2月初め、珍しく従兄弟のトモアキ君から電話があり、アメリカに住んでいるレイコさん(トモアキ君の姉)が亡くなったようだ、と知らせてきました。昭和30年ごろ、レイコさんはアキという男性と結婚しアメリカに移民していきました。当時私は小学生でしたが、岡山駅まで親類縁者みんなでレイコさんを見送りに行った日のことが60年経った今でも思い出されます。合掌。
日本では人が亡くなるとあわただしく葬儀が執り行われますが、アメリカではそうでもないらしく、3月に入ってようやく葬式の日取りが決まり、トモアキ君夫婦はアメリカまで葬儀に参列するために出かけることになりました。
私も列席できるものならそうしたいのですが、急に旅立つことはできません。そこで香典を託すことにしました。キャッシュを包んだ香典の習慣がないアメリカ育ちのレイコさんの子どもたちに香典がすんなり受け入れられるかどうか気になるところですが、私なりに和洋折衷案を考え、まず既製品のお悔やみカードを求めて東急ハンズに出かけました。
ありとあらゆる工夫を凝らした誕生日カードは山のようにあるのにお悔やみ用はたった1種類しかありませんでした。ユリの花の絵柄に”With sympathy”と印刷されていました。それを買って帰り、私は同封の白紙のメッセージカードに”Please accept my sincere condolences on the passing of your mother”
(お母様のご逝去に対し心からお悔やみを申し上げます)と英文で書き添え、さらに供花代を中袋に入れ”Floral offering”と注記しておきました。完璧な仕上がりかどうか一抹の不安もあるのですが気持ちは通じるのではないかと思います。
ところで「哀悼」を和英辞典で引くと”condolence”という難しい単語が出てきます。ラテン語の語源は「苦しみをともに」のようです。英語でも見慣れない単語ですが「哀悼」もいざ書こうとすると字が難しいです。中学校1年のとき国語の授業で初めて「哀悼」という言葉を習ったのですが、さいわいなことにその後の人生でこの言葉に出会うことはそう多くはありませんでした。
しかし日本でもアメリカでも葬式で「この度はムニャムニャ…」と言葉をにごすよりちゃんと定番の挨拶ができた方がかっこいいですね。
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中学校時代の国語の女教師は奈良高等女子師範卒の厳格でプロ意識の高い人でした。「お悔やみをいうとき、「xxの意を表す」と言うが、分かる人?と質問されました。だれも分かりませんでした。すると「中学生にもなってそんな言葉も知らないんですか」とさもがっかり、軽蔑のようすで「哀悼の意を表すというのだと教えてくれました。私はそのときも今も思ったものですが、そんな言葉、中学生が知る分けないという気がします。私の姪など40を過ぎているのにおじいさんの葬儀にやってきても「どうも」ぐらいしか言えません。