2016年10月31日月曜日

京都御所、京都迎賓館参観記


秋晴れの一日、京都まで日帰り旅行をしました。最近通年一般公開が始まった京都御所と京都迎賓館を訪ねてみるのが旅の目的でした。
京都御所といってもいったいどんな場所なのかぴんとこないまま内裏の中に入ってみるとそこは源氏物語の世界でした。物語に出てくる紫宸殿、清涼殿などが千年の時を経て現存していることに驚嘆の思いがしました。もっとも建物そのものは何度も焼失と再建を繰り返し、現在の建物のほとんどは安政2年(1855)に再建されたものです。(参観は無料)
歴史的また文学的背景はともかく、万世一系の天皇制の長い歴史の中心地であった京都御所ですが、参観してみて感じたのはヨーロッパ諸国の宮殿や日本の城郭と比較しても驚くほど“質素”な宮殿であることです。外敵の侵入を防ぐために何重にも堀を巡らした城塞の建築様式に比べると御所の守りは簡素な土塀で囲われているだけです。
不思議です。火消しが使うような梯子をかければ何の苦もなく侵入できそうな御所なのに長い歴史の中でそういう不敬な事件は起きなかったことが!(実際はいろいろあったと思いますが)。つまりは権力や武力ではなく天皇の権威による守りをそこに見てとれるということでしょう。
東京の赤坂迎賓館に対し和風の施設で賓客を迎えるために2005年4月にオープンしたのが京都迎賓館です。同じ京都御苑内、御所のすぐ隣に位置しています。この夏から当日参観も可能になりました。空港並のセキュリティーチェックを受け、参観料大人1500円を払い、ガイドさんの案内に従って建物内部を見学します。
贅をつくしたインテリアと家具調度、庭園を拝見しつつも何か居心地の悪さを感じました。和風ではあっても日本建築特有の開けっ放しの気楽さは微塵もありません。
鴨居や障子の高さが外国人賓客に合わせて2メートルもあることからくるアンバランスさ。舟遊びもできる池を配した中庭はあっても建物の外側に向かって開口部(窓)がありません。こうした設計はセキュリティ上の制約から仕方なかったのかもしれませんが、これではなんだか高級座敷牢です。京都御所の開放感とはえらい違いです。

もし私が賓客なら、会議や宴会が終わったら、あとはゆっくり市内のホテルで休ませてもらいます。

どうでも釜飯

親戚のゆみちゃん、といっても50代の女性ですが、カナダのトロントからリサという日系3世のおばちゃまが来日するので通訳してくれないかと頼まれました。
ゆみちゃんの祖母とリサの祖母が姉妹だったらしく、今でも一族の墓所がある倉敷近辺に親類縁者がおおぜい暮らしています。46年ぶりに先祖ゆかりの土地を訪れたリサの大歓迎行事に通訳として私も駆り出されたというわけです。
歓迎する側としては日本食でもてなすのが一番と考えるのはごく自然なことです。リサ到着早々和食レストランで昼食。エネルギーと好奇心の固まりのリサは早口英語でいかにカナダの日本食がひどいか、値段が高いばかりでちっともおいしくない、経営者もコックも中国人や韓国人ばかりで本物とは味が全然違う……とまくしたてます。
私は“通訳”と名乗れるほど英語が分かるわけではなく、まあまあ日常会話なら意志疎通に事欠かない程度の理解力。しかしリサのマシンガントークをよく聞いていると「この料理はなにもかもトロントの偽物日本食とは比べものにならない」レベルの話を繰り返し言っていることに気づき、通訳する人が困るような複雑で込み入った内容ではなかったので何とか大役を乗り切れました。
翌日の昼食はちらし寿司、そして歓迎行事の最後はまたも和食レストランにて釜飯御膳が用意されていました。店の女将が飲み物の注文にきました。「お茶は温かいのと冷たいの、どうなさいます?」と聞くので私は釜飯御膳を前にしてつい口が滑りました。「そんなことどうでも釜飯」。座敷に冷たい空気が流れたのは仕方ありません。女将もつっ立ったままにこりともしません。
「おかみさん、あなたも客商売だからお愛想でもいいから反応してくれたら?」。女将「お客さん、私ら“どうでもかまめし”とアナゴを出したとき“あっ、オナゴが来た!”と言うのをいつも聞かされているので笑う気にもなれません」と、それでも少しだけ愛想笑いしながら奥の方へ消えていきました。

