそうしたいのですが、急に旅立つことはできません。そこで香典を託すことにしました。キャッシュを包んだ香典の習慣がないアメリカ育ちのレイコさんの子どもたちに香典がすんなり受け入れられるかどうか気になるところですが、私なりに和洋折衷案を考え、まず既製品のお悔やみカードを求めて東急ハンズに出かけました。
ありとあらゆる工夫を凝らした誕生日カードは山のようにあるのにお悔やみ用はたった1種類しかありませんでした。ユリの花の絵柄に”With sympathy”と印刷されていました。それを買って帰り、私は同封の白紙のメッセージカードに”Please accept my sincere condolences on the passing of your mother” (お母様のご逝去に対し心からお悔やみを申し上げます)と英文で書き添え、さらに供花代を中袋に入れ”Floral offering”と注記しておきました。完璧な仕上がりかどうか一抹の不安もあるのですが気持ちは通じるのではないかと思います。
ところで「哀悼」を和英辞典で引くと”condolence”という難しい単語が出てきます。ラテン語の語源は「苦しみをともに」のようです。英語でも見慣れない単語ですが「哀悼」もいざ書こうとすると字が難しいです。中学校1年のとき国語の授業で初めて「哀悼」という言葉を習ったのですが、さいわいなことにその後の人生でこの言葉に出会うことはそう多くはありませんでした。

しかし日本でもアメリカでも葬式で「この度はムニャムニャ…」と言葉をにごすよりちゃんと定番の挨拶ができた方がかっこいいですね。


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中学校時代の国語の女教師は奈良高等女子師範卒の厳格でプロ意識の高い人でした。「お悔やみをいうとき、「xxの意を表す」と言うが、分かる人?と質問されました。だれも分かりませんでした。すると「中学生にもなってそんな言葉も知らないんですか」とさもがっかり、軽蔑のようすで「哀悼の意を表すというのだと教えてくれました。私はそのときも今も思ったものですが、そんな言葉、中学生が知る分けないという気がします。私の姪など40を過ぎているのにおじいさんの葬儀にやってきても「どうも」ぐらいしか言えません。

家庭菜園復活

ここ2,3年中断していた家庭菜園をこの春から復活させることにしました。今まではナス、トマト、キュウリ、カボチャ、ゴーヤ、オクラ、ニラ、ネギ、タマネギ、ハクサイ、エンドウ、エダマメ等およそ野菜という野菜は何でも栽培していたのですが、最近は介護に疲れて畑どころではない日々が続いていました。
それが今年、春の陽気とともに久しぶりに土に触れたい衝動がわいてきました。こころの中の忘れかけていた「自然」も復活してきたのでしょう。今度はあまり手を広げず春はジャガイモ、秋はタクアン用の大根を育てるつもりです。
ジャガイモは今植え付けたら桜が咲くころ芽が出、やがて花が咲き、初夏、茎が黄色になるころには大きなイモがごろごろできます。冷涼な気候を好むので県南では2月中旬から3月上旬ぐらいが植え付けの適期で昨日は久しぶりにクワを使いました。風の寒さが汗ばむ体に心地よく感じられました。
 大人でも楽しいジャガイモ栽培は保育園や幼稚園でも大人気ですが、幼児の情操を育てるのにこれほど感動的な野菜は他にないと思います。園児が先生といっしょになって土の中からジャガイモを掘り出すのは感動の体験です。そしてそのイモを使ってカレーを作るのは園の年中行事になっているのではないでしょうか。ただ、収穫後直射日光に当ててしまい緑色がかったジャガイモを食べて園児が食中毒を起こしたというニュースも毎年聞かれます。保育士や幼稚園の先生方には気をつけていただきたいと思います。
 さて私の家庭菜園の秋の主役はタクアン用の大根です。細長くすらっとした品種の大根です。昔は12月ごろこの大根を干して束ねたものが八百屋で売られていたのですが、最近はめったに見かけません。とりわけ昨年は暖冬と長雨による不作がひどく店頭にはついに並ばず、通販で九州の業者から取り寄せたのですが、クレームをつけたくなるような粗悪な品質のものが届きました。

 こうなったら自分で栽培する方がよほど計画的、経済的にタクアン作りが楽しめます。そんなこんなで2品目限定の家庭菜園プロジェクトが開始しました。でも心変わりが早い私のこと、油断したらまた畑いっぱい何でも植えそうな気がします。野菜づくりの魅力にはなかなか抵抗できませんから。

(その後)
畑を耕し始めたらはずみがつき、ジャガイモ3kg(男爵、メークイン、きたあかり、それぞれ1kg)植えました。さらに苗をいろいろホームセンターから買ってきて植えました。ニラ、セロリ、レタス、ブロッコリ、エンドウ(ポット苗)。ところがまだまだ寒い3月のこと、菜っぱ類に飢えた鳥がいっせいに襲撃してブロッコリやエンドウはあっというまに食べられてしまいました。やはり鳥よけのネットが必要なようです。

若い訪問看護師さん

(96)を在宅で介護する生活がもう15年にもなります。53歳だった私もいつのまにか67歳になりました。要介護度5、寝たきりでほぼ植物状態の母の介護に当たっては、家族(と言っても私ひとり)の力だけではできません、さまざまな介護保険制度、在宅医療サービスを受けています。
とりわけ母の日々の健康状態をチェックし、身体介護の中心的役割を果たしてくれているのが訪問看護師の存在です。この15年間ずっと同じ訪問看護ステーションを利用しているので皆さま母の病歴や健康状態、個性等よく把握されていて適切なケアをしていただいています。
ところが1年ほど前から来るようになった看護師さんが担当したときに限って小さな“事故”がときおり起きます。爪を切るとき指を切って出血した、ベッドや床のカーペットが水浸し、顔に小さなあざができていた、などなどです。
どれもこれも大したことではないし、息子の私だって母の変形した爪を切っていて間違って指先を切ってしまったこともあります。つまりケアしていればいかにもありがちなささいな失敗、事故に過ぎないのですが、他の看護師や訪問ヘルパーさんがそんなヘマをすることは皆無なだけにやはり気になります。
気にはなるけれど家族としては何も言えない……、一生懸命母のケアをしている看護師さんの小さなミスを責めるのは大人げない、彼女だって人の子、そんなことを指摘されたら気分を害するでしょう。
私は毎度こう思ってきました。「たまたま爪ではなく指を切ってしまった、たまたまベッドの上でバケツがひっくり返ったのだ、それにこんなことはそう滅多にあることではない……」と。
ところがつい最近、この看護師さんが来てくれた日、外出先から帰って母の顔を見てびっくり。鼻筋が3センチぐらい赤く腫れていました。体を横にしたとき顔面をベッドの防護柵に当てたのではないかと推測します。ついに私は決心をして所長さんに彼女を母の担当から外すようお願いしました。

私自身がその人の技量が信頼できないと思っている人に母のケアをゆだね続けることは母の介護を総合プロジュースしている私の責任放棄であると思われての決断でした。

地番VS道路名住所

20代のころから欧米を中心によく海外旅行に出かけたものですが、あまり人に道を聞いた記憶がありません。忙しそうに往きかう人を呼び止めるのは何だか気恥ずかしいし、言葉が通じなかったらどうしようという恥じらいもあります。しかし町の地図を持ち、住所さえ分かっていれば欧米でも中国でも目的地は簡単に分かるのでそもそも人に尋ねる必要がないのです。
道という道すべての通りには固有の道路名が付いていて、建物には番地を記したプレートが張り付けてあります。番地は通りを挟んで奇数偶数に2分され、連続していますので、目的の通りに出たらとりあえず近くの建物の番地を見ればあとは自然に目的地にたどり着きます。
ところが日本の地名、地番はまったく目的地を特定するのに役立ちません。このごろはナビやスマートフォンの地図アプリを使えばピンポイントで目的地が分かるので何とかなるようになりました。ところが日本を訪れる外国人にとって話は別。駅に着いたもののそこから先、なすすべもなく途方に暮れてしまいます。
先日も大阪のミナミ、南海電鉄の難波駅で友達と待ち合わせをしていたら、関西空港からやってきたらしい若者2人連れが壁の地図を見ながら困ったようすをしていました。私は声をかけてみました。
韓国からの旅行者で日本語も英語もまったく通じません。スマホの「はなして翻訳」というアプリを介してどこに行きたいのか聞いたら、心斎橋のカプセルホテルであることが分かりました。我々も心斎橋に行くことになっていたので、「連れていってあげるから」と言って地図アプリを頼りに歩き始め何とか目的地まで送り届けることができました。
「いやー、あんな場所日本人でも絶対見つからんわ!」。カプセルホテルはひっそり雑居ビルの地下にありました。韓国人青年たちは腰を90度曲げて感謝の気持ちを表していましたが、その韓国は201411日から日本式地番を廃止し欧米式の「道路名住所」に変更しました。

日本人にとっても外国人にとっても日本の町ほど目的地にたどり着くのが困難な国はほかにありません。地番システム変更はすぐには無理としてもせめて道路には横丁にいたるまで漢字ローマ字併記で名前を付けてもらいたいものです。