リサは土瓶蒸しに興味津々で、いましがた起きたお寒い事件について私に説明を求めなかったのは幸いでした。英語で説明しろと言われてもそれこそ「そんなことどうでも釜飯」としか答えられませんから。

2016年10月13日木曜日

ひがみ根性

自分自身の性格を分析してみるとかなりひがみっぽいと思います。でもすねてひがむのはけっこう楽しいし、この先年を取るとますますひがみっぽくなりそうな予感がします。
10月初め母の四十九日の法要があり東京で暮らしている甥っ子が帰省してきました。今年5月父の3回忌のときにも岡山に帰ってきて「生まれて初めて彼女ができて結婚を考えている」と、私に語り始めました。
「彼女は自分の姓を変えたくないと言っているがぼくが氏を捨ててもいい?叔父ちゃんどう思う?」などと言う。「江戸時代じゃあるまいし、そんなことにこだわるな、それよりその彼女を失ったら2度とチャンスはないからがんばれ!」と励ましてやりました。
それから半年。母の法要の席で甥が私に話しかけてきました。来年早々東京で結婚式を挙げることになった、苗字の件についても彼女が折れたそうです。でかした!我が甥っ子よ。叔父さんもうれしいよ。
披露宴は明治記念館の「金鶏の間」の予約がとれたと何やら誇らしげ。聞けばそこは明治憲法草案の御前会議に当てられた部屋だとか。それなら私も久しぶりに上京し、祝儀もはずんでやろうと思ったらいきなりの冷や水です。「限られた人数しか入れないし、叔父さんをお呼びすることはできない」と。「くそッ、そう来たか。子どものころはかわいがってカナダに2回、ヨーロッパにも連れていってやったのに……」
さっそくネットでその由緒正しい「金鶏の間」とやらを調べたら88人も入るではないか!叔父さんは89番目以下の存在か!まったく腹が立つ。それなら当日宴会場の受付に押しかけてのし袋をたたきつけてきてやろうかと悶々とし、2,3日精神安定剤が手放せませんでした。
素直な甥っ子がそんな意地悪を思いつくはずがない。ははーん、犯人は甥の両親(私の兄夫婦)に決まっている。いやいや、甥もフィアンセも官僚の端くれだけあって祖父母(私の両親)の法事をもって冷徹にも叔父さんを切り捨てたのかもしれない。独り身の叔父の老後なんかだれが見るか! --- と、まあこのように想像してしまうのも私のひがみ根性のなせるわざでしょうか?

私は最近書き始めたエンディングノートの相続人の欄から甥の名前をそっと消しました。

2016年10月5日水曜日

大阪、京都への旅


 1泊2日で大阪に行ってきました。昔公務員時代に27年間住んでいたころは大阪という個性の強い街に特別な感情もなく、日々の生活に追われて暮らしていたのですが、長い介護生活が終わって10数年ぶりに訪れた大阪は泣き出したくなるほどしっとり、しっくりくる街でした。
 もちろん介護生活の最中でも時々は親を病院で預かってもらって大阪に行くことはあったのですが、介護をさぼっているという後ろめたさが頭の片隅に常にあって、用事だけ済ませてはせきたてられるように岡山に帰ってきたものです。
 でも今は気分が違います。最終列車に乗り遅れたら適当にビジネスホテルに泊まってゆっくりすればいい、ついでに京都に寄ってもいい……と思えば昔よく時間を過ごした喫茶店やバーを心ゆくまでハシゴできます。
 まずは梅田のお初天神境内横にある蕎麦屋、「瓢亭」で夕霧そばを。せいろで蒸したユズ切りのあつあつそばをやけどしそうなくらい熱い出汁につけて食べる快楽!そばを食べるまえに冷酒に板わさ、ニシンの甘露煮は外せない。もう先代のおばちゃんはとっくに亡くなったみたいだけど今のおかみさんの気遣いのやさしさにも涙腺が緩みます。
 中之島の国立国際美術館で開催中の「始皇帝と大兵馬俑」展を足早に見て、千日前の「丸福珈琲店」に直行。昭和9年創業らしく、私が大阪で働き始めたころすでに老舗の雰囲気がありました。ブレンドに角砂糖2個とミルクを入れたコーヒーの濃さと深い味わいは今も昔も私にとっては世界一。丸福珈琲は今では日本各地に支店を出しているけれどコテコテ・ナニワのど真ん中の本店の味は余所では出せません。
 コーヒーの後は法善寺横町の水掛不動さんの顔めがけて手押しポンプで汲みたての水をかけます。そして「238」(ふみや)というひっそり目立たないバーへ。ここも代替わりしているけれど、マスターのおっちゃんもおばちゃんも優しい。キャベツとベーコン炒めをリクエスト。また泣けてくる。大阪の人はどうしてこんなにやさしいの?
 翌日は京阪電車で京都四条へ。お目当ては高瀬川沿いの「フランソワ喫茶室」。喫茶店の建物が国の登録有形文化財だなんて忘れていい。ひたすら居心地のいい喫茶店です。ああもう紙面が尽きてしまいました。

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YouTubeで浪速ド演歌をどうぞ!
浪花恋しぐれ 都はるみ・岡千秋

「浪花恋しぐれ」では作曲家の岡千秋自身が男性パートを歌っています。発音、イントネーション、母音と子音の融合、大阪人ではない私にはそれがきっすいの浪速言葉かどうかは分かりません。
岡千秋は岡山県日生(ひなせ)生まれ、大阪弁を習得するのに苦労したようです。都はるみは京都生まれです。でも二人とも大阪生まれの人以上に大阪の雰囲気を出していると思います。

(男・セリフ)
そりゃわいはアホや 酒もあおるし 女も泣かす
せやかて それもこれも みんな芸のためや
今にみてみい!わいは日本一になったるんや
日本一やで わかってるやろ お浜
なんやそのしんき臭い顔は 酒や!酒や!
酒買うてこい!

(女・セリフ)
好きおうて一緒になった仲やない
あんた遊びなはれ 酒も飲みなはれ
あんたが日本一の落語家(はなしか)になるためやったら
うちはどんな苦労にも耐えてみせます



不気味な殺人事件とその背景

神奈川県で立て続けに背筋が寒くなるような殺人事件が発生しています。川崎の老人ホームでお年寄り3人がベランダから地面に投げ落とされた殺人事件(201511)を皮切りに、本年7月末には相模原市で障害者施設の元職員だった男が深夜施設に忍び込み無抵抗の入所者を刃物で次々と虐殺していくという戦後最悪の凶悪事件が発生しました。
その動揺が収まらないうちに今度は多くの老人を預かる横浜の病院で多数の患者が異物を点滴されて殺害されるという信じがたい事件が起きました。この病院では夏だけで50人もの患者が亡くなっていて一連の事件がどこまで拡大するのか本当に不気味な展開をたどっています。
これら3つの事件に共通していることはいずれも無抵抗の老人や障害者が犯罪の標的にされていることです。犯人の動機は様々かもしれませんが、共通した根っことして“社会にとって役に立たない存在は抹殺すべし”という恐ろしく傲慢で思い上がった思想があるように思われます。実際に相模原事件の犯人は、ヒトラーにでもなったつもりなのか、英雄気取りで自分の行為をツィッターにリアルタイムで書き記していたといいます。
さらに恐ろしいことには、こうしたある種、確信犯の動機に賛同するかのような意見をネットに書き込む輩が多数いることです。元東京都知事の石原慎太郎も知事に就任してまもなく障害者施設を訪問した際に、「ああいう人ってのは人格があるのかね」、「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」などと発言したとか。
こうした“優生思想”は急に出てきたのではなく昔からありました。ライ病に対する人権無視政策はライ病の特効薬ができて感染の恐れがほぼゼロの状態になってからも何十年も続けられました。いわば社会の制度として優生学が君臨してきたところに前述の勘違い犯人達を超えた恐ろしさがあります。今回の猟奇的な事件の表面を見るだけではなく、我々は社会制度のなかに優生学のようなものが忍び込むことを常に警戒しなければ、と思います。

不況が長引き世の中がすさんでくると勘違い不満分子の怒りはより貧しい人、弱者、病人、老人に向かいます。非常にまずい時代に突入していることは疑いようがありません